たいへんお待たせしました。
「楽しかったねえ!もう遅くなっちゃった…」
「うん。俺も、楽しかったぞ」
寝床に入ったユキセは、シスイを見上げてため息を漏らした。
夜はもう、深まっていた。
シスイは食事の後、まだまだ彼と話したがったユキセに付き合って彼女と祖母の家に留まっていた。
風呂を済ませた後にユキセを寝床に入れ、彼女の傍らで胡座をかきながら、ユキセの話に付き合っていた。
アカデミーの授業は少し退屈だが、友達と遊ぶのは楽しいこと。
この前、一族のせんべい屋夫婦を手伝ったら、お礼にどっさりせんべいを貰ったこと。
幼馴染達の母・ミコトにおさがりの着物を渡されたこと。
修業で少し上達したこと…。
ユキセの口からこぼれる近況の数々に、シスイはわらい、相槌を打っていた。
少し眠たそうな眼をしながら出たユキセの言葉を聞くと、彼女の興奮で紅くなった頬をつつき、笑顔のままシスイはいとこの頭をわしわしとかき回した。
ああっ、とユキセは不満げな声を出す。
「もうっせっかく整えたのにっ」
ユキセはぱっと上半身を起こし、枕元におかれた櫛に手を伸ばした。
就寝前に背の中ほどまで伸びた髪をきれいにとかすのが習慣だった。
ーーーとかさないで放置すると、寝ている間に緩くうねる癖っ毛が絡まるのだ。
この髪に苦戦してきたユキセにとって、幼馴染のきょうだいの、兄の癖のない髪の毛が羨ましくて仕方がなかった。
櫛を持ち、髪を梳かそうとしたら、横から伸びてきた手がユキセの腕を掴んだ。
ユキセが目線を上げると、シスイはそっと櫛を取り上げて、ユキセの背後に回り、座り直す。
「俺がやってやるぞ」
「え!?いいよお」
「やらせて欲しいんだ。嫌かあ?」
ユキセは慌てたが、シスイの心なしか眉の下がった表情を見て、うっと詰まる。
「…じゃあ、お願いします」
顔を正面に戻し、肩の力を抜く。
すると、いつも自分でするのとは異なる力加減で櫛が髪を通りはじめた。
シスイの手つきは壊れ物を触るように、とまでは行かないが、常のユキセの手入れよりは格段に丁寧なものだった。
沈黙が、ふたりを包む。
だが、ユキセはこの沈黙は嫌いではなかった。
そっと、眼を閉じてみる。
視界は黒く染まり、シスイの手の動きが、より強く意識された。
「…ユキセ」
「なあに?」
シスイはユキセの髪の毛から櫛を抜き去ると、ユキセのからだを自分にもたれかけさせた。
自然に、ユキセはシスイに背後からゆるく拘束されている状態になる。
「シスイ兄さん?」
「………なあ、覚えてるか?昔、四人で紅葉狩りに行っただろう?」
「え?うん。兄さんとイタチさんのお気に入りの場所に、わたしとサスケが初めて行ったときでしょう?」
ユキセはシスイにからだを預け、思い出す。
そこは、シスイとイタチの気に入りの場所だったらしい。
滝から聞こえる水の音と相まって、鮮やかな紅葉は、ユキセにとっては宝石よりもうつくしいものに見えた。
地面を敷き詰める紅葉のじゅうたんは、ユキセのこころを騒がせた。
「きれいだったよね。あの時見た紅葉ぐらい、きれいなものは無かった」
その後、シスイもイタチも任務が多忙になり、四人で遊ぶ機会は減っていったのだ。
「ああ」
シスイは頷き、ユキセの頭に頬をそっとつけた。
あたたかさが、じわりと伝わる。
「あの時な…俺は眩暈がするくらい幸せで…逆に怖くなったんだ」
「…どうして?」
「幸せすぎたから。だからかな…この幸せはどこまで続くんだろうって思ったんだ」
ユキセには―――幼いユキセには、シスイのこころの内を読み取ることは出来なかった。
だがこの年上の、頼りになるいとこがいつになく悩み、苦しんでいるのは朧気ながらに察した。
少し考え、ユキセは、そっとからだの向きを変えると頬をぎゅっとシスイの胸に押し付けた。
「…わたし、今も幸せだよ」
「………」
「おかあさんとおとうさんはもういないけど。…おばあちゃんがいて、兄さんがいて、イタチさんやサスケがいるもの。それにーーーそれに、わたしは一族のみんなが大好きよ」
「………」
「だから…」
そんなに悲しそうな顔をしないで。
ユキセの口からこぼれた言葉に、シスイのすべての動作が止まった。
****
シスイは、この年下のいとこの前では、自制心が簡単に崩れ去ってしまうことにようやく気が付いた。
ユキセはもともと物事をよく見ている子だが、自身の揺らぎをも悟られてしまったことに密かに驚く。
だが、事情は分からぬだろうに、自分を元気づけようと必死に紡がれたユキセの言葉はあたたかいものだった。
幸せなのだと言ったユキセ。
一族が大好きなのだと言ったユキセ。
それは、何の含みも、打算もない純粋な言葉だった。
そしてそれは、里と一族の間で奔走していたシスイにとっては、救いに近い言葉だった。
(俺たちは、この幸せを壊してはならない―――)
ユキセの言う幸せとは、凡庸で、ごくありふれたものなのかもしれない。
それでも、うちはが長年抱えてきた業の犠牲になる。
そのようなことが許されるはずがなかった。
里を、一族を、家族を守りたい。
シスイの中には、この願いしかなかった。
(…やはり、『あれ』を使うしかない)
かつて、里のために尽くしたうちはカガミのように。
自分と思いを同じくしている親友のために。
己がやらなければならないことを、果たす。
シスイは、胸の内に生まれた決意を静かに再認識した。
****
ユキセは、黙り込んでしまったシスイを見る。
そして、シスイの閉じられていた目がひらかれた時、ユキセは、彼の眼にやどる『何か』を垣間見た。
それが何なのかはユキセには分からなかったが、数分前の彼に比べて、今のシスイからは何かが吹っ切れたようであった。
(もう、大丈夫なのかな)
ユキセがひそかに安心した時、口からふわあっとあくびが出る。
いつもの就寝時間からはやや遅い時間になっていた。
それを、いとこが見逃すはずもなかった。
「おまえはもう寝なきゃな」
「うん…」
そう言われた途端に眠くなるから不思議だった。
ユキセは目をこすりながら、背に添えられた手に従って大人しく寝床に入る。
まぶたが、重い。
明かりを落としに行ったシスイが枕元に戻ったのを目で追い、ユキセは布団から手を抜き、シスイの膝に置かれた手を握った。
こちらに視線が注がれたのをユキセは感じたが、シスイは振り払ったりせずに黙って手をつなぎ直してくれた。
仲の良いふたりが肌の触れ合うような距離で接するのは珍しいことではなかった。
「シスイ兄さん」
「なんだ?」
「あのね、眠るまで、ここに居てくれる…?」
閉じようとするまぶたを無理やりひらき、ユキセはねだる。
「…もちろん。おまえが寝るまで、側についてるよ」
声量の落とされたシスイのやさしい言葉に、ユキセはにっこりわらった。
「ありがと。…あのね…またイタチさんたちと一緒に遊びに行きたいね。そしたら―――四人でまたかくれんぼとかして、帰りは兄さんにおぶってもらうの。それからおばあちゃんのお夕飯を食べて―――」
段々と、ユキセは眠りに落ちていった。
やがてその黒々とした、未だ瞳力のやどらない瞳はまぶたに隠され、癖のある髪の毛が額に影を落としていた。
シスイはじっと、いとこの寝顔を見つめた。
ユキセによく似たその顔には、大切な家族への、言葉には言い表せない深いいとしみが浮かんでいた。
ユキセを起こさぬよう慎重に手を外したシスイは、静かに立ち上がり、僅かに灯っていた明かりをすべて落とす。
部屋には、月明かりのみが差しこむ。
足音を立てずに襖をあけ、廊下へ出ようとしたシスイは、最後に振り返る。
「…おやすみ、ユキセ」
どこまでもやさしい声だけが最後に残った。
―――ユキセがまだ、今日から明日へ、その次の日へ、幸せであたたかな日々が続いていくものだと―――何の疑いもなく過ごせた、最後の夜の出来事であった。
********
………墜ちていく。
光が閉ざされ、闇の中に包まれている『彼』は視覚ではなく、どこか超越した感覚で実感していた。
しかし、不思議と『彼』は穏やかな心地だった。
戦場に身を置いてきた『彼』にとって、死はどこかこころの片隅に潜むものであったし、身を投じる前に、会うべきひとに会い、渡さなければならない物も渡すことができた。
………墜ちていく。
ただ、心残りがあるとすればーーー
そのとき『彼』は闇の中に浮かぶ、仄かな光を感じた。
それは緩やかに、だが確実に広がり、『彼』をやわらかく包んでゆく。
ーーーおまえが来てくれたのか。
『彼』は微かにわらい、右手を光の中心に伸ばす。
光は、『彼』に応えるようにやさしく瞬いた。
ーーー…?ああ。そうだな…
ーーーこんな人生だったけれど。
ーーーそれでも…不幸では、なかったさ…
『彼』の手に、あたたかさが伝わる。
『彼』のからだを、光が、あたたかさが覆ってゆくーーー。
あとがき
新作ゲームPVで、シスイの「家族ってのはいいものだなあ」というセリフを聞いて思いついたお話でした。面倒見の良いお兄さんなシスイさんを書きたかった。
『前夜』はクーデターのことを何も知らないひとりの女の子の目線と、事情を知るシスイの目線を交互にして語られたお話になりました。
シスイ事件を発端に、うちは一族は崩壊していく。
このお話では、最後の平穏な夜を描きました。
最後の『彼』のもとへ誰が来たのかは読み手の読み方次第ということで。
作中の紅葉狩りの場所は、アニナルでシスイとイタチが語っていた滝の近くの場所をイメージしています。
紅葉狩りのエピソードやうちはカガミに焦点を置いた話も書いてみたいですね。