勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
夜の静寂。荒廃した都市の光景が夜空に浮かぶ月の光が照らし出す。
倒壊した高層ビルの瓦礫へ腰を下ろす人影がひとつ。
純白の装束を纏い、片手には開封され、一口だけ齧られた痕跡が残るピュアチョコバーが握られていた。
「…………」
純白の装束を纏う人影──ドロシーの手元にあるそれは先程、彼女へ譲り渡された物だ。野営を始める彼等──正確には彼と彼女達が何も食べない、パーフェクトで作られた食品だけは断る、と拒絶したドロシーを見兼ねて携行して来た荷物の中から発見した代物である。包装を除いて内容物のチョコバーは100%地上の素材で作られた食品だ。
これなら食べられるだろう、とムーアが──ドロシーの記憶に残る
埒もない感傷に浸りそうな感覚を彼女自身が捉え、醜態を晒す前に周囲の警戒や見回りの名目で別れ、辿り着いたのがここだ。
形が整った、潤いを保つ唇へピュアチョコバーを近付け、もう一口を齧る。
苦味と甘味が共存しながら舌の上で溶けて消える──やはり懐かしい味だ。
不意にドロシーの聴覚センサーを擽る足音、装備品同士が擦れる音が背後から響く。
その音を発する正体は──振り向かずとも彼女は察した。
「──度胸がありますね。いくらデコイが撒かれていると言っても人間一人で歩き回るとは」
「──地上を歩き回っている内に怖いもの知らずになっていたようだ」
僅かな称賛も込めるが大半は皮肉混じりに告げる彼女へ、背後から歩み寄る長身かつ大柄の人影も皮肉の言葉を返す。
ドロシーが緩く肩越しに振り向くと、月明かりに照らされた人影の正体は予想通りの人物だった。
「──ムーア中佐。何故、ここへ?」
「──気分転換と食後の腹ごなしの散歩……まぁ、そんなところだ」
気分転換と食後の腹ごなしの散歩──どうやらドロシーが知らぬ内にアークでは、重装備のまま、それも武装して散歩することがポピュラーな習慣となっているらしい。勿論、そのようなことは有り得ないのだが。
「……お掛けになってはどうです?」
「良いのか?」
「……ここは私が所有する土地ではありませんから」
感傷へ耽る為、ドロシーは立ち去ることも出来た。しかし彼女は、自身が腰掛ける隣へムーアを誘う。
きっと、おそらくは、彼も同じだろうという予想が出来たのだ。話がしたいのだろう。余人を交えず、二人だけで。
人間にとっては身動きもままならぬだろう程に重い装備品や武装を携えたまま、しかしその重量を物ともせずにムーアは誘われるとドロシーの隣へ腰を下ろす。
スリングベルトを肩や脇へ通して携行していた突撃銃に安全装置が掛けられていると認めてから、彼は銃を右手から離し、自身の脚の間へ挟む格好で立て掛けた。
「……煙草を吸っても?」
「構いません」
伺いを立てられた彼女は頷く。ラプチャーに熱源を探知される危険はあるが──探知されたところで撃退すれば良い、という一種の傲慢とも言える考えのままドロシーは傍らでの喫煙を認めた。
許可を得られた彼はボディアーマーへ取り付けた小さなポーチを開け、中からソフトパックとオイルライターを取り出す。銜えて抜いた煙草の先端へオイルライターの火を点ける。
懐かしい香りが、傍らから漂う。その香りが呼び水となったのだろう。ドロシーの脳裏へ一瞬、懐かしい光景が鮮明に映し出された。
「……召し上がりますか?」
「……いや、有り難いことだが、遠慮させて貰う。甘い物は……」
「……そうでしたね。では、私もこのまま頂きます」
傍らへ腰掛け、紫煙を燻らせる彼へドロシーは二口分だけ齧ったピュアチョコバーを差し出す。それをムーアは断った。眉根へ縦皺を刻みながら。
エデンでもそうだったが、彼は用意していた茶請けの菓子へ殆んど手を付けていなかった。折角、用意したというのに勿体ないことだ。
彼が傍らで煙草の紫煙を堪能する横では、ドロシーが手に握るピュアチョコバーを静かに少しずつ頬張り始めた。
こんなもの、大したことはない──と言いたげな様子のまま咀嚼し、口腔内で溶かして摂取する姿を横目に捉えつつ、ムーアは舌の上で煙草の風味を味わいつつ乾燥気味の唇を開いた。
「──何故、キミはアークに来たんだ?」
不意に問われたそれは──ある意味で言えば、彼女も予想出来ていた。いずれは彼から問われるだろう、という高い確信があったのもある。
ちょうど、ピュアチョコバーも無くなった。空の包装をドレスへ設けられたポケットへ入れ、長い脚を揃えて腰掛ける姿勢を正しながらドロシーも口を開いた。
「──皆さん、それが気になるようですね」
「当然だろう。……それで?」
互いに視線は直接向けない。顔を見合わせないままの姿勢を維持しつつ、彼は続きを促しながら携帯灰皿を取り出した。蓋が開けられた携帯灰皿の中へ溜まった灰がトントンと叩いて落とされる。
「そうですね。……二人っきりですから、正直に教えて差し上げても良いでしょう」
「拝聴させて頂く」
灰を落とした煙草を乾燥気味の唇へ銜え直したムーアへ向け、ドロシーは答えた。
「──私はアークを破滅させます。偽りの楽園の存在など許されません」
彼女自身でさえも思ってもいなかった程に冷たい声音が漏れ出る。
胸の内へ秘めていた本音と真相の一端にも等しいそれを告白したドロシーに、彼は淡々とした様子のまま小さく頷きを見せた。
「そうか」
「素っ気ないですね。私の話を信じていないのですか?」
「いいや、まさか」
彼は否定する。間違いなく偽りのない本音と真相のひとつだろう、という確信にも似たそれがあり、腑に落ちる程だ。
「……キミがアークが嫌いなのは察している。その原因が何かまでは知らないが……過去に色々とあったのだろう。そうでなければ、わざわざ芝居じみた登場シーンなど演出しない」
「………」
「ただ、解せない。そうまでして用意周到に、どれほどの期間になるかは分からんが計画を練って、必要であれば計画の修正もしながら時を待っていただろうに何故、実行へ移さなかったのか」
「………」
「説明がつかない。もしくは……真にアークを破滅させたい、人類を絶滅させたい、とは考えていない……過去に受けた何かしらの原因の真相を知りたい、或いは謝罪をして欲しい、というのが本音に近いのではないかと」
──何を言うかと思えば。
ドロシーの喉の奥から低い笑い声が漏れ出る。
「面白い話ですね。私がアークで何をしたのか、何を準備しているのか、知っているのですか?全てを見透かしたような態度を取っていても心の弱い者にしか通用しませんよ。残念ながら私はあなたが想像しているよりもずっと、強い心を持っています」
「……俺がそこまで頭が切れる人間だとでも思っているのか?随分と過大評価だな。修正しておいてくれ」
「……少し奇妙な会話になってしまいましたね。まるで私があなたに信じて欲しいと懇願するような形になるとは……別にどちらでも良いことです」
信じるか否かは、彼の判断に委ねる──とドロシーは告げた。
「──私は、自分がするべきことをするだけですから」
「……なるほど。では、
本気でアークを、人類を滅亡させるというなら、まずは彼が相手をしてくれる──のだろう。これは少しばかり、いや、かなり手強くなりそうだ。
「分かりました。約束しましょう」
ドロシーの頷きが終わると、彼は暫しの沈黙を保ちながら紫煙を燻らせた。
「……良い機会だ。色々と質問をさせてくれ。先程のアークを破滅させたいという願望と目的だが、そうであるなら何故、ニヒリスターと戦った?」
「……アークに恩を売る為のとても良いプレゼントだっただけ──」
「──違う。二度目の時だ。キミの願望と目的に沿う展開になる筈だろう。手段は異なってしまうが、結果としてはニヒリスターや復活したヘレティック、それとお喋り野郎を自由にさせていればアークは破滅していた。キミは離脱し、高みの見物でもしていれば良いだけだ。なのに、何故だ。何故、ニヒリスターと戦った?」
彼女による防衛の戦闘行動がなければ、ニヒリスターは縦横無尽に暴れ回っただろうことは想像に難くない。そのお陰もあり、緊急出動した彼等が現場へ到着するまでの時間を稼げた。同時に、結果だけを見るならばアークは破滅の危機を脱したと言える。
問われた行動の意味──それへ答えようとする寸前、ドロシーは一瞬だけ躊躇した。
僅かに乱れた呼吸を整え直す。
「……ヘレティックを避けて逃げることは、そう簡単なことではありません」
「立ち向かうことは、もっと難しい筈だろう」
「……何が言いたいのですか?」
彼が言わんとすることが咀嚼できず、ドロシーの整った眉根同士が寄った。傍らへ腰掛けるムーアへ彼女の顔が向く。
すると、彼は短くなった煙草を指先で摘み、紫煙を唇の端から緩く吐き出した後、携帯灰皿へ投げ込んだ。ポーチへそれが仕舞われ、次いでムーアは頭部を覆うヘルメットの顎紐を緩めた。
被っていたそれが取り除かれ、黒髪と白髪が半々の割合で生え揃い、一見すると灰色の頭髪となった頭部を短く刈り上げた頭が──ドロシーへ向かって静かに下げられる。
「──ありがとう」
「───」
「──ありがとう、ドロシー。アークを、人類を守ってくれて感謝する」
彼女のアメシストの双眸が大きく見開かれ、傍らで自身に向かって頭を下げる彼の姿へ我知らず息を飲んだ。もしくは、混じり気のない感謝の言葉を向けられたからか。おそらくは両方だろう。
ドロシーは暫く、息をすることすら忘れていた。
それに気付いた彼女は慌てて──勿論、気付かれぬよう視線を真正面へ戻し、冷ややかで呆れた声音を努めて発する。
「──あなたは、本当に私の言葉を信じる気が無いようですね。良いでしょう。お好きに考えて下さい。そこまで頭がお花畑なら、絶望することすら良い経験に感じられるでしょう」
不思議と彼には、彼女の紡いだ言葉が、何処か敢えて突き放そうとしている声音にも感じ取れた。論理的に説明は出来ないが、そう感じ取れてしまう。
「……そうさせて貰おう。だが、感謝しているのは本当のことだ。信じて貰えると嬉しい」
取り除いたばかりのヘルメットが被り直され、顎紐がしっかりと掛けられる。
それをドロシーが視界の端で捉えた直後、傍らへ腰掛けていたムーアが立ち上がり、周囲を鋭い眼差しで見渡してから自身の肩や脇へスリングベルトを通しつつ突撃銃を握り込んだ。
「そろそろ戻る。あまり、遅くならないように」
必要な伝達を済ませたのだろう。短く告げた彼が踵を返し、立ち去ろうとする。
しかし数歩を進んだ時、彼の歩みが止まった気配をドロシーは背後から感じ取った。
「──ゴッデス……ッ……!」
「──ッ!!」
背後から漏れ聞こえた──懐かしい、栄光と名誉の象徴としての名称。それに続いた一瞬の強い苦悶の低い声。
先程よりも大きく見開いた双眸を、ドロシーは振り向きざまに背後へ立つ彼の後ろ姿へ向ける。
頭をヘルメットごと押さえているのか、僅かに屈んだ格好のムーアは、やがて姿勢を元に正した。
「……キミがそのアークの破滅、人類への復讐を強く願うようになった切っ掛けに関係があるのか?」
「……あなたは、まさか……いえ、何故、知っているのですか?」
アーク内で
それを暗に尋ねた彼女へムーアは背中を向けたまま低い声音のまま答えた。
「……キミの
「───」
「……いつか、話せる時が来たら聞かせてくれ。二人っきりの時にでも」
相談相手、話し相手ぐらいにはなれる──という遠回しな言葉。
それを告げ終わると彼は再び歩き出す。
遠ざかる後ろ姿を──彼女の瞳が震えながら見送っていた。
そしていよいよ、次回でカントリーミュージック大好きなあのキャラクターが……!………あれ、ジメッとしてきたぞ?なんだろう。エアコンの故障かな。