勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
かつては湖を臨む風光明媚な田舎町だったのだろう。廃虚が建ち並ぶ文明の名残りが濃い街並みに辿り着いた一行──ヴァイスリッターも含めた全員にムーアは左肩へ大きなワシを乗せながら事の経緯を語り聞かせた。
内容はエリシオンCEO──もとい、チャット相手との遣り取りで開示された情報が主だ。
語っている彼も改めて口にすると、とんだ話もあったものだ、と考えてしまう程に現実味がない。
「──そんな話を信じろと言うのですか?空想科学を信じ込むような方だとは知りませんでした」
「奇遇だな。俺もそう思う」
彼が想定した通りの反応がドロシーから返って来ると、ムーアは皮肉混じりに言葉を漏らす。
一同を見渡すと──やはりと言うべきか、全員が半信半疑の様子だ。とはいえレッドフードが見せる表情は何処か納得するような、或いは理解が及んでいるかのような、そのような表情だ。
「……チャイム」
「はっ、お嬢様!」
「この方が仰った内容を要約して貰えますこと?」
「……え、えー……その……」
数名ほどは理解出来ていないようだが──まぁそれはどうでも宜しい。
アニスとネオンが呆れた眼差しを注ぐ中、レッドフードがムーアへ狼を思わせる金眼を向ける。
「──男前。お前が持ってるその注射、それをあたしに打てば、ラピに戻るんだろ?」
「あぁ。情報が確かなら」
「──あたしは死ぬんだよな?」
「そうなる、だろう」
「──そっか。じゃあ、早くやろうぜ。ほら、お嬢サマ」
あっさりと言えるほど、自身の
突然かつ前触れもなく投げ渡された格好のドロシーは慌てて大口径狙撃銃を受け取った。それを認めることもなく、レッドフードはムーアの眼前まで歩み寄った。
「……えっ……」
「……驚きましたね。怖くはないんですか?」
あっさりと決心したレッドフードの行動にアニスとネオンがやや呆然とする。死を怖れない、という手合いは彼女達は良く知っているのだが、眼前でこうも簡単に行動へ移されると呆然としてしまうのも無理はない。
「──ほら、打ってくれよ」
「レッドフード、待って下さい」
「なんでだよ?とっとと済ませないと」
真紅のジャケットを地面へ脱ぎ捨て、薄手の黒いインナーを纏わせた片腕を彼女は彼へ向かって突き出す。その姿に大口径狙撃銃を抱えたドロシーが制止を求めた。
「──あたしは死んだんだ。それは確かに覚えてる」
歩み寄ろうとするドロシーを牽制するかの如く、レッドフードは彼女へ金色の双眸を遣りつつ少し困ったような、しかし快活な笑みを浮かべる。
「勿論、単に蘇ったぜ!みたいな話だったら素直に喜んだけどさ。あたしはラピの身体を借りてるんだろ?」
次いでレッドフードは眼前に立つ長身の──彼女自身も長身かつ恵体、履いている靴のヒールも手伝って目線はほぼ同じの高さにあるムーアへ確認の視線を向けた。
彼女がラピのボディを借りている、という表現に彼は頷いて肯定を示す。
「なら、あたしがこうしてる間にもラピがどうにかなっちまうかもしれないって訳だ」
「……キミがこの状態で長くいるほど、ラピの意識や記憶は消えていくそうだ」
「ほらな?」
肩を竦めつつレッドフードは改めてドロシーへ視線を遣る。
「言いたいことは分かりますが、事を急がないで下さい。この話が事実か確認してからでも決して遅くは──」
「──あたしは、今ここにいちゃいけねぇ。それはダメなんだ」
尚も思い止まるよう促すドロシーへ、レッドフードは毅然と声を上げる。
「──あたしはもう死んでるんだ。過去の存在ってこった。今を生きてるヤツのものを奪う訳にはいかねーって」
毅然と、清々しいまでの物言いにドロシーは沈黙する他ない。正論なのだ。それは認めざるを得ないのだろう。
「──ほら、早く」
昔馴染が沈黙した様子を認め、レッドフードは改めて眼前に立つムーアをほんの僅かに見上げながら片腕を突き出した。
「……後悔はしないな?」
「んなもんする訳ねぇだろ?」
念入りに尋ねる彼の姿へ辟易とした姿を見せるレッドフードは、早く済ませるよう促す。
それを見た彼は自身の左腕を肩まで持ち上げ、留まっていたワシを腕へ移動させた。左腕が振り抜かれ、飛び出した格好のワシが空へ羽ばたく。
手懐けるのが早いな──などとレッドフードは考えながら、彼がボディアーマーの前面に設けたポーチの留め具を外し、引き摺り出した合成樹脂の細長い箱を捉えた。
その箱が開けられ、無機質な金属の光沢を放つ一本の注射器をムーアは摘み取る。
やたらと
──あぁ、そっか。
既視感の正体に気付いたレッドフードは、続けてその注射器を握る青年の容姿に何度目かの強い追憶の感情を覚えた。
ムーアが突き出されたレッドフードの腕を左手で掴み、右手に握った注射器を向ける姿に──誰もが我知らず息を飲んだ。
「──待って下さい……待って下さい、し……ムーア中佐……」
──
もう間もなく──その時だ。
「……もう少し、待った方が良かったか?それならそうと……」
「──あれ?ど、どうなってんだ、これ!?」
不意にレッドフードの逆の腕が動き、ムーアが注射器を握る右手首を掴んだのだ。ギュッと強く握り締めるそれは──鍛えているのもあるが痛みは感じない。
彼は躊躇があったのか、と一瞬は考えたのだが──思わぬ行動に戸惑っているのは当のレッドフード本人だ。
「ま、待ってくれ!すぐ離すから!」
「……いや、そう急がんで大丈夫だ。一服の時間を設けようか?」
「わ、悪ぃ!すぐに──あれれれ!?ど、どうしたんだ!?言うこときかないぞ!!」
「……レッドフード……?」
傍目には
彼の右手首を掴む自身の手を逆の手で掴み──力づくで引き剥がそうとしているのだが、その手は微動だにしない。
「こ、
「……ラピが?」
ムーアとドロシーを除き、周囲から──特にアニスから強い疑いの眼差しが向けられるのも無理はない。
彼は、眉根を寄せつつ自身の右手の手首を見下ろす。レッドフードが掴んで動きを止めているのは確かだが──その握る強さにムーアは覚えがある。
「──ほら、見てくれよ!」
レッドフードは周りから向けられる疑惑を払拭しようと、自ら握り拳を作り、ムーアの右手首を掴む腕へ力強く叩き付ける。しかしその直撃を受けた筈の腕は不自然な程、微動だにしない。
「──お、おい!ラピ!なにしてんだよ!」
二度、三度と拳を打ち付けて引き剥がそうとするレッドフードの様子に──ムーアは注射器を握る右手を引く動きを取る。
すると彼の右手首を掴んでいた手と指から力が抜け、スルリと抜け出ることが出来た。
「ラ、ラピの奴……注射が大っ嫌いみたいだな……」
「……まぁ、注射が好きな人種はあまりいないと思うが……腕は大丈夫か?」
「へ?あ、あぁ。へーきへーき」
ムーアが注射器を細長い箱へ収め、ポーチに戻すと、続けてレッドフードの腕を取る。抵抗がある──かと思いきや、あっさりと彼の手は彼女の腕を握り、何度も拳を打ち付けていた箇所を確認する。
「……あなた、どういうつもり?ラピを返して、早く返しなさいよ!」
パフォーマンスに付き合っている暇はないのだ。肩を怒らせながらアニスがレッドフードへ歩み寄ろうとした時、その前へ立ち塞がったのはドロシーだ。大口径狙撃銃を抱えたまま彼女は立ち止まったアニスに告げる。
「ラピが嫌がっているという話でしょう?」
「さっきまで信じてなかったくせに急に信じることにしたわけ?」
「レッドフードの言葉を信じているだけです」
とんだ都合の良い話もあったものだ──亜麻色の瞳を細め、アニスが手の平を返した彼女を睨む。
「じゃあ、なによ。ラピが死にたがってるって言いたいの!?ふざけないで!!」
「アニス、落ち着いて下さい!」
激昂するアニスは今にもドロシーを、そしてレッドフードにすら掴みかからんとする勢いだ。その気配を察したネオンが彼女へ寄り添い、何かしらの兆候を認めた場合に備える。
「……フレームには異常はないようだ。──故郷へ、だったか?ラピがそう言っているんだろう?」
「……あぁ、そうだ」
あまり長引かせてはならない──色々な意味で。それを察しつつもムーアは簡単な検査を済ませてレッドフードの腕を離しつつ尋ねる。
彼女が内側から響くラピの声の文言に誤りはないか、それを問うとレッドフードは頷いた。
「……アニス、ネオン。ラピの故郷が何処か、知っているか?」
レッドフードの肯定に続き、ムーアはサングラス越しの眼差しをアニスやネオンへ向けた。彼女の故郷の話を聞いた覚えがあるか否かを問う。特にアニスは彼よりもラピとの付き合いは長い。
その問いにアニスは激昂する寸前だった筈が、毒気を抜かれたように大人しくなる。
「ええっと……知らないわ」
「私も聞いたことないですね……」
「……そうか。俺もだ」
特殊別働隊の隊員、そして指揮官も揃って知らない。その点は判明した。
そもそもラピの故郷は地上にあるのだろうか。むしろ彼女の実年齢──もとい、ニケとなったのはいつのことか。それすら聞いた記憶がない。敢えて尋ねなかった、だけなのだが。
とはいえ、手詰まりであるのは否めない。
「……ラピの故郷を探そう。まずはそこへ行くのが良──」
「──うわわわわっ!!?」
不意に彼の隣から妙な声が響いた。横目を向けると──レッドフードが激しく自身の頭部を左右へ振っている。
否定や拒絶の仕草──なのだろうか。
ムーアが考え込む間もレッドフードの激しく振られる頭部の動きは止まる気配がない。
であれば──
「──レッドフードの故郷を探そう」
──ピタリ、と嘘のように動きが停止する。
それを認めたムーアの乾燥気味の唇から細い溜め息が漏れ出た。
「……ラピが望んでいる、んだろうな。信じ難いことだが……」
「ちょ、ちょっと指揮官様!?」
まさか本当に空想科学を信じているのか、とアニスは彼の正気を疑う。
彼としても正直なこと言えば、信じ難いことだが──溜め息混じりにムーアはソフトパックをポーチから取り出し、振り出した一本の吸い口を銜えて引き抜いた。
続けて傍らに立つレッドフードへ向け──無意識の内に彼はソフトパックから飛び出した煙草の吸い口を差し出す。
その姿に彼女は少し躊躇を──先程の注射器の一件もあって少しばかり良心が咎めるのか、受け取るのを躊躇ったが、やがて艶めく唇で銜えて引き抜いた。
「……注射器を拒んだのはラピだろう。レッドフードが本気で拒むなら、俺の手を握り潰すことぐらい造作もない筈だ」
違うか?──と暗に尋ねる口調のままムーアは取り出したオイルライターの上蓋を開き、ホイールを回して火を灯す。それをレッドフードへ差し出せば、彼女は銜えた煙草の先端を炙った。
「そして、レッドフードの故郷へ行くと行ったら大人しくなった……甚だ信じ難いことだが……」
信じざるを得ない──それが幻聴として全員の聴覚センサーを擽る中、彼は灯ったままのオイルライターの火で銜える愛煙の煙草を炙り、紫煙を燻らせる。
蓋を閉じて消火したオイルライターとソフトパックが揃ってポーチの中へ仕舞われるとアニスが尋ねた。
「……じゃあ、このままの状態でレッドフードの故郷に行くのがラピの望みってこと?」
「そのようだ……」
「……指揮官様。正直に言うと……こんなSFとインチキ宗教が混ざったみたいな話を聞いてるより、
「──悪くはない提案だが……寄って集って女性を取り押さえるのは、強姦魔と大して変わらんぞ。そこまで俺は、ひとでなしになりたくない」
──それは、まぁ、そうだろうが。
彼の言い分にも──かなり彼なりの、独特の表現が多分に入っているが分からないでもない。ただし状況が状況である。
「でも、ラピがどんどん消えちゃうんでしょ?」
「……そうだが……それでも行ってみたい」
「──指揮官様っ!?」
いよいよ彼の正気を疑わざるを得なくなった。アニスが狼狽しながら彼の気は確かかと尋ねる中、ムーアは溜め息混じりに紫煙を漏らした。
「──ラピらしいと言えばそれまでだし、理由も定かではないが、彼女は自分自身が消えることも覚悟でレッドフードを故郷へ帰したがっている」
実に彼女らしい──と、彼は続けて微かな苦笑いを浮かべる。
「……それに、ラピが
細々とした──業務等は率先して行う彼女だが、自分自身の個人的な望みを口にする機会はそう多くはない。
アニスもラピと出会ってからこれまでの記憶を辿り──彼の言う、ラピ自身の個人的な望みがどれほどあったかを探り、やがてそれに該当する記憶がないと気付いた。
「……信じてるのね。アイツの中にラピがいる、って」
「……正気を疑うだろうがな。さっき、手首を握られた時の力加減は……」
ラピのそれに似ていた、とムーアは漏らす。
「レッドフードが死にたくないから、デタラメ言ってるのかもよ!?」
信じたい──のは山々だ。しかし信じた果てに裏切られた経験など掃いて捨てるほどある。猜疑心と疑念に駆られるままアニスが尚も問うと、ムーアは重々しく頷く。
それも承知している、という仕草だ。
火種が先端を燃やす煙草を強く吸い、肺へ満たした紫煙を彼は緩く吐き出す。
「もしそうだったら、それでラピが消えた場合は──」
ムーアのサングラス越しの視線が、レッドフードへ向く。
サングラスのレンズは濃く、その瞳の形は見えないが──不思議と鋭い形が作られていることはレッドフードにも察せられた。
「──俺が、必ず殺す」
ゾッとする低い声。周囲の空気が凍り付くような殺意を込めた宣言にアニスやネオンだけでなく、レッドフードにドロシー、そしてヴァイスリッターの背筋に寒気が走る。
「……だから、嘘は吐くなよ」
「……あぁ、分かってるよ」
レッドフードも約束すると言わんばかりに重々しく頷いた後、紫煙を緩く燻らせる。
この
……なんだか、少しずつ湿気が増えている気がしてなりませんが、気の所為でしょうか……