勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
彼の眠りは浅い。1時間おきに目を醒ましては周囲を確認し、異常が無ければ再び浅い眠りへ落ちる。このサイクルで身体を休めていた。
しかし眠っている格好は力尽きた死体そのものである。身動ぎひとつもしないのだ。
時折、気になったラピやアニス、ネオンが代わる代わるそっと歩み寄り、口元へ手を翳して呼吸を確かめては生きていることを確認する。
これを始めたのは誰だったかは分からない。だが彼女達の共通認識として「目を離したらあっさりと死んでしまうかもしれない」と思わせてしまう程にはムーアは信用ならないようだ。
その確認や睡眠サイクルを何回か繰り返し──翌日が訪れる。
まだ日が昇る前だが、彼は覚醒するとヘッドセットやヘルメットを被ったまま眠ったお陰で凝り固まった首をゴキゴキと鳴らした。
「──指揮官、お目覚めですか。体調は…」
「…悪くない。心配を掛けたな」
浅い眠りのお陰で彼女達が傍らまで歩み寄り、口元へ翳した手の平に感じる呼吸を確かめていたのはムーアにも知られていた。
しかしそれはラピには通じず、昨日の体調不良へ関しての言及だと勘違いされてしまう。とはいえ、彼もわざわざ訂正はしなかったのだが。
彼も目を醒ましたので出発の準備へ取り掛かろうとした時、アニスが思い出したようにラピへ尋ねる。
「そういえばアークとはまだ連絡が繋がらないの?」
「繋がらない。エブラ粒子の濃度も低い筈なのに…」
「──北部では良くあることよ。
部屋へ突然、現れたルドミラが口を挟む。果たして何処から聞いていたのかとムーアは思うが──
「その氷の下に眠っていた怪物を昨日、撃破したばかりだがな」
研究基地の防御システムのひとつだったのか、巨大なカメの存在についてムーアは口にするとルドミラが微かな笑みと共に肩を竦めた。
とはいえいまだにアークとの通信が回復していないのは気掛かりだ。てっきり吹雪のせいかと思いきや、別の何かが妨害電波等でも発しているのだろうか。
いずれにせよ今後の調査結果が待たれる。
準備を急ぐ最中、ふと思い出したようにアリスが「眠り姫達」という単語を発してルドミラを急かし始める。
「…後でやったらどうかしら…」
「ダメです!長らく見てませんから!もしかしたら目が醒めたかもしれませんよ!ウサギさん達も眠り姫達に会いに行きましょう!!」
ルドミラが彼等を気にするように何度か視線を送る。まるで知られたくはなかったかのような眼差しだったのには彼だけでなく彼女達も気付いた。
勢いに押し負けたのかルドミラが頷き、目を伏せながらムーア達へ付いてくるよう促す。
顔を見合わせながら分隊が彼を先頭にしてアリスとルドミラへ続いた。
辿り着いたのは──
「私が紹介しますね!この方は青い髪のお姫様!」
アリスが喜々とした様子で広々とした室内にいくつも置かれたカプセルを隠していたシャッターを下ろすボタンを押し込む。
やがてカプセル内の様子が彼等の目に入ると──彼女達が息を飲み、ムーアは頬をピクリとだけ反応させた。
しかし彼は一瞬だけ反応を見せた後、顔を逸してカプセル内の様子を見ないように努める。
頭部がなく、四肢が破損したニケの身体がカプセル内に充填された液体の中に標本の如く漂っていたのだ。
「そして、この方は黄色い目のお姫様!」
そして次から次にアリスが押し込むボタンへ反応し、他のカプセルを隠していたシャッターが下りる。
いずれも上半身しかなく、或いは四肢が全て欠損しているニケの身体ばかりだ。共通点としては──頭部の全てが、もしくは頭の上部が欠損し、
「ここにいる方は皆、
「──アリス。牛乳の話を聞いていたら飲みたくなったわ。持ってきてくれる?」
「あっ!はい、女王様!」
唐突なルドミラの求めだったがアリスは素直に頷く。その姿が笑い声を残して部屋を出て行くのを見送った彼女は大きな溜め息を吐き出した。
「…地上で
「…そう」
「…皆、死んでるけど…死体を集めてどうするつもり…?」
「
「頭が空っぽでしょ!脳がないじゃない!」
顔を逸していたムーアだが、とうとうその場で半回転し、カプセルへ背中を向けるとボディアーマーのポーチから煙草を抜き取って銜える。しかし流石に火は点けていなかった。
その後ろ姿を見たルドミラが目を伏せ、一瞬だけ押し黙るも事情を説明する。
「…ニケを救出すると…こうやって脳だけ消えているケースがほとんどなのよ」
ニケという存在は不老不死に近い存在だ。脳さえあれば何度でもボディを交換して復活できる。
しかし脳が死ねば二度と復活することは叶わない。
「…だから奇跡を祈りながら…こうして脳が戻るまで安全な場所に保管しておくの。誰かが見付けてくれることを祈りながら。──これが私達の仕事。彼女達が望む奇跡を現実にしてあげる仕事」
実際、ルドミラ達は数十名のニケ達を救助してきた実績がある。
とはいえ脳とボディが離れていた期間が長すぎてシンクロが合わなかったケース、精神崩壊や記憶喪失となったケースも存在した。
しかしそれでも──彼女達は
「…やり甲斐のある仕事だと思っているわ。でも……」
ルドミラは形容し難い──様々な感情が混ざり、絡み合った息を漏らすと彼女達を、そして背中を向け続けているムーアへ呟いた。
「…あなた達にこれを見せたくはなかった。最悪のケースを目の前にすると…酷い未来を想像してしまうから。…悪かったわ…余計な物を見せてしまって…特に…しもべには…」
前置きすらなしにこのような光景を見せられては気分が悪いだろう。それは分かっているが視界にも入れたくないとばかりに背中を向けられては、どのような言葉を掛ければ良いのかルドミラには分からなかった。
「……いや…余計な物とは思わない。…失礼なことをしているとは分かっているんだが……
「……え?」
「生死に関わらず、
だからずっと見ないようにしている、と彼は暗にルドミラへ伝える。
呆然とした様子の彼女に対して、ムーアの部下達はそれぞれが肩を竦め、或いは苦笑を漏らし始めた。
「この指揮官様、変わってるんだ。ニケを女として見てるのよ」
「…人を変人呼ばわりするな。極一部を除いて、女性には紳士的に接するよう努めているだけだ。…この格好では無礼極まりないが…貴女に敬意を表する」
アニスと彼の応酬にルドミラは強張っていた身体から力が抜ける気分を味わった。
しかしムーアから言葉のみとはいえ敬意を口にされると、彼女達も続けて頷きを返す。
「…ありがとう。でも敬意はしばらくしまっておきなさい。最近は迷子になったり救出を求めるニケがかなり減ったの」
理由は分からないが、ここ数年で明らかに数が減ったと彼女は言う。アークへの生還率は変わらないはずなのだが──その言葉が妙に彼の耳へ残った。
見送りはここまで、とルドミラが白い息を吐きながら口にする。
研究基地から歩くこと20分だろうか。随分と見送りにしては長い距離を共に行動してくれたものである。
「え?なに?一緒に行かないの?」
「…彼女達も仕事がある。俺達にいつまでも付き合う訳にはいかんだろう」
意外そうにアニスが尋ねるも周囲にオオカミ6頭が屯しているムーアが認識を改めさせた。
あくまでも
「…そう。家も取り戻したことだし、私達の仕事をやらなければね。眠り姫達のお世話もあるし」
「…意外です」
「思ったよりも真面目なのね」
ネオンとアニスは要らぬ一言が多い気もするが、と彼は考えつつ研究基地では吸い損ねた煙草をポケットから取り出し、オイルライターで火を点けた。
「やるべき事とやりたい事の判別が付くだけよ。──アリス。しもべとその仲間達は更に強い力を手に入れる為にしばらくここを離れるわ。大丈夫?」
「はい!ここで待っています!」
「仕事が終わった時にでも顔を出してくれたら嬉しいわ。…任務がどうなったかも気になるから」
「…どうせ帰る時もここに寄らなきゃならん。顔は出すと約束しよう」
いずれにせよアークへ戻るには再びこの研究基地を経由しなければならない。早晩にでも顔は合わせるだろう。
銜え煙草に無精髭という一見すればみすぼらしい格好だが、妙に似合っている姿の彼へルドミラは肩を竦める。
「いってらっしゃーい!」
「ではその内に。分隊、前進」
号令を出すとラピを先頭にしてアニスとネオンが続く。彼もオオカミ達を引き連れて後を追おうとした時、背後から声が掛けられた。
「──しもべ、少し待ちなさい」
立ち止まり、肩越しに振り向くとルドミラが歩み寄って来る。彼が止まったと気付いた彼女達も立ち止まるが──ムーアは手振りで前進するよう命じた。
「…お前達も先に行け。──なんだ?」
「アリスも先に行きなさい。──念の為にひとつだけ言っておくけれど…」
オオカミ達も彼女達へ続くよう促すと、その命令を聞き取ったのか従った6頭が駆け出す。
ルドミラも傍らのアリスへ先に元来た道を戻るよう促す。頷いた彼女がスキップしながら歩き去ると金髪を靡かせつつムーアへ向き直った。
「──新しい出会いとは相反する世界が接触することと同じなの。違和感を感じることも、恐れを感じることもあるでしょう」
少しずつ雪を乗せた寒風が強くなって来る。言葉をしっかりと届ける為、ルドミラは手を少し伸ばせば届くまでに近付き、上背のある彼を見上げる。
「──その違和感に耐えられなくなっても、その恐れがいくら大きくなっても、絶対に、相手の世界を壊してはダメよ」
言葉を節々で区切り、強調する彼女の声へムーアも耳を傾け続ける。
「──相手の世界を認め、その過程で自分の世界を一部譲ることになったとしても、相手がずっと生きてきた、なによりも大切な世界を、絶対に壊さないように」
「……分かった。女王陛下の勅命だ。肝に銘じよう」
「ふふっ、いい子ね。素直な子は好きよ。でも──」
軽口混じりだが、頷いたムーアにルドミラは微笑を浮かべると──おもむろに彼が銜える煙草を指先で摘んで取り除いた。
「──これは邪魔ね」
一際強く吹いた寒風が金髪を乱す。それがムーアの視界を覆った時、一瞬だけ頬へ柔らかく温かい何かが触れた。
「──女王の褒美よ。気に入ったかしら?」
「…しもべ如きには過ぎたる褒美だと思うが?」
「私は女王よ。褒美をしもべに与えて何が悪いの?」
彼の乾燥気味の唇から奪い取った煙草をルドミラが自身の潤った唇へ銜え、踵を返して歩き始める。
まだ半分も吸っていない煙草を持って行かれたのは残念だが──
「…まぁ良しとするか」
──そう呟くとムーアも踵を返し、ルドミラへ背を向けて歩き出した。