ラーハルトが立ち上がろうとした時──
「ねえ」
不意に自分を呼ぶ声が聞こえた。
振り向くと少年がこちらを見ている。
見た所、12〜3歳くらいだろうか。
「お兄ちゃん、地上から来たんだろ?」
「いや……」
突然の問いに思わず口籠った。
しかしそれに構わず少年は話し始めた。
「僕、地上から来た人って分かっちゃうんだよね。なんか、雰囲気が違うっていうか」
「──地上に興味があるのか?」
「僕のお兄ちゃんも、地上に行ったんだよ。5年前に魔王軍に志願してさ」
「何……本当か?」
「うん。鬼岩城でコックみたいな事をやってたらしいんだけど、途中で逃げ出して、知り合った人間の女の人と一緒に暮らしてたんだってさ」
「でも、その事が人間にばれちゃってお兄ちゃん無理矢理別れさせられたんだよ。大きな男の人が家にいっぱい来て、お兄ちゃんをぶったんだって」
「……」
「村にはいられなくなって、魔王軍にも帰れないから友達とちょっと前に帰って来たんだよ。ルーラ?っていうのを使って」
「そうだったのか……」
ひとこと呟くと、ラーハルトは目を伏せ黙した。
一度話し出すと止まらないらしく、目の前の魔族の少年は途中途中で口籠りながらも早口で捲し立てた。
「でも、お兄ちゃんはその女の人の事が好きだから忘れられなくて、また地上に行こうとしてるんだ。また人間にいじめられるかもしれないけど、それでも良いんだって」
「お兄ちゃん地上に行く前と比べてすごく変わったんだよ。たまに怖いけど、なんか前より優しくなったっていうか……」
「村のみんなには内緒だけど、人間って本当はそんなに悪い生き物じゃないのかもしれないって最近思うんだ。お兄ちゃんをいじめる人間と好きな人間がいて……よくわかんないよ」
ラーハルトは
「人間だって……」
と言いかけて口をつぐんだ。
「本当だな。お前の言う事はもっともだ」
そう言ってラーハルトは少年に優しい視線を投げかけた。
「お前、お兄さんの事が好きなんだな」
「うん」
「地上にいようと魔界にいようと兄さんはずっとお前の兄さんだ。これからも仲良くな」
「うん」
「色々話を聞かせてくれてありがとう。──さあ子供はもう寝る時間だぞ。俺も寝ないとな」
「うん。じゃあね」
気がつくと少年の姿は消えていた。
ラーハルトは一つ大きく伸びをすると踵を返しゆっくり歩き出した。
先程の少年の話を胸の中で反芻していた。
自分の中の魔族の血を恨んだ事は一度や二度では済まない。
だから自分の親父とお袋がどうやって出会ったか……
そんな事はこれまで考えた事もなかった。
もし、この村で魔族と人間のハーフの子供が生まれたとしたら、その子供と親をこの村の人々は迫害するのだろうか。
きっと魔族の血が入っている事をこの村の人々は喜び、皆で大事に育てるのではないだろうか。
……いや、それは希望的観測すぎる。
あの子供だって「村のみんなには内緒」と言っていたではないか。
これだけ地上を目指す魔族が多いにも関わらず、人間界について話す事はやはりある種のタブーになっているのだろう。
ではあの子は兄のせいで他の子に虐められているのだろうか?
そんな事をぐるぐると考えながら歩いていると、いつの間にか自分の部屋の前にいた。
ドアを開けると、クロコダインが頭を抱えて部屋の隅の椅子にもたれ掛かっている。
「どうした?」
「どうやら飲み過ぎたらしい」
「調子に乗るからだぞ」
そう言ってラーハルトはテーブルに置いてあった水差しの水をコップに注いだ。
クロコダインが半開きの目でこちらを見て言った。
「ちょっとは眠れたのか?なんかお前、スッキリした顔してるぞ」
「気のせいだろう」
コップの水をぐっ、と飲み干すとラーハルトはぶっきらぼうに答えた。