勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
緑豊かな木々が茂り、枝葉の先で羽を休める小鳥達の囀り。
「…皮肉だな」
「──何が?」
「…何でもない」
山腹にある山道へ身を潜め、指定された合流地点でムーアを始めとしたラピとアニスは人を待っていた。
彼は完治の診断が下ってから僅か3日目。リハビリにはちょうどいい仕事、とはムーアの言葉だ。
「…指揮官。予定の定刻を30分超過しています」
「分かってる。…あと30分だけ待つ。それでも来なかったら──」
不意に木々の枝葉の先が揺れる。小鳥達が飛び立ったのだ。
何かに驚いて逃げた。それを考え付くのは容易いことである。
山中は視界が悪い。
今回は比較的、簡単な任務ということもあってオペレーターは不在だ。
「…安全装置を外せ」
彼の指示でラピとアニスが携行する火器の安全装置が外される。
ムーアも突撃銃──新調したばかりのテトラ製のそれを構えつつ指先で安全装置を解除した。その瞬間だ。
──ガサリと頂上側の茂みが音を立てる。
彼と彼女達が反射的に銃口を向けるには充分すぎる異変だ。
それぞれの人差し指が引き金へ乗せられ、徐々に引き絞られる。撃鉄が落ちる寸前まで引き絞られたその先で──
「──ん?」
「──あれ?」
「──オオカミ?」
茂みから顔を覗かせた1頭のオオカミ。金眼を煌めかせながら茂みを飛び出すと、健脚を遺憾なく発揮してムーアへ一直線に駆け寄った。
灰色の毛並みを持った巨躯のオオカミは尻尾を振りながら彼の足元へ辿り着くや否や後ろ脚で立ち上がり、ムーアの顔を伸ばした舌で舐め回し始める。
「…あぁ…これは…既視感が…」
「──待たせたかしら?」
──そんなこと微塵も思っていないだろうに。
顔を舐め回されながら彼はオオカミを退かせると山頂から続く山道を降りて来る人影を捉えた。
この山を越えた先は雪と氷に閉ざされた北部。その北部を統べる雪の女王が彼の視線の先にはいた。アタッシュケースを引っ提げ、ついでに5頭の屈強な供を引き連れて。
「──遅かったじゃない」
「この子達が急に狩りを始めてね。──
「…なるほど…遅くなる訳だ。それはそうと久しぶりだな、ルドミラ」
待ち人──ルドミラが引き連れているオオカミ達が1頭の鹿を引き摺っている。合流が遅くなった原因だという狩りの成果だろう。随分と立派な雄鹿だ。
「えぇ、久しぶりね。…手土産か、それとも
「…
わざわざ徒歩で北部からやってきた雪の女王、そして供の6頭を案内して彼等は山道を下り始め、やがて武装車輌を停めた小川の近くへ辿り着く。
早めに解体しよう、と彼は携行しているファイティングナイフを引き抜くのだが──
「…キミ達、解体は?」
ラピ、アニス、そしてルドミラへムーアは尋ねるが、全員が一斉に左右へ頭を振る。やり方を知らない、という無言のジェスチャーに彼は頷いた。
「…まぁ、それはそうだよな」
「…そういう指揮官様は?」
「俺も──ッ…」
経験は無い──と口にしかけたところでズキンと頭蓋の内側に鈍い痛みが走る。
眉根を寄せ、顰め面をしたムーアだが直ぐに痛みが引いた。
「…経験は無いが…知識はある。ラピ、ウィンチを。アニスはロープを持って来てくれ」
車載の電動ウィンチのワイヤーがラピの手で伸ばされ、そしてアニスが車内からロープを持って来る。
伸ばされたワイヤーは樹木の太い枝の上を通しておき、アニスから受け取ったロープを一頭の鹿の二本の後ろ脚へ巻き付け、フックへ括り付けるとウィンチを巻き上げて宙に吊るし上げた。
──手早く済ませよう。
彼はナイフを使って鹿の腹を裂き、内臓を掻き出して行く。心臓と肝臓を切り取ると、それらをオオカミ達へ向かって投げ渡す。
「喰って良いぞ」
許可が出された途端、オオカミ達がこぞって貪り始める。
それを横目に彼は皮を剥ぎ取り始めるが──血を吸って肥大化したダニを発見し、ナイフの先端で弾き飛ばした。野生の動物なのだ。こういったモノは付き物である。
「…本当に初めて?」
「何が?」
「解体よ」
「……あぁ」
その割には慣れた手付きだ、とルドミラは考えつつ少しずつ解体されていく鹿の様子を眺め続けた。
今回の仕事はルドミラ──アンリミテッド分隊の彼女のエスコートだ。そんなことの為に病み上がりの人間が指揮する分隊が動員されるのもどうかと思うが──メッセージでアンダーソンから聞かされた話によれば、彼女がムーアを指名したのだとか。
何故だ、という疑問こそ湧いたが、彼としても早々のリハビリは必要であると判断し、任務へ就いた訳だが──
「……狭い」
前哨基地へ向かうよう設定したエレベーターが下降を始めて間もなく、ムーアが運転席でボヤきを漏らす。
もっと普段は広く感じるのだが、今日は狭苦しい。それもそのはずだろう。
助手席にはルドミラ。後部座席には定位置を譲る形となったアニス、ラピが腰掛けている。その後ろ──荷台の部分は6頭のオオカミ達が舌を出しながら大人しく伏せている。
鹿の肉は飲み物等が入っていたクーラーボックスの中へ放り込んで鮮度を保っているが、珍しくこれを持って来ていて良かったとムーアはつくづく考えた。なにせ──これが無ければ“ブレインシェルター”に放り込もうかとすら考えただろう。
ボディが破損したニケの脳を保存できる小型の冷凍保管装置であり、その保存可能の期間は約7日間という代物だ。生肉の運搬にも応用出来るだろう、と本来の用途とは異なる使い方をするところであった。
いずれにせよ過積載手前の状態だ。
イングリッドからの贈り物の新車は前哨基地に配備されたばかりだが、早速の酷使が始まっている。これも運の尽きなのだろう。
狭苦しさに加え、オオカミ達から発せられる獣臭──若干の血の臭いも混ざったそれらを換気しようと武装車輌の窓という窓が開け放たれている中、ムーアは溜め息を吐き出す。
ボディアーマー──これも新調したばかりのそれのポーチからソフトパックとオイルライターを取り出し、一本を銜えた。
オイルライターの蓋を独特な金属音を奏でて開き、ホイールを回してフリントとの摩擦で火花を散らす。引火した芯から昇る火で煙草の先端を炙り──紫煙を吐き出した矢先のことだ。
「──貰うわよ」
運転席と助手席の間──車内へトランスミッションが浮き上がるような構造である為、金属のカバーで覆って隠された人間一人分の幅はあるだろう段差となった隙間。身を乗り出したルドミラが彼が火を点けたばかりの煙草を奪い取り、それを潤った自身の唇に銜えてしまう。
「…返してくれないか?まだ少ししか吸ってないんだぞ」
「嫌よ。もう私の物だわ」
我が儘な女王陛下である。
溜め息を吐き出した彼は新しい煙草をソフトパックから抜き取り、乾燥気味の唇へ銜えると再びオイルライターの火を点けた。
「…前にも同じことをされたな」
「ちゃんと
「…誰もそうは言っとらんだろう」
運転席と助手席で紫煙が燻る。応酬を交わす彼とルドミラへ後部座席のラピとアニスは交互に視線を向けた。
──え?同じことを?いつ?
──………。
北部での任務の最中だろうか。一度、彼が銜えた煙草を躊躇なく奪い取ったルドミラにアニスが双眸を細め、ラピは紅い瞳を車外へ向ける。
ドリンクホルダーへ備えた灰皿をムーアが引き抜き、運転席と助手席を隔てる段差の上に置くと、その縁へ煙草を軽く叩き付けて溜まった灰を落とした。
「…で、わざわざここまで来るとは…何か用事でも出来たのか?キミを前哨基地へエスコートしろ、とまでは聞かされたが詳細は省かれてな」
「用がなかったらアークには近付かないわ」
吐き捨てるかのような口振りでルドミラが苛立たしげに紫煙を吐き出す。
その姿から、何かしらの個人的な遺恨でもあるのかと彼は予想したが──詳細は聞かない方が良いのだろうと察して追及はしなかった。
「…総力戦の話は聞いているわ。ラプチャーが造った地下施設と、そこに集められていたニケ達の件もね」
「…ここ数年、北部で保護したニケの数が減ったとキミから聞かされたが…それ絡みか?」
「まぁそんなところよ。纏めた統計や報告書の提出が今回の目的。…私が持つと機械は壊れてしまうから、わざわざプリントアウトして来たわ」
携えたアタッシュケースが灰皿を置いた段差へ乗せられる。ムーアが視線をルドミラへ向け、開けても良いか、と無言のまま尋ねる。彼女は肩を軽く竦ませた。ご自由に、と解釈した彼がアタッシュケースを開く。
確かに中身はわざわざ北部の研究基地でプリントアウトしてきたのだろう報告書が束になって収められている。
「前哨基地に着いたら、しもべが提出してきてちょうだい。私はアークには行きたくないわ」
「…理由は聞かんが…そこまでか?」
「
潤った唇から紫煙を緩く吐き出すルドミラが無感情のまま告げる。その様子から余程の
やがてエレベーターの下降が緩やかなものとなる。到着まで間もなくだ。彼がエンジンを掛け、暖機運転を始めて数分後──エレベーターが停止し、閉ざされていた扉が開け放たれる。
「──ようこそ前哨基地へ。女王陛下のお越しを歓迎する」
無事に報告者をアタッシュケースごと司令部のアンダーソンへ提出したムーアは同行を頼んだアニスと共に敷地内の駐車場へ戻ると溜め息を吐き出す。少佐になってまで使い走りとなっているのは──まぁ公僕たる軍人としては仕方ないが、病み上がりの人間に優しくない組織だとつくづく思い知らされてしまう。
「指揮官様、幸せが逃げるよ」
「…逃げて行く幸せより、精神衛生を守る方が大切だからな」
わざわざ軍服に着替えてきた彼は武装車輌の運転席へ腰掛け、アニスは定位置の助手席へ乗るとシートベルトを締める。
あとはこのまま前哨基地へ帰るだけだが──
「…その前に酒とか買って帰ろうか」
「お、もしかして…?」
「肉があるのに酒が無いのはつまらんだろう?」
「おっしゃあああ!!指揮官様、大好き!!」
──現金なものだ。
助手席で歓声を上げるアニスにムーアは苦笑いを軽く漏らしつつエンジンを掛けた武装車輌を駐車場から発進させた。
前哨基地へ戻る前に大量の酒やジュースを購入し、それを荷台に積み込んでエレベーターへ乗り込む。
上昇するエレベーターの振動へ身を任せること数十分。辿り着いたのは彼等の
暖機運転を始めていた武装車輌がムーアの運転で動き、エレベーターを降りると基地司令部へ向かって走り出した。
司令部庁舎の駐車場へ滑り込むと──一角に人集りが出来ているのを彼の瞳は捉えてしまう。いずれも前哨基地のスタッフ達だ。
「…何してるんだ?」
「さぁ?」
エンジンを止めた車輌から降りて荷台を開け、輪止めを車輪へ嵌め込んでからムーアは人集りに向かって歩き出した。
「──どうした?」
「あ、指揮官!」
「
「──皆、逃げて!来るよ!」
エリシオンが製造するF.Aモデルの声が人集りの奥から響く。
退避を促すそれが引き金となり、彼女達がキャーと悲鳴と呼ぶには少しばかり嬉色を滲ませるそれを発しながらホースを投げ捨てて散開した矢先──開けた先にいた全身の毛並みを滴らせた数頭のオオカミが勢い良く身震いしたのだ。
水滴が容赦なく彼の全身を濡らしたのは言うまでもないだろう。
そればかりか──ムーアの姿を認めたからだろうか。オオカミ達が水気を含んでやや細くなった尻尾を振り、いまだ毛並みから大小の水滴が滴る身体のまま歩み寄る。そのまま彼を取り囲んで後ろ脚で立ち上がり、顔をベロベロと舐め回すのだ。
軍服は洗濯し、
盛大な溜め息を吐き出した彼はオオカミ達を退かせ、軍服の上着を脱ぐ。ワイシャツが肌へ貼り付く感覚は世辞にも気持ち良いとは言えない。
「やられちゃったね指揮官様…早くシャワー浴びた方が良いよ」
「…そうする。…あぁ、よしよし…あとで構ってやるから…」
一際、巨躯を誇るオオカミが再び立ち上がり、彼の肩へ前脚を置いて寄り掛かる。こちらも全身が濡れ鼠だ。
なんとか振り解き、後ろを付いて来ようとするオオカミ達に庁舎の外で待つよう指示を出したムーアが庁舎内へ足を踏み入れる。
まずはシャワー、そして着替えだ。
溜め息を吐き出し、2階にある指揮官室へ辿り着く。今回は任務が短時間であることも加味してブービートラップは設置しなかった為、特に警戒せず入室すると──
「──あら、お帰り」
「………服を着ろ」
──湯上がりなのだろう。バスタオル一枚のみを身体へ巻き付け、水気を含んだウェーブ掛かった金髪を掻き上げる仕草を取るルドミラと何故か鉢合わせしてしまった。
ルドミラのバスタオル一枚だけ巻いている姿を見てのコメントが「……服を着ろ」って……やっぱりムーア少佐、性欲がないんじゃ…(紳士なだけです
「オメーが言うな!」ともアニスあたりからはツッコミが入る……ん?アニスはどちらかといえば