勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─   作:一般指揮官

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な、長かった……アークテロ事件……まさかこんなに長くなるとは……!!


第6話

 

 

「──院長室に。シュエン会長やワードレス、俺の部下達が倒れているだろう。介抱を頼む」

 

 施設内に響いた突然の銃声。まさかラプチャーの侵入を許したのか、と慌てて駆け付けたミシリス製の量産型ニケの一行を認めたムーアが冷徹な声音で告げながら改めて階段を下ろうとする。

 

「──あ、あの……ムーア少佐!」

 

「──何処かお加減でも……?」

 

「……大事ない。行ってくれ」

 

 血走った隻眼に加えて据わった双眸、ただならぬ雰囲気を全身から醸し出す彼の圧力は怯ませるのに充分すぎるのだろう。

 

 彼女達は命じられるまま、駆け足で院長室へ向かう。

 

 それを見送ることもなく、ムーアは階段を下り始める。

 

 足下がまだ覚束ない。普段よりも慎重に一段ずつ下り続けて暫く経った頃だ。

 

 ボディアーマーのポーチから着信のバイブレーションを感じた。

 

 引き抜いた携帯端末の液晶画面のロックを解除する為、彼は左手のハードナックルグローブを脱ぎ、指紋認証で解除を済ませる。手袋はその場で投げ捨てた。

 

 着信は──バイパーからだ。

 

 着信のメールの本文は短かった。ミシリス医療センターの一階、その非常口。

 

 ──何処へ逃げようと構わん。

 

 それが施設の外だろうが、アークの寂れた雑居ビルだろうが、或いは地上だろうが、何処でも構わない。

 

 頭に対ラプチャー用の徹甲弾を2、3発ぶち込められるなら、何処でも構わない。

 

 いや、突撃銃を使う必要もないだろう。至近距離から拳銃で──その前に四肢をへし折っておく必要があるのが少しばかり億劫だが、まぁ仕方ない。必要な手順だ。

 

 長い階段だったように思う。一階へ辿り着いた彼は案内掲示板を発見するなり、ギョロリとした視線を向ける。

 

 非常口──何処だ。あった。ここか。

 

 数秒を掛けて探し当てた行き先。

 

 それを目指して進み出す。

 

 階段を下るという適度な運動のお陰か、少しずつ四肢の力の入り具合が戻って来た。視界も明瞭さを取り戻している。

 

 幸いにも非常口が存在する区画、その廊下は人通りが少ない。正面玄関やロビー、待合に負傷者が殺到している為、多くの人員が割かれているのだろう。僥倖だった。

 

 突撃銃の安全装置を外し、クリアリングを実施しつつ彼は廊下を進む。

 

 すると何処からか硬いガラス製の何かを砕いた音が廊下の壁に反響しながら響き渡った。

 

 廊下の突き当たり──ちょうど曲がり角だ。その先に非常口がある。

 

 先程の激しい音はそこからだ。

 

 曲がり角へ近付く度に今度は別の類の音が彼の鼓膜を震わせる。まるで床の上で組み合いをしているような──カッティングパイの要領で曲がり角の先に飛び出る前のクリアリングを済ませたムーアの視界へ文字通りの光景が捉えられた。

 

 傍らにはバイパーがいる。

 

 そして──後ろ姿だけだが、黒く厚い装甲板に覆われた防護服のようなそれを纏う人影。その下におそらくはクロウらしきシルエットを認める。

 

 ──見付けた。

 

 曲がり角から姿を見せた彼は後ろ姿のみを捉えている正体不明の人影──その真下の床へ銃口を向けつつ歩み寄る。

 

 少し焦げた異臭が鼻腔を擽る。焼けた鉄の、そして肉と脂が焼けた異臭──どちらも嗅いだ経験のあるそれだ。特に後者は彼が自分自身の身で体験している。

 

「──あら、ダーリン。来たの?」

 

 ムーアの姿を一番に発見したバイパーは彼女も自覚こそしていないが、平素より少しだけ高い声音を掛けた。

 

 一歩ずつ歩み寄る彼は突撃銃を構えながら黒い人影──E.H.へ組み敷かれたクロウへ近付こうとしている。

 

 バイパーは、ムーアの双眸が見開かれ、生身だと聞いている隻眼が血走っている姿を認めた。あまりにもただならぬ雰囲気──殺意が滲み出ている。

 

 思わず小走りで駆け寄った。

 

「──クロウを殺しに来たの?やめて。ダーリンの手を汚す必要はないでしょ?」

 

 一歩ずつ、長身かつ大柄のムーアが、銃口を微動だにせず歩み寄って来る。

 

 双眸は鋭く釣り上がり、眼差しは一点のみを見詰めていた。

 

「中央政府に任せようよ。そうすれば上手く解決して──」

 

「──近付くな」

 

「──ッ」

 

 短く、しかし明瞭にムーアが警告を放つ。

 

 バイパーがこれまで──記憶にある限り、彼から発せられた声音の中で最も低く、最も冷徹な声だった。

 

 我知らず、彼女は怯んでしまう。

 

「ダ、ダーリン。そんなこと言わずに私の話を聞いてくれない?私ね、自首するつもりなの♡」

 

「───」

 

「事実を全部話すよ。アークのテロが誰の主導で、どんな計画で、どんな過程で行われたのか」

 

「───」

 

「クロウが見えるでしょ?私が捕まえたようなものだよ」

 

 反応が──返って来ない。

 

 彼ならば、()()ではなく()()の誤りだろう、と皮肉や軽口を織り交ぜて短くも会話に応じてくれるのが常だった。少なくともバイパーの知る限りにおいては。

 

 だが、見開かれた濃い茶色の双眸に──バイパーの姿は一切捉えられていない。

 

 憎悪と敵意に染まった瞳だ。本当に彼はクロウを殺してしまうかもしれない。

 

 ショウ・ムーアがニケを射殺する──それが果たしてクロウが計画した彼の破滅に繋がるかは未知数だ。

 

 しかしその結末を幻視するバイパーは胸騒ぎがしてならない。

 

 どうなるか分からない。分からないのが──恐い。

 

 なんとかしてクロウの計画を阻止する必要がある。その為にはどうすれば良い。

 

 まずは彼の意識を自分に向けさせなければならない。

 

「だ、だからダーリンが上手く話を──」

 

「──何を企んでいる?」

 

「……企む……?」

 

 意識を彼女自身へ向けさせることには成功したのだろう。一応は。しかし返された声音は無機質さを感じさせる。

 

 疑惑、警戒──その類の感情が醸し出されていた。

 

「ううん!なんにも企んでないよ?私は自首するって──」

 

「──戯言を」

 

「………ダーリン?」

 

 こんな眼をする人だったのだろうか。一瞬だけバイパーに向けられた眼差し──信頼や信用をしない、と瞳に書かれたそれを認めた彼女が気圧されてたじろぐ。

 

 しかし──むべなるかな。これまでのバイパーの言動の大半を総括した時、彼の態度を批難は出来まい。

 

「私の言うことが信じられないのは分かるけど……でも、話を──」

 

「──そこを退け」

 

 再度の警告が放たれる。何度目の警告が放たれた瞬間が最後なのか──分からない。

 

 バイパー自身も、らしくないとは感じつつ、思わず生唾を飲み込んだ。

 

「──クロウを、殺すの?やめて。ダーリンはそんなことしちゃダメ」

 

 恐る恐るバイパーは彼へ歩み寄り、細い腕を伸ばしてムーアが構えたままの突撃銃の銃身を握る。床へ銃口を導こうと力を入れたが──ビクともしない。

 

「──ダーリン。ちょっと頭を冷やして……」

 

「これが()()だ。退け」

 

 まるで幼子のようだ。彼から放たれた()()()()()にバイパーの肩がビクリと揺れる。咄嗟に彼女は握ったばかりの突撃銃の銃身を手放した。

 

「──クロウの次は()()だ」

 

 隠しようのない敵意に染まった瞳──それがバイパーに向けられる。

 

 こんな眼をする人だったのか──いや、違う。

 

 きっと、そうではない筈だ。

 

 こうなるようになってしまったのは──

 

「……ダーリン。そんなに私のことが信じられない?」

 

 ──当然だろう。彼は言葉を返さないが、バイパー自身が内心で込み上げた疑問を口にすると、口にした本人である彼女ですら納得してしまう。

 

 これまでの諸々を鑑みれば──当然の帰結だ。

 

「今まで嘘を吐いて、弄んで……ごめんね。心から謝るから──」

 

 どうすれば信じて貰えるだろう。どうすれば彼が納得するだろう。

 

 謝罪すれば──いや、謝罪とは口だけだ。口で、心から、と述べても誰がその保証をしてくれるのか。

 

「……困っ、たな」

 

 クシャ、とバイパーの表情が歪む。今にも泣き出しそうな、瞳に薄く涙が溜まる表情。

 

 手詰まり、それを感じてしまった。

 

 それ以上に──

 

「……どうやって謝れば良いのか……分かんないや」

 

 幾千、幾万の謝罪の言葉を並べ立てても、彼の敵意や憎悪を薄める効果はない。

 

 なによりも彼女自身が、謝罪の仕方を知らなかった。

 

 バイパーが項垂れた瞬間──彼女の首に巻かれたチョーカーから電子音が小さく響く。

 

 何の音だろう。

 

 見れば、細い首へ巻かれたチョーカーが光を放ち始めていた。

 

 一瞬で察せられた。起爆信号を受信したのだと。

 

「──……あぁ……ここで、こうなるんだ」

 

 信号の受信から起爆までの猶予は数秒程度だ。ピンが抜かれ、トリガーが外れた手榴弾が撃発するまでの猶予よりは少しばかり長い程度。

 

 バイパーは──躊躇わなかった。

 

 起爆まで残り数秒だろう。彼女の両腕が持ち上がり、間近にいるムーアの肩を押し遣った。

 

 もう少し丁寧な別れにしたかったが、一刻を争う。

 

 散々と弄んでしまった償いには到底足りないだろうが──彼を起爆に巻き込みたくはない。

 

 彼女が思っていたよりも力が籠もっていたのだろう。ムーアの身体が押し遣られ、バイパーから距離が生じた。僅かばかりだが、これで一安心だ。

 

 満足したのだろう。バイパーは歪んだ表情を変える。努めて笑みを浮かべた。

 

 好きな人に、へんてこな顔を見せたくない──そんな衝動に駆られるまま毒蛇は笑みを作り出す。

 

 しかし、後悔がないと言えば嘘になる

 

「──ダーリンという人を、私の気持ちを……」

 

 もっと早く知れたら良かった。そうすれば、もう少し別の形での何かで物事は収まっていたのかもしれない。

 

 それだけが悔やまれてならない。

 

 バイパーは瞳を閉ざし、その時を待った。待とうとした──

 

「──痛覚センサーを切れ!」

 

 突如、バイパーは自身の後頭部が大きな手で掴まれる感覚を捉え、驚きで眼を見開く。

 

 押し遣った筈のムーアが、傍らに立っている。

 

 背丈の違いもあって緩く見下ろしつつ、左手でバイパーの後頭部を掴み、右手で握った突撃銃の銃口を彼女の首元へ押し当てていた。

 

 何をするのか──それよりも早く離れて欲しい──起爆と爆発に巻き込まれてしまう──。

 

 彼の行動と警告──切羽詰まり、余裕がなさそうな表情を浮かべた青年のそれらは合点が行かない。

 

 明るい深紅の瞳を丸くするバイパーへ彼は声を再び荒げた。

 

「──早く!!」

 

 最早、一刻の猶予もない──それを短くも明瞭に叫ぶ彼の求めに応じ、バイパーは瞳を閉ざすと意識して痛覚を司る機能を停止させた。

 

 すると、ちょうど彼女の顎下の辺りだろう。ドンッと鋭い衝撃が頭部を揺らし、次いで妙に軽くなった気がした。

 

 奇妙なことに宙を舞う感覚すら捉えられる。とうとう起爆したのだろうか──それにしては爆発の規模が小さい気がする。

 

 瞳を薄く開けてみると──彼女の視界には彼の左腕とボディアーマーが映った。

 

 意識が薄れていく──強制的なシステムシャットダウンだろうか。

 

 薄れ行く意識の中、バイパーは温かさを感じ、邪気のない笑みを浮かべる。

 

 ──バイパーの顎下からムーアは対ラプチャー用の徹甲弾で彼女の頭部を切断した。手入れを欠かしていないのだろう甘い香りを放つ長髪ごと頭部を左腕で包み込み、ボディアーマーへ押し付けて庇う格好のまま床へ倒れた拍子に背後でチョーカーが炸裂した。

 

 導爆線のような代物だろうと思っていたが、見た目に反して随分と爆薬が仕込まれていたらしい。チョーカーそのものが高性能爆薬(C-5)をこれでもかと押し込んで作られたのだろうか。頭部を吹き飛ばすにしては随分と過剰な炸裂と衝撃波が彼の背中を襲う。

 

 それが治まったのを認めたムーアは、身を起こしつつ左腕に抱えながら庇ったバイパーの頭部を見下ろした。

 

「……礼は、機会があったら言ってくれ」

 

 デモンストレーション代わりにチョーカーが起爆したらどうなるか──それを彼女達は見せ付けられていた可能性が高い。知っていたからこそバイパーは彼を押し遣ったのだろう。

 

 どのような思惑があったのか──それはムーアには分からないが、バイパーが彼を守ろうと行動した一点については疑いようのない事実である、と考えられるだけの冷静さは持っていたらしい。

 

 或いは彼女の平素らしからぬ余裕の無さを目の当たりにして──少しだけ、バイパーが言う通りに少し頭が冷えたのか。それとも部下達に射撃を加えたクロウを主に憎悪していたから、バイパーへ対してはそれほどの敵意を抱いていなかったのか。

 

 いずれにせよ──二度とはしたくない緊急措置の類だった。

 

 チョーカーの起爆後、バイパーの身体は床へ倒れていた。元あった位置へ液体触媒が滴る頭部を置いたムーアが改めて突撃銃を握り直した直後だ。

 

「──お……い……!!」

 

 余裕のない女性にしては低めの、ハスキーな声質のそれがムーアへ指向されて放たれる。

 

 肩越しに振り向くと、クロウを組み敷いて押さえていた人影が今にも崩れ落ちかねない状態のまま──雑に包帯を巻いて処置したからか、焼け爛れた肌が垣間見える顔を向けている。

 

「クロウを……頼……む……!」

 

 限界を迎えたのだろう。黒い人影──E.H.がクロウへ覆い被さる格好で倒れ込む。

 

 その下から這いずり出たクロウが立ち上がり、ムーアへ視線を向けた。

 

 ──あぁ、そうだ。忘れるところだった。

 

 反射的にムーアが突撃銃を構える。高度戦闘光学照準器(ACOG)のレティクルへクロウを捉え、引き金を引く。

 

 短連射の銃声が響き渡るか否かの瞬間、クロウは駆け出す。非常口を飛び出した彼女を掠める徹甲弾や曳光弾の数々。

 

 ──零点規正(ゼロイン)が一致していない。

 

 弾道や弾着が逸れている。良く良く考えれば、地上から前哨基地へ帰還して間もなくに出動だ。

 

 突撃銃を酷使しすぎている。射撃の連続で整備不良が生じている可能性が高い。

 

 ついでに何度も突撃銃が落下しているからだろう。取り付けた照準器そのものが歪んでいる可能性も考えられた。

 

 とはいえ、だ。

 

「──問題ない」

 

 何も問題はない。弾着や弾道が逸れていようと、当たれば良いのだ。

 

 突撃銃を握りながらムーアも駆け出し、非常口から外へ飛び出したクロウの追撃に入る。

 

 街路を全力で駆けているクロウの後ろ姿を捉えた彼が再び発砲する。

 

 ミシリス医療センターの付近も民間人の避難は終了しているのだろう。流れ弾で損傷を負うのは建造物ぐらいなものだ。

 

 数十m先の街路をクロウが曲がる寸前──彼女の姿勢が崩れて路上を転がる姿を彼は捉える。

 

 掠めた徹甲弾の1発が肩を抉ったらしい。

 

 しかしクロウは怯まず、路上を転がる勢いのまま立ち上がり、再び駆け出した。

 

 狙った一点へ向けて弾が飛ばない。やはり逸れている。

 

 舌打ちを打ったムーアも駆け出す。

 

 クロウを追跡し、その姿を捉える度に突撃銃の火が噴く。

 

 本気で殺しに来ている──背中へヒシヒシと感じる殺意と憎悪。時折、頭部や身体の肌を掠め飛ぶ徹甲弾や曳光弾の数々がクロウの興奮を高めて仕方ない。

 

 彼女がエレベーターの搭乗口へ辿り着き、制御盤のパネルを操作していた最中、とうとうムーアが追い付いた。

 

 その無防備な背中に向け、彼は突撃銃の銃口を向ける。

 

 切り替えレバー(セレクター)は連射のまま、引き金へ掛けられた指先がガク引きを承知で一気に引き切った。

 

 しかし──全く銃声は奏でられず、銃口から弾頭が飛び出すこともない。うんともすんとも言わなかった。

 

 ──故障(ジャム)だ。

 

 原因はなんなのか。撃針が動かないのか、それとも弾薬に異常があるのか。

 

 彼は緊急の故障排除として、正規の手順をかなり省いた。槓桿を引き、薬室に入っていた弾薬を排出してしまう。

 

 槓桿を離し、次いでアシストノブを掌底で叩き、薬室を強制閉鎖──再び引き金を引く。

 

「──なぁ、ショウ」

 

 撃針が、前進していない。これは本格的に整備が必要だ。

 

 背後に彼が追い付いていると気付いていたクロウは制御盤の操作を止め、身体ごとムーアに向き直る。ゆっくりとした足取りで彼へ歩み寄って来た。

 

「あたし達、地上で話さないか?二人っきりで」

 

 普段なら、皮肉や軽口を彼は返しただろう。

 

 しかし──今日はその余裕はないらしい。

 

 首と脇に通したスリングベルトに接続している突撃銃を身体の前面へ保持する格好で手放すなり、ムーアの右手は右脚に巻かれたレッグホルスターへ向かった。

 

 引き抜かれた45口径の自動拳銃──その安全装置(サムセーフティ)が親指で外される。

 

 向けられた銃口が真円に見えた瞬間──クロウは姿勢を低く保ちながらムーアへ突っ込んだ。

 

 拳銃の銃口から火が噴き、飛び出した.45ACP弾が彼女の髪を何筋か焦がす。

 

 寸でのところで避けたクロウはムーアの腹部に向けて硬く握り締めた拳を打ち込む動作を取った。

 

 それを見逃す筈もない。彼は右手で拳銃を握りながら、左手で打ち込まれるクロウの拳を受け流し──彼女の手首や肘の関節を極めに掛かる。

 

 彼女は何が起こったのか分からなかっただろう。痛覚センサーを切っておけば危険信号としての痛みを感じることもなかった筈だ。

 

 人体の構造を模しているからこその技が掛けられた──それは察せられたが、片手で、それも投げ飛ばされるとは思わなかった。

 

 気付けば舗装された地面へ背中から叩き付けられている有り様だったのだ。

 

「……驚い、た……ジュードーって、やつか──ッ!?」

 

 顔面へタンカラーのブーツの靴底が衝突する。

 

 彼の体重を乗せた蹴りが加えられ、クロウは一瞬、意識が遠退いた。

 

 だが、意識が途切れないよう気合いを入れざるを得ない。

 

 なにせ彼女は──特等席にいるのだ。

 

「──ショウ。お前……自分が今、どんな顔をしてるか分かるか…?」

 

 整った形の鼻、艶めく唇の端から熱いものが垂れ落ちる感覚をクロウは捉えつつ、彼を見上げた。

 

「──お前がそんな顔をする瞬間が……人生であと何回あるかな」

 

 怒りに震える厳しい表情──その段階はとうに過ぎ去っているのだろう。

 

 顔には表情らしいそれは浮かんでおらず、その代わりに双眸だけがギラついて光っている。飢えたオオカミに睨まれている気分だ。

 

「──ははは……あたしは、お前のその顔を初めて見た、唯一の存在になるだろう。それだけでも、あたしにとっては充分に価値がある」

 

 彼を破滅させる──その計画は叶ったが、これは想像以上の副産物だ。

 

 悪くない。悪くはない光景だ。

 

 彼の右手に握られた45口径の自動拳銃が持ち上がり、舗装された地面へ仰向けに横たわるクロウの眉間を狙った。

 

「──撃つのか?」

 

 微動だにしない銃口。それが答えのようなものだ。

 

「──じゃあ、破滅するんだな」

 

 クロウは照星と照門の先に見える彼の憎悪や敵意をこれでもかと湛えた濃い茶色の瞳へ自身の鮮やかな翠色の瞳を向ける。

 

「──あたしが、お前の初めてになるのか……光栄だな」

 

 うっとりとした、恍惚とも言える濡れる翠色の瞳。

 

 片や、憎悪と敵意に染まった濃い茶色の瞳。

 

 それぞれの眼差しが交差した瞬間、彼の人差し指が拳銃の引き金を絞る。

 

 

 

 

 指揮官!!

 

 

 

 

 聞き慣れた──凛とした玲瓏な声。

 

 間違いなく自身の耳朶を打ったそれに反応し、ムーアが引き金を絞る拳銃の銃口に一瞬の動揺が走った。

 

 銃声が、響き渡る。

 

 拳銃のそれではなかった。

 

 エリシオン製の突撃銃から奏でられる銃声──それを聞き取った彼の視線の先では、舗装された地面を跳ねるように転がり、俯せになって止まるクロウの姿があった。一切の身動きを取らない──が、液体触媒の夥しい流出やボディの欠損は認められない。

 

 次いで、カツカツと舗装された地面を踏む規則的な足音が彼へ向って歩み寄ってくる気配を感じ取り、ムーアは横目を遣る。

 

「──指揮官」

 

 聞き間違いでもなければ、目の錯覚でもない。ついでに言えば、両脚も生えていた。

 

 ライトブラウンの髪を揺らし、ヒールの足音を奏でながら歩み寄って来るのは──ラピだ。間違いなく、彼が率いる分隊のリーダー、彼の副官であるニケ。

 

「……拳銃を下ろしてください。全て終わりました」

 

 彼女はムーアへ歩み寄るなり、長身の青年を見上げつつ、彼が掴む45口径の自動拳銃をスライドごと握ってゆっくりと足下へ向けた。しっかりと、撃鉄が落ちないよう親指を掛けながら。

 

「……ラピ?」

 

「……はい。ラピです」

 

 やや呆然と彼は誰何する。それに彼女は頷いて肯定した。

 

「……私がクロウをゴム弾で撃ちました。もう大丈夫です」

 

「…………」

 

 まるで幽霊を見るような目だ。信じられないのだろうか。

 

「……失礼します」

 

 ラピの手袋へ覆われた細い手がムーアのボディアーマーに設けられたポーチのひとつへ向かい、そこから愛煙の煙草が詰まったソフトパックを取り出した。

 

 摘み取った一本の紙巻き煙草──GODDESSの吸い口を青年の乾燥気味の唇へ向かわせ、それが銜えられるのを認めてから彼女は合皮のジャケットのポケットを漁り、ターボライターを引き抜く。

 

 翳したターボライターのボタンを押し、蒼い火を噴き出させ、煙草の先端を炙れば、嗅ぎ慣れた紫煙の香りが漂った。

 

 静かに彼は紫煙を燻らせながらニコチンとタールを摂取し、やがて唇を開く。

 

「……アニスとネオンは?」

 

「……無事です。大きな損傷はありません」

 

「……そうか。それは、良かった」

 

 返す言葉が──元々、そこまで語彙力が豊富という訳でもないムーアだ。表現が乏しくなるのも仕方ない。

 

 しかしラピはこの短く発せられる言葉の端々から、無性の安堵を感じ取っていた。

 

「──指揮官」

 

 頭ひとつ分は高い位置にある彼の顔を仰ぎながら彼女は語る。

 

「──()()()は絶対に破滅したりしません。私が──私達が、絶対にそんなことはさせません」

 

 ほんの数秒遅れていたら──彼は間違いなくクロウを射殺していただろう。それは認めながらも、彼女は断言する。

 

 押し黙ったままムーアは煙草を銜え、暫く紫煙の香りと味を堪能しつつ──握ったままの自動拳銃へ安全装置を掛け、右脚へ巻かれたレッグホルスターに収める。

 

 次いで突撃銃から弾倉を抜き、槓桿を引いて不発となった弾薬を薬室から除く。引き金を引き、空撃ちの乾いた音を響かせた後、彼は改めてラピに向き直った。

 

「……ありがとう」

 

 煙草に火を点けてくれたこと、生きていてくれたこと、クロウの()()を頓挫させたこと──その他諸々への感謝を彼は短く告げる。

 

 一気に疲労感が押し寄せて来たのだろうか。

 

 ムーアは少し膝を折ると、眼前のラピの肩へ額を埋めた。

 

 彼女にとっては迷惑であろうし、彼自身も銜え煙草のままでは申し訳ないとは理解しているが──正直、疲れたのだ。

 

 しかしラピは突撃銃(ミリタリア)の安全装置を掛けると、ボディアーマーに覆われた彼の背中へ細い両腕を回して軽く抱き寄せる。

 

「私もありがとうございます。──指揮官(あなた)が、指揮官(あなた)でいてくれて」

 

「……少し休んだら、前哨基地に帰ろう」

 

「はい。……イーグルに撤収の連絡をします。おそらくあちらも片付いているでしょうから」

 

「……頼む」

 

 気が抜けた低い声には覇気がない。それを察したラピは彼をエレベーター搭乗口近くの壁へ導いた。

 

「……30分──いや、10分だけ寝る。……疲れた」

 

「……はい。おやすみなさい」

 

 途端にズルズルと、ムーアがその場へ座り込んでしまう。黒髪と白髪が半々に占められた──白髪がまた増えた気もする頭部が徐々に項垂れて落ちていく。

 

 銜えられていた煙草が紫煙の細い尾を引きつつ舗装された地面へ落下した。

 

 寝入ったのだろう。彼のことだ。きっかり10分後には目覚めている筈だ。

 

 いつも通りの、力尽きた死体じみた寝姿──それに安堵するのも如何なものかとラピも思うが、無性に安心を覚える。

 

 とはいえ、このままの格好では貴重な寸暇の休息だというのに疲れは取れまい。

 

 ラピも彼の隣へ両脚を揃えて腰を下ろし、彼の上体をゆっくりと慎重に横たわらせる。

 

 寝息らしいそれも立てていない寝顔を自身の脚の上で晒すムーアをラピは見下ろす。手袋を脱いだ細い指先で黒髪や白髪を梳くように撫でながら、アニス、ネオン、そしてイーグルへの連絡を試みた。

 

 







やっとこれでチャプター24【追放】も一段落──え?まだあるの?

……ふふっ……ふへへ……えへへへ……!!

やっと、やっと……ムーア少佐の()()()()復活じゃーい!!!
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