勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─   作:一般指揮官

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第9話〜後編〜

 

 

 カチャカチャと金属が擦れる微かな音が夜の静寂の中で静かに響く。

 

 指揮官室へ設けられた脚の短いローテーブルの机上には雑毛布が敷かれ、その上へ分解された突撃銃や拳銃の部品が所狭しと置かれていた。

 

 そのひとつひとつを点検しつつオイルを少し染み込ませたウエスを用いてムーアが器用に磨き上げて行く。

 

 銃身内にもクリーニングロッドを通し、昼間の続きとなる残滓や煤の処理を続ける。時間が経ったからかライフリング(施条)へ付着して残っていたそれらが浮かび上がっている。本来なら数日を掛けて清掃を実施しなければならない。

 

 個人毎に考えを纏める方法は星の数ほどあるだろうが、ムーアはこの作業が最も落ち着く瞬間である。考えを纏めるにはもってこいだ。

 

「…トーカティブ(お喋り野郎)にもナノマシンが…」

 

 あの異常とも言える修復能力はナノマシン由来の可能性が示唆された。しかしNIMPHが影響しているかは不明──

 

「──…チッ…!」

 

 ──頭痛が酷い。鎮痛剤も効かないのは煩わしいにも程がある。

 

 粗方の整備が終わった拍子に彼はウエスを雑毛布の上へ投げ捨てた。少し気分を落ち着けようと今度は机上へ放置していたソフトパックを拾い上げ、振り出した一本を銜えてオイルライターの火を点ける。

 

 キン、と蓋が閉じられた瞬間に金属音が響いた。

 

 エクシアの脳は短時間ながら自らそれを燃やした影響とトライアングルに射撃されたこともあった一部が損傷した形であったと推測されるが、NIMPHには自己修復機能が備わっている。それが働き、彼女は復活できた。

 

 多少の異常であれば放置するだけで修復が可能だとすれば、トーカティブにもそれが搭載されている可能性は高い。

 

 彼はおもむろに纏っている戦闘服のパンツのポケットから1発の拳銃弾を取り出した。そのナノマシン──NIMPHのみを破壊出来るというアンチェインドが弾頭へ混ぜられた銃弾である。

 

 イチかバチかトーカティブにこれを撃ち込めば或いは──とも考えた。

 

「…いや、不確実だ。リスクが高すぎる」

 

 貴重な1発だ。容易く使うことは出来ない。

 

 銃弾をポケットへ仕舞うと彼は煙草を二本の指で挟み、唇から取り除いて灰皿に溜まった灰を叩き落とす。

 

 考えるべきはそれではない。少なくとも今は。

 

 ヘレティックと遭遇·交戦して生き残った分隊が存在するのだとデータセンターでノベルは語った。まさかそのような情報を持っているとは思わず、ムーアも驚いた程だ。

 

 私立探偵を名乗るだけはある、と今更ながら彼女へ対する評価を改めるとムーアは煙草を銜え、整備を終えたばかりの突撃銃や拳銃の結合へ入る。

 

「──アブソルートとメティスか……」

 

 前者は言わずと知れたエリシオンが誇る最強の分隊。そして後者はミシリスの看板分隊だとか。──生憎と彼はメティスの存在を知らなかったが。

 

 分解された突撃銃が徐々に本来の形へ戻って行く中、彼は短くなった煙草を灰皿へ押し潰した。

 

 肺に残っていた紫煙を吐き出すと、組み上げた突撃銃の作動点検へ入る。

 

「……アークの協力があればここまで事態が複雑にはならなかった、か……」

 

 ふとラピの諫言が思い出された。

 

 溜め息を吐き出しながら彼は槓桿と引き金を交互に引き、撃鉄や撃針が正常に動いているかの点検を行う。異常はないようだ。

 

 両分隊へ話が聞ければ、疑問の解決は一気に進むだろう。しかし両分隊ともエリシオンとミシリスが厳しく管理しているという。

 

 そう易々と話が聞ける相手でない。少なくとも菓子折りを持参した程度では、茶を振る舞われることもないだろう。

 

 ラピからの提案は──理には適っていた。

 

 アンダーソンとイングリッド、副司令官とエリシオンCEOを後ろ盾にしろ、という提案である。そうすれば自然と協力が得られるばかりか、事態の解決の速度は増すだろうとの提案だ。

 

 しかしだ。

 

「……はぁ……」

 

 深い溜め息が彼から漏れた。組み上げたばかりの突撃銃を雑毛布の上へ静かに置くと、新しい煙草を銜えてオイルライターの火を点ける。

 

 ──信用しきれない。

 

 またネオンから疑心暗鬼になっている、と揶揄されるだろう。彼と彼女の人柄は──イングリッドと顔を合わせた回数は世辞にも多いとは言えないが、概ねの範囲で悪くない人柄であるとムーアは考えている。

 

 しかしそれだけだ。自身が下した評価と相手の本性が異なるのは往々にしてあることだ。

 

「──後ろ盾、か…」

 

 協力を得る。そして後ろ盾を作る。この二点についてムーアは反対しない。

 

 むしろ()()()()()()そうするべきなのだ

 

 それを考えなかった理由の第一には──言わずもがな。ラピの記憶消去が効かなかった一件が絡んでいる。

 

 下手に協力関係を結ぶとなれば、彼女の身へ起こった一件が暴露する可能性が高まる。しかもアンダーソンとイングリッドはニケ達を管理する側の人間だ。

 

 ──まぁ俺もニケ管理部に所属しているんだが。

 

 彼自身もその内の一人だと今更ながら思い出し、薄い苦笑が漏れる。とはいえ表情は直ぐに元へ戻ってしまったのだが。

 

 アンダーソンとイングリッドは幸いにも彼や彼女達に対して好意的だ。それはムーアも認める。

 

 だが履き違えてはならないのは、彼と彼女は()()()()()ではない。

 

 アンダーソンは軍人であり、ニケ管理部を束ねる副司令官の職へ就いている。イングリッド、あの女傑は言わずと知れたエリシオンのCEOだ。

 

 双方とも無条件で協力へ同意し、あまつさえ後ろ盾になるとは到底考えられない。

 

 特にイングリッドは間違いなく会社の利益を考えるだろう。

 

 そのような人物に後ろ盾となることを同意させる為には──何かの()()が必要不可欠だ。

 

「…或いは何かを()()()()()()()()…か」

 

 選択肢はそう多くない。紫煙を燻らせながらムーアはポケットへ右手を突っ込む。その指先に金属の冷たい感触がある。

 

 その無機質な冷たさすら感じさせる考えが彼の脳裏へ巡った。

 

 

 

 

 

 

 

「──つまり…話を纏めると私とイングリッドに大尉()と特殊別働隊の後ろ盾になって欲しい、ということか?」

 

「──仰る通りであります」

 

 翌日の昼前、ムーアや彼女達の姿は司令部庁舎の副司令官室にあった。

 

 昨日の内にアンダーソンへはムーア自身が重要な話があるとの名目でイングリッドも同席して欲しいとのメッセージを送っている。

 

 それを違えることなく応接用のソファに腰掛けるアンダーソンはしっかりと女傑にお越し願ったらしい。お陰で正面から刺すような視線をムーアは二対も浴びる運びとなっていた。

 

 意見を仰いだ彼女達の賛成多数もあった為に、このような次第になったがこの段になっても彼は眼前のアンダーソンと腕を組みながら腰掛けているイングリッドを信用しきれないでいる。

 

 軍服を纏うムーアは軍帽を左脇へ挟みつつ休めの姿勢を取っていた。その背後には横一列に整列する彼女達の姿がある。

 

 協力関係の構築、そして一番の目的である後ろ盾となってもらいたい申し出がムーア単独の意見ではなく、分隊の総意であるとの意思表示にアンダーソンの目には映った。

 

「…ふむ…アンチェインド、か…辿り着いていたとはな」

 

「急な申し出に加え、情報の意図的な秘匿に関する非礼はお詫びを申し上げますが…どうか御検討頂けないでしょうか?」

 

 確かに、とアンダーソンは頷きかけた。

 

 ムーアには昨日も「情報を得たら、必ず共有してくれ」と告げたばかりだ。だというのに入手したアンチェインドに関する情報を秘匿したのは頂けない。

 

 わざわざ、()()と強調したのにも関わらずだ。だというのに後出しされ、相変わらずの鉄面皮に近い表情のまま──しかも舌の根も乾かぬ内にそのような申し出をされるとはアンダーソンも考えていなかった。

 

 少し──いや、かなり残念である。

 

「──エリシオン(企業)としてはこちらに何の利益もないと思うが?」

 

「──私も同じだ。何の利益もない」

 

 その残念な感情のままに──無論、公共全体の奉仕者である軍人として過剰な肩入れは出来ないのはその通りだが、同時に危うい橋を渡りたくはない保身もそれなりにアンダーソンは持っている。

 

 故にCEOとして利益を追求すべきイングリッドの言葉に同調してみせるのだが──

 

「───」

 

 ──ふとムーアの口角がほんの僅かに緩んだ気がした。

 

 笑った、のだろうか。 

 

 それが理解できずアンダーソンは怪訝に眉根を寄せる。

 

「…とはいえ…他でもない大尉の()()だ。邪険にするほど私も人でなしではない」

 

「…何をお望みでしょうか?」

 

「…話が早くて助かる」

 

 駆け引きに理解があって助かる。イングリッドはそう考えつつも表情は引き締めたまま視線の先で休めの姿勢を崩さないムーアへ鋭い眼差しを向けた。

 

「では…何が()()できる?」

 

「──情報を」

 

「…情報か」

 

 悪くはない。だが及第点はやれない。

 

 少し買い被っていただろうか、と女傑は狼のような印象を受ける彼へ改めて視線を向けながら口を開いた。

 

「残念ながら私達の情報収集能力は大尉の想像を遥かに上回る。大尉やお前達が苦労して調べているアンチェインドとやらも──どうした大尉?」

 

「──…いえ、お気になさらず…続けて下さい」

 

 不意に顔を顰めたムーアが気になり、言葉を詰まらせたイングリッドだが、気を取り直して続ける。

 

「…その気になればいつでも突き止められるのだ。それでも私達を魅了するだけの情報がある、と?」

 

「…それはおかしい。ニケ製造の一端を担う筈のエリシオンが性能を()()()()()()()物質の存在を調べようとしなかったのは理解に苦しみます」

 

 なるほど、そう来たか。

 

 答えに一瞬だが女傑が窮する。それを認めたからか──ムーアは右手を軍服の胸ポケットへ向かわせようとしたが、直ぐに下ろしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 ──まさかここまで予想通りに進むとは思っていなかった。

 

 ムーアは口角が我知らず緩みそうになるのを耐えている。

 

 昨夜の間に想定出来るアンダーソンとイングリッドの反応をシミュレーションし、それへ対する受け答えを考えていたが、ここまではほぼ正確に再現されている。

 

 自分も捨てたモノではないようだ、と慣れない自画自賛が脳裏を過ぎる中──彼は決定打、或いは切り札としての拳銃弾を取り出そうと軍服の胸ポケットへ右手を伸ばす。

 

 ──いや、駄目だ。

 

 これではパンチに欠ける。

 

 そう判断した彼は直ぐに右手を下ろし、再び後ろ手を組んだ。

 

 これは駆け引きだ。

 

 或いは自身の存在と価値を彼等に認めさせ、売り込む為の商談の場だろうか。

 

 たかが消耗品に過ぎない拳銃弾1発では彼等は満足しないだろう。スノーホワイト(彼女)が聞いたら怒りそうな予感がしたが、それは胸の内に仕舞い込む。

 

 ここから正念場である。

 

 ムーアは改めて視線をアンダーソンとイングリッドへ向けると、頭痛が治まったのもあって落ち着いて呼吸を整えた。

 

「──言葉が足らずに申し訳ありませんでした。先程、申し上げた情報とは…()()()の生体情報であります」

 

「──ッ!?」

 

 ──これは予想外の反応だ。

 

 ムーアの視線の先でアンダーソンが腰を浮かし掛けながら、驚愕の眼差しを向けて来ている。彼も何通りもシミュレーションした結果のいずれにも該当しない反応であった。

 

「…どうしたアンダーソン?」

 

「…いや…なんでもない。…大尉、意味が分からないのだが……君自身が情報とは…?」

 

「言葉通りの意味であります」

 

「……済まないが大尉。もう少し分かり易く説明してくれ」

 

 思わずアンダーソンは生唾を飲み込む。

 

 まさか、という懸念が脳裏を掠める中、彼が口を開いた。

 

「──私の生体情報は…控えめに言ってもアークの、或いは人類の発展に役立つでしょう。どうぞご自由に利用なさって構いません」

 

 その言葉に──アンダーソンは安堵と同等の諦念を滲ませて溜め息を小さく吐き出した。懸念が徒労に終わって安心してしまう。

 

「…大尉の生体情報?」

 

 一方のイングリッドは怪訝な様子で眉根を寄せる。言外にもう少し詳しくとムーアへ告げていた。

 

「…アークの科学力と技術力であれば…クローンを作るなど造作もないでしょう。無論、資源は相応に必要となり、コストパフォーマンスもニケには劣るでしょうが……()()()()()が造り出せるとすれば、それなりの軍隊は編制できるかと愚考致します」

 

 ショウ・ムーアのクローン。

 

 それをイングリッドは予想する。

 

 彼の身体能力や戦闘能力、そして指揮能力は資料で読み込んでいる。並の指揮官や兵士以上の逸材だ。加えてニケ用の対ラプチャー火器を造作もなく使用できる。

 

 そのようなクローンが数十名の小隊、数百名の大隊、数千名の連隊で編制される。

 

 フィジカルはオリジナルを見ても折り紙付き。メンタリティは──これは教育次第だろう。

 

 だとしても率直に言って()()()()。だが()()()()。相反する二つの率直な感想を彼女は抱いた。

 

 勿論、ニケとは異なり食事や睡眠等の必要性は生じる。しかしニケ達との協同作戦が行えるとなれば──地上奪還もそう遠くない未来のようにも思える。少なくとも1世紀の内には希望が見えるに違いない。

 

「…生命倫理の観点から問題がある。却下だ」

 

 クローニングは現在のアークの技術でも難しくはないだろう。おそらくは。しかしそれが受け入れられるかは別問題だ。

 

 イングリッドは一般的な常識から却下を口にしたのだが──それを聞いたムーアはこれ見よがしに彼女を鼻で笑った。いや、嗤ったが正しい。

 

「…これはこれは……10代から20代の少女や女性へ手術を実施し、ニケへ生まれ変わらせる会社のCEOとは思えない発言だ」

 

 これには流石にイングリッドの眉間へ不快な皺が寄る。確かにその通りであり、生命倫理の御題目を口にして良い立場の人間ではないだろう。

 

 ──ではそのニケを運用している指揮官の貴様はなんなのだ。

 

 思わずそれが口をついて出そうになる中、ムーアが浮かんだ笑いを引っ込め、元の鉄面皮へ表情を戻す。

 

「…少し口が過ぎたようです。大変申し訳ありませんでした」

 

「…いや、構わない」

 

 紛うことなく本音であっただろうに、と女傑は彼の先程の罵りにすら聞こえた発言を脳裏で反復させる。

 

 そして同時に反論を返せなかった自身の存在を女傑は認めざるを得なかった。

 

「…生体情報が代価となり得ないのであれば……仕方ありません」

 

 手詰まりか、とイングリッドは溜め息混じりに告げられるムーアの言葉に少しばかりがっかりとしてしまう。ここまで言葉のみで僅かなりとも縋ったのだ。もう少し度胸を見せて貰いたいところだったが──

 

「──では私を売りましょう」

 

「…なに?」

 

「代価は私自身、と申し上げております。生かすも殺すも自由です。切り刻もうが、射撃訓練の標的にしようが、或いは──人には言えないDirty work(汚れ仕事)をさせるのも宜しいでしょう。如何でしょうか?」

 

 あまりにもあっさりと告げられた為にイングリッドも、そしてアンダーソンも呆気に取られた。

 

 有り体に言って正気とは思えなかった。

 

 イングリッドは彼の背後へ控える彼女達へ視線を移す。3名とも動揺しているのだろう。瞳を丸くしながらムーアの背中を注目している。

 

「…口先だけの虚勢は──」

 

「これが虚勢と?」

 

 視線の先でムーアの濃い茶色の瞳が鋭く細められる。さながら狼を前にした気分にすら女傑は陥ってしまう。

 

 私達を魅了するだけの、と言った記憶はある。情報ではないが、これはそれ以上の価値があるようにイングリッドは考えた。

 

 ニケに匹敵するだろう身体能力と戦闘能力を有した生身の人間──それも四肢が切断されても戦闘継続の意志は潰えず、戦闘そのものにも忌避感を抱かず、何より()()()()()が存在しない。

 

 殺人すらも彼ならば容易く実施するのだろう。命じられれば、必ずやり遂げる。それがニケには原則上は不可能だ。

 

 リミッターが解除されるか、それこそNIMPHが無くならない以上、ニケは原則的に殺人は行えない。

 

 それが可能な存在が眼前にあるのだ。

 

 ──欲しい、とイングリッドは素直に考えてしまった。

 

「…ふむ…」

 

 しかしおくびには出さず、考え込むだけの反応に女傑は止めた。

 

 

 

 

 

 ──反応は悪くないようだ。

 

 少なくともイングリッドはこちらへ引き込めるとムーアは様子を見て考える。アンダーソンは、まだ分からない。

 

「…つまり君は…私とイングリッドの()()になると?」

 

「そう受け取って貰って構いません。ただし条件がひとつ」

 

「…言ってみなさい」

 

「特殊別働隊、ならびにカウンターズ分隊の指揮官職と前哨基地司令官の職は解任はしないこと。これ一点のみであります」

 

 この条件であれば安いものだろう。実際、アンダーソンも考え込んでいる。

 

 人間でありながらニケと同等の能力を有するムーアのアドバンテージを利用しない手はない。

 

 その思惑は──彼等を前向きに検討させる程度には魅了出来るらしい。割りと下した自己評価は正しかったとムーアは自画自賛を改めて脳裏へ浮かべてしまう。

 

 ──これでなんとか部下達を守れる。

 

 彼は文字通り、自身の部下を守る為ならなんだってする人間だ。

 

 自身を切り売りする程度、造作もない。

 

 部下を、仲間を売るなら死んだ方がマシだ。

 

 彼女達を守る為なら悪魔にでも魂を売り渡してやろう。

 

 死後の世界を信じている訳ではない。しかし仮に存在するとすれば──どうせ地獄行きなのだ。

 

「…前向きに御検討頂けるということで宜しいで──」

 

「──私には記憶消去が効きません」

 

 ──今、誰が言った。

 

 ムーアの言葉を遮り、玲瓏な声が副司令官室に響き渡るのを彼は確かに聞いた。

 

 紡ごうとした言葉が途中で詰まる。思わずムーアは肩越しに振り返った。

 

 ──何故、キミがそれを。

 

 肩越しに振り向いた先にはムーアと同じく後ろ手に両手を組んだラピがいる。

 

 その彼女へアニスとネオンが驚愕の眼差しを向けていた。

 

「この前、記憶消去を受けましたが全て覚えています」

 

「──ラピ、控えろ。話の邪魔だ」

 

 平静を装いながら彼はラピへ注意しつつ再び顔を正面へ向ける。

 

 視線の先にはアンダーソンとイングリッドがムーアから彼女へ顔を向けている姿がある。いずれも驚愕の表情だ。

 

「──もう一度申し上げます。以前、記憶消去を受けましたが全てを覚えています」

 

「…黙ってくれ…頼む…」

 

「──本来なら早く報告すべきでした。責任は私にあります」

 

「──黙れと言っただろう!!命令が聞こえなかったか!!」

 

 ムーアの怒鳴り声が副司令官室に響き渡る。

 

 肩を震わせ、息を乱しながら冷静さをかなぐり捨てたムーアが再びラピへ視線を向ける。

 

 細められた双眸は鋭く、文字通り彼女は睨まれた。しかしラピはそれを受けても尚、アンダーソンとイングリッドから視線を外さなかった。

 

「…そんな馬鹿な…」

 

「…原因について心当たりはあるのか…?」

 

「相手にする必要はない。嘘に決まっているだろう」

 

「えぇ、閣下の仰る通りです。どうかお気になさらず──」

 

「私はそんな風に育てた覚えはない。──もう一度聞く。原因について心当たりはあるのか?」

 

 歩み寄ったイングリッドへラピが原因は不明だが、アンチェインドに曝露した可能性を示唆する。それによってNIMPHが破壊され、記憶消去の効果が出なかったという秘密さえも話してしまう。

 

 アンダーソンはふとムーアの様子を見た。

 

 両手が固く握り締められ、生身の右手があまりの強さに血色を失い掛けている。

 

 奥歯も強く噛み締めているのだろう。唇は真一文字に結ばれ、濃い茶色の瞳が爛々と光っている。

 

 肩だけが小刻みに震え──何らかの衝動へ精一杯耐えている様子が伺えた。

 

「結果があれば原因はいくらでも突き止められます。その逆も同じです。──教官に教えて貰いました」

 

「──()()()()()のだな」

 

「協力を約束して下さるなら、私の身体を提供します。必要なら脳を開いても構いません」

 

 ラピが続けた瞬間、ムーアの方から──まるで奥歯を強く噛み締めるかのようなギリッという音が鈍く響く。砕けんばかりの音だ。

 

 それを聞き取ったイングリッドがチラリと彼の横顔を伺い、やがて再びラピへ視線を戻した。

 

「──アブソルート分隊との面談を許可する。いや、協同作戦を許可しよう」

 

 規則的な足音を立てながらイングリッドはアンダーソンが腰掛けるソファの横まで戻りつつ彼等の目的へ沿う約束を告げる。

 

「ヘレティックとの交戦があった場所へ行き、自分の目で見て確認するように。ただ話を聞くよりもその方が確かだろう」

 

「……エリアHは出入り禁止だ」

 

「お前なら許可できるだろう」

 

 苦言を呈するアンダーソンへ女傑が言い返せば、副司令官は肯定を示すように押し黙った。

 

「…分かった。許可しよう」

 

「聞いたな?では直ちに出発するように。合流地点の座標のデータは後で送る」

 

 アンダーソンとイングリッドが向ける視線の先では緩慢な動きで左脇へ挟んでいた軍帽を被るムーアの姿がある。目深に被った軍帽のお陰で目元は見えないが──不思議とどのような眼をしているのかは想像に難くなかった。

 

 カツンと踵が合わせられ、右手を額へ翳す挙手敬礼がされる。

 

 鷹揚に頷き、それを答礼に代えようとするアンダーソンだが──その答礼を受けぬままムーアは機械的な回れ右を済ませ、機械的な足取りのまま退室して行く。

 

「──指揮官」

 

 彼女達の脇を通り抜け、扉の前へ立った彼へラピが声を掛けるも──反応はなかった。

 

 開いた扉をくぐり、ムーアが退室するのに合わせて彼女達も後へ続く。

 

 それを見送ったアンダーソンとイングリッドだが──不意打ち気味に外から大きな音が一発だけ響き渡り、振動を微かに感じると怪訝な表情を浮かべる。

 

 ちょうど副司令官秘書が待機している部屋の前からだ。

 

「──どうかしたかね?」

 

 ハンズフリーにした受話器のボタンを押して秘書を呼び出すと、困惑気味の声が返って来る。

 

〈…そのムーア大尉がお帰りになる際、壁を殴り付けまして…少々凹みが……請求書を送りましょうか…?〉

 

「…いや、その必要はない。私のポケットマネーから修理費を出そう」

 

 溜め息混じりにアンダーソンは秘書へ伝え、受話器のボタンを押して通話を切った。

 

「…男の覚悟を踏み躙るのは…どうかと思うがね」

 

「傲慢な考えだな。男の覚悟なんぞ、女の覚悟に比べれば塵芥に等しいと知れ」

 

 痛烈な一言だ。しかし女傑が言うと説得力が段違いである。

 

 思わずアンダーソンは苦笑を漏らし、やがてそれを収めると腰掛けたソファの背凭れへ上体を預け──おもむろに口を開いた。

 

「皮肉なものだ。──狼が命を賭そうとしていたのを、赤頭巾(Red Hood)が止めるとは」

 

 







A wolf has to die at the bottom of the well(狼は井戸の底で死なねばならない)
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