勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
戦闘用向精神薬1型──通称、パンセレーノン。
満月の名を冠した薬物の効能は常人には耐えられない。
投与された瞬間から体内へ存在するあらゆる血管が強制的に拡張と収縮を繰り返し、心拍数は常人の限界を遥かに凌駕する領域へと跳ね上がるのだ。
異常な血圧上昇──全身の血行が尋常ではない領域まで促進され、皮膚どころか肉体の体温が上昇を続け、熱い蒸気が立ち昇る。
筋肉への過剰とも言える送血──装備品を加えれば戦闘重量が200kgへ達する人員の体格を維持する莫大かつ強靭なあらゆる筋肉へ高圧の血液と酸素が送り込まれ、神経の反応速度や瞬発力は一時的に常人では有り得てはならない限界突破の頂点へ達する。
薬剤の効果が続く最中は血管の壁、心臓には常に尋常ではない負荷が掛かる。血管が焼き切れるか、心肺機能が急激に低下する致命的な代償を伴う代物だ。
のたうち回る程の激痛は──受精卵の段階で実施された遺伝子操作の恩恵か呪縛か。いずれにせよ、知覚する神経回路の感度を抑制させられた上ですら無視出来ないそれらは脳内で処理がされる。
快楽物質や神経伝達物質が通常の分泌量を完全に無視して洪水のように溢れ、それらが肉体を蝕む苦痛を忘却の彼方へ追いやるのだ。
常人ならばただちに致死へ達する所業であるのは言わずもがな。
その薬剤を使用可能としたのは、
筋肉の成長を抑えるタンパク質の無効化。胎児期から限界を超えた筋肥大と筋密度の上昇を引き起こし、筋肉の持久力と瞬発力の双方を極限まで高めた特殊な筋組織を構築できるよう彼等は調整を受けた。
同時に平均体重130kgに加え、戦闘重量は200kgへ達する体躯を支える為の骨格の発現にも手を加えられた。骨密度や硬度の異常強化である。カルシウムやリン酸塩を高密度で沈着させるだけでは飽き足らず、炭素を模した生体適合性の高い特殊な高分子構造を骨の基質に組み込ませるという狂気の遺伝子操作。
他にも内臓や循環器系が過剰肥大となるような調整がなされた。特に、常軌を逸した運動量を誇る筋肉を維持し機動させる為、膨大な酸素と栄養を送り出す強靭な心臓と血管を発現させることだ。
筋肉や内臓、骨格の強靭化に肥大化──これらの遺伝子操作は確かに常人の人間では有り得ない運動能力や反射神経を発現させることを叶えた。
その代償に、必然と言うべきだろうか。先述した通り、彼等は体重が重くなってしまった。
軍部の要求するスペックの許容値は、あくまでも既存の軍事設備や装備品、戦闘教義に適合する──若干のオーバースペックは許容するとしても、それすらも超えてしまう存在は手に余る。
軍部はそこまで寛容かつ柔軟ではない。カタログ通り、スペック通りの
しかし実戦で第一世代と第二世代の計画で産み落とされた彼等は自らの存在価値を証明してみせた。
第一次ラプチャー侵攻が勃発するよりも以前の話だ。
まだ当時は人間と人間が殺し合うことが普遍かつ不変の時代──まぁ、それは一次侵攻から100年が経った未来の地下都市でも変わらないのだが、いずれにせよ彼等は
その
非人道的かつ生命倫理を無視した過程を経て生み出した
そのような彼等に転機が訪れたのは皮肉か必然か、第一次ラプチャー侵攻と後世に名付けられる戦役の勃発だ。
常人を遥かに凌ぐ体力に持久力、膂力、打撃力を有する人間の姿と形を持った兵士達が叩き出した対ラプチャー戦闘の戦果は脅威の一言だ。
生身ですらラプチャーを粉砕出来るが、
無論、
これが通常の人間であれば、戦闘で喪失した戦力と兵力を補填する為に補充兵が送り込まれ、定員を可能な限りは維持するのだが、彼等に補充兵は存在しなかった。
徐々に、しかし着実に見知った顔触れが減っていく大隊の姿。
員数を減らす将校団の一人──大隊長も戦死し、先任将校となったA中隊長が暫定的な大隊長となった時、彼は偶然にも機密情報へ触れてしまった。
機密情報──とは言うが、単なる作戦の概要を示したデータである。
他部隊からの支援もなしに、ラプチャーの群れが押し寄せる敵地の最深部へ大隊の残存兵員を複数に分けて長距離偵察。
完全に使い潰すつもりである──それを悟った瞬間、彼の我慢は限界へ達した。
遂に彼は武装蜂起、決起へ至る。人類連合軍へ対しての、叛乱だ。
使い捨ての駒として唯々諾々と死ぬなど御免被る。自分達は怪物か化け物であろう。しかし
たちまち同志は集った。大隊の残存の兵員の大半が彼へ従ったのだ。
しかし彼の蜂起と決起に異を唱える者達も存在した。A中隊長の率いる中隊で第1小隊長を務めるリチャード・スミスと、その1個小隊だ。
「──叛乱など、あってはならないことです。任務には忠実であるべきだ」
生え抜きの兵士や軍人として育成されたからか、或いはそれすらも
我々は狗ではない。人狼である。
──彼等は袂を分かつ他なかった。
大隊は事実上、壊滅した。
そして彼等の再会は──運命がそうさせたのか、もしくはこうなることすら仕組まれていたのか。叛乱部隊となった中隊長や指揮下の兵員を粛清する役目をリチャードを含めた小隊は命ぜられ、それを実行するに至った。
──博物館は不気味な程に静まり返っていた。小一時間前までは至る所で銃声や爆発音、怒号が響き渡っていたのが嘘のようだ。
館内から運び出された遺体の数々の大半は人間としての原形を留めていない。四肢のいずれかが脱落している遺体は損壊の程度は著しく低い程だ。
博物館が建つ敷地の地面を掘り、その中へ戦死者達を──敵味方問わずに横たえていく。
武装が全て外された状態の戦死者の中には決起の首謀者となった中隊長──ショウ・ムーア大尉の遺骸もあった。
肩口から胸元に掛けて、袈裟懸けに深々と斬り裂かれた上、心臓へ鋭利な刃物が突き立てられたのだろう。裂けた戦闘服の布地から垣間見える身体への損傷の程度は、戦死者達の中で比較的良好と言える。
館内での残敵掃討や生き残りの検索は既に終わっている。横たわった物言わぬ遺骸達を運び終えた──リチャードや彼に従った兵士達は手榴弾を取り出す。
明るく少し黄色を帯びた温かみのある赤色で塗装されたそれはテルミットが68%ほど充填された焼夷手榴弾である。
生き残った1個小隊の定員よりも数を減らした下士官や兵卒達が、焼夷手榴弾のトリガーを握り、ピンを引き抜いた。
リチャードも戦死した自身の中隊長が横たわる穴の外へ立ち、ピンを抜いた焼夷手榴弾を投げ込んだ。
次々と穴の中へ投じられる焼夷手榴弾の遅延信管が作動し、遺体の上や傍らで眩いばかりの閃光と共に摂氏2,000度を超える高熱を発し、彼等の肉体を、骨を溶かしていく。
鼻の奥に形容しがたい異臭がこびり付く中、リチャードは愛煙の煙草を取り出し、銜えて引き抜いた一本にオイルライターの火を点ける。
眼前に広がるのは、叛乱へ加担した者、それに異を唱えた者達を焼却処分する光景。
テルミット反応を利用した手榴弾によって遺体は完全に焼却するよう彼等には命令が下っている。
火葬ではない。これは処分なのだ。
手榴弾が燃焼を終えても尚、また新たなそれが次々と投げ入れられ、念入りに──それこそ肉の一片、骨の一欠片、髪の一筋まで残さぬよう徹底的に灼かれていく。
生き残った誰一人として一言も発しない。煙草の紫煙を燻らせ、事務的な作業の如く焼夷手榴弾を投げ入れては遺体を完全に処分する工程を続ける。
やがて、遺体の全てが灰の塊となる。彼等は掘り起こしていた土を被せて隠蔽を済ませた。
「……これから、どうするんスか?」
部下の一人が彼へ尋ねる。
「……何も変わらん」
これからも戦う日々が続くのだ。今日はその一日を消化しただけに過ぎない。
それは部下へ、ではなく──彼が自分自身へ言い聞かせるような声音が込められていた。
武装を整えた彼が移動を命じ、部下達を従えて歩き出した時、ダンプポーチの中でジャラと金属同士が擦れる音が響く。
放り込んでいた空弾倉は全て再装填を済ませてボディアーマーのポーチへ差し込まれている。ダンプポーチの中には、多くの認識票が一纏めにされていた。
この認識票の山を司令部へ提出すれば、任務は終了だ。
その後は──何も変わらないだろう。また戦いの日々が待っている。
抗いようのない事実を再認識しつつ、彼は紫煙混じりの溜め息を吐き出した。
クラトス計画の一端は、まぁ、こんな感じです