勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
研究基地まではこのまま順調に進めば13時前には到着するだろう。端末に表示された全体地図と凍り付いた川沿いを歩いていると知らせる現在地の点滅を照らし合わせ、到着予定時刻を概ねだが計算したムーアはそれをポーチへ仕舞い込む。
「…で、いつまで付いてくるんだ?」
彼はおもむろに視線を足下へ移す。そこには全体的に灰色の毛並みを持ったオオカミ達が6頭も屯して、ムーアを囲んでいた。
「…指揮官様に懐いたのかな?」
「…野生動物、しかもオオカミのような動物が人間に懐くなんて聞き覚えはあまりないが……」
アニスも首を傾げつつ彼の足下へ視線を向ける。随分と大きな体躯のオオカミばかりだ。しかも精悍な顔立ちばかりの群れが先程からムーアにベッタリである。
「師匠はオオカミの王様だったのですか?」
「…軍人から転職した覚えは生憎とないんだが……それはそうと急ごう。荒れそうだ」
生身の左目、そして人工物質で作られた右目を細めながらムーアは遥か先に見える峻険な峰が並ぶ山脈から厚い雲が流れて来る様子を捉えた。
この分では1時間もせずに吹雪となるだろう。
「そうですね。…指揮官、脚は大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だ。拒否反応こそ出なかったが…外骨格を提供して貰えて助かった」
彼の右脚は既に生身のそれではない。膝下に
拒否反応はなかったが、現在取り付けている右脚は調整が進められている脚が完成するまでの代替の立場だ。これだけでも悪くはないのだが、やはり少し歩行に支障が出てしまった。それを解消する為、イングリッドからギプスや装具を兼ねた外骨格が提供されたのである。
〈──エリシオンで特別に作った外骨格ですからね!〉
「…驚いた。居たのかシフティー」
突然、割り込んで来たオペレーターからの通信にムーアは言葉の割にそれほど驚いた様子もない声音で返した。
「性能は確かなようだけど、どうして生産が中止されたの?」
〈元々はニケ用に作られまして──〉
当然の疑問をラピが尋ねる。彼の体重や運動量、身体能力──ニケと同等、とラピが評価しているムーアのそれらを支えているのだから性能は確かなのだろう。しかしこれほどの物が現在は目立った生産がされていないというのは不思議だ。
それに対してシフティーは「骨がくっつくのを待つより、新しく脚を作った方が早い」という答えを返す。
曰く、ニケ製造の技術はシンギュラリティに達したと言っても過言ではなく、最小限の資源と最高のスピードでいくらでも製造可能、らしい。
「………」
「………」
「………」
「…シフティー?」
その恩恵に預かることとなった彼もオペレーターの言葉を全面的に否定は出来ない。シフティー自身も悪気はなく事実だけを述べているのだろうが、士気に関わるので任務中にそのような言葉は止めて欲しい、と彼は名前を呼んで暗に告げる。若干、溜め息混じりの声音も用いれば、その意図が彼女にも伝わったのだろう。
〈あっ…す、すみません!私が余計なことを…!〉
「…いや、大丈夫。安心しただけ。──私に替わるモノがいくらでもあるってことに」
ラピが冷静に答え、通信は一旦終了となる。その言葉に思うところはあるものの彼は敢えて否定しなかった。彼女の能力と実力、経験は無視できないのは事実だが──代替の存在がいない、と言えば嘘となる。あくまでも分隊の戦力を考えた場合ではあるが。
溜め息を小さく吐き出す。白く染まる吐息が極寒の地に自身が身を置いていると否応なしに思い知らせて来る中、ムーアは少し身を屈めると足下にいるオオカミ達を何頭か順繰りに撫で回し、再び前進開始を命じる。
「分隊、前へ。急ぐ──」
「指揮官様ァァァ!?」
「師匠ォォォ!?」
──ただの丘にしか見えなかったのだがそこを下ろうとしたのが悪かった。どうやら雪庇を踏み抜いたらしい。そのまま転がり落ちた彼は凍り付いた川の一面を覆う氷を砕き、極寒の水を全身に浴びてしまった。
──畜生、格好が付かない。
全身濡れ鼠となって這い上がった彼は水滴を滴らせながら毒づく。
そして彼に降り掛かる厄日は尚も継続中のようだ。
ひとまず濡れた服の下着だけでも交換しようと背嚢の中に防水処置として真空パックへ詰め込んでいるそれを取ろうとした時、予想よりも遥かに早く吹雪が始まったのだ。
瞬く間に濡れた防寒戦闘服が凍り付き、ヘルメットからは細い
「──3分待ってくれ」
「ちょっ!?」
言うが早いか、ムーアは駆け付けた彼女達に構うこともなく濡れたボディアーマーを外し、戦闘服も脱ぎ始める。
まず最初にアニスが慌てて背中を向ける。凍り付いた戦闘服の上着が雪の上へ落ちたところでネオンが、脱いだシャツの下に隠された鍛えられた肌が露わになった時点でラピもムーアに背中を向けた。
「…寒い…」
図らずも短いながら寒中水泳の後だ。濡れた肌に吹雪と共に寒風が突き刺さる。歯の根をガチガチと鳴らしながら彼は急いで全身に纏った衣服を脱ぎ捨てる。ブーツや靴下、外骨格までもだ。
新しい右脚は左脚に比べて細く見える。ニケ用のそれなので性能自体は悪くないのだが、少しばかり頼りなく感じてしまうのは彼の体格の良さ故だろう。
背嚢を開け、引き摺り出したタオルでまずは突撃銃や拳銃の表面だけでも拭う。寒冷地でも使用できるよう念入りな評価試験は行っているだろうが念の為だ。いざ使う場面になって不発となっては目も当てられない。
突撃銃の槓桿や拳銃のスライドを引き、排莢口ごと銜えると銃身内へ強く息を吹き掛けて水滴も吹き飛ばしてからムーアはやっと身体をタオルで拭い、着替えの服も纏い始めた。
──きっかり3分。自身が示した時間内に彼は手早く整備や着替えを済ませるも身体は冷え切ってしまい、思わず鼻水を啜る。
「し、指揮官様?もう大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だ。…別に減るもんじゃないから気遣う必要はなかったんだが…」
「こんな所で服を脱ぎ始める方がどうかしてるの!恥じらいとかないの!?」
「…恥じらい?…男と女の違いなんて
気にするのはベッドの中だけ、とまでは流石にムーアも続けなかったのだが。
──少なくとも指揮官室に温水のシャワーを浴びに来るアニスが言うことではないな。
そう思うと同時に、いつになったらボイラーは届くのだろうかとも彼は考えてしまった。
雪上にムーアが脱いだ濡れた衣服へ興味津々とオオカミ達が鼻を寄せて匂いを嗅ぐ中、彼はそれらを真空パックへ詰め込み、やがて背嚢へと放り込んで腰を上げた。
「…お前達は暖かそうだな」
見るからに防寒着以上の暖かさを提供してくれそうな灰色の毛皮を纏うオオカミ達へ羨望の眼差しを向けた後、ムーアは改めて前進を命じた。
それから間もなくだ。横殴りの吹雪が襲来し、視界が一面の白に染まったのは。
10m先も視認出来ない状況の中での前進は危険極まる。
おまけとばかりに吹雪によって通信の感度も不明瞭となりつつある。
ムーアは信心深くはないのだが、やはり呪われている気がしてならない。何故、こうも作戦の度に突発的、もしくは偶発的なトラブルに見舞われるのだろうか。
通信状態、そして視界が悪化する中でシフティーが吹雪から逃れる為に付近へ放棄された
そのナビゲーションに従って、北北西へ向かうのだが吹雪は激しさを増す一方だ。
「大丈夫、指揮官様?」
「…寒いが大丈夫だ。凍傷が起き始めてるが……」
傍らを歩くアニスが彼へ声を掛ける。先程、川に落ちた後の水気の処理が甘かったのだろうか。四肢の末端にチクチクと針で刺されているような刺激を感じる。グローブや靴下も新しい物に変えたのだが、肌の水気を拭い切れなかったのかもしれない。
「それはダメだわ。ネオン!──服を脱いで指揮官様を抱き締めて!」
「……はい?」
「………は?」
──何を言い出すのだ。脳に侵食コードでも埋め込まれたのか。
アニスの発言に隣り合って歩く火力信奉の師弟が同時に口を半開きとしたまま彼女へ視線を向けた。
「体を密着させて、指揮官様の体温を上げるのよ!」
名案だと言わんばかりに豊か過ぎる胸を張るアニスへ彼は自身も低体温症になりつつある脳内で対応が果たして正しいのか照合を始める。
「アニスがすれば良いじゃないですか!私より
「え!?わ、私はいいよ!ってか出来ない!」
「どうしてですか!私は合理的な提案をしているだけです!」
「もう!恥ずかしくてそんなこと出来ないよ!」
「私だって恥ずかしいんです!」
「イヤならイヤって言ってよね!」
「私が師匠を嫌がる訳ないじゃないですか!そういうアニスこそ、師匠が嫌いなんじゃないですか!?」
「なに言ってるのよ!私は指揮官様が大す……っ……」
「……取り敢えず、俺を挟んで喧嘩しないでくれないか。我慢は出来るから心配するな。掩体壕に入ったら処置する」
最近、容赦がなくなって来ていると思っていただけにムーアとしては嫌われていないだけで充分である。
無事に任務を終えて前哨基地へ帰ったらアニスには気遣ってくれた礼としてビールでも奢ろう、と考えつつムーアは先頭を進むラピの後ろ姿を追った。
ところで皆さんは…雪山、そして雪が降り頻る氷点下10度程の中で着替えた経験はございますか?私はあります(それがどうした
花も恥らう(?)彼女達は見ていないとはいえ、中尉の被覆的な意味でソフトポイントな大口径なそれが…