勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
取り敢えず、煙草とバカルディラムをキメておきます。
──喫煙者に優しくない職場だ。
昼食を兼ねた昼休憩時間。軍服を纏ったムーアの姿は中央政府軍司令部庁舎の裏手にある。
分煙と健康の為に──と喫煙所を隔離する意図は分かるのだが、何故に二箇所しか喫煙者達のオアシスが設けられていないのか。物資も金も余っているだろうに、と彼は三分間で二本の煙草を燃やし尽くしながら眉間へ皺を寄せていた。
この屋外の喫煙所は一般将兵向けのそれだ。彼のような高級将校は屋内のそれを使っても構わないのだろうが、不文律で基本的に大佐以上のみが使用できるらしい。所詮は
とはいえ彼のように紙巻き煙草を愛煙する人間は少ないようだ。事実、設けられている灰皿の中には吸い殻が数える程度しか残されていない。大半が
ここでも喫煙者仲間は作れそうにない。溜め息と紫煙を吐き出したムーアが吸い口のギリギリまで吸い切った煙草の火種を灰皿へ押し潰して火を消す。
軍帽を被りつつ喫煙所を出ると、少し大きめに深呼吸を何度か繰り返して肺から紫煙の残り香を吐き出す。どうにも煙草の臭いが嫌われる要因であるのは確かなようだ。この庁舎で研修を始めて三日目だが、喫煙所からの帰り道で擦れ違う軍人達から何度か顰蹙を買っているような表情を浮かべられている。
彼の後に喫煙所を出て来た軍人は携帯している消臭スプレーで軍服に残った煙草の香りを消している有り様なのが良い証拠だ。
そこまでしてまで煙草を吸いたいのか、と眺めるムーアとしては驚きだが──まぁ個人の選択なので兎や角言うのは間違いなのだろう。
そもそもとして身体には害しかなく、なにより依存性の高い代物を好んで愛煙している時点で説教じみたそれを口にする資格や権利も有していないのだが。
「…午後は射撃技能の教習か」
記憶した研修の日程を脳裏に浮かべながら彼は溜め息を吐き出す。安全管理を徹底しての射撃をするのは構わないのだ。むしろ危険な代物を取り扱う以上、当然のことである。
決して前哨基地の射撃場での安全管理規則が緩い訳ではないのだが──どうにも窮屈さを予感してしまい、ムーアは溜め息を吐き出した。
地下射撃場での教習だと事前に知らされている為、準備をしておこうと彼は歩き出すのだが──
「──ゆっくりお食べ。誰も取ったりしないから」
──ふと聞き覚えのある声が聞こえた。興味を引かれ、倉庫の建屋同士の隙間に出来た通路を目指して進行方向を変える。
舗装された地面へ少しだけ盛られた
「……アドミ君?」
「──ッ!」
「いや、立たなくて良い。敬礼も省略で構わん」
小柄な人影──中央政府軍の制服の一種である白い上着を纏ったアドミが声を掛けられた途端、慌てて立ち上がろうとしたのを認め、先んじて彼はその動きを制した。
「…ムーア大尉──いえ、少佐。お久しぶりです」
「あぁ。元気そうでなによりだ。──野良猫か?」
「いえ、捨て猫のようです」
省略を許されたが、所属が異なるとはいえ流石に上官、加えて指揮官徽章が付いた相手だ。非礼は出来ないとばかりにアドミは傍らの猫を驚かさないようゆっくり立ち上がり、ムーアへ向き直る。
「…飼い主の
「…首輪はあるが…外されているのか」
アークに存在する動物──特に愛玩動物である犬猫へ対して首輪の他に飼い主の現住所や姓名が記録されている認識票を付ける義務がある。ちょうどムーアが首から下げている認識票と似たような代物だ。
その有無で合法に生育された動物なのか、或いはそうではないのかを一目で見分けられるのだが──アドミの傍らでドライフードをカリカリと咀嚼する猫の首輪にはそれが存在しない。
「…猫、好きなのか?」
「…はい」
「…そうか」
「…ムーア少佐は?」
「…猫は嫌いではないし、アレルギーもないが…たぶん猫の方が俺を嫌っている」
試しにムーアが腰を屈め、ほんの僅かだけ片手を差し出そうとすると──猫は毛を逆立てながら威嚇の唸りを上げる。防御性攻撃行動とも言うらしいが、生憎とムーアは知らなかった。
それを認めた彼は肩を竦め、大人しく手を引っ込めてしまう。同時に猫が再び食事へ戻り、カリカリと咀嚼を再開する。
「…人慣れしていると思ったのに…」
「…不思議だな。野生のオオカミは付いて来るんだが…」
「…え?オオカミ?」
「あぁ。オオカミ」
アドミの脳内で自身や彼が口にした動物の姿形が思い浮かぶ。その習性──多分に誇張も混ざっている獰猛なそれも思い出せば、彼女は意味が分からなかったのか小首を傾げてしまう。
「…オオカミ…なんですよね?」
「あぁ。尻尾を振るし、顔も舐めて来る」
「…オオカミ…なんですよね?」
「間違いなく」
理解が追い付かない。これ以上、考えると自身の
「…この子…A.C.P.Uに保護して貰おうと思います」
「その方が良いだろうな」
「…はい…」
アドミに彼は頷きを返した。猫が好きなら飼ったらどうだ、とは決して言わない。彼女にも任務があり、忙しい身だろう。
「…いつかは飼えると良いな」
「…そんなこと出来ません」
「何故?」
「…………」
現在は状況が許せずとも、いずれはその機会が巡って来る可能性はあるのだ。わざわざ捨て猫へ猫用の餌を与える程の彼女だ。愛情深い性格であり、尚且つ生来の猫好きであろうと容易に想像が付く。
しかしアドミは、出来ない、と断言した。飼えない、ではなく、出来ない、と。
「…幸い時間はいくらかある。話してみないか?」
「…ムーア少佐に、ですか?」
「所属も異なれば…まぁ派閥も違うが、赤の他人に話せることもあるだろう。なにより──俺はニケ管理部に所属している
軍帽を脱ぎつつムーアは左膝を曲げて片膝を突く。アドミと目線が近付くよう姿勢を低くしながら告げた。
所属、部署、派閥──いずれも異なるが、彼は指揮官で、アドミはニケだ。指揮官の役割のひとつにニケ達のメンタルケアがあると解釈しているムーアは、何故出来ないと言うのか、と改めて問う。
「………」
「…話してくれると嬉しいが…俺では駄目か?」
「…何故、気にかけて下さるのですか?」
「…悩みの類を抱えている女の子の話を聞くことに理由が必要か?」
「…女の子…?」
首を傾げるアドミにムーアは頷きを返した。
彼女がニケになってどれほどの年月が経っているのかは彼は当然ながら知らない。しかし外見や仕草だけ取れば、見た目相応の少女としか思えない。
「…ムーア少佐は…変な人ですね」
「それは少し傷付くな」
「すみません。……動物を育てるなんて許して貰えるはずありません。私達は
「…ふむ…」
道具──つまりニケであるから、という真意を遠回しながらもアドミが口にする。
「それに…」
「それに?」
「…私が自分勝手に行動したら…ユルハの負担が増えるだけです。今だって私とプリバティのせいで忙しいのに…これ以上、迷惑を掛ける訳にはいきません」
「…なるほど」
彼女らしい──少女姿の見た目に反して責任感あるそれは、不思議と
彼の濃い茶色の瞳がアドミの傍らでカリカリと音を立てて尚も咀嚼する猫へ向けられる。だいぶ空腹であったのだろう。
彼女も何も言わず視線を向けながら見守る中──やがて餌を平らげた猫が満足気に食後の顔洗いを始める。相当に落ち着いたのだろうか。
すると猫は餌をくれたアドミへ礼を伝えるかの如く、身体を脚へ擦り寄せ、ゴロゴロと喉を鳴らした。
その仕草に釣られ、彼女の手が猫の頭へ伸びるが──直ぐに手は引かれてしまう。
「…撫でないのか?」
「…………」
素朴な疑問をムーアは尋ねる。その問い掛けにアドミは顔を伏せたが──小さな溜め息を漏らした後、小さな声で理由を紡ぎ始めた。
「…私は…撫でるという行為は愛情を注ぐことの現れだと思うんです。愛情を注ぐから心を開いていいよ、という一種の始まりのような…」
「…まぁ言わんとすることは分からないでもない」
「…最後まで責任を取れる訳でもないのに…撫でるのは偽善です。──終わることが分かっている関係は最初から何も始めない方がマシ、です」
──耳が痛い。
思い当たる点が多分にある彼は指先で頬を軽く掻いてしまう。まぁそもそもあのオオカミ達は野生のそれであり、なにより勝手に付いて来るだけなのだが──とムーアが内心で自己弁護をする最中、アドミの目が伏せられる。
「──すべての愛情を注ぐかのように撫でてくれる手が嬉しくて、それがずっと続くと信じさせられて…ある日、突然、平然と捨てられる時の悲惨さ…私も
──嗚呼、なるほど。
克明に情景が思い浮かんだ訳ではない。しかしムーアの脳裏でアドミの過去に
良く知っている、とはつまり──そういうことだろう。
「あ……すみません。変な話を…」
「いや、構わない。キミは優しい子だな」
ムーアの右手がアドミの背中をポンポンと軽く叩いた。彼女とはそこまで親しいとは言えない。話を聞く限り、頭を撫でること、撫でられること──いわば、必要以上の踏み込んだ関係を築き上げる行為への忌避感を抱いていると察せられるアドミの頭を気軽に撫でられない。
「──この猫に自分と同じ想いを味わって欲しくなかったんだろう?」
「───」
沈黙は肯定、と彼は受け取ることにした。
見上げる
「…キミがどのような体験をしたのかは知らない。どのような経緯があったのかも。だが推測と想像は出来る。月並みな言葉だが……キミは優しい子だ。間違いなく」
もう一度、彼は彼女の背中を軽く跳ねるように扣くと腰を上げつつ軍帽を被った。
「…もう少し猫を見ていたいが…そろそろ地下射撃場へ行かなくては。
ムーアが問い掛けるとアドミは無言のまま小さく頷く。
「…だがまぁ…もう少し時間が経ってからでも良いだろう。1240…お巡りさんも昼飯の時間だからな」
再び頷く彼女の細い肩を彼の大きな手が優しく叩く。
あと10分か20分ほどは猶予があるだろう。それまでの時間をどう使うかは──彼女次第である。
威嚇されてしまう自分がいては猫も落ち着かないだろう。彼は踵を返し、その場を離れようとする。
「…ムーア少佐」
「…なにかな?」
声を掛けられ、肩越しに振り向いた彼の濃い茶色の瞳とアドミの石竹色の瞳が交錯する。しゃがみ込んだまま彼女は何を言うべきか、と言葉を探し──
「…またお話を聞いて下さいますか…?」
「──勿論、喜んで。俺は指揮官だからな」
──ややあって恐る恐る紡がれた要望に、彼は気負う様子もなく頷きを返した。
「──はっ!?」
「──なんですかアニス?」
「──指揮官様…またニケを誑してる!?」
「──ラピ。アニスは何を…?」
「──時々あるのよ」