勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
副司令官室の扉が開き、その室内からムーアが出て来ると待機していた3名の部下達が応接用のソファから立ち上がる。
「──如何でしたか?」
腰を上げたラピが分隊リーダーとして尋ねるも、彼は横目を副司令官秘書の女性軍人へ向ける。やがて視線が彼女達へ戻され、外で話そうと無言で促された。
頷く3名がそれぞれ預かっていたムーアの持ち物を手渡す。
ボディーアーマーを纏い、ヘッドセットは首へ通し、ヘルメットは顎紐を掛けずに被ってしまう。そのままの恰好で来て構わない、とは言われたが右を見ても左を見ても軍服姿の軍人ばかりの庁舎では目立って仕方ない。
背嚢を背負い、防護マスクのケースを襷掛けに通せば帰り支度は終わりだ。
彼女達を促し、廊下へ出ると庁舎一階へ繋がるエレベーターに乗り込む。
「──バレているみたいだった」
監視カメラが覗いているとあっては落ち着いて話も出来ない。詳細は前哨基地へ戻るエレベーターの中でとなる。
司令部庁舎を出る際に預けていた各々の火器を受け取り、近辺のエレベーターへ乗り込んで一路、前哨基地に向かう途中、ムーアはやっと詳細を語り始めた。
「…エクシアだが…射殺される寸前に脳を燃やしたらしい」
それを口にした途端、各々に個人差はあるが顔を伏せ、或いは沈痛の面持ちを浮かべる。3名の様子を伺いながらムーアはアンダーソンとの面会の説明を続けた。
まず第一に中央政府は今回のエクシアによるデータベースへのハッキングをエンターヘブンとの関連を疑い、前後の事情を調査中。
「…幸いなことに…と言って良いのかは分からないが、カウンターズが関与している点は発覚していない」
慰めにはならないだろうが、ムーアはそれを告げるとエレベーターの揺れへ身を任せつつポーチから煙草のソフトパックを取り出す。一本を銜えるや否や、ラピが慣れた様子でターボライターを差し出した。
「ありがとう」
「…それで…バレている、とは…?」
司令部庁舎のエレベーター内で彼が一言だけ告げた言葉の真意をラピが問いながらターボライターのボタンを押した。ムーアが風除けを作った左手の手の内で青い火が噴き上がり、炙られた煙草の先端から紫煙が燻る。
「──地上で何か手掛かりを得たのか、と尋ねられた」
「…それが何か?」
「その後が問題だ」
機械仕掛けとなった左手の指二本で煙草を挟み、紫煙を緩く吐き出すと同時にムーアからは溜め息が漏れた。
──…これが役に立つかどうか分からないが…シュエンが急にアーク内の通信網に手を出したらしい──
──「アンチェインド」という単語自体を禁止にしてしまった。検索も入力も出来ない。
数十分前に副司令官室で対面したアンダーソンとの会話を一言一句違わず、ムーアは口にする。それを聞いたラピは──溜め息を微かに吐いた。
「…どうやって知ったのか…いや……まさかな」
気味が悪い、と言わんばかりに彼は吐き捨てる。
しかし──知ったのではなく、
その可能性が脳裏を過ぎったムーアの眉間へ縦皺が深く刻まれる。
「……指揮官。あまり思い詰めないで下さい」
双眸が細められ、左目の瞳孔が開いた彼の様子を捉えたラピが手を伸ばすと袖口を摘んで見上げる。
紅い瞳が不安げに揺れていると気付くと──彼は目を瞑り、深呼吸を一度済ませてから再び双眸を開いた。
「…大丈夫だ。──そろそろか」
エレベーターの液晶パネルへ前哨基地までの到着時間が映し出される。
やがてエレベーターの動きが止まり、扉が開いた。
今朝方ぶりとなる前哨基地の様子は変わらない。
エレベーターから降り立ち、ひとまず基地司令部庁舎へ歩みを進める中、背後に続いているアニスがやっと口を開いた。
「…シュエンは…お咎めなしなの…?」
「…そうなるだろうな」
「──なんで!?」
アニスの悲鳴のような叫びが耳朶を打つ。ムーアはその場で足を止めると、背後を振り返った。
「エクシアが殺されたんだよ!?シュエンのせいで!!」
「…だとしても…中央政府のデータベースへ不正なハッキングを行ったのはエクシアだ。第三者の目には…シュエン会長が正義と映るだろう。通報と密告は少なくとも犯罪ではない」
残酷なようだがムーアは覆しようのない事実を淡々とした口調でアニスへ告げる。しかし彼女は情緒不安定だ。
彼を睨むように見上げたかと思えば、再びエレベーターへ向かおうとする。──その肩へ彼は左腕を伸ばして掴んだ。
「何処に行くつもりだ」
「離してよ!シュエンに会うの!」
「行ってどうするつもり?」
彼が引き止めるのに合わせ、ラピがアニスの眼前へ移動して立ち塞がる。
前後を挟まれた彼女が思いの丈をぶち撒け始めた。
「決まってるでしょ!?なんでこんなことをするのか聞くのよ!自分の正体がバレるのが嫌で、私達を弄ぶのが出来なくなるからエクシアを殺したんでしょ!?」
アニスが肩へ置かれたムーアの左手を振り解こうとするが、彼の手は離れようとしない。強く握られたそれがガッデシアムの肌を圧迫し、決して進ませないように阻み続ける。
「…落ち着けアニス。…それでもエクシアがハッキングした事実は消えない」
「指揮官の仰る通りよ。それに…事を大きくしても私達に良いことはない」
ムーアが、そしてラピが──おそらく分隊の中で最も冷静な二人が彼女を落ち着かせようと言葉を重ねる。
その口調で幾分かでも冷静さを取り戻したのか、アニスが前へ進もうとする力が緩んだ。それを認めた彼の左手が肩から離れると、彼女は一言だけ吐き捨てる。
「──ムカつく…!」
その一言に彼も彼女も、そしてネオンも反対はしなかった。
「──失礼するのです!」
その時、不意に彼等へ声が掛けられる。ヘルメットの顎紐を揺らしながらムーアが振り向くと
「…どちらさま?」
その姿に思わず
「…ノベル?」
「ネオン、知り合いか?」
念の為、短くなった煙草を携帯灰皿へ投げ込んだムーアが尋ねるとネオンが頷く。
「はい。その…エクシアと同じ
「おおっ!どうしてエクシアからの伝言だと分かったのですか!?」
「…エクシアからの伝言?」
「ムーア大尉でありますね!重要な話ですので中へ入って話すのであります!」
どれほど重要なのかは分からないが──前哨基地にとっては久しぶりの客人である。ムーアは頷くと庁舎の指揮官室へ彼女を案内した。
案内したのは構わないのだが──
「──難易度は最高レベル!それこそ難攻不落のコード!しかし!私立探偵ノベルは諦めなかったのであります!」
──まだ長い前置きは続くのだろうか。
指揮官室のソファに腰掛けるムーアは既に戦闘服の上着を脱ぎ、半袖の黒いシャツ姿のまま雑毛布へ並べた分解したばかりの突撃銃の整備を進めていた。
想像していたよりも射撃の残滓である煤が多い。幸い念入りに整備をする時間は与えられた形だ。
立ち上がったままのノベルが身振り手振りで自身の功績を語り始めて既に10分は経っただろうか。
分隊は任務が終わって戻ってきたばかりである。ネオンは腰掛けたソファへ凭れ掛かって天井を見上げ、アニスは半開きの亜麻色の瞳を胡乱げなままノベルに向けつつ炭酸水のボトルを傾けている。
ラピだけがしっかりと傾注しているのだが──それにすら気付かずに彼女は尚も独演会を続ける模様だ。
「──そして遂に!長いコードの正体を突き止めたのです!」
「…旗を持った人形を語の区切りにする
「違うのであります!コードは過去に悪名の高かったACTV-Xをベースに──何故それを知っているのでありますかっ!?」
「…良いから続けてくれ。もしくは本題に入ってくれたら嬉しい」
どうやら熱狂的なファンであろうムーアの予想は当たったようだ。何気なく呟くとノベルが丸い瞳を輝かせ、彼へ熱い視線を送ったのが何よりの証拠だった。
しかし彼は意に介さず、逆に周りを見渡すよう視線で促した。
アニスはソファの背凭れへ片腕を回しつつだらしなく腰掛けながらグビリとボトルを傾け、ネオンはとうとういびきのような寝息を立て始めている。
誰も真面目に聞いてくれていない、と察したノベルは泣きそうになってしまう。
「…苦労話と説明は後でゆっくり聞くから、先に進んでくれると嬉しい」
「──っ!!その知識欲…!これからムーア大尉のことはワトソンと呼ぶのであります!!」
「………」
あの語り部である元軍医ほど実直な性格ではないし、女性の相手が領分ではないはずなのだが──などとムーアは考えるも、ノベルはやっと本題を口にする用意が整ったようだ。
「──ではエクシアから貰った情報を伝えるのであります」
咳払いを済ませたノベルが続けた。
ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
ズキリ、と脳髄に痛みが走る。
「──以上であります。うーん…いったいなんのことやら…全く分かりません」
「……私達の脳にナノマシンがあるってことなの?」
「初耳です」
皆の声が遠く聞こえ始め、耳鳴りが聴覚を支配する。
呼吸が荒くなる。
視界が霞む。
──なんなのだこれは。
「──指揮官…?指揮官!」
聞き慣れた玲瓏な声が“指揮官”と呼ぶ。
霞む視界一杯に映り込んだ見慣れた姿をした
「──指揮官、気付かれましたか!!」
「──済まん!状況は!!」
「──見ての通りだよ」
「──どうなさいますか?」
「──全員の損害は?…良し。ならやれるな。分隊、俺に続け!!」
「──指揮官!!」
──明瞭に聞こえた玲瓏で耳に馴染む声がムーアを呼び戻した。
焦点が合っていなかった双眸が一点へ向けられる。その一点とはラピの顔だ。
ソファに腰掛ける彼の眼前へ膝立ちになったまま両肩を掴んで何度か揺らしつつ呆けていたムーアを示す名称を呼び続けた結果、やっと意識が戻ってきたらしい。
「……ラピ?」
「…はい。私です。……大丈夫ですか?何処かお加減でも?」
「……疲れが出たようだ」
──疲れで過呼吸のような症状が出るモノだろうか。
やっと反応を見せたムーアに安堵したラピが立ち上がると、彼は握ったままだった突撃銃の銃身を机上の雑毛布へ置いて目頭を指先で揉む。
ノベルを含め、明らかな異常を見せたムーアへ心配げな視線が向けられる中、彼の隣へ腰掛けたラピが生身の右手を優しく掴む。
起動させた機能でムーアのコンディションを確認すると──
ムーアのことだ。
「…エクシアが生きているそうです」
「……は?」
焦点が合ったばかりの濃い茶色の瞳がラピへ向けられる。驚愕を映したそれが向けられると彼女は頷いて肯定を示した。
「…どういうことだ?」
「…ワトソンも何故驚くのかは分かりませんが…これから皆さんと一緒にデータセンターへ行くのであります。ワトソンも行かれますか?」
「…あぁ。行こう」
「…指揮官…」
やはり危惧した通りになった。腰を上げるムーアが戦闘服の上着を着る姿をラピは不安の眼差しで見詰めるしかなかった。
「──ハァーイ…初心者さんとその一味…どうしたん…ですか…?」
案内は必要ないのだが、ノベルも聞きたいことが──具体的には解読した暗号の内容が分からない為、それを聞き出そうとエクシアを尋ねた訳だが、辿り着いたデータセンターの一室ではムーアや彼女達の記憶にある通りの姿形をした人影がキーボードをタップしている。
間違いなく──トライアングルも、そしてアンダーソン本人もエクシアは“射殺された”と明言していた筈なのだ。
「…あなた…本当にエクシアなの…?」
「──本物を定義するのが…身体と外見なら…私は本物のエクシア…です」
「……間違いなさそうだな」
「…ですが…どうやって…」
アニスが不審と呆然が半々の眼差しと声音で問い掛けるが、返ってきたエクシアの回りくどい肯定を意味する言葉にムーアは本人だろうと確信を抱く。
だがネオンの言う通り、自ら脳を燃やし、その上で射殺された筈のエクシアが
一同の──エクシアの言葉を借りれば
不思議そうにエクシアは同じ分隊に所属するノベルへ視線を向け、説明を求めた。
「エクシアが送った暗号を解読しましたが、内容が理解できず聞きに来たのです」
「…私が…暗号を…内容は…?」
求められるままノベルが解読した内容をそのまま口にした。
その途端、顔を顰めたムーアが身体を反転させる。思わず近くの机上へ右手を突きながら荒い呼吸を繰り返してしまう。
「…指揮官」
「指揮官様…本当に大丈夫?体調が良くないなら帰ろ?帰って休まないと…」
「…大丈夫だ。疲れが…出ただけだろう」
「師匠…無理だけはしないで下さい」
「…無理も無茶もしてない…」
背中を擦るラピに続き、アニスとネオンが彼を気遣うが──返ってくるのは一辺倒のそれだ。
頼ってくれても良かろうに、と彼女達の表情へ曇りが生じたのは言うまでもない。
一方のエクシアは、聞き覚えがないアンチェインドという単語を検索しようとキーボードをタップするが──入力すら不可能という事実を察して黙り込んだ。
ノベルにエクシアはいつ頃、暗号を送ったのかを尋ねると彼女は約6時間前だと答えた。
「…6時間ぐらい前…」
エクシアが腕組みし、考え込む。
組んだ腕の一方を指先でトントンと叩きながら天井を見上げ、うんうんと唸る。
今度は唸りつつ首を傾げ──と様々な仕草を見せるが、次第に眉間へ皺が寄り始めた。
「…だ、大丈夫…?」
ムーアも調子が良くないがエクシアも本調子ではない様子に思わずアニスが声を掛ける。あまり無理は、と続けてネオンも彼女へ声を掛けた。
「…あの…エクシア…?」
「──……あっ……私は…中央政府のデータベースをハッキングして…射殺された…のですよね?」
まるで
それを聞いた一同が怪訝な様子になるのを認めたエクシアは“長い話になる”と事情を説明する素振りを見せた。
その途端、彼女達が、続けてやっとエクシアへ身体を向け直したムーアがそれぞれの携帯端末を取り出して見せる。
エクシアが瞳を輝かせた。
「…おお…分かってますね…。サイコ○ュの開発がそう遠くないの…です」
まずグループチャットで判明したのは──というよりもエクシアが自身の
しかし脳を自ら焼く、つまり知ってしまった秘密を永遠に消去する理由だけは分からなかったようだ。おそらくはハッキングとはまた別の案件が原因だとは察していたようだったが。
そしていよいよ本題である。
ニケの脳にはナノマシンがある、という穏やかではない解読した暗号の内容の詳細が語られた。
そのナノマシンの正式名称は“Neuro-Implanted Machine for Protecting Human”──略してNIMPHである。
これがニケが共有する一種の不滅、或いは不死性の根幹だ。
彼女達の脳内に埋め込まれており、記憶を保存・消去・上書きすることで記憶消去が実施された場合でも保存された記憶をまっさらな脳へバックアップされていたそれが上書きされる仕組みであるという。
理論上、物理的に脳が破壊されない限りは不滅であるのだが──ではエクシアは何故、生きているのか、という疑問が生じる。
本人は秘密にしたかったようだが──NIMPHの正式名称や略語を読んだだけで再び頭痛が再発したムーアだが、歯を食い縛って教授をチャットで願ったところ、彼女は諦め混じりの溜め息を吐き出しながら端末をタップした。
絶対に秘密を条件にプロトコール分隊には脳へプロテクターが設置されているのだとか。
侵食や他の機関による脳のスキャンを防止する為に備えられたプロテクターだが、物理的に頭部へ射撃された際にも役立ったらしい。弾着と同時に頭皮やフレームの一部、そしてプロテクターのみが吹き飛ばされて脳本体は無事であったのだろうというのがエクシアの推測だった。
ついでに言えば彼女達はアーク内のデータ管理やAIであるエニックのサポートもしている為、稀少な存在だ。中央政府のデータベースへのハッキングは重罪であることに変わりはないが──その仕事を代替できる存在は中々いない。故に
自ら脳を燃やしても不滅性の根幹にあるNIMPHが無事であったのは燃やし始めて直ぐに射殺されたからバックアップが可能だったからなのだろう。
「──
チャットに映し出されたエクシアの打った文面がムーアの濃い茶色の瞳に入る。
──その文面がどうしようもなく、そして不思議と、無性に羨ましく思えてならなかった。
※念の為に言っておきますと、生き方や在り方は自殺志願者そのものですがムーア大尉に自殺願望はありません(だからどうした