飴を食べる
一人になった狼牙はフシみんとの模擬戦を思い出しながら稽古を行う。
「
彼の渾身の正拳突きを逸らしたフシみんの奥義。僅かな力で大きな力の流れを変える受けの技。
狼牙は一度だけしかその技を受けていないが、その本質を理解していた。同時に再現の仕方にもある程度見当がついている。
とはいえ技の性質上、一人では技の稽古が難しいため、少し困っていた。
バチバチッ!
その時、けたたましい音と共に校舎の灯りが消えた。辺りは少し薄暗くなっていたため、光度の変化にすぐ気づく狼牙。停電だろうか。
彼はひとまず音がした方に向かう。校舎の角を一つ曲がると、異音の原因を視界に捉える事ができた。
そこには学校の高圧受電装置の蓋を開き、配線を引きずり出している
「な、なにしてんだよ…」
狼牙の至極真っ当な疑問。それに対して雷夢は目線を合わせずに答える。
「稽古」
「…いや、何の?」
「見て分からないか? 電気を操る稽古。自家発電出来ないからこうするしかない。…もう6000Vでやる意味は無いな」
雷夢は手にしている配線を元に戻し、配電盤の蓋を閉める。
「一応、お前のせいで停電したんだが」
「それがどうした、私には関係ない。それよりこの前の続きだ」
雷夢は校舎の壁に触れ、体に蓄積された電気を逃がす。放電しても、なお逆立っている髪を乱暴に押さえつけ、正拳突きの構えを取った。
狼牙は一切悪びれない雷夢に何ともいえない視線を向けながら、彼女の隣で構えを取る。
示し合わせたわけでもないのに、二人は同じタイミングで突いた。異能者の並外れた身体能力から繰り出される正確無比な突きは音を置き去りにし、辺りに衝撃波をまき散らす。
とはいえ、雷夢側の衝撃波の方が弱く、彼女の側に風が吹き込む。
「今のは良かった。ほとんど完璧だ」
「ただのまぐれだ。今の感覚を忘れない内に繰り返す」
それからも狼牙と雷夢は二人きりで稽古を続ける。言葉は最小限に、衝撃波の音だけが辺りに響く。夕焼けが沈み、停電から復旧した校舎の灯りだけが視界の頼りになる頃、ようやく二人は稽古を終えた。
二人は流した汗の分だけ水分と電解質を補給する。その後、全身の汗を拭こうとしたが、狼牙はショッピングモールからの帰って来たばかりのため、タオルを用意していなかった。
汗だくのまま寮に帰らなければいけないのかと、顔を顰める狼牙。そんな彼を見た雷夢は鞄からタオルを取り出し、彼へ目掛けて無言で放る。
「…使って良いのか?」
「一つ余分に紛れていた」
「……使って良いんだな」
狼牙は受け取ったタオルで全身を拭った。そして、彼は汗を吸収して役目を終えたタオルを手に、どうしたものかと立ち尽くす。
「これ…」
「返すな。やる」
返事を受けて、狼牙は首にタオルを掛ける。
その時、狼牙は忘れていた事を思い出した。
「……あ、そうだ。最後に一つ付き合ってくれ」
「なんだ」
「俺に正拳突きを放ってくれれば良い」
「分かった」
フシみんから盗んだ“
雷夢の正拳突きはまだ完璧でないとはいえ、その破壊力は折り紙付き。その射線上に立つ狼牙は無意識に息を呑む。
直後繰り出される命中必死の正拳突き。狼牙の
「……はっ…はぁっ…」
瞳は収縮、血管は膨張。自律神経を乱れに乱された狼牙は、たった数秒にも関わらず、ひどく消耗していた。
「何の技を試そうとしたのかは知らないが、止めておけ。お前には向いてない」
「……っ」
雷夢の忠告に、納得できない表情を浮かべる狼牙。そんな彼の態度を雷夢は妙に思った。それをきっかけに、彼女は少し前から疑問に思っていたことを彼にぶつける。
「お前は戦うには向いていない性格だ。なのにどうしてこんな学園に来た?」
「…な、何だと?」
「さっきの回避行動。技を出さないにしても、もっとギリギリで避けるべきだ。そうすればカウンターのチャンスも生まれる。だが、お前は臆病だからそれが出来ない」
「っ、お、俺は臆病じゃない!!」
“臆病”という言葉に反応して声を荒げる狼牙。
「入学早々、
「……」
雷夢は同調するでもなく、反論するでもない。ただ少しだけ困った顔を浮べる。“こういう時どうすれば良いのだろう”……そんな顔を。
「…な、何だよ…何か、言えよ…」
そんな雷夢の様子を見て、さっきまでの勢いを失う狼牙。彼の言葉にも彼女は無言のまま。
そのまま数十秒ほど無言の時間が続く。先に口火を切ったのは狼牙の方だった。
「…お、お前は避けられんのかよ、俺の正拳突きを、ギリギリで」
「来るのが分かっていれば」
「…やってみせろ」
先ほどとは反対に狼牙が構え、その前に雷夢が立つ。
「お前、片目だから距離感つかめないんじゃないのか? なのに…」
「それはもう解決した。早くしろ」
あくまで余裕そうな雷夢に、狼牙は強く口を結ぶ。そして渾身の正拳突きを繰り出した。
先ほどの雷夢の正拳よりはるかに強力な一撃。手加減されていたとはいえ、雷夢自身もその身に味わい、十分知っているであろう致命の打撃。
彼女はそれを紙一重で避ける。同時に狼牙の腕にクロスさせるように腕を繰り出し、彼の顔面を掴んだ。
その瞬間、雷夢から殺気…と呼ぶにはあまりにも粘着質すぎるドス黒い気が漏れた。狼牙はそれを認識するより先に、無意識に雷夢を突き飛ばして距離を取る。
数拍遅れて、大量の冷や汗と鳥肌が彼の皮膚に浮かんだ。
「私程度の圧に押されるぐらいだ。やはりお前は戦いには向いてない」
「っ…るせぇ! ほっとけ! 俺は強くならなきゃいけねぇんだよ!! 何にも負けないよう強く…!」
狼牙の歯が
彼がそこまでして強くなろうとする理由は何なのだろうか。雷夢はそのことが気になったが、深くは聞かない。代わりに助言を残す。
「……私も昔は臆病者だった。
あいつの腹をアイロンで焼くためなら。あいつを実家のプレハブ冷蔵庫に閉じ込めるためなら。あいつの皮を剥ぐためなら。あいつの肌を薬で焦がすためなら。私は死んでも構わない。私が死んでそうなるなら焼死でも溺死でも何でもやってやるぅぅぅぅぅ……ッ!」
雷夢はしゃべっている内に興奮が抑えられなくなる。顔に手を当てて、何度か深呼吸をして無理やり落ち着いた。
「……理由を見つけろ。自分の命を懸けても惜しくない理由を。できないなら死ぬ前にここを去れ」
雷夢はそれだけ言い、その場を去る。残された狼牙は彼女の背中を見送った後、全身に込めていた力を抜いてうなだれた。
「…今の理由じゃ、足りねぇってことか?」
呟きの直後、狼牙は近くに生えていた木を殴り、へし折る。
「…ふざけんな、ざけんなざけんなッ! 今の理由で足りないって事があるかよ!? 親父は…親父はそんなに軽い存在じゃあ…!」
狼牙の叫びは薄暗い夜の闇に吸いこまれる。
校舎の灯りは彼の背中を照らすが、代わりに反対側には長く濃い影が差していた。