勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
──再起動開始。
どれほど経過したのか。意識を失ったラピの内部で再起動の準備が完了し、やがて紅い瞳を何度も瞬きさせながら彼女は目を醒ました。
視界はいつの間に猛吹雪となったのか白く染まり、不明瞭極まりない。
折れた
だというのに身体は動いている。正確には
いったい何に──彼女が肩越しに振り向くとまず上着の後ろ襟を掴むハードナックルグローブが見えた。
続けてそのグローブを嵌めた手、腕の順番に視線を上げていくと見慣れた後ろ姿がある。
「──指揮官!?」
彼女を引き摺っていたのはムーアだ。左腕を失いながらも彼はラピを引き摺って何処かへ移動させようとしている。
「止めて下さい!離して下さい指揮官!!……指揮官……?」
五体満足ではないというのに、本来なら今すぐにでも後送と治療を受けねばならない身だというのに自身を顧みない危険な行為を続ける彼を制止させようとするラピが声を張り上げる。
──しかしムーアは一切の反応を見せなかった。ひたすら彼女を掴み、何処かへ向かって前進するのみである。
何かが可笑しい、とラピは上手く動かない身体を無理矢理にでも──体内で警告が発せられるが無視して両腕を持ち上げると彼の腕を掴み、なんとか振り解こうとした。だが、ニケである筈の彼女がいくら力を込めても彼の腕はビクともしない。
雪上を引き摺られ、やがて辿り着いたのは掩体壕らしき建造物だ。
その中へ彼は彼女を引き入れ──やっと歩みを止めた。
「──指揮官様…ラピ…!」
姿を見せたラピへ文字通り這い寄って来たアニスがムーアを見上げる。
他にもネオンが、そしてスノーホワイトの姿も内部に認め、ラピが安堵の溜め息を吐き出す中、アニスが彼女へ告げる。
「指揮官様が…ここまで連れて来てくれたの。けど…意識が…!」
「……え?」
不意に彼女の後ろ襟を掴んでいた彼の手が離れ、続けてグラリと長身の身体が傾く。そのまま床へ倒れ込んだムーアへ慌てて彼女達が這々の体で寄り、身体を抱き起こすと──ムーアは白目を剥いていた。
──意識がないのにここまで連れてきたのか。
それを察したラピが彼の身体を揺り動かす。このまま意識を失い続けていてはならない、となんとも言えない予感が脳裏を駆け巡ったのだ。
「…私はなんとかここまで移動できたが…こいつ、お前達を一人ずつ引き摺って…」
それも意識がないというのに身体だけが何かに突き動かされているかのようだった、と黒い靄の爆散の影響で右脚が大破し、内部のフレームが剥き出しとなったスノーホワイトが呟く。
ラピが彼の上体を抱えながら何度も揺り動かすと──白目を剥いていた彼の双眸が確かに動いた。生身と人口物質の左右の眼球が頻りに上下左右へ動き、やがて眼前へ彼女の姿を捉えたのか焦点が合った。
「…ラ…ピ…?」
「…気が付かれましたか…」
この猛吹雪の中、何度も往復して彼女達を搬送したからだろう。彼の顔面には凍傷の赤い斑点が至る所に浮き上がり、乾燥して切れた唇からは血が滲んでいる。血の気が失せた表情は世辞にも良いとは言えないが、確かに意識を取り戻した。
その事実にラピを始めとして彼を覗き込んでいたアニスとネオンも安堵の溜め息を漏らす。
「…状況…と…全員の損害報告を…」
抱えられていると気付いたムーアが腹筋へ力を入れながら上体を起こす。無意識に
「…あぁ…忘れてた…」
すっかり痛みが遠退いてしまっていた。身体が喪失を受け入れたのではなく、激痛が痛覚を鈍らせてくれたのだろうと好意的に考えながらムーアはラピへ抱えられつつ上腕の途中から存在が消え失せた左腕があった場所を一瞥する。
その視線を感じ取りながらもラピは努めて事務的な報告をしようと上体を起こす彼を手伝った。ムーアが尻餅を突きながら後退し、掩体壕の中にある古びて錆び付いたコンテナへ背中を預けると彼女が分隊リーダーとしての報告を始めた。
「ここはおそらくヘレティックと交戦のあった現場からさほど遠くはない場所にあった
「…あぁ、爆発があったのは覚えてる。…少し待ってくれるか。…ネオン。悪いがボディアーマーを脱がせるのを手伝ってくれ。たぶん肋骨が…息が苦しい」
「は、はい!」
直ぐ側にいた弟子へ頼み込むと、ネオンは這いながら彼へ近付く。師匠と同じくコンテナへ背中を預けて支えにしながらボディアーマーを脱がせた。
爆散の衝撃でボディアーマーに詰められたセラミックプレートが彼の胸部を強く圧迫したのだろう。そのお陰で彼の肋骨は何本か折れ、ヒビが生じていた。
深呼吸するのも辛いというのに彼は手伝ってくれたネオンへ律儀に礼を伝えると、防寒戦闘服のポケットから煙草とオイルライターを取り出した。銜えて火を点けるも激しく咳き込み始める。
「──あぁ…クソっ…」
喫煙したいというのに満足に味わえない。肺が拒絶するかのように吸い込んだ拍子に押し返される紫煙へ彼は悪態をついた。
趣味ではないが葉巻や噛み煙草と同じく口腔の粘膜からニコチンとタールを摂取するしかないようだ。
彼の状態も宜しくない。それを改めて再確認したラピは続けて報告を告げる。
まず彼がネオンに手伝って貰い、ボディアーマーを脱いでいる時点で通信状態を確認したが、依然として断絶状態にある点。
分隊の状況を考えるにこの掩体壕で救助を待つのが得策という二点をムーアへ報告した。
彼女は続けてアニスとネオンの状態をスキャンし──紅い瞳を一瞬だが伏せてしまう。
アニスは骨盤部分のフレームが大破し、移動不可能。
ネオンは脊椎部分のスタビライザーが破損し、移動不可能。
「──私は…肋骨のフレームが破損し、
「…移動不可能か。…スノーホワイトは?」
「…見ての通りだ」
彼女達と彼から離れた位置に腰を下ろしているスノーホワイトが右脚を見せる。──肌と人工筋肉の下へ隠されていた
状況は最悪の一言に尽きる、と再確認出来たのは幸いだ。これ以上ないぐらいの最悪である。少なくともこれより酷くはならないだろう、という安堵さえ浮かんだ。
「…救助が来る見込みは…あぁ、無いな」
「はい、残念ですが…」
通信は断絶状態。そして外は猛吹雪で1m先さえ見えないという有様だ。
これでは輸送機のパイロットすら飛行を拒否するだろうことは明白である。二次被害を出す恐れが非常に濃厚な状況だ。
「…まぁ…きっとここで…ゆっくり死んでいくのね」
「…それも悪くないな。少なくとも寂しくは死なない。特に俺は割りと寂しがり屋なんだ」
アニスが悲観的な予想を口にするも、ムーアが苦笑混じりに楽観的な軽口を返した。──その途端に咳き込んでしまい格好は付かなかったのだが。
「……俺はまだ動ける。ひとまず研究基地まで辿り着ければ…」
銜え煙草のまま彼が右手でコンテナを掴み、それを支えに立ち上がろうとするのを見たラピが腕を伸ばしてムーアの右肩を抑え込み、纏う戦闘服の生地を強く握る。
「無理です!外に出たら10分…いえ、5分も保たないでしょう!指揮官の御身体もお考え下さい!」
「…他に方法はないだろう。可能性に賭けるしかない」
「得策ではありません!絶対に認めません!」
「認める必要はない!指揮官は俺だ!」
「分隊のリーダーは私です!意見具申をする義務があります!」
互いに譲らない。彼は強権──
意を決してそれを口にしようとした時、服を掴むラピの拳が強く握り締められる音が微かに響く。
「──…指揮官を何度も危険な目に遭わせてしまいました。それなのに、そんな死と紙一重の状況へ追い遣るなど絶対にありえません」
──だから、お願いですから、言うことを聞いて下さい。
紅い瞳が如実に物語る
互いの視線が交錯し、数秒が経つ。先に目を逸したのは彼だった。
浮かしかけた腰を再び下ろし、銜えた煙草の紫煙を少しだけ肺に送ってみると──咳き込むことはなく幾分かは普段と同様の酩酊感へ浸れた。
「…大きな声を出して悪かった…意見具申に感謝する」
ラピへ謝罪と感謝を伝えれば、彼女も安堵したのか彼の肩から手を引いた。
しかし状況は改善していない。むしろ時間が経つにつれて悪化の一途を辿るだろう。
ムーアは人差し指と中指へ煙草を挟んだ右手を何気なく右膝の上へ置く。その置いた手の下に感じる金属の冷たい存在感。
──外骨格がそこにはあった。
ニケ用のボディを流用する形で義足とした新しい右脚だが、彼の身体と
次に彼の視線がスノーホワイトへ向けられる。彼女の負傷箇所は奇しくも右脚だ。
煙草を銜え直すと彼は右腕を伸ばして右脚の膝下を覆う外骨格のリリースボタンを押し込み、それを外すとスノーホワイトの足元へ転がした。
「──スノーホワイト。頼めるか?」
「…私を信じるのか?お前達を見捨てるかもしれないんだぞ」
「そこまで器用な性格には見えないがな」
「…逃げてしまった方が目撃者もいないし楽だ」
「それを平然とやる奴は普通は先に言わないと思うぞ」
「………」
もっと単純に「信じている」ぐらい言えないのだろうか。スノーホワイトは全て言い返して来るムーアへ渋い表情となるが──この男を死なせたくない、死なせてはならない、という本能が訴え掛けてくる声を聞いた。
半日足らずの付き合いで情が移ったのだろうかとも彼女は考えたが、もっと別の、スノーホワイト自身の根幹にある何かが彼をこのまま死なせることを拒絶していた。
彼女は足元まで転がされた外骨格へ手を伸ばす。
「──外骨格を借りよう。約束する。必ず助けに来る」
外骨格を大破した右脚に覆わせたスノーホワイトが腰を上げる。約束、と口にした彼女へ頷き、猛吹雪の続く外へと向かう後ろ姿を彼等は見送った。
それから約3時間が経過するが、救助はいまだやって来ない。
吹雪もこれ以上は酷くならないだろうと考えていたが、自然はいつも予想を上回るものだ。
「…マズいわ。雪が…」
アニスが向ける視線の先には少しずつ掩体壕の中へ降り積もり始めた雪がある。
流石に彼等が固まっている場所までは──いや、それも分からない。ここに至ると吹雪によって運ばれた雪で壕内まで埋もれてしまう予想も出来てしまう。
「…今度こそネオンの言う通り、冷凍人間になるかもな」
「師匠…この状況だと笑えません」
掩体壕の近くで雪崩に飲み込まれたが紆余曲折あって合流した際、ネオンが放った一言を彼はしっかり覚えていたらしい。苦言を呈すると彼は微かに、そして力なく笑ってみせた。
「…ピルグリムが行ってからどれぐらい経った?」
「…3時間」
「来ないね…」
アニスとラピが顔を伏せながらやり取りする会話が何故かムーアの耳には遠くて聞こえ難くなって来る。戦闘の影響でいよいよ難聴が発生したのだろうか。
ついでに言えば──疲労もあるのだろう。酷く眠くなってきた。
「──師匠?大丈夫ですか?」
傍らからネオンが不安げに尋ねて来るも、それへ言葉を返すのさえ億劫となりつつあった彼は小さく頷いてみせる。
これはおかしいと彼女は自身へ内蔵された体温を視認する機能を起動し、ムーアの体温を確かめてみた。
「──っ…体温が…!ラピ、アニス、このままだと…!」
深部体温が30度を下回っている。低体温症が発生しているのだ。ムーアの脈拍と呼吸が減少し、血圧の低下も起きている。
このままではいずれ──。
ネオンが彼女達へ彼が危険な状態へ陥っていると伝えるとラピが頷いた。
「──皆、指揮官を身体で覆って。出力は全てボディ温度に転換するように」
「この状況で出力を切り替えたら私達も長くは──」
ラピへ異を唱えかけるアニスだったが、コンテナに背中を預けたまま──任務中に眠る格好と似た姿で力なく項垂れているムーアを視界に捉える。
──この人はいつかあっさりと死ぬ。漠然と感じていた未来が目前にまで迫っていた。
「───いいや…やるわよ。指揮官様が私達より先に死ぬなんてありえないもの!」
死ぬ順番は自分達が先だ。それを勝手に追い越され、あっさり死なれてたまるものか。
そしてなにより──この人を死なせたくない。
アニスが上着を脱いで床に敷くと、ラピはムーアの身体をそこへ仰向けに寝かせた。彼は微かな呼吸を続けるだけで大きな反応を見せない。
彼女達が横たわった彼を抱擁し、下がりきった体温を上げようとするのだが──
「…え…これは…思ってたより…ちょっと…」
「…恥ずかしい、ですね…」
──指揮官とはいえ、自発的に男性を自ら抱擁したのは初めてである。こんな状況でも恥ずかしいものは恥ずかしいらしい。
思わず頬が熱くなるアニスとネオンは置いて、左腕が喪失している左側からムーアを抱擁するラピはこれで暫くは保つだろうと安堵していた。
その安堵していた矢先──彼の呼吸が止まった。
「…指揮官?…指揮官!しっかりして下さい!」
「な、なに!?どうしたの!?」
身体を揺さぶり、反応の有無の確認──無反応。
「──アニス、ネオン!ショックの準備を!」
心臓も心室細動を起こしている可能性を考えたラピが二人へ除細動を掛ける準備を促しながら身体へ鞭を打って起き上がるとムーアの上着を
素肌の上から上着を纏っていたのは逆に幸いだったかもしれない。厚い胸板が全く動いていないと確認できたラピが、ちょうど胸部の中心へ両手を組んだ。
そして約5cmほど組んだ両手が沈み込む強さで胸骨圧迫を開始する。
「──指揮官…!駄目です…寝ては駄目です…!起きて下さい…!」
30回の胸骨圧迫を行うと彼女は上体を屈ませ、ムーアの顎を片手で支え、鼻を逆の指先で摘む。
大きく息を吸い──唇同士を重ねて、一回、二回と息を吹き込んだ。
少し苦く感じたのは彼が約3時間の内に味わっていた煙草、そして錆のような味は乾燥して切れた唇に滲んだ血だろう。
唇を離し、再び胸骨圧迫に戻る。
何度も彼の胸を押し込み、強く、早く、そして絶え間なく蘇生を試みるラピは再度、大きく息を吸い込んだ。
二度目の人工呼吸。息が漏れ出ないよう唇を重ね合わせ、一回につき1秒を掛けて吹き込む。
「──ラピ、離れて!!」
準備を終えたアニスが声を掛け、ラピが彼と重ねた唇を離した直後、ムーアの長身がドンッと床で跳ねるほどの除細動が掛けられた。
今のショックで痙攣のように心室細動を起こしていただろう心臓が
ここからは再びラピが彼の胸骨を圧迫し、そして唇を重ねて息を吹き込んでムーアにこの世への帰還を促す。
戻ってきて欲しい。そう願いながら彼女がピクリとも動かない彼の胸板を押し続けている最中──ふと考えてしまった。
──このまま逝かせてあげた方が彼の為なのでは。
何度も想像を絶する苦痛と激痛に苛まれながら戦い続けた。それも人間の身で。
彼を生き返らせてしまったら──また同じ苦しみを続けさせてしまうだけなのではなかろうか。
ムーアの事だ。息を吹き返し、アークへ帰還すれば再び戦場へ立つ為の準備を始めるだろう。
きっと、それを延々と繰り返していつの日にか──それこそ
苦しみと痛みばかりの生涯を終えさせ、ここでゆっくり休ませてあげた方が良い──ラピの中で何かが囁いた。
だが──彼女は大きく息を吸い込むと、彼の唇へ自身のそれを押し当て、少しだけ強く息を吹き込んだ。
「──指揮官…戻ってきて下さい…お願いです…!」
──ここは貴方が死ぬ場所ではない。
まだ眠るには早すぎる。まだ死んではいけない。
「──貴方に死んで欲しくない…!」
──だから早く起きて…!
今度はネオンがショックを掛けた。
再度、ムーアの身体が跳ね上がる。
ラピが何度目かの胸骨圧迫を始める。鼓動が再び始まるように祈りながら圧迫を続け、やがて目安の回数へ達すると息を吹き込む為にムーアの唇へ口付けた時──
「──…ッ…!…カハッ…!」
──唇同士が触れた途端、彼が反応を見せた。咳き込み、自発呼吸を始めたのだ。
「指揮官様…!」
「師匠…良かったです…!」
ショックを掛ける余力はほとんどアニスとネオンには残っていなかった。それもあって蘇生に成功した瞬間、安堵のあまり彼女達の瞳が潤んでしまう。
「本当に…死んじゃうかと思ったんだからね…!心配させないでよ…!」
特にアニスは情緒不安定になりつつあるのだろう。胸を上下に動かして呼吸を続けているムーアの胸板へ顔を埋めて涙声になる始末だ。
「──これはこれは…熱い光景だこと」
「──キャッ!恥ずかしいです…!」
──不意に壕内へ響いた二人組の聞き覚えのある声に反応し、彼女達が顔を向ける。
そこに立っていたのは半日ほど前に別れを済ませたばかりのルドミラとアリスだ。
彼女達の足元を縫うようにオオカミ達が壕内へ入ってくると一目散にムーアへ駆け寄り、頻りに鼻先を寄せながら身体を揺り動かし始めた。
「…大変だっただろう。私達が来たからにはもう大丈夫よ」
待ち焦がれた救助の瞬間だった。
ショック(除細動)を掛けると心臓が止まってしまうので直ちに拍動の再開を促さなければなりません(なのでゲーム本編の冒頭でマリアンがショックしか掛けていないのは本当は誤りなのです
あ、それとこれは人工呼吸であってキスとかではありません(キリッ