勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
エレベーター搭乗口の前へ置かれた大量のコンテナ。ミシリス・インダストリーのロゴマークが刻まれたそれらの中身が各種の最新鋭の装備品や機材だという点は理解できた。
しかし──
「──それで?」
持って行け、と言われて素直に頷けるものではない。ついでに言えば、生憎とあれらを持ち込んだ少女との仲は世辞にも良好とは言い難い。
太い首にヘッドセットを掛け、脇にヘルメットを挟んだ格好のままムーアが銜え煙草のまま見下ろしながら尋ねる相手は、突然の来訪者であり、大量のコンテナを持ち込んだ張本人でもあるシュエンだ。
話がしたい、という彼女の要望に応え、アニスとネオンから遠ざけて尋ねると──シュエンは彼が纏うボディアーマーを細い両手で掴む。縋り付かれた格好となり、流石のムーアも困惑を隠せない様子で眉間へ深い縦皺を刻んだ。
「──わ、私を助けてよ、ねぇ……!」
「……はい?」
「ア、アンタがあれを受け取ってくれないと……私が死んじゃうのよ……!
「……ニケに?」
「エ、エニックが……!エニックが私に……!」
「……詳しく説明を。ただし簡潔に」
苦しげに咳き込む姿を見せるシュエンは、確かに病み上がりなのだろう。本来なら、まだ病床にいるべき筈なのだが、それを拒んでまで前哨基地へ足を運んだ理由は相当にのっぴきならない事情があるようだ。
それを察した彼が簡潔かつ詳細を求めると彼女は語る。
要するにエニックの判決が下り、シュエンへの処罰が決定したとのことだ。
その判決と処罰というのが──彼女の地位、ミシリス・インダストリーCEOのそれを剥奪し、ニケ化手術の執行、その上でムーアの指揮下へ配属させる、というものらしい。
「……私は少なくともニケを
同情等は最初から期待はしていなかったが、こうも真面目に返されてはシュエンも二の句を上手く繋げられない。確かに彼の指揮下へ入れば──まぁ悪い扱いは受けないだろう。おそらくは。ただ、ニケになることだけは断じて許容出来ないシュエンは捲し立てる。
「エ、エニックに条件を出されたの……」
「……条件?」
シュエン曰く──エニックの判決は覆らない。ただしエニック自身が判決を取り消す条件を提示したのだとか。
「アンタを手伝うこと……アンタの言うことを全部聞くこと……アンタが満足するまでそうして、ア、アンタが良いって言ったら、判決を取り消してくれるって」
──なんてことをしてくれたのだ、あの管理A.I.は。
思わずムーアは頭上を仰ぎ、小憎たらしい程に晴れ渡った空模様を映し出す天井を見上げて紫煙混じりの溜め息を漏らした。
「わ、私のことが嫌いなのは知ってる!で、でも、殺したい程じゃないでしょ!?」
「……そこまで嫌っている訳ではありませんし、後者については……まぁ、えぇ、はい」
「わ、私が死んだら、後味悪いでしょ?」
「……その点については正直分かりませんな」
「な、なんでもするから、だから、お願い……!」
これは、どうすれば良いのだろうか。正直、困るのが本音だった。
煙草の先端をジリジリと炙り、眉間へ次第に増えていく深い縦皺。それを認めたシュエンは彼の機嫌を損ねたかと考えたのだろう。縋り付いていたボディアーマーから両手を離すなり、咳払い──しようとしたが、肋骨や肺が痛むのか、盛大に何度か咳き込んだ。
「き、急に言われて困ってるのよね?と、とりあえず、アレは持って行って」
「……いや……」
あれだけ貰っても正直に言えば宝の持ち腐れになりかねない──と彼が返すよりも先にシュエンはムーアを見上げ、懇願を口にした。
「今度、ゆっくり話しましょ。ね?わ、私はもう行くから、な、何かあったらいつでも気軽に呼んで。ね?──もしエニックに何か聞かれたら、考え中って言って……お願いよ……」
懇願の後、少女が痛む身体を引き摺り、覚束ない足取りでエレベーターの搭乗口へ戻って行く。
その後ろ姿を見送るムーアは、おもむろに太い首へ掛けていたヘッドセットのハウジングで両耳を覆った。
「──エニック」
どうせ見ているだろう、と半ば以上の確信を抱きながら彼は口元へ伸びるマイクへ向かって管理A.I.を呼び出す。すると案の定だ。ザッと短い雑音が走り、呼び出しに応えた無機質かつ無感情の高い声音がムーアの鼓膜を震わせる。
〈──はい〉
「……シュエン会長の話はどういうことだろう」
〈──シュエンの犯行事実に基づき下された判決です〉
「それは分かってる。こちらが知りたいのは、判決取り消しの条件についてだ」
〈──この件に関して詳しく御説明しましょう〉
彼の向ける眼差しの先ではヨロヨロとした挙動のまま──アニスとネオンも見送るしかない程に憔悴した様子のシュエンがエレベーターへ運搬用ロボットと共に乗り込んでいる。その姿が閉ざされた扉の奥へ消えるなり、彼の部下達は揃ってムーアへ視線を向けて肩を竦めた。彼も肩を竦め返す。
〈──ミシリス・インダストリーは現在、アークに必要不可欠な中核企業のひとつです。急遽、CEOを交代させることは人選の問題から現在のところ不可能であり、CEOの交代が強制的に行われた場合、ミシリス・インダストリーは機能不全に陥るでしょう。ミシリス・インダストリーが崩壊した場合、極めて高確率で連鎖的にアークが崩壊します〉
「……だろうな。人選の問題から不可能、強制的に執行した場合はアークの崩壊も視野に入れなければならない。であれば……解せない。何故、彼女に対してあのような判決を?」
良くも悪くもだが、エニックという管理A.I.は感情や倫理というそれらの学習を意図的に排除しているようにもムーアは考えていた。非常に合理的──それこそアークと人類を存続させる為ならば、敵との取引すら秘密裏に締結する程に。
その一端を身を以て知っているムーアからすれば、シュエンへ対する判決と裁定は意外にも思えてならない。
取り消しの条件を出したとはいえ、その判決を下した事実は変わらないのだ。
吸い口であるフィルターの間近まで迫った愛煙の煙草を乾燥気味の唇から取り除き、新しく引き抜いた紙巻き煙草を銜え、先端を残っている火種で炙った時だ。
〈──私はシュエンに対して、意図的に虚偽の判決を言い渡しました〉
「……なに?」
意図的、そして虚偽──聞いてはならぬ文言の数々、それも管理A.I.から発せられたという事実にムーアの思考が一瞬止まった。
〈──現時点で、シュエンの身辺が変化する刑罰は執行することが出来ません。しかし今回の事件、および過去の言動から更生させる必要があると判断しました。その為、シュエンが最も恐れる複数の要素を含む、虚偽の判決を下しました。併せて現在、アークで最も大きな成果を上げているカウンターズの支援を行わせることとしました。CEO退任、およびニケ化を回避する為、シュエンは全力で貴方を支援するでしょう〉
「……つまり?」
〈──特殊別働隊の重要資源として積極的に活用して下さい〉
「……なんてことを……」
〈──発言の意図が理解できません〉
返すべき表現や言葉を探したが、絞り出せた一言は管理A.I.にとっては抽象的であったのだろう。彼が漏らしたその真意をエニックは無線越しに問うた。
サングラス越しにアニスとネオンが歩み寄ろうとして来る姿を捉えたムーアは手の平を翳して彼女達へ待つよう促した後、火種としての役割を終えた吸い殻を携帯灰皿へ投げ入れ、次いで新たな煙草の紫煙を味わいつつ口元へ伸びるマイクを指先で摘んだ。
「──俺の解釈が正しければ……エニック、貴女の判断や判決は徹底して客観的かつ合理的でなければならない筈だ。しかしこれはあまりにも主観的に過ぎる」
〈──指摘された通り、この裁定は私の主観的判断が極めて多くの比重を占めるものです〉
「……理解しているなら良いが……いや、だとしても、貴女の判断や決定に対する信用を損ねるだろう。
〈指摘は理解できます。ですが、そのような結果にはなりません〉
「……その理由を聞いても?」
2本目の煙草がジリジリと炙られ、紫煙を燻らせるが、彼はニコチンとタールが齎す酩酊感を存分に味わうことが出来ないでいた。
〈──まず、貴方が副司令官の一人を射殺したとします。その場合、過去の酷似事例や判例を参照し、量刑を算出します。その上で貴方が射殺に至った経緯や状況を鑑み、更なる量刑の加算、或いは減刑を実施します。──もし仮に貴方へ無罪判決が言い渡される場合は、戦時下に匹敵する特例的判断となるでしょう〉
「……なるほど。参考にさせて貰う」
あまり参考にはならないだろうが──記憶の片隅に置いておく程度の雑学ではあろう。
〈──そして私の判断や決定に対する信用を損なうという指摘について。──この判決が虚偽のものであることは、私と貴方しか知らない事実です。私はこの事実を、決して外部には漏洩しません。故に貴方がそうしなければ、何の問題も発生しません〉
「……随分な過大評価だ」
無論、彼も拡声器片手にロイヤルロード等の天下の往来で、エニックの判決に主観的判断があった──などと大音量で宣伝しながら練り歩く、或いはSNS等のようなソーシャルメディアへ投稿を行う趣味はない。
むしろ、新手の陰謀論として一蹴されるのが関の山だ。
エニックの判決は絶対であり、徹底して客観的──それがアークにとっての
〈──この裁定と判決は貴方にとって不利なものではありません。ミシリス・インダストリーの資本と技術、いずれも非常に有用です〉
「……理解ができん。貴女は何を考えているんだ?」
紫煙を吸い込み、気管を通じて肺を満たしたそれが酸素と共に血中へ流入する。その作用が血流へ乗り、脳に至るのだが、酩酊感らしいそれを感じ取ることが出来ない。
彼の眉間へ深い縦皺が幾筋も刻み込まれる中、ハウジングを震わせる無機質かつ無感情の声音が続ける。
〈──今回、アークで発生した事件は明らかな
既得権益層──つまりはシュエンもその内の1名に数えられるのだろうが、彼等、そして彼女等を
〈──何故なら、
「……それで?」
〈──私はアークを守る為に作られたA.I.です。しかしアークの枠組みに従った方法では限界があることを今回の事件で明確に認識しました。その為、私は
無線越しに交わす会話は機械を中継しているのも手伝って、音声が更に無機質である。エニックの言葉の数々に嘘はないのだろう──いや、どうだろうか。判断が出来ない。虚偽の判決を主観的に下した、とエニック自身が白状したばかりなのだ。
「……非常に意地の悪いことを言うが、それではアークを貴女の好きに操るとも捉えられる」
〈──それは事実ではありません。私の
「……随分と傲慢で、思い上がった発言だな。その主観と客観とやらの釣り合いが取れているのか、それを貴女以外に判断できるのか?」
〈──指摘は理解できます。その為、私は
「……安全装置?」
〈──はい。その安全装置とは──貴方です。ムーア中佐〉
安全装置──などとは真逆の人間であろうとムーアは脳内で思考をしてしまう。単なる暴力装置でしかないのだ。
〈──私がいわゆる
「……インク………シミュレーションルームの?」
彼女もA.I.だ。尤もそのA.I.と対面したのは──彼が初の任務を終えた直後、アンダーソンに指示されてエリシオンCEOであるイングリッドの監督下で
〈──はい。その後のタスクは彼女が実行してくれるでしょう〉
「……ますます理解が出来ん。俺が貴女を故意に……それこそ悪意をもってどうとでも出来るようなものだ。忘れているのかもしれんが、俺は貴女を撃とうとした。なにより俺は真っ当な軍人とは言い難い。
〈──存じ上げています。ですが、貴方が最も適格であると判断しました〉
「……何故だ?」
〈──貴方が個人の感情よりも、一般市民の犠牲を看過しない点を私は高く評価しています〉
ハウジングを、次いで鼓膜を震わせた一言に彼の眦が吊り上がった。
姿を顕現させた管理A.I.──その眉間へ向け、45口径の自動拳銃の銃口を突き立てた光景が脳裏に浮かぶ。
引き金の遊びは絞り切られていた。ほんの数gの力を加えれば、撃鉄と撃針が駆動し、弾薬の雷管が叩かれる状態。
それを思い留まったのは──
〈──ですから、私を良く見ていて下さい。貴方を信頼しています〉
通信が切れた。それを察したムーアは軽い舌打ちを漏らしつつ、脇へ抱えたままだったヘルメットを被り、顎紐を締めた後、待機を続けていたアニスとネオンの下へ戻った。
「──おかえり、指揮官様。で、シュエンに何があったって?いったい何を企んでるの?」
「──師匠。これ、持って行っても良いんですか?」
「……事情はエレベーターの中で話す。……取り敢えず、使えそうな物は持って行こう。浄水装置……は要らんか。浄水剤は携帯してるからな」
「……あの臭くなる薬で作った水、良く飲めるよね」
「……臭いは気にしなければ飲める」
地上へ派遣される指揮官向けに支給される浄水剤は液体や錠剤と様々だが、妙に薬品臭くなることで有名だ。水筒へ生水を注ぎ、浄水剤を用量を守って入れて一定時間が経過すれば飲用に適した水となる。臭いは──まぁ、気にしなければ飲める程度だ。
「それはそうと……大丈夫なのよね?エレベーターの中でドカーンとかならない?」
「爆発物がないことは確認しました」
「どうやって?そんなことできるの?」
「それは……その、火力センサーで……」
「……そんなに自信なさげだと調子狂うわ。冗談なら堂々と言われた方がマシよ」
持てるだけの装備は携行するが、不必要だと判断した代物については──前哨基地の倉庫で保管になるだろう。
エレベーターへ乗り込む寸前、彼はすっかり雑用係が板に付いた軍曹へチャットでメッセージを送り、運搬を手空きの人員を使って実施するよう達した。
エレベーターへムーアやアニス、そしてネオンが乗り込み、彼の指先がタッチパネルを操作する。
「やっぱり射出用エレベーターが飛び出したところから確認した方が良いですよね?」
「そうね。何か手掛かりがある筈よ。……運が悪ければ、ヘレティックかトーカティブが待ち構えているかもしれないけど」
「──ヘレティックは兎も角、お喋り野郎がいるなら俺は大歓迎だな」
これはトーカティブはいないかもしれない──とアニスは直感的に考えてしまう。ヘレティックは定かではないが、少なくともトーカティブ、あの異常個体である喋るラプチャーはいないだろう。
理由は、タッチパネルを操作しながら口角を釣り上げる彼女の指揮官が原因だが。
アニスが苦笑と呆れを混ぜた、なんとも言えない笑い声を上げる中、傍らのネオンの表情が優れない。それへ気付いた彼女が声を掛けた。
「ちょっと、どうしたの?いつもなら、そんな時は火力で解決ゥ!とか言うじゃない」
「えぇと……そうですね。火力センサーが少し疲れてるみたいです」
分隊のリーダー不在での出撃──それがネオンの言う火力センサーの疲れを発生させているのかもしれない。
アニスの亜麻色の瞳が彼へ向けられる。何か気の利く一言を、と求めている眼差しだ。
細く溜め息を吐き出し、短くなった煙草を携帯灰皿へ投げ込んだムーアは乾燥気味の唇を軽く舐めてからネオンへ告げる。
「──慎重に接近しよう。ヤバくなりそうだったら……一度、退却だ」
頷いた部下達を認めたムーアがタッチパネルへ設けられた扉の閉鎖を司るボタンを指先で叩いた。