勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
真紅の長髪を風切り羽が掠めながらワシが飛び去る。
大空の王者らしい悠然とした羽ばたきと共に上空へ駆け上がる姿を金眼で見送るレッドフードの耳朶、或いは聴覚センサーを擽った足音がひとつ。
「──どうした
雑談、もしくは近況報告──とも言うべきドロシーとの会話は、彼女が周囲の偵察へ向かったことで数分前に終わりを告げていた。
ドロシー、
背後から歩み寄る足音に気付き、彼女は歩む速さを緩めた。ワシがレッドフードの真横を過ぎ去って間もなくだ。彼女の右隣へ長身かつ大柄の体格を持つ人影が現れる。
レッドフードは横目にその人影を視界の端へ捉えた。
手首を軽く振り、吸い口が飛び出した煙草を認めるとレッドフードは形が良く、潤った少し厚みのある唇で銜えて引き抜いた。
次いでムーアも自身の乾燥気味の唇へ紙巻き煙草を銜え、ソフトパックをポーチに仕舞うと続けてオイルライターを取り出す。
彼の親指が独特の金属音と共に上蓋を弾き上げた。ホイールが回され、火花が散ってウィックへ火が点る。
まずは彼自身が煙草の先端を炙り、緩く紫煙を燻らせながら傍らを歩くレッドフードの口元へオイルライターを翳す。
「──サンキュ」
軽い調子で礼を告げつつ、レッドフードは銜えた煙草の先端を火で炙り──口腔から喉の奥へゆっくりと紫煙を吸い込んだ。
キツい──重めの銘柄だ。タールは17mgといったところだろうか。ラム酒のフレーバーが香るそれは妙に味わい深く、彼女の舌へ馴染んだ。
いずれにせよ、一息が吐けるのは有り難いことだ。レッドフードが細く紫煙を吐き出し、唇の端へ煙草を銜え直しつつ改めて傍らを進み続けるムーアへ横目を向けた。
「──で、男前。わざわざ先を歩いてるあたしのところまで来た理由は?こっそり伝えたい話でもあんのか?それとも……こっそりナニかしたいってか?」
冗談めかしてレッドフードが尋ねる中、彼はボディアーマーのポーチへオイルライターを仕舞い込む。
「生憎と、どちらでもないな」
「そりゃ残念。んじゃ、ラピを早く返せとか?気持ちは分かるけど、そうしたくても出来ないんだよな〜」
「……それでもない。少し聞きたいことがあった」
「あたしのスリーサイズでも知りたいのか?へへ、このスケベ。それなら先にお前のサイズを──」
まぁ、この男前に対してならば吝かでもない。レッドフードは半ば本気で自身の記憶にあるスリーサイズを答えようとする。その交換条件として彼の下腹部へ金眼の眼差しを向けながらサイズの自己申告を催促するが──ムーアは微かな溜め息と共に紫煙を吐き出した後、サングラス越しの鋭い眼差しを注ぐ。
「──キミはラピと、どういう関係なんだ?詳細を聞くのを忘れていた」
生真面目なことだ。もう少し冗談へ付き合ってくれても
その姿と詰問にも似た口調──レッドフードの脳裏に良く似た容姿、良く似た体躯を持つ人物が浮かぶ。
実際──彼女にとっては部隊の2代目指揮官と言えば適切だろうか。その彼とムーアは生き写しと言える程に似ていた。
「前に言っただろ?友達、師匠、仲間。その辺のどれかだろ。それか……全部だな」
彼女の答えを聞いた青年が言葉の意味を咀嚼し、思案しているのか、ハードナックルグローブを嵌めた左手で無精髭が生えた顎を撫でる。
銜え煙草のまま彼は喉の奥で微かに低い唸りの音を漏らしながら咀嚼し、解釈した関係性を言葉にした。
「……互いにとって特別な関係だった、というところか?」
「ま、そういうこった。何も持ってなかったヤツと、いっぱい持ってたけど全部失くしちまったヤツだったからな。……聞いただけだと相性悪そうだろ?」
レッドフードが問う。それに彼は率直な感想として軽い首肯を返した。
「だよな。それが案外良かったんだ。あの時は侵食の末期だったから、まともに思い出せないけどな。短い間だったけど、かなり良かった覚えがあるんだ」
「……そうか」
「あぁ、そうさ。でも、詳しくは教えてやらないぞ?こっ恥ずかしいし、あたしだけの思い出にしておきたいからな。それは
「……そこまで深くは踏み込まんよ。気にはなるが……自発的に教えてくれるならまだしも、俺から根掘り葉掘り尋ねようとは思わん」
「サッパリしてんね〜」
「そういう性分らしい」
肩を竦めるムーアへレッドフードは苦笑を整った顔立ちに浮かべながら、摘み取った紙巻き煙草を指先で軽く叩いて溜まった灰を落とす。彼女が唇へ銜え直した直後だ。
「──だが、他にも聞きたいことがある。むしろこちらの方が重要だ。──何故、ラピに
彼の発した問い掛けは青天の霹靂だったのだろう。レッドフードは金眼を何度も瞬かせつつムーアへ顔ごと視線を向ける。
「……アークを破壊しろ、って言ったって?あたしが?……アーク、まだ無事なのか?」
健在である──諸々の問題を抱えてはいるが、健在なのは確かだ。
それを頷きにして認めた彼へレッドフードは思わず空を見上げ、深い溜め息を漏らす。その溜め息の中には感心を始めとした様々な感情が混ぜられていた。
「──へぇ〜……すげぇな。やったのか、
やりきった、やってみせた──のだろう。
仲間達は、彼女が部隊を離れた後も重い務めを果たした。
確かな証拠としてアークが尚も健在している。その事実が傍らを進む指揮官から伝えられ、レッドフードは暫しの間、感慨に耽った。
だが、それも束の間だ。
「……でも、なんであたしがアークを破壊しろなんて言ったんだ?」
「それは俺にも分からん。だから聞いている。何か覚えていないか?」
身に覚えがない。いや、このボディはラピのものなのだから当然なのだが。
それはそうと──何故、自身の仲間達が命を賭して達成した偉業を水泡に帰すかの如き言葉をラピへ告げていたのか、全く覚えがない。
「──ん〜……」
喉の奥で唸りを漏らすレッドフードは意味もなく銜えた煙草を上下に揺らしながら記憶を遡る。
「……なんか、すっげー大事なことを忘れてるような──」
それは一瞬のことだった。
レッドフードの脳裏に、禍々しくも鮮やかな真紅の巨大な何か──いや、違う。
あの戦争の最中、散々と見慣れてしまう程にスクラップにしてみせたラプチャーの
「──ッ!!」
ズキリ、と脳裏へ走った激痛。警告とも取れるそれがレッドフードが遡っていた記憶の出力を遮断する。
痛い。痛覚センサーが不具合でも起こしたのか。彼女は片手で激痛が走った自身の頭部を抑えつつ立ち止まる。
銜えていた煙草が細い紫煙の尾を引きながら地面へ落下するのも構わず、彼女は荒い呼吸を繰り返した。
「──大丈夫か?」
「……あぁっ……大、丈夫……!急に、頭が、ちょっと……痛くなっただけさ」
ちょっと、ではないのだがレッドフードは気丈にも強がる。それを知ってか知らずか、ムーアも立ち止まり、彼女の背を片手で擦り、気休め程度に気遣う。
「……ありがとな……」
だいぶ落ち着いた、と暗に告げつつレッドフードは身を屈め、地面へ落ちてしまった煙草を摘み取る。吸い口へ軽く息を吹き掛けて砂を除去し、改めて艶やかな唇へ銜え直す中、ムーアは周囲を見渡す。
「……少し休もう」
「もう、大丈夫だって。それに休んでる暇なんかないだろ。ラピのこともあるんだ。前に進もうぜ」
気遣う彼を置いてレッドフードは再び歩き始める。
その姿を見たムーアは──相変わらずの強情っぱりめ、という言葉が脳裏に過る。
途端だ。
ズキリ、と彼の脳裏へ今日何度目かになるか分からない頭痛が駆け抜ける。
この頭痛にも慣れて来ている。煩わしいのは変わらないが、眉間へ深い縦皺を刻み、表情を顰めるだけに止める特技を覚えてしまった。
相変わらず──出会って間もないのに、妙な感想だ。
「──置いてくぞ?」
立ち止まったままのムーアを訝しげな様子で振り返ったレッドフードが前進を促す。
それへ溜め息をひとつ漏らした彼が歩き出し、やがて彼女の隣に再び並び立った時だ。
「──今度はあたしが聞いても良いか?一方的に聞かれたんだからな」
「……答えられる範囲でなら」
今度は立ち場が逆になるらしい。軍機を始めとした機密事項へ抵触する質問以外には答えることを仄めかしてムーアが頷くと、レッドフードは口元の煙草を二本の指先で挟みつつ質問を告げる。
「……お前は……ラピとどういう関係だ?」
「……質問の意図が分からんが……上官と部下の関係が適切だろうな。それか戦友、或いは……仲間、か」
「後ろの
レッドフードの立てた親指が背後へ向けられる。振り向かずとも、彼女が口にした形容から推測できる人物達にムーアは頷いて肯定の仕草を取った。
「まぁ、あの二人はラピの仲間でいいんだろうけど──お前はちょっと違う気がするんだよな」
「……というと?」
違う、と口にしたレッドフードの言葉はムーアが被るヘルメットの頭上へ不可視の疑問符を浮かべさせるに充分だったらしい。
「あたし、今、ラピの身体を借りてるだろ?お前が隣に来る度に……なんつーか……妙に落ち着くような……でも、ソワソワする、っていうか?なんか、そういう感じがするんだよ」
随分と曖昧な表現ばかりだ。
とはいえ生真面目なのだろう。彼は紡がれた表現や形容を咀嚼しようと思案する。
これまで経験した戦闘──ラピの姿はいつも何処にあっただろうか。
「……彼女、ラピはいつも俺の隣にいた。特に示し合わせたり、打ち合わせた訳でもないが……いつの間にかそこがラピのポジションになっていた。俺が言えたことではないが、しょっちゅう大怪我もしているからな。だからだろう」
「……それだけか?ほら、男と女の……とかさ。そういうのはなかったのかよ?」
何を想像しているのかをムーアは敢えて尋ねない。興味津々と、やたら好奇心旺盛な様子がそれを物語っているのもあるだろうが。
「……生憎と、キミが期待しているようなことはない」
「怪しいな〜。ほら、正直にゲロッちまえよ」
うりうり──レッドフードは傍らを進む彼の腕へ自身の肘をぐりぐり押し付けながら催促するが、ムーアは細い溜め息と紫煙を吐き出した。
「彼女は──ラピは大切な存在だ。かけがえのない……彼女がいないと困る」
──おおっと……これはこれは。
冷やかすつもりだったが、これは誤算だ。
しかしチクリと胸の奥が少しばかり痛んだ。
その原因は分かる。彼が似すぎているのが悪いのだ。
とはいえ、目覚めた矢先に弟子がこんな男前と──そう思うと悪くはない気分でもある。
「彼女のことは信頼している。分隊のリーダーとしても、非公式だが俺の副官としても。良くもまぁ、こんな自殺志願者のような人間と行動を共にしてくれると感謝している」
──いやいやいや……お前さぁ。
レッドフードは少しばかり──いや、かなり弟子のことが気の毒になった。
そこまで言っておいて、気付かないものなのだろうか。
──そういや、いたわ。
生き写しのように酷似しているのもあるが、その姿や言動が過去の記憶へ残る人物と重なってしまう。
あれほどアピールしていたというのに、てんで気付かないのは如何なものだろう。
戦場での判断力や洞察力、決心の迅速さ。それらを戦場へ置いて来てしまったのかと錯覚する程の鈍感っぷり。そこまで似ているのか。
「なに言ってんだよ、このスケコマシ。愛だよ、愛」
「スケ……それは飛躍しすぎだろう」
彼女が漏らした
胡乱な眼差しをサングラス越しにレッドフードへ向けると、当の本人は愉快そうな眼差しを返している。
「飛躍?なら、賭けてみるか?──夜にこっそりラピのところに行ってみろよ」
コソコソとか、それとも堂々か──それは彼の選択に任せるが、レッドフードの脳裏にはその光景が出力される。妄想が捗って仕方ない。
ラピの部屋の扉の前へ立つ男前が呼び出しを鳴らし、やがて彼女が扉を開ける。
きっとラピのことだ。部屋着はシンプル極まるそれを纏っている筈だ。胸は──まぁ、このレッドフードには劣るだろうが充分すぎるモノを持っているのは彼女も知っている。
ちょいとばかりしおらしげにしつつ、伏し目がちのまま意を決してラピが彼の腕を握り──部屋の中へ誘い、続いて扉が締まり、内鍵が掛けられる。
そこから先については──
「そうすりゃすぐに──んんっ!?」
その一場面を紡ごうとした矢先、レッドフードの唇が硬く結ばれてしまう。煙草がしっかり保持されているのは構わないが、全く微動だにしない。
「──んむっ!?んん〜!!?」
「……どうした?パントマイムか?」
思わず立ち止まった彼女は、なんとか硬く閉ざされた自らの口を開こうと懸命に力を込める。それを同様に停止して観察するムーアは感心した様子のまま見詰め続ける。
「──んんん〜!?んぐ〜!!?」
「……上手いな。いや、世辞抜きに上手いぞ」
口が開かない、喋れない──それをジェスチャーで知らせるが、彼は大道芸を披露していると勘違いしているらしい。
──余計なことを喋らないで。
幻聴だろうか。いや、幻聴ではない。レッドフードには、はっきりと聞こえた。玲瓏な声に怒気を孕ませたそれが彼女へ警告を与えている。
──分かった!分かったから!!お前が男前のことが──
──二度も言わせないで。
目の前に眦を釣り上げて睨む弟子の姿を幻視してしまったレッドフードは立て続けに何度も頷きを見せる。
すると、やっと唇が開いた。
自由を取り戻した唇から空気を取り込み、肩を上下に揺らす。
「……まさかパントマイムじゃなかったのか?本当に大丈夫か?」
「……あ、あぁ、大丈夫。気にしないでくれ」
気にするな、と言われても難しいことだが、ひとまず彼は頷きを返しつつ乾燥気味の唇から短くなった紙巻き煙草を取り除いた。続けてボディアーマーのポーチを漁り、携帯灰皿とソフトパックを取り出す。
新しい煙草を銜えて引き抜き、吸い口の付近まで燃え尽きて尚も燻る火種で先端を炙った後に吸い殻を携帯灰皿へ投げ込んだ。
「……はぁ。……とにかく、約束するよ。ラピの願い通り、故郷に辿り着けたら、その後に必ず返すから。お前の大切なラピを」
「……あぁ、是非そうしてくれ。俺にとっては……かけがえのない、大切な人なんだ」
鈍感なのか、それとも自覚がないのか──いずれにせよ、微笑ましいのは確かだ。少し、焦れったい気もするが。
「はいはい。よーく分かりました」
短期間だったが、射撃や戦技を──特にそれらは眼前の男前に良く似た人物から教えられた技術でもあったが、それらを叩き込んだ不肖の弟子に教え損ねた諸々もあったと彼女は今更思い出す。
レッドフード直伝のそれを使えば一発で──いや、どうだろう。この男前については果たして効果があるのか否か。
そのムーアは──レッドフードへ携帯灰皿を差し出して吸い殻を投げ込むよう促した。気付けば、彼女が銜えている煙草もだいぶ短くなっている。
名残惜しく最後の一口を吸い、緩く紫煙を吐き出した後、指先で摘んだ吸い殻を携帯灰皿へ捨てる。
「ごちそうさま。──さ、早く行こうぜ。故郷に」
彼は頷きながら携帯灰皿をボディアーマーのポーチへ収め、歩き出そうとした。
そのムーアの左手を──不意にレッドフードの右手が緩く握る。
「……どうした?」
「いや、これはあたしじゃな──」
こんな可愛らしいことを──有り体に言って、生娘のような振る舞いをレッドフードはしない。
どうせやるなら、強引に腕を組むか、もしくは豊かな胸元へ抱える格好でヘッドロックを──となればだ。
「……久しぶりに、イイ男の手でも握って歩きたくてさ。いいだろ?」
「……まぁ、構わんが……」
「良し……」
仲良く手を繋いで──など、趣味とは言い難いが、そう悪い気分でもない。
「──いいねいいね〜」
歩き出して間もなく、レッドフードは冷やかした。
傍らではその言葉を聞き取ったムーアが頭上へ不可視の疑問符を浮かべているが、彼女がその冷やかしを向けたのは彼ではない。
レッドフードは幻視する。
不肖の弟子が、頬を赤らめつつ、そっぽを向いている様子を。
その冷やかしは微笑ましさの裏返しであるのは言うまでもない。
ほんの少しだけ、彼の手を握るレッドフードの細い指先の締め付けが強くなった