勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
遂に、やっと、これがお出しできます……
無機質な白い廊下。徹底的に無菌処理がなされている清潔な廊下の隅へ置かれた長椅子へ腰掛ける小柄な少女がいる。脚をブラブラと遊ばせる少女の目線は、やがて傍らに向けられた。
少女が腰掛ける長椅子の隣、そこへ車輪が固定された車椅子に長身かつ大柄の身を沈める人影がある。
包帯が巻かれた頭部は片目だけが覗いている。頭髪は剃り上げられ、頭皮の地肌も伺えた。病衣を纏った身体にも包帯が幾重にも巻き付けられている有り様の姿は痛々しさすら受け取れる。
暇潰しに少女が声を掛けた。
「──ねぇ、おじさん」
「──
聴覚に問題はないらしい。包帯が巻かれた頭部だが、幸いにも片耳は少女へ向かって露出しており、聞き取ることに支障はないようだ。ついでに言えば発声も問題はないと見える。
「──
「──……済まない。良く、覚えていないんだ」
「──変なの〜」
率直極まる言葉が少女の高い声で発せられ、包帯まみれの人物──喉が乾燥しているのか、やや掠れた低い声を漏らす男性が微かな苦笑を漏らす。
「──……あぁ、そう、だな」
「──でも、病気なんでしょ?ここ、病院だし。私も病気だよ。なんだっけ……脳がなんとかかんとかって先生は言ってたけど」
「──……お大事に」
「──ありがとう。あ、自己紹介がまだだったね。私の名前は────」
少女が紡いだ彼女自身の名──それを聞き取った彼は、小さく、ほんの僅かな首肯を見せた。
「──おにいさんの名前は?」
「──
医学的な知識を少女はそれほど有していない。しかし、記憶に障害が発生し、全身へ包帯を幾重にも巻き付けられた痛々しい姿だけでなく、量産型ニケのスタッフが押す車椅子──かなり力を入れて動かしていた様子からも、並大抵の人間ではなく、重大な事故や事件等の何かしらへ巻き込まれて此処へ運び込まれたか通院をしている窺い知れた。
「──おにいさんって、軍人さん?」
「──……そう、らしい……」
記憶が不明瞭なのか、掠れた低い声は曖昧な答えを返す。ふーん、と少女は脚をブラブラとさせた後、長椅子から降り、車椅子に腰掛ける男性の眼前へ移動した。
四肢の先端まで包帯が巻かれた姿──教材の知識で知っているミイラのような姿だ。片目や片耳、口元と言った一部の器官だけが病衣と包帯の間から見えている姿を少女は緩く見上げる。
「──あ、もしかして
「──……指……揮……官……」
「──うん。……なんで指揮官なんかやってるの?安月給だし、とっても危ないって聞いたけど?平均寿命も30歳?とにかく、すごく早く死ぬんだって」
少女の脳裏では、この車椅子に座った男性が──覗いている濃い茶色の瞳の目元に月日を重ねた証拠である加齢で生じた皺の類が見当たらないところから年齢は若い、青年程度の年頃だろうと考えられる人物が、地上奪還作戦の最中に大きな戦傷を負って治療中であると予想が立った。
現役の軍人であり、現役の指揮官であろうという予想も立てながら少女は無邪気に問い掛ける。
「──……早く、死ぬ、か。……遅かれ早かれ、誰でも、いつか死ぬんだ……」
「──……それでも指揮官をやりたいの?なんで?」
「──……分から、ない……」
「──なにそれ」
もっと高尚な、或いは壮大な、もしくはありきたりで突拍子もない願望があると思っていただけに少女は、やや肩透かしを感じてしまう。
「──思い、出せないんだ……」
「──え?」
「──……大切なことを、忘れてはいけないことを、忘れてはならないひとを、思い出せ、ない……」
「────」
ミシリ、と何かが潰れる鈍い音が響いた。少女が視線を下ヘ向けると、男性──青年が両腕を預けていた車椅子の肘掛けが設けられたフレームが歪んでいる。包帯で覆われた両手がそれぞれの肘掛けを掴み、握り込んだのだろう。金属製のフレームが、ひしゃげて歪んでいた。
「──何も、なに、ひとつ、思い出せない……!」
その姿は人を恐れさせるに充分だろう。
或いは、この場を留守にしている量産型ニケのスタッフか、病院関係者が青年へ追加の
決して解けない
「──名前も、顔も、想いも、何も、何も……!」
大切な、愛する誰かがいた筈だ──その人の名前と顔が思い出せない。
共に戦野を駆け抜けた仲間達がいた筈だ──その彼等の名前と顔も思い出せない。
己が身命を賭けてでも、例え自分自身の存在が歴史の忘却の彼方へ、数多の人類の記憶から消え去ろうとも叶えなくてはならない使命があった筈だ──それすら思い出せない。
「──悔し、い……!」
濃い茶色の瞳の瞳孔が開く。飢えた猛獣の如き雰囲気を露わにする青年を認めた少女は、彼の顔を見上げた。
少女は臆することもなく、青年が強く握る両手へそれぞれの細く小さな手を添える。
「──おにいさん」
まだ幼さの残る高い声が、宥めるような声音で紡がれた。
「──大丈夫。名前も、色んなことも、全部思い出せるよ」
「────」
「──すぐに元気になって、また指揮官に戻れるよ。応援するね」
曖昧模糊で、なにひとつとして保証のない──無邪気で、打算がないその言葉を聞き取った青年の全身から、フッと力が抜ける。
その姿を捉えた少女は爪先立ちとなり、背伸びをして、車椅子へ腰掛けても尚、指先が届くのが精一杯の青年の頭を撫でる。剃られて間もないのだろう。頭髪が薄くしか生えていない頭皮を撫でると、少女の指先に奇妙な盛り上がり──おそらくは傷跡だろう細い痕跡の感触があった。
「──……ありが、とう。……キミは、優しいな」
鋭く細められていた濃い茶色の瞳が緩んだ。
僅かに見下される少女はその視線を受け──撫でていた腕を下ろすと、少し照れ臭そうに両手の指同士を意味もなくモジモジとさせた。
「──あの……」
「──……ん?」
「──その、もしかしたら、ね?──私がニケになったら、あなたが、私の指揮官に、なって欲しいな」
少女の色素の薄い頬へサッと朱が差す。突然の申し出に青年は思考が止まり──やがて、クツクツと喉の奥で低い笑い声を唸りのように漏らす。
「──そう、ならないのが、一番、なんだろうが……もし、そうなったら……その時は……
「──へへ。約束、ね?」
小指があるだろう箇所へ細い小指を置いての
リーダーを欠いた
1枚は──これは非常に、世の男性の大半が羨ましがる光景だろう。
この男性も見てくれは悪くない。きっと公式・非公式を問わずファンクラブがいくつも乱立していただろう程に精悍な顔立ちだ。
美女や美少女達に囲まれて、なんと羨ましいことだろう──その写真を節榑立つ指先が机上へ弾き飛ばした。
「…………」
机上へ残されたもう1枚の写真を副司令官は摘む。
──良くもまぁ、この画角にこれだけの人数が収まったと呆れるやら感心するやらだ。
「……ふふっ……」
先程、副司令官が弾き飛ばした写真とは明確に異なる──むしろ無視は不可能な程に筋骨隆々の体格を持った青年期の男性達の姿がある。一人や二人ではない。ざっと十数名だ。
青い瞳がやがて捉えたのは──ゴッデス部隊のリーダー、リリーバイス少佐の傍らに立つ迷彩が刻まれた戦闘服を纏う青年の姿。
袖を捲った戦闘服の内側にぎっしりと詰め込まれた筋肉の隆起が窺い知れる青年の姿を認め──アンダーソンは深い溜め息を漏らし、腰掛ける椅子の背凭れへ体重を預ける。
「──……
紡がれた青年の名らしきそれが、執務室の空気に溶けて消えた。
メインチャプターの更新分を反映しております(もしかしたら後々に修正を加えるかもですが