勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─   作:一般指揮官

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後始末は大変そうですわね。




第7話

 

 

 湯煙が立ち込める密室空間に響くシャワーの水音。やや熱めに設定された温水を浴びる青年は気怠い様子のまま頭髪や身体へ纏わせた石鹸の泡を洗い流す。

 

 石鹸の泡と共に細かい黒髪や白髪の毛先が洗い流され、両側面の地肌が見える程に短く刈り上げられた頭部が露となった。

 

 久しぶりに部下(アニス)の手で刈り上げられた髪型の出来映えは相変わらず素晴らしい。備え付けの鏡の中へ映り込んだ自身の姿を認めた青年の手がシャワーを止めるボタンをタップする。

 

 散髪は終えたが、髭剃りはまだなのだ。地上から帰還して間を置かずに出動となった一連のテロ事案の忙しなさもあって忘れていたが、放ったらかしにしていた唇や顎周りの無精髭の群生へシェービングクリームが満遍なく塗り込まれる。

 

 密接に配列された6枚刃のカミソリ(シェーバー)を摘み、逆の指先で自身の肌を押さえながら刃を滑らせる。

 

 深剃りが謳い文句の商品だが、こうも生え散らかしていると一度で剃り落としは難しい。複数回は同じ部位を反復して剃らねば綺麗にはならなかった。

 

 刃先へ詰まった髭を流水で洗い落としてはカミソリが肌へ当てられ、ゆっくりと引かれる。

 

 無精髭があると良くも悪くも貫禄のある顔立ちだったが──それが無くなってもあまり変わらない気がする、とは彼の部下達の言葉だ。

 

 いずれにせよ、剃り残しがないことを鏡に映り込む顔、手触りでも確認を終えた青年──ムーアは再びシャワーで熱い湯を浴びた。

 

 昨日に発生した一連の事案もひとまずは一段落となり、前哨基地へ出動させた全分隊(小隊)を率いて帰還したのは昨夜のことだ。

 

 成り行きで彼や彼女達に同行し、協力する格好となった伍長も一晩は前哨基地で過ごしたのだが、今朝に出頭命令が下ったらしく、エレベーターへ乗り込んでアークに戻ってしまった。

 

 出頭命令の理由や事情は本人の口からは語られなかったが──十中八九で()()()()が取られたのだろう。

 

 報復措置──要はアウターリムで臨時の指揮官代行となり、武装した量産型ニケ1個小隊を率いて副司令官の一角へ楯突いた事実に対するそれだ。

 

 どのような顛末となるかは想像に容易い。

 

 無精髭を蓄えた野性味溢れる風情のムーアも髭剃りを終えれば、文明人らしい風体となった。

 

 とはいえ、指揮官室を全裸のまま無人の荒野を行くが如しの態度で闊歩するのは文明人らしからぬ行為だ。本来は彼のプライベートな空間である上、尚且つ彼以外の者が居ないので問題はないのだが。

 

 クローゼットの前へ辿り着き、扉を開けたムーアはハンガーに吊るされた軍服を認める。最後に着装したのはいつのことだったか。

 

 他の指揮官達はこれを纏って地上奪還の作戦へ従事しているようだが、彼がこれを着込んで地上に赴いたのは少尉任官の翌日の任務だけだ。見た目に反して動き易い()()()ではあるのだが、彼としてはどうもしっくり来なかった。

 

 以来、これを纏う機会は限られている。とはいえアイロンでプレスを掛けて皺を伸ばしたり、編上の長靴の手入れは欠かしてはいない。

 

 下着に肌着を身に着け、次いでワイシャツを取る。ボタンをしっかりと掛け、象牙色(アイボリー)のネクタイがセミウィンザーノットで結ばれた後、皺ひとつないスラックスが履かれる。

 

 腰回りにベルトを通し、ウエストを締め上げてから、指揮官徽章や各種の略綬が胸元を賑やかにし、少佐の階級章が鈍い輝きを放つ上着へ袖が通された。

 

 黒い合皮の拳銃嚢(ホルスター)が取り付けられた太いベルトが上着の上から腰へ巻かれ、続けて磨かれた長編上靴を履くのだが、この際にスラックスの裾を靴の中へ入れつつ靴紐を締め上げる。

 

 両脚に履いた長編上靴の靴紐を締め上げたムーアはクローゼットへ備え付けの姿見で着装の具合を確かめる。

 

 礼式通りの着装を認めた彼はクローゼットの扉を閉める寸前、帽章が付いた軍帽を取った。

 

 軍帽を脇に挟みながら応接用のローテーブルへ移動し、天板の上へ鎮座する45口径の自動拳銃を拾う。スライドを何度か引き──妙な()()()()()は無いと認めてから彼は.45ACP弾が装填された弾倉を叩き込んだ。初弾は薬室へ送り込まず、拳銃嚢へ納め、留め金を掛ける。

 

 左手の手首内側へ文字盤が収まるよう巻かれた腕時計の針に目を落とす。

 

 少しばかり猶予はあるようだ。

 

 彼は拳銃が置かれていた机上──何本かの吸い殻が潰れている卓上灰皿の真横に鎮座するソフトパックとオイルライターを取り上げる。

 

 銜えた一本の紙巻き煙草にオイルライターの火を点け、紫煙を燻らせつつ何本かの吸い殻が溜まった卓上灰皿を手繰り寄せた。

 

 ──さて、どうなることやら。

 

 伍長の件も気掛かりだが、彼自身もどうなることやら。

 

 溜め息混じりに紫煙を吐き出していた最中だ。

 

 指揮官室の扉がノックされる。

 

「──指揮官。いらっしゃいますか?」

 

「──入れ」

 

 扉越しでも聞き逃しはしない玲瓏で落ち着きのある高い声。

 

 入室の伺い立てはムーアは即座に応じられる。

 

 失礼します、と一声を掛けた後に指揮官室の扉が横へ滑り、室内へ見慣れた人影が姿を見せた。

 

「──そろそろお時間です。護衛します」

 

「……吸い終わるまで待ってくれ。それぐらいの時間はある。なにせ──」

 

 下手をすれば即日で銃殺刑も有り得るのだ──と薄い微笑を浮かべた彼は皮肉、軽口を叩く。

 

 それに彼女──ラピは小さく頷きを返す。その肯定の頷きは、銃殺刑の可能性に対してか、それとも時間的な余裕がある点へ対してなのかは定かではないのだが。

 

 とはいえ彼は基本的に喫煙をじっくり、時間を掛けて楽しむ嗜好は持ち合わせていない。特に紙巻き煙草なら尚更だ。

 

 吸い口であるフィルターの近くまで灰となれば、ムーアはそれを灰皿へ押し潰して火種を消してしまう。

 

「済まない。待たせた」

 

「いいえ。では行きま──失礼します」

 

 最後になるかもしれない一服──を堪能した彼だが、未練がましくソフトパックとオイルライターを纏めて上着のポケットへ仕舞い込み、待機していたラピに向き直る。

 

 その直後、彼女は素早く彼へ歩み寄り──ジッと紅い瞳で緩く見上げた先に結び目を作る象牙色のネクタイへ両手を伸ばした。

 

「……動かないで下さい。少し位置が……」

 

「……そんなに目立つか?」

 

 階級章、略綬、徽章の取り付け位置は礼式で定められている。大体この位置──ではなく、きっちりとした単位で。

 

 無論、軍服を着装する個人毎の体型は異なるので若干の位置が移動してしまうのは仕方ないが、最初から位置が上下左右に乱れて付けられていると目立って見える。目立つ、というのは悪い意味で。

 

 彼も礼式に合わせ、略綬や徽章──略綬に関しては他の軍人同様、連結金具へ通して見栄え良くしているのだが、ネクタイがそこまで曲がっていただろうか。乱れていれば一番悪目立ちする部分である。

 

 ラピは真剣な眼差しで彼のネクタイを整えつつ唇を開いた。

 

「……ちょっとだけ……」

 

 格好が付いていない、というところだろう。信頼する分隊のリーダーであり、副官がそう言うのであれば彼は大人しく身支度の最終点検を任せる他ない。

 

「……DとKは?」

 

「──先程、アークに帰りました。またいずれ、だそうです」

 

「……彼女達には基地防衛の()()が出来たな。その内、何かしらの形で返済せんとならん」

 

 やがて彼女の細い指先が象牙色のネクタイを緩め、締め直し──満足できる格好へ落ち着いた。

 

 ラピは彼から離れ、ジッと頭の先から爪先まで視線を向ける。

 

 上着、ワイシャツ、スラックス──皺なし。

 

 長編上靴──磨き、問題なし。

 

 階級章に略綬、徽章──いずれも定位置、礼式通り、異常なし。

 

 ネクタイ──大丈夫。

 

 ラピが頷く。念入りな点検は終わったらしい。

 

「──ありがとう」

 

 死装束(軍服)は色彩に意匠自体が野暮ったい故、格好を付けなければ()()()()()

 

 副官の厳格な最終点検を通過したことで彼はやっと指揮官室を後に出来る。

 

 スラックスのポケットへ携帯端末を仕舞い、ラピと連れ添って指揮官室から廊下に出るとムーアは脇に挟んでいた軍帽を被った。

 

 

 

 

 

 

 アークテロ事件──そう呼称されることとなった昨日に発生した一連の事案の顛末を語るとしよう。

 

 まず、本事案を画策し、実行した主犯格であるクロウ。

 

 彼女を制圧したのはラピの放ったゴム弾だ。

 

 頭部に命中したそれがクロウの意識を途切れさせ、その後に中央政府の手で逮捕・連行された。

 

 脳スキャンの結果、一連の事案の首謀者かつ主犯格と正式に認められ、事案の過程で巻き込まれた人物達は彼女に利用されただけ──とも判明した。

 

 現在は収監され、エニックの判決を待つ身だ。

 

 次にアンダーワールドクイーン。

 

 彼女達は副司令官の一角に君臨するドバンへ明確に反抗し、実力を以て彼が差し向けた部隊を排除、或いは作戦遂行を頓挫させている。

 

 仮にも中央政府軍(正規軍)の部隊を──彼等の見方から言えば()()()()()()が部隊の行動を徹底的に邪魔した訳だ。

 

 ドバンもそうだが、中央政府軍としても面子が立たない。

 

 その見せしめも兼ねて、ドバン、そして中央政府軍の武闘派の一派は彼女達へ対する記憶消去の措置を強く求めた。

 

 しかし、それをテトララインCEOであるマスタングが抗弁し、取引を持ち掛けた。

 

 テトララインのメイン放送チャンネルを中央政府に譲る──という取引だ。

 

 一見すると脈絡のない取引にも思えるのだが、中央政府はそれを飲んだ。

 

 前哨基地への帰路の途中、通過することとなったテトララインの本社。CEOであるマスタングの様子が気になったのか、アニスが彼へ断りを入れて面会に向かった。

 

 その時の様子を彼女が語るところによれば──

 

 

 

──大丈夫です。My アニス。どん底からUpするのはMeの特技ですKARA!!

 

 

 

 ──心配しなくても大丈夫そう、とのことだ。

 

 そもそもテトラライン自体が三大企業の一角だ。他の収入源はいくらでもある。

 

 兵器開発事業も継続──して貰わなければ彼が困るところだ。ムーアが使用する突撃銃も生産されているのだ。

 

 そしてユニ、ミハラ。

 

 彼女達について。

 

 ユニは更生館の独房へ収監されたらしい。一言も発さず、ジッとしているそうだ。

 

 彼女はクロウに利用されたとはいえ、一連の事案の最中に発生したシェルター内へ避難していた民間人にパニックを起こさせ、閉鎖されていた扉を開けて外に飛び出すよう仕向けた──シェルター事件とも称されるそれの実行犯だ。

 

 ユニの脳にNINPHが存在せず、脳スキャンが受けられない現状から、中央政府も手を焼いている。

 

 しかし簡単に処分とすることは出来ない。それが可能となるのはシェルター事件を起こした原因の究明、事情聴取をしてからだ。

 

 シェルター事件の実行犯がユニである、という事実が確定されるまでは引き続きの収監となる運びらしい。

 

 ミハラについては──カウンターズの面々やユニの頭部がクロウの射撃したゴム弾とは異なり、実弾(実包)が頭部に撃ち込まれた。

 

 不幸中の幸いと呼ぶべきか否かは判断に困るものの──処分する際の()()()()からは若干の、誤差の範囲ではあるが、幾分かは離れていたのもあり、一応は助かった。

 

 ただし脳の損傷は大きく、緊急での修理へ入ったのだがNINPHが修理(手術)を妨害したらしい。

 

 外部からの攻撃、とNINPHが判断したのだ。

 

 その為、強制的にNINPHを取り外して修理が行われたのだが、その過程で記憶消去が発生したという。

 

 修理が終わった後、再びNINPHが搭載されたそうだが──これで彼や彼女達が知る限りにおいて、ミハラの記憶消去は2回目である。

 

 果たして何度の記憶消去や思考転換を経て、人格が変わるのかは個人差になってしまうのだろうが、後味の悪い結果である点に変わりはない。

 

「──……アーク内に侵入したラプチャー掃討は進んでいるようだが……」

 

「──完全に掃討されるにはもう少し時間が掛かるのでしょう。安全が確認され次第、シェルターが開放されるそうです」

 

 ちょうど昼食時だ。外食チェーンの店舗の数々に忙しなく老若男女の勤め人が入っては出ていく時間帯だが、ムーアやラピが進むアークの歩道沿いは静寂に包まれている。

 

 人っ子ひとりもいない。──遠目に見える複数の人影はラプチャーの掃討と検索に駆り出されている量産型ニケだろう。

 

「……シュエン会長は、暫くはベッド生活だったか。お大事に、とメッセージでも送るかな。……ブロックされたままだから読まれはせんだろうが。──クロウは何故、キミ達をゴム弾で撃ったんだろうな」

 

 道沿いの電子看板、その液晶画面上へ映し出されたミシリス・インダストリーの広告。視界の端へ捉えた彼がCEOの容態を気に掛けた後、何気なく呟いた一言。

 

 先述の通り、クロウがユニや彼女達へ撃ち込んだ弾頭は鎮圧用のゴム弾だった。

 

 何故、跳弾を利用した実弾ではなかったのか──それが今更になって疑問となったらしい。

 

「……推測になりますが、指揮官を極限まで追い込みたかったのだと思います」

 

 クロウの脳にはNINPHが搭載されたままだ。実際にはリミッター解除無しで彼や彼女達を直接照準しての射撃は不可能である──冷静であれば理解できる。答え合わせの段階の現在なら理解出来る。

 

 だが、当時の状況では──とても()()ではいられなかった。

 

「……クロウなら殺れる、と確信してしまった」

 

 彼の言葉に隣を進むラピは暫しの沈黙で肯定を返す。

 

 やがて意を決し、彼女の唇が開いた。

 

「クロウの最終目的は、指揮官に私達の復讐をさせること……ですが、クロウが射殺された後、私達は生きていると知った指揮官が──」

 

「──二度と立ち上がれないように、するか。………であるなら、少しばかり見くびられたようにも思う。少々、不愉快だ」

 

 眉間に深い縦皺が刻まれた横顔をラピは横目に伺う。

 

 不愉快、見くびられている、と感じているが──どうなっていたかは分からない。彼女は易々と同意するのは難しいのか沈黙するしかない。

 

 ほんの数秒の差だった。彼なら──クロウがそうであると確信が持てるように、ショウ・ムーアなら確実に報復を実行する。間違いなく、彼は射殺を躊躇わなかっただろう。

 

 だが、その後はどうだったか──こればかりは分からない。その世界線は到来しなかったのだ。たられば、の仮定の話で終わってしまう。

 

 クロウを射殺し、報復を達成した後、彼女達の生存が認められても彼は大きな動揺は見せなかった──かもしれない。十中八九で確定だ。

 

 しかし周囲の目はどうなるか──これも分からない。

 

 幸いにもクロウの計画は頓挫した。これだけが揺るぎない事実であろう。

 

「……ここで待っていてくれ。おそらく直ぐに話は終わる」

 

「──了解しました。お待ちします」

 

 全壊の一歩手前──無惨な有り様のA.I.研究所だが、昨日よりは復旧が進んでいる。

 

 建築に特化したロボットの群れが資材を運搬し、復旧作業を進める光景を目の当たりにしながら正面玄関を通過したムーアは護衛とした付き添ったラピに脱いだ軍帽を預けた。

 

 軍帽を受け取った彼女は休めの姿勢を取り、研究所の奥に繋がる防護壁の扉へ向かう。その背中をラピの紅い双眸が見守り続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ショウ・ムーア。3階級特進」

 

「……は?」

 

 暫くの後、彼の怪訝な声が響き、眉間には深い縦皺がこれでもかと刻まれた。

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