そして翌日──
ランカークスの自宅に戻ったポップは鬱々とした気分でベッドに寝転んでいた。
さっきまでダイが部屋に居たのだが、ロン・ベルクの家にお土産を持って行くとかで今しがた出掛けて行ったところである。
結局、温泉街を荒らしていた男はあの後、待ち伏せしていた警官に取り押さえられ、あえなくお縄となったらしい。
ポップはがらんとした部屋の中、昨日の出来事を思い出しながら何度も溜め息をついた。
マァムと自分の関係は一体何なのだろうか──
自分がスケベな事は認めるが、それを差し引いたとしても、何年経っても一向に距離が縮まらない。
自分のマァムへの想いはいつも空回りし、結局は毎回ケンカになってしまう。
メルルの前で勇気を振り絞ったあの時から──
バーンパレスのあの日から──
どこか心が宙ぶらりんなまま、時間だけが過ぎてしまった。
「──やっぱり、おれとマァムじゃ釣り合わねえ、ってことなのかな」
そう呟くと、ポップはごろりと壁に向かって寝返りを打った。
その時、不意に階下からスティーヌの声が聞こえてきた。
「ポップ!お客さんよー!」
なぜか母親の声が妙に明るい。
いつもと微妙に違うテンションなのが気になる。
「──ああ、入ってもらってよ」
ゆっくり階段を登る足音が近づいてきた。
ポップは妙だな、と思った。
今日はダイの他に誰かと会う約束をした覚えはない。
ダイ以外に誰かと会いたいという気分でもなかった。
ポップが面倒くさそうに身体を起こそうとした時、背後でドアが開く音がした。
ポップが顔を向けると──
そこにいたのはマァムだった。
「えっ?お前……どうしたんだよ?」
ポップは声が裏返りそうになりながら慌ててベッドの端に座った。
部屋に入ってドアを閉めたマァムはポップを見つけると、黙って隣に座ってきた。
彼女はやや緊張した面持ちで下を向いている。
(──うわぁ……きっと……もう二度と私に近づかないで!とか言われるんだろうな──それとも……)
「昨日はごめんなさい」
心臓バクバクのポップに対し、マァムは予想外の言葉を呟いた。
「ダイから聞いたわ。私の悲鳴が聞こえたと思って慌てて駆け出したって──」
「ああ──結局、人違いだったけどな。信じてもらえないかも知れないけど、おれ──お前が無事だって分かって本当に──ホッとしたんだぜ」
「──でも本当にバカよね。何でリリルーラで行こうと思ったの?」
よく見るとマァムは少し笑いそうになるのを我慢して真剣な表情を作り続けている。
「わかんねえけど……何でだろうな」
ポップが頭を掻いた。
「ポップ──」
「ん?」
ついに来た──と思い、ポップは身体の芯と背中がチリチリと焦げるような感覚に襲われた。
必死に平静を装って返事をすると、マァムは真剣な表情で話し始めた。
「あんたがバカでスケベなのは知ってる。でも──教えてほしいの」
ポップが黙って頷いた。
「──私のこと、好きって言ってくれた気持ちは今でも信じていいの?」
不意を突かれたポップは慌てて答えた。
「と……!当然だろ」
「──本当に今でも変わらない──?」
「──変わらねえよ。……たまに自信がなくなる時もあるけど……」
「えっ?」
不意にマァムに聞き返され、しどろもどろになりながら答えた。
「いや……だから……おれみたいなヤツは嫌われてもしょうがないのかな、って思うこともある──」
しばしふたりの間に気まずい沈黙が流れる──
頭の中がぐるぐると回り、口の中が乾いていくのがわかった。
ポップはそれを振り払うように目に力を込めると、意を決したようにきっぱりと言った。
「でも──やっぱりお前のことが好きなんだ。何に誓ってもいい。これからも、ずっとそれだけは変わらねえよ」
「──じゃあ、約束して」
「……何だよ──」
「私のことが好きなら……私の前で他の女の子を追ったり見つめたりしないで──」
ポップはうっ……という顔をして口を噤んだ。
「私……あれから何も考えてなかったわけじゃないの。本当はずっと、どうすればいいのか、すっごく悩んでたのに──でもポップがそんな感じだと、なんか自分ばっかり悩んでバカみたいだな、って思っちゃって」
「……わりい……気付かなかった」
ふたりの間に再び沈黙が訪れた。
その永遠のように長い沈黙は、ポップにはまるで、ふたりをこっち側と向こう側に隔てている大河のように感じられた。
ポップはその沈黙を打ち破るようにマァムの肩を抱くと、顔をぐっと近づけた。
相変わらずマァムは下を向いていたが───
息がかかるくらいの距離にポップが近づいているのがマァムにもわかった。
肩を抱くポップの手が震えている。
マァムの耳の近くにポップの息がかかった瞬間、マァムは反射的にポップの頬を平手打ちした。
「……!!」
マァムの目に飛び込んでくる、びっくりしている様子のポップの顔。
彼女は自分が何をしたのかもよくわかっていない、という感じで呆然としていた。
「──ごめん……」
ポップが小さく呟いた。
彼の表情は少し怯えているように見えた。
マァムは我に返ったように目を瞬かせると、しっかりした声で言った。
「ポップ、ちょっと目瞑って」
「えっ……こうか──?」
ポップは全てが終わった、という気持ちで目を閉じた。
もうどうなろうと構わない──
どうせもう終わりなのだ。
不思議とポップの心の中は落ち着いていた。
ポップに目を瞑らせたは良いが、マァムはしばらくそわそわと落ち着かない様子だった。
実はここに来る前、マァムはカール王国でのパーティの時に、ポップとの関係についてレオナに相談していた──
マァムはこのままではいけないとは思っているが、恋愛の経験がないのでどうすればいいか分からない、と改めてレオナに伝えた。
レオナの答えを総合すると──
「あんたがポップに何もさせないのが悪い」
ということらしい。
ポップの想いを受け入れるか、受け入れられないかを決めるのは自分自身なのだから、マァム自身がそういう場面から逃げていては何も進まなくて当然だ、と。
マァムにとってそれはある程度の納得感があった。
しかし──とてもではないが
「そういう場面」
を自発的に作る事はとても自分には出来ない、と思った。
自分の気持ちを素直に伝えればいい、とレオナは言うのだが、どう伝えて良いのか、何を伝えるべきなのかすら、マァムにはわかりかねる状態なのだ。
それならば、彼の部屋を訪ねてしまえばいい──
それなら相手は自分の気持ちを話しやすいだろうし、その流れでマァムは好きなようにすればいい──
とレオナに言われ、これ以上は自分が決めなくてはいけない事なのだ──とマァムは悟ったのだった。
そして今。
ポップの部屋にいるマァムは背後のドアの様子をちらりと伺うと、意を決してベッドに座っているポップにゆっくり近づいた。
そして────
ずっと目を瞑らされ少しじりじりし始めていたポップは、不意に柔らかく、温かいものが頬に触れるのを感じた。
(えっ……?)
思わず目を開けてしまったポップがマァムを見た。
彼女は顔を赤くしてそっぽを向いている。
「えっ……今」
ポップがそう言いかけると、マァムがそれを遮るように言った。
「私……もう帰る。またね」
パタンとドアを閉めると、階段をトントンと降りる音が聞こえた。
ベッドに座って頭を垂れるとポップは今起きた事を思い返した。
(えっ……おれ今マァムにキスされたのか……?ビンタされたのに……?よく分かんねえ──)
しかし、あれは確かに唇の感覚だった……
マァムの吐息も少し感じた気がする。
そう思うと、ポップは心の底から叫び出したいような気持ちになった。
部屋の窓を開けて外を見るが、もうマァムの姿は見えない。
(おれ……生きてて良かった……かも──)
言葉にならない嬉しさがポップの全身を駆け巡っていた。
その時、再び階下から足音が近づいてくるのが聞こえてきた。
ドアが開くと、ダイが嬉しそうに話し始めた。
「ポップ!ロンとノヴァ、お土産喜んでくれてたよ!でも、こっちの地酒の方は僕が預かります──とかノヴァが言うもんだからロンが怒っちゃってさぁ──」
ダイは窓から外を眺めながらポーッとしているポップの様子に気付くと、不思議そうに言った。
「ポップ、何かいいことあったの?」
「なんか──顔がつやつやしてない?」
数時間後──ベンガーナ。
大通りに面したカフェのテラスでマァムとレオナがお茶をしている。
「えっ!それじゃ──ポップにビンタした後、目を瞑らせたままキスだけして帰ってきたの!?」
通りを歩く中年男性がチラッとこちらを見た。
(──ちょっと声が大きいわよ!)
マァムがしーっ、と口の前で人差し指を立てる。
「まぁ……マァムにしては上出来か……」
少し声を落とすと、レオナは華奢な手を形の良い顎に添えて呟いた。
「私には……それが限界だった……」
マァムががっくりと頭を垂れる。
「でも……ポップに見えないんじゃ、本当にキスしなくても一緒じゃない? 唇である必要すらないかもしれないわよ?」
「あっ……!」
「マァム真面目よね──ポップだったら目を瞑ってたら足の指とかでも気がつかないかもしれないわよ?キスとかしたことなさそうだし……」
「さすがにそれは気付くんじゃない?」
マァムは足の指でキスをされてうっとりしているポップの姿を想像して吹き出した。
「──でもポップ、多分今ごろ夢見心地よ」
「そうかな」
「間違いないでしょ」
「──次は目を開けないとね」
レオナが目を細めて冷やかすように言うと、マァムは少し恥ずかしそうに頷いた。
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