勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
アンダーソンのオフィスへ出頭する数十分前、ムーアの姿はエリシオン本社、その社長室にあった。
社長室の主たるイングリッドはソーサーに置かれたカップを摘み、一口を音も立てず湯気立つコーヒーを啜りながら腰を下ろすソファの上で脚を組み替える。
その対面には長身かつ大柄の青年、ムーアの姿がある。彼の眼前にもコーヒーが置かれているが、手を付ける気配がない。
どうやら、あまり精神的な余裕がない様子が察せられる。こんな状況だが、人間味を感じさせる気配にイングリッドはなんとも言えない安堵の気分が芽吹いた。
カップをソーサーへ置いた三大企業の一角を占める大企業のCEOを勤めている女傑が対面のソファへ腰掛けた青年に労いの言葉を送る。
「──テロ事件に続けて、復活したヘレティックとトーカティブの撃退、本当に御苦労だった」
「──いえ、とんでもありません。早速で恐縮ですが……」
「……ラピの行方だな?」
世間話をする程、気心が知れた仲でも無い。なにより余裕もないのだろう。ムーアが本題へ切り込む前にイングリッドは彼が面会を申し出た理由を的中させた。
「──射出されたヘレティック2体、トーカティブ、そしてラピとドロシー。いずれも今のところは行方が分からない。混乱もあって追跡不可能の状態だ。だが……まだ帰還していないということは
「……やはり、イングリッド社長もそう思われますか」
「ラピとドロシーを捜しに行くのか?」
コーヒーに手を付けないムーアへ女傑が尋ねる。それに青年は無言で頷きを返した。
「……では、名目上はピルグリムの追跡、ということにしておこう」
「……感謝します」
「手段や方法についてはムーア中佐に任せよう」
特殊別働隊という一種の独立部隊の特性──上級部隊指揮官の直接麾下にあってその特命に従事する部隊であり、場合によっては副司令官や三大企業CEOの命令も拒否できる特権を有した部隊を運用する彼がわざわざ伺い立てに足を運ぶ理由は、イングリッドにも察しが付いていた。
「──
イングリッドがカップの取っ手を摘み、縁へ口付けた瞬間、対面の青年が漏らした一言に女傑の動きが一瞬止まった。
同時に彼の頭蓋の内が強く締め付けられ、ズキリとした痛みが走る。相変わらず煩わしい──全く慣れない頭痛だ。思わず顰め面を浮かべるのもやむ無しであろう。
「……何処まで知っている?」
「彼女から詳細は聞きませんでした。何も知りません。おそらくエリシオンの機密事項なのでしょう」
「……不安要素だとは思わなかったか?」
「……幾らかは。ただし、それが私のラピへ対する信用と信頼を損ねる理由にはなり得ません」
なんとも──評価に些か難儀する返答が青年の口から漏れ出た。思わず女傑が苦笑いとも言える表情を浮かべながら底が覗き始めたカップをソーサーへ置き、改めてムーアと向かい合う。
「射出される前、彼女は私に、自分を見付けてくれと言っておりました。……ただの捜索や追跡を意味しているとは考え難い。何か事情を御存知なのではないかと考え、伺った次第です」
なるほど。こちらが正真正銘の本題であるらしい。それを察した──元々、察してはいたが、返せる答えはそう多くはない。
「…まずは…その通りだ、と言っておこう。君は色々な意味でラピを捜すことになるだろう。その真意を私の口から君に言うことは出来ないがな」
「……社長が口にすることが出来ない
「それは問題ないだろう。アークを揺るがしかねない
何事も建前という奴であろう。それを承知しつつ彼は話を手短に済ませていく。イングリッドも多忙だ。わざわざ一介の指揮官、一介の中佐との面会へ時間を割くことは、現在の状況も手伝って貴重であるのは疑いようがない。
「……頂いたナイフですが、修理や研ぎ直す時間も惜しいので代わりの物を新しく頂けたら幸いです」
「了解した。マテリアルH──いや、インディビリアとの交戦で刃毀れしたのだったな。新しい物を用意させよう」
「ありがとうございます」
「いや、気にするな。あぁ、そうだ。アンダーソンが目覚めたそうだ。その内、君を呼び出すだろう」
「出頭を命じられるよりも先に伺おうと考えていました。渡りに船です」
「そうか。──例の物を」
応接用のローテーブルに置かれた卓上電話のボタンが女傑の指先で押され、繋がった内線で用意していた代物を持って来るよう彼女は短く告げる。
数分も経たず、社長室へ姿を見せた量産型ニケはCEOへ歩み寄り、トレイ上に鎮座する
イングリッドとの面会を終えてから数時間後の前哨基地では弾薬受領を済ませた彼やアニス、ネオンが地上へ赴く準備を手早く進めていた。
M.M.R.へ緊急出撃の指示が下った際にも弾薬庫へ立ち寄ったが、これで本日二度目の弾薬受領だ。
エデンから帰還し、その日の内にアークテロ事件が発生。目まぐるしく変化する状況の中で敵性勢力の掃討、エキゾチックの確保を済ませて一息つけた──と思っていた矢先、インディビリアやトーカティブの復活である。ニヒリスターも含めて2体のヘレティックがアークに侵攻した最悪の状況が発生したのも、数時間前の出来事だ。
アークに帰還して1週間も経っていないのだが、また地上へ出撃である。普段なら愚痴のひとつやふたつが飛び出る筈のアニスやネオンだが、珍しくその類の言葉を漏らす様子はなく、手早く弾薬の受領を済ませた。
ムーアも徹甲弾や曳光弾を詰め込んだ弾倉を何本もボディアーマーに設けたマグポーチへ差し入れるが、不測の事態に備えて予備弾薬を背嚢の中へ収めていく。
「……あぁ、うっかりしていたな……」
ズシリと肩に食い込む重さを感じるのは
つまり、ラピの分も含めて予備弾薬を収めていた、ということに他ならない。
今回は彼女の分のそれは必要ないのだと再認識し、背嚢を下ろして入組品を整理する。予備弾薬を背嚢からいくらか出し、改めて背嚢を背負い直す。
こんなに背嚢とは軽いモノだったろうか──いや、彼の分の予備弾薬や着替え、糧食等が入組品として収納されているのだ。数日分、節約すれば1週間や2週間分の地上で活動し、生存に必要な代物ばかりが詰め込まれている背嚢は決して軽くはない。
だが、妙に軽く感じて仕方ない。
ふと彼は傍らに目を向ける。そこに本来ならば居るべき存在の姿はない。その事実を改めて突き付けられた気分となり、細く小さな溜め息を溢しながらムーアは弾薬庫内へ置かれた机上に預けていたヘルメットを拾い上げる。
脇に抱えて弾薬庫を抜け出ると彼を待っていたアニスやネオンを認め、共にエレベーターへ向けて進み始めた。
エレベーターに搭乗したら、その後は地上で任務に当たる必要がある。道すがら装具の点検を彼は始めた。
忘れ物はないか──手の平で自らの全身を触り、所定の位置へ装備品が備えられていると確かめている最中、彼の手が普段とは異なる感触を捉える。
ボディアーマーの前面に設けたポーチの留め具を外し、引き摺り出した細長い箱。合成樹脂の細長い箱だ。それを目敏く発見したアニスは物珍しさから興味本位に彼へ尋ねる。
「──指揮官様。その箱はなに?初めて見るわね」
「あぁ……イングリッド社長から貰った」
「肌見放さず持ち歩くなんて、いったい何が入ってるの?新しいパーフェクトバー?」
「いや、注射器だ」
「注射器?どうして?何処か痛むの?」
強力な鎮痛剤の類──とでもアニスは考えたのだろう。それも彼が彼自身に用いる代物と。
彼が
「俺は問題ない。心配せんでくれ。ラピに会ったらこれを打て、とイングリッド社長から渡されたんだ」
「……ラピに注射を?」
「……もしかして……ラピが「全部ブッ壊してやる!」とか言って大暴れしてるんじゃないですよね?」
「まっさか〜」
「でも注射ってそういう時に打ちますよね?」
「あのね。注射は具合が悪い時に打つの」
「あ、そうでしたね」
「……俺としてはネオンの言う暴れ回るラピを見たい気もするが……」
意外な一面を見た気分になれるだろう、と彼は脳裏にラピが地上で手当たり次第に廃墟と化した建造物を破壊して回る光景を思い浮かべた。
その場合──どうやって制止させ、どのようにして注射を打つかが問題になるだろう。白兵戦で彼女を制圧する他に手段はあるだろうか。
いずれにせよ、埒もない想像を働かせても仕方ない。ムーアは合成樹脂の細長い箱をポーチの中へ仕舞い込む。
「ねぇ、指揮官様。念の為、聞くけど……ラピとドロシーを捜しに行くのって私達だけよね?私と、ネオン」
「……俺を仲間外れにしないでくれ。泣いてしまうぞ」
「あ、ごめん。だよね。……うーん、どうにか誰かに支援して貰えないの?」
「私もその方が良いですね。師匠はともかく……アニスだけだと不安なので」
「わ〜気が合うわね〜」
また始まった──いつも通りのやり取りだ。長身かつ大柄の青年を挟んで応酬を重ねる彼女達へ彼は背嚢の紐が食い込む格好であるにも関わらず軽く肩を竦め、次いでソフトパックをポーチから取り出した。振り出した一本を銜え、オイルライターの火を点けて紫煙を燻らせる。
「一応は極秘作戦という奴だからな」
「でも表向きはピルグリムの追跡でしょ?正確に言えばドロシーの追跡よね。ただのピルグリムじゃなくて、アークに侵入したピルグリム。アークの立場的には放っておけない相手だと思うけど。それに、他にも狙ってる人達がいるんじゃない?」
「主に中央政府や軍部は放置したくないだろうが、アークでの大規模テロに伴うラプチャーやヘレティックの侵入、そして復活も発生したばかりだ。事態の収拾、鎮静化に必死で余裕はないだろう」
ついでに言えば、中央政府そのものが暫くの期間、地上への出撃を禁止する命令を発令している。地上へ派遣、展開していた全部隊と兵力・戦力がアークへの帰還を始めている、とムーアは傍らを進むアニスやネオンへ告げた。
「うーん……深刻な状況であることは間違いないようですね」
「こっちだって、もうすぐ深刻な状況になるわよ。カロリーバーを賭けたって良いわ」
警衛所を通過する際、彼は足を緩めずに防弾ガラス越しに起立した警衛司令へ上番した量産型ニケと相互に敬礼を交わす。ムーアは軽く、量産型ニケは不動の姿勢からの挙手の敬礼という違いはあったが。
拒馬が上げられ、警衛所を通過するとエレベーターの搭乗口までは間もなくだ。
「せめてスカウティングぐらいつけてくれたら──……え?今度はなによ……」
「……どうしました?」
「……
進行方向に発見した
アニスが指し示す細い人差し指の先へムーアの濃い茶色の瞳、そしてネオンのリーフグリーンの瞳が向けられ──師弟は互いにサングラスや眼鏡のブリッジを持ち上げ、指先で目頭を揉んだ。
流石は師弟同士とアニスは妙な感心を抱く。息の合った行動と反応だ。
「……えっ?今度はなんですか?」
「………今度はなんだ……?」
「でしょ?」
続けて異口同音に近い文言が双方の口から漏れ出る。やはり師弟は気が合うのだろうか。
とはいえ、彼や彼女達が同様の反応を見せるのも無理はない。
彼等が向ける視線の先──エレベーターの搭乗口付近に立つ小柄な人影、そして運搬用ロボットが次から次に扉が開いたままのエレベーターの床に積み上げられたコンテナの数々を運び出している光景がある。
また面倒臭い状況と事態に巻き込まれる可能性が高い。今直ぐにでも回れ右して、司令部庁舎へ戻りたいところだが──そうもいかないのだ。
紫煙を燻らせつつ溜め息を吐き出したムーアが先頭に立って小柄な人影──ミシリス・インダストリーCEOであるシュエンへ歩み寄った。
「……何か御用で?」
「き、来たのね……?その、ええと……」
「ビックリするほど働き者ね。具合が悪いって聞いたけど、病み上がりで飛んできたの?ま〜た私達に何かさせるつもり?」
「……アニス」
言いたいことはひとつやふたつではないだろうが、相手は三大企業の一角に君臨するCEOだ。腐っても、が先に付くが。いずれにせよ、控えるようムーアが言い寄るアニスへ促した直後である。
「こ、これ……」
普段のシュエンとは何かが異なる。アニスの物言いへ不快な様子を見せず──それこそ、しおらしいとも言える態度で運搬用ロボットがエレベーター内から運び出したコンテナの数々を指差す。
「……え?なにこれ?」
見慣れぬコンテナの数々だ。合成樹脂のそれらへアニスとネオンが歩み寄り、ミシリス・インダストリーのロゴマークが印字されたそれらへ記載された中身の名称を確認する。
「……ワンタッチテントに高濃縮パーフェクト、浄水装置、大容量バッテリー、M.M.R.認証済医療キット……電動キャリーケースもあるわね」
「広告は沢山、見たことがありますね。ただ広告だと一切値段を教えてくれないのは何故でしょうね?」
アニスとネオンも中身の存在自体は認知しているようだ。特にネオンは期待して購入の為に赴いたが、あまりにも高価すぎて諦めた過去があるらしい。
さながらミシリスの看板分隊であるメティスが大きな作戦にでも出撃するのではないかと考える程の量と質の装備品や機材である。
病み上がりの身にも関わらず、わざわざ見せびらかし、自慢にやって来たのだろうとアニスは語るが──
「……その、お前達、地上に行くんでしょ?ピルグリムの追跡に……」
「……えぇ、まぁ……」
「そ、それで……役に立つかも知れないと思って……色々と持ってきたのよ……お前達は少数精鋭だから、持ち歩きしやすい物を……」
やはり妙だ。普段のシュエンを知っているからこそ、現在の態度と様子、言動に著しい乖離が生じている。違和感が強くて仕方ない。同時に彼等は反応にも困った。
「も、持って行って。うちの品質保証チームの折り紙付きだから」
「……不躾な質問で恐縮ですが、今度は何を企んでいらっしゃるのですか?」
「な、何をって……助けに来たのよ?」
「……何を企んでいるにせよ、後日にお願いします。少々、手が離せない任務がありますので。──アニス、ネオン」
このシュエンが急に善意へ目覚めたとは考え難い。なんらかの意図や計画があるのだろう。これまでの経験からしてその可能性が非常に高いと感じたムーアがエレベーターへの搭乗を彼女達へ促す。
頷いたアニスやネオンがエレベーターに向かって改めて歩み始め、それに続くムーアだが──彼が纏う戦闘服の袖を両手で握って前進を止めるシュエンの姿をムーアは見下ろした。
「ちょ、ちょっと待っ──う、ううっ…!い、イタっ……!」
その姿は必死すら感じさせる。余裕が一切ない様子にムーアの眉根へ深い縦皺が何筋も浮かび上がる。
「……少し、私と話をしましょ」
「……先程も申し上げましたが、後日に──」
「話しましょうって──ッ!!」
余裕が皆無であると強調される鬼気迫る様子を見せた後、シュエンは突然咳き込み始める。片手で口元を押さえ、頻りに咳き込む小柄なCEOだが、ムーアの戦闘服を握る手からは力が一切抜けていない。それどころか更に強く握り、戦闘服の袖を強く引く。
「……本当に、少しで良いから……話を、させて。お願い」
正真正銘の縋る眼差し──瞳を潤ませ、緊張と恐れの為か指先や手の平、細い腕が震える様子は、普段とはまるで異なっていた。
「……アニス、ネオン。10分ほど待ってくれ。──こちらへ」
おそらくは余人に聞かせたくたい話なのだろう。シュエンを案内し、エレベーター搭乗口付近へアニスとネオンを残したままムーアは小柄なCEOを連れて彼女達と少し離れた位置まで移動した。