勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─   作:一般指揮官

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第7話

 

 

 かつては何かの倉庫だったのだろう。朽ちた屋根が一部崩れ落ち、通気性が抜群の倉庫内に工具を用いる金属音が響いていた。

 

「──良し。なんとか動けるな」

 

 スノーホワイトが自身の整備、そして武装の確認を終えて口にした途端、倉庫の中は静まり返る。

 

「…人間。お前は大丈夫か?」

 

 壁に背中を預けながら何度も左手を握っては開きの運動を繰り返しているムーアへ彼女が問い掛けると、彼は溜め息を吐き出した。

 

「…駄目だな。指先の感覚がない。皮膚や皮下組織が死んだようだ」

 

 あの野郎、と彼は毒づくと舌打ちをかます。それはグローブまで丁寧に脱がせてくれたトーカティブへ対する礼の一発だった。

 

 彼の左手の親指を除いた四指の第一関節付近までが黒く染まってしまった。念のためにブーツも脱いで脚の確認もしたが、生身の左足は問題なかったのは幸いである。

 

 しかし利き手ではないにせよ左手に壊死が起きたのは少々困った事態だ。

 

「…弾倉交換に支障が出るかもな」

 

 溜め息を吐きながら彼は背嚢から今朝に研究基地で乾いたばかりのグローブを引き摺り出すと慎重に両手へ嵌めていく。

 

 もっと悲観的な感想でも──率直に言えば、嘆き悲しんでいても不思議ではなかろうに淡白な反応を見せるムーアへスノーホワイトが呆れた眼差しを向けた。

 

「言っておくが、ここでは処置出来ないぞ」

 

「あぁ、分かってる。この分だとアークへ戻ったら切断だ。また義肢が増えるな」

 

「…()()?」

 

「ニケ用のボディを流用したが…こことここは義足、義眼だ」

 

 彼が自身の右脚、右目を順に右手で指差す。そういえば、とスノーホワイトは彼等を初めて遠目から目撃した際にムーアの右脚から大量の出血が起きていた光景を思い出す。まさか右目まで義眼だとは思わなかったが。

 

「…自分の身体に頓着しない姿勢はニケよりニケらしいな」

 

「戦えるならなんだって良い。そういうそちらも随分とボロボロだが?」

 

「ちゃんとした整備を受けていないからな。最後に受けたのは良く覚えていないが第1次ラプチャー侵攻の時だろう」

 

「…1世紀は昔の話か」

 

「これ以上は聞くな。話したくない」

 

「そうか。それは済まない」

 

 淡白に返したムーアは再び背嚢を漁る。間もなく出発だろうと雰囲気で察し、早めにカロリー摂取を済ませようと戦闘糧食を取り出して包装を破いた。

 

 ──食べ物…!

 

 思わずスノーホワイトの視線が吸い寄せられてしまう。賞味期限が数十年は過ぎて腐った缶詰、或いは蜘蛛やネズミなどを口にしている彼女だ。食という行為にニケとなる前から貪欲なのかもしれないが第1次侵攻後からこの方、()()()()()()を摂った記憶があまりない。あったのかもしれないが思考転換もあって忘れてしまっている。

 

 包装を破いたムーアが続けてパウチを開け、冷えて固まっているチリコンカンを合成樹脂のスプーンで掬って口へ運ぶ。相変わらず可もなく不可もなしの味だ。

 

 無表情で咀嚼していると──スノーホワイトが歩み寄って来た。思わず見上げると彼女の唇の端から涎が垂れ落ちているではないか。

 

 彼女の金眼から注がれる視線が何処へ向かっているかを察したムーアは食べ掛けではあるが、パウチへ合成樹脂のスプーンを入れたまま欠食児童(スノーホワイト)に差し出す。

 

「──っ!?い、いい…のか…?」

 

 金眼が輝き、視線が差し出された糧食へ注がれる様子を認めつつムーアが頷くと彼女が引ったくりも真っ青な素早さで奪い取る。

 

 別に慌てなくとも奪いはしないというのに彼女は腰を下ろすと合成樹脂のスプーンを使って口腔へ勢い良くチリコンカンを掻き込み始める。

 

 鼻息も荒くし、口へ掻き込んだ糧食を忙しなく咀嚼する様子からして随分と空腹──厳密に言えばニケは空腹にはならないので食物に飢えていたのだろうと彼は推測すると、まだほとんど手を付けていない戦闘糧食を包装ごと差し出した。

 

「…全部、食べて構わんぞ」

 

「かんひゃしゅる」

 

「…話す時は口の中を空にしてからにしなさい」

 

「わひゃった」

 

 ──分かってないじゃないか。

 

 モゴモゴと忙しなく口を動かす──頬袋のように膨らんだ顔を眺めながらムーアは煙草を銜えて火を点ける。紫煙を燻らせると、今度は水筒を背嚢から取り出した。

 

 蓋を開けて何口か嚥下して乾燥した喉を潤すと彼女にも差し出す。

 

 ニケが喉を詰まらせるかどうかは知らないが、冷えて固まっている糧食である。水で流し込んだ方が幾分か食べやすいだろう。

 

 差し出された水筒を受け取り、喉を鳴らして水を飲むと再び彼女は口周りが汚れるのを気にも留めず糧食を掻き込んで行く。

 

 パウチが次々に開けられ、たった数分で戦闘糧食が綺麗に片付く。完食した彼女は久しぶりに食事らしいそれが摂れたからか、余韻へ浸るように眼を閉じつつ深呼吸を繰り返した。

 

「…感謝する。ありがとう」

 

「別に構わん。…基地の食事も糧食だからな。飽きて来た頃なんだ」

 

 食事をカロリー摂取の為の作業と切り捨ててもムーアは構わないのだが、レパートリーは重要なのだと最近は痛感している真っ最中だ。

 

「…人間。名前は?」

 

 それこそ今更、聞くことだろうか。ムーアは濃い茶色の瞳を細めながら今更の問い掛けへ紫煙を燻らせつつ答えた。

 

「…ムーアだ。ショウ・ムーア中尉」

 

「そうか。覚えておこう」

 

「そうしてくれ。……口元、拭いた方が良いぞ」

 

 子供でもそこまで盛大にやらかさないであろうにチリコンカンの食べ滓で口周りを赤く染めたスノーホワイトへムーアは肩を竦めてみせた。

 

 

 

 

 

 

 

「──ラピ、アニス!これって…」

 

「──指揮官様の服!あっちにヘルメットとボディアーマーがあったわ!」

 

 オオカミ達は素晴らしい仕事をしている。その異次元の嗅覚を遺憾なく発揮し、追跡不可能に近かっただろう彼の痕跡を捉えては彼女達を導いていた。

 

 辿り着いた先には彼が纏っていたボディアーマーやヘルメット、戦闘服の上着などが散乱し、ここで揉め事が起こったことを如実に示していた。

 

 アニスが未使用の弾倉やファイティングナイフが納められたままのボディアーマーとサングラスを持ち上げた時、再びオオカミ達が駆け出す。

 

 釣られて彼女達も後へ続くと間もなく雪上に残された煙草の吸い殻を見付けた。

 

「…この吸い殻は……」

 

「えぇ。指揮官が吸っているGODDESS(煙草)ね」

 

 ネオンが摘み上げた吸い殻を一瞥したラピが頷く。見間違う筈もないほどに見慣れた銘柄のそれだ。アニスも彼のサングラスを掛けつつ頷きを返す。

 

 オオカミ達が先導し、駆け出した先には──また煙草の吸い殻が残されている。

 

 それを摘み上げながら走り続ける中、アニスが苦笑した。

 

「なんかパン屑を捨てて道標にする童話を思い出したわ」

 

「煙草の吸い殻は鳥に食べられないから安心ですね。でもマナー違反です」

 

「そうね。しっかり回収していきましょう」

 

 ──煙草のポイ捨てはマナー違反だと説教しなくては。

 

 それまで彼が生きている事を願いながら彼女達は走り続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 吹雪が激しさを増して来た。いくらなんでも厄日が続き過ぎである。

 

 彼は白く吐き出した溜め息さえも吹雪によって掻き消される中、傍らを進むスノーホワイトの金眼が向けられていると気付いた。

 

「…なんだ?」

 

「お前、何故トーカティブに捕まっていたんだ?」

 

「それはもっと早く聞くモノじゃないか?」

 

 今更過ぎるのでないか、と何度目かの溜め息を吐き出す彼は視界が白く染まる程の吹雪だというのに煙草を抜き取って銜えるとオイルライターで火を点ける。

 

 道標としてここまで喫煙者にあるまじき行為をしてきたが、しっかり部下達は見付けてくれているだろうかと不安が芽吹いて来るが喫煙衝動には敵わない。

 

「理由は分からん。俺を何処かへ連れて行こうとしていた。捕虜として情報を吐かせる為なのかどうかは知らん。それを聞こうとしたんだがキミに負けた」

 

「…何かあるみたいだな。まぁ奴に聞けば分かることだ」

 

「そうだな。今度は生きたまま膾にしてやる」

 

「…ナマス?」

 

「肉や魚を生食する料理だ。知らないか?」

 

「ニケの私は問題ないが寄生虫がいるぞ。生食は危険だ」

 

「…うん…まぁ…そうだな」

 

 真っ当な意見だが、そういう意味ではない。基本的に冗談や比喩の類は彼女へ通じないのかもしれない。

 

 紫煙を燻らせつつ彼は足元の雪上へ残されたトーカティブの足跡を見る。この分では吹雪によって痕跡が消えるのも時間の問題であろうにスノーホワイトがペースを上げないのが気になった。

 

 気遣っているのか、と問い掛ける寸前に彼女が息を吸い込む音が聞こえる。

 

「──実を言えば私も奴等のことは良く知らない。だがひとつ確かなことは、奴等はクイーンの直属であり、奴等の後を追い掛ければクイーンに会えるということだ」

 

「…気になっていたんだが、そのクイーンとは?」

 

「ラプチャーの女王だ。それを倒せば再び人間の時代が来るだろう」

 

 ラプチャーという存在はアリやハチのような社会構造でもしているのだろうか、とムーアはふと考えてしまう。

 

 その実態は定かではないが──スノーホワイトが口にしたラプチャーを駆逐すれば人類の時代を取り戻せるというのは、彼は少し同意しかねた。

 

 紫煙を燻らせつつ今度は彼から尋ねる。

 

トーカティブ(お喋り野郎)とは何処で会ったんだ?キミも随分と捜していたようだが」

 

「…最初はただクイーンへ辿り着く為、手当たり次第にラプチャーを見付けては破壊していた」

 

 しかしそれで何か進展があった訳ではない。ラプチャーは基本的に言語はおろか、内部のデータも極普通のそれであったと彼女は語った。

 

 そのような日々を繰り返していたある日──スノーホワイトの記憶が正しければアークから()()()()()()が上がった日、アークの付近で彼女はトーカティブと遭遇したのだとか。

 

「…()()()()()()?」

 

「あぁ。喋るラプチャー。突然、希望が見えた気がした」

 

 クイーンに辿り着く為の情報を引き出せる存在である。だがあの手この手で逃亡される為に先程までまともな会話をした経験がないのだと彼女は続けた。

 

「…今回こそは、と思ったが…予想外の奴が出て来やがった」

 

「あのHeretic(異端者)か。何者だ?」

 

 口調が荒くなるのは悔いの深さからだろう。そう受け取りながらムーアが彼女へ正体を問い掛ける。

 

「──裏切者だ。敗北者でもある。…奴等に関してはあまり長くは話したくない。だがひとつだけ言えるのは、奴等は間違いなく人類の敵だ。そしてクイーンに辿り着く鍵でもある」

 

 話が長くなってしまった。そう言わんばかりにスノーホワイトが駆け出す。それへ続いてムーアも後を追った。

 

 

 しかし彼等を邪魔するかの如く吹雪は激しさを増す一方だ。日頃の行いには気を付けている筈なのだが、天候を司る神にでも見放された気分にムーアは陥る。

 

 ──お前なんか嫌いだ。

 

 内心で毒づく程度には余裕こそあるようだが、次第に遅れが見え始めた彼を認めたスノーホワイトが約3kmを駆け抜けた時、ペースを緩める。

 

「…大丈夫か?」

 

「大…丈夫だ。まだ走れる」

 

 やはり体力の消耗が激しいのだろう。息を乱しながらも眼光が鋭いのは認めるが、限界に近いと察した彼女は溜め息を吐き出す。

 

 このまま置いて行こうとスノーホワイトが歩み始めるが──直ぐに立ち止まった。

 

「…地上で長く過ごしてきたとはいえ私はニケだ。死にかけている人間を見捨てることは…」

 

 踵を返し、ムーアの元まで戻った彼女が発熱マントを破いて渡そうとするが、それを彼が片手を上げて制する。

 

 必要ない、という意思表明である。

 

「…低体温症で死ぬぞ」

 

「だから…走り続けんと…体幹温度を維持しないとならん…」

 

 ──この強情が。

 

 額から汗を何筋も流しながら何を言っているのだ。そう言わんばかりに金眼が向けられると彼は苦笑を漏らしながら大きく深呼吸を繰り返して呼吸を整える。

 

「気遣いと優しさには感謝する。…さっさと捨てられていても不思議じゃないからな」

 

「……それこそが私がここまでやって来れた原動力だからな」

 

 そうか、と彼は短く返しつつ少しずつ脳にも酸素が行き渡り、思考が明瞭となってくる中で口を開いた。

 

「…何故、そこまで地上に固執する?アークに戻ろうと思ったことは…?」

 

「…無い。私達はまだ何も達成できていない」

 

「…そうか…」

 

 ならば仕方ないのだろう。彼が強制できる事ではない。

 

「…おそらくアークへ行けば歓迎されるのかもしれない。だがそんなことは望んでいない。()()()()()()()なんて私達には無意味だ」

 

「…今までの努力と行為の全てを否定され、惨めな気分になるから、か?」

 

「…そうだ」

 

 吹雪が少しだが収まる中、スノーホワイトが白銀の髪を靡かせながら頷く。

 

 その佇まいを俯きかけていた頭を上げて視界へ収めたムーアは濃い茶色の瞳を細めた。

 

「そして私達はアークを知らない。どんな世界なのか、どんな環境なのか。全く知らないんだ。だから私達はアークには行けない。──私達はただ死んでしまった地上を彷徨い、儚い希望を探し続けるPilgrim(巡礼者)に過ぎない」

 

 その凛とした佇まいと意志には尊敬すら抱くが──彼にはどうしてもスノーホワイトの姿が帰り道を見失った子供がなんとか家路までの道程を見付けようと彷徨う姿に見えてしまって仕方なかった。

 

 同情や共感が全くないと言えば嘘にはなるが──ムーアは右手で突撃銃を握りつつグローブを嵌めた指先の感覚が死んだ左手を彼女の白銀の髪へ伸ばすと軽く撫でる。

 

 何をしているのか、と彼女はその手を振り払おうとするのだが、彼を見上げたまま金眼が一瞬だけ光り輝く。

 

 

 

「──…お兄ちゃん…」

 

 

 

 紡がれた言葉は小声なのもあって何事を口にしたのかムーアには届かなかった。

 

「…何か言ったか?」

 

「──私は…何を…。…いつまで撫でてる」

 

 やや呆然とした様子の彼女に首を傾げていると、金眼を何度か瞬かせたスノーホワイトが彼の左手を軽く振り払う。

 

「…子供扱いするな。お前より歳は上だ。急ぐぞ」

 

 再び駆け出すスノーホワイトだが──不思議と頭を撫でられて悪い気はしなかった。

 

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