勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
第1話
上昇を続けるエレベーターの内部では忙しなく各自が携帯する火器の最終点検を続ける金属音が響き渡っていた。
本来ならエレベーターの内部は禁煙なのだが──ムーアはこれで暫くは吸えなくなる可能性を考え、今の内に吸い溜めをしている真っ最中である。
立て続けに三本の煙草を吸い殻へ変え、最後のそれを携帯灰皿へ名残惜しく投げ込むと上体を覆うボディアーマーのポーチの中へ仕舞う。
これから数時間は禁煙の可能性を考えたのか落胆の溜め息を吐き出し、ベルトを襷掛けにして携行している布地のケースを留めていたマジックテープを剥がして中から防護マスクを取り出した。
まずは被っていたヘルメットとヘッドセットを外す。多用途の
吸気弁を手の平で押さえ付け、呼吸が苦しければ閉鎖されている証拠だ。
再びヘッドセットを取り付け、そしてヘルメットを被ればムーアの準備は完了である。
「──人間は面倒臭いな。キミ達が羨ましい」
久々の地上へ赴く最中だが目的地は軍需品製造施設である。廃棄されて随分と経過している施設だ。その施設内では文字通り、軍需品が製造されていた。
となれば人体に有害な化学物質がそのまま放置されている可能性が高い。軍需品に限らず、工業製品の製造工程ではその手の代物が使用されがちだ。或いは工程の最中に発生した有害物質を保管しておき、ある程度の量が溜まれば処分していたのだろうが──施設全体が廃棄される際に置き去りにされた可能性は無視できない。
施設一帯が汚染されている危険性を鑑みて人間であるムーアは防護マスクを装面しての行動となる。
「シフティーに協力を要請すれば良かったでしょうか…?」
「それは宜しくないな。彼女は情報部所属だ。俺達にとってもそうだが、なによりシフティーに迷惑が掛かる」
ネオンが散弾銃の点検を終え、残り数分で開くこととなる扉の前に立ったムーアへ声を掛けるが彼は緩々と左右にヘルメットを被る頭を振った。
今回は特殊別働隊、カウンターズ単独での調査だ。一応、エクシアの支援は受けられる予定ではあるが、あくまでも予定である。
地上到達まで残り1分を切った。
「──あと1分だ!」
指揮官である彼が防護マスク越しに警戒を厳にするよう促すとラピ、アニス、ネオンが携えた火器の安全装置へ指を掛ける。
ムーアも突撃銃の安全装置をいつでも解除出来るよう指を添え、その時を待つ。
エレベーター内の液晶パネルへ浮かぶカウントが10秒を切る。
突撃銃の床尾を右肩へ宛てがい、銃口はやや下げながら視界の端で刻まれ続けるカウントが遂にゼロへ至った。
空気が抜ける音と共に扉が開く。それと同時に全員が握る火器の安全装置が外される。
扉が開いた先に広がる光景は文字通りのスクラップヤードだ。様々な工業機械や廃棄寸前だったのだろう車輌が高く積み上げられ、得体の知れないドラム缶まで転がっている。あの中に放射性廃棄物やその他の危険物が充填されていると報せるステッカーが貼られていないのを願うばかりだ。
まずはラピが、そしてムーアが飛び出し、銃口と視線をあらゆる箇所へ向けては敵影を捜索する。
「──クリア」
「──良し。分隊集合、集まれ」
幸いにも降りて直ぐの戦闘となることはないようだ。安全装置を掛け直し、周囲を見渡して改めて安全であると認めてからムーアは左手の人差し指を掲げてクルクルと円を描くように回し、集合を促した。
「指揮官。大気中に有害物質の存在は検知されません。マスクを脱いでも問題なさそうです」
「…それは朗報だ」
ラピの報告を心底嬉しく感じる彼はヘルメットとヘッドセットを外して片腕へ掛けながら装面していた防護マスクを剥ぎ取る。久しぶりに地上の空気を吸い込みつつ防護マスクをケースの中へ格納すると、外したばかりのそれらを再び元へ戻して今度は携帯端末をポーチから取り出した。
「──目的地はここ。北西へ3kmだ。遠くも無ければ近くも無いがラプチャーがどれほど跋扈しているか分からん。3人とも警戒は厳に。先頭はラピ、次に俺、アニス、ネオンの順で前進。間隔はしっかり空けろ。重ねて言うが周辺の警戒は絶やすな。質問は?」
矢継ぎ早の口頭指示だったが、質問はないらしい。それを確認した彼は携帯端末へ投影した地図を閉じてポーチに仕舞い込む。
全員の準備は完了。ムーアが立てて揃えた左手の二本の指を振って前進開始を合図しようとした時だ。ヘッドセットのハウジングの奥から通信が入ったと報せる一瞬のノイズが走った。
〈──こんにちは!お休みはいかがでしたか?〉
「シフティー?」
〈久しぶりですね〉
右手の指先を右耳へ添えたアニスが意外な人物の登場に驚いた声を上げる。
ハウジングの奥から響いた声音は聞き覚えのあるそれだ。非常に耳の保養となるオペレーターの声だ。
緊迫が続く地上の戦場では一種の精神安定剤となりそうな声だが──ムーアは怪訝な様子で眉間へ皺を寄せてしまう。その表情のまま全員がシフティーからの通信を受け取っていると認めた彼は3名を順に見渡しながら視線で問い掛ける。
──誰か話したか?
その問い掛けを正しく受け取った全員が頭を左右へ振ってみせた。
「──久しぶりだなシフティー。元気そうでなによりだ」
〈はい!ムーア大尉も昇任おめでとうございます!〉
「…あぁ、ありがとう。…ところで何か用か?」
一瞬、違和感がムーアの内心に生じる。シフティーであれば──彼女の性格であれば昇任を祝うより先に1ヶ月前の任務で欠損した左腕や体調への気遣いと言及があっても不思議ではない筈なのだ。とはいえ敢えて昇任を祝ってくれた可能性もあったのだが。
〈実は私、カウンターズの専属オペレーターに志願したんです!他に志願者がいなかったから直ぐに許可されました〉
今度はラピがムーアへ紅い瞳を向けながら問うて来る。
──聞いておられましたか?
──いいや。全く。
互いに視線と僅かなジェスチャーのみで遣り取り出来る程までになったのはこの1ヶ月間のトレーニングとリハビリの効果だろうか。
「へぇ〜。じゃあこれからもずっと私達と一緒に動くの?」
〈はい!〉
アニスが亜麻色の視線をムーアへ向けてきた。その視線は自分に任せろと語っており、彼は頷きを返す。
「お〜。──ひとつの分隊に
「…え?どうして二人なんですか?」
「
「………あっ!完全に忘れていました!そうです!私はイングリッド社長のスパイでした!」
──忘れては駄目じゃないか。
任せた手前、ムーアは口に出さなかったが思わずネオンへツッコミを入れそうになってしまう。しかしそれだけ分隊に馴染んでくれた裏返しである。指揮官である彼からすると嬉しい言葉ではあるのだ。
一方のシフティーはアニスの
〈…あの…アニス。いくら冗談でもスパイと呼ぶのはちょっと…〉
「──冗談だと思う?」
〈───〉
アニスの声音が真剣なそれへ変わった途端、ハウジングの向こうにいるだろうシフティーが押し黙った。しかしアニスが一転して笑い声を上げて彼女をからかい始める。
「とーぜん冗談よ!なんでそんなにマジな反応するの?まるで
〈は、はは…。そ、そうですね…なんだか急に怖くなっちゃって…。──そ、それで皆さんの目的地は何処ですか?特殊別働隊へ任命されたので公な情報が入って来ていないんです。お手数ですが作戦の度に聞くと思います。勿論、先に伝えて下さると助かりますけど!〉
捲し立てるかのようなシフティーの要請にはやはり違和感がどうしても芽吹いてしまう。無論、疑心暗鬼が過ぎて少しばかり過敏となっている可能性は拭えないのだが、とムーアは考えつつ皺が寄った眉間をグローブが嵌まった左手の指先で揉み解した。
「あ〜私達はね、ちょっと気晴らしに来てるの。それと指揮官様のリハビリね」
〈気晴らしに…リハビリですか?〉
「そうそう。1ヶ月も地上に出られなかったから身体が疼いちゃって。それに指揮官様もそろそろ実戦の感覚を取り戻したいって言ってたから!」
──そんなこと言ったか?…似たようなことは言ったな。
突然、槍玉に上がった彼は昨日のデータセンターでの発言を思い出し──確かに該当する言葉は吐いた記憶を思い出した。
そのムーアの様子を気にも留めず、アニスはわざとらしい態度で「空気が美味しい」と漏らしながら背伸びや全身の節々を伸ばしている有様だ。
「これから帰るところだけど、もう少しブラブラしたいなぁ。特殊別働隊って良いわねぇ。許可がなくても地上に来れるもの」
〈……そうでしたか。では私はお先に失礼しても良いですか?実は今日、アークレンジャー特別編が放送されるのでリアルタイムで視たいんです〉
「あ、そう?なら録画頼める?私も好きなんだ。女神戦隊アークレンジャー」
〈はい、勿論です!じゃあ失礼します。次に出掛けられる時にまた連絡しますね!〉
「うん、またね!」
最後はアニスとシフティーが互いに朗らかな応酬を交わして通信が切れる。それを認めるとムーアは小さく溜め息を吐き出した。
「あの…」
ネオンがアニスと溜め息を吐いた彼へ交互に視線を向け、何事なのかと問い掛けようとする。
それに先んじてアニスは自身の口元へ立てた指を翳し、静かにするようジェスチャーで伝えたかと思えばスクラップヤードに積み上げられた諸々の残骸の影から見える建屋を指差した。
──移動しよう。
視線が向けられたムーアは頷くとラピへ先頭に立つようハンドサインを用いて指示を出す。
ラピが突撃銃を握り、アニスが指差した建屋へ向かって前進を始めるのに合わせ、ムーア達も周辺を警戒しながら続いた。