保健室を後にした
そんな彼が職員室の前に通りかかる時、突然扉が開く。出てきたのは
「あら、狼牙様。奇遇ですわね」
「柄鎖…」
「何でしょうか、その幽霊でも見たような表情は。流石に失礼でなくって?」
狼牙がそんな表情をしたのもしょうがないだろう。柄鎖が一年後に死ぬと、黒子に聞かされてから初めての遭遇なのだから。
「……少し話良いか?」
「そうですわね…。今は職員室の模様替えを手伝っている所ですので、狼牙様もご一緒にいかが? その間に話ができるかと」
そう言う柄鎖は左手で台車を引きながら、右肩に事務机を背負っていた。
「…生徒が手伝う必要あるのか?」
「ありませんけれど。まぁ、頼まれてしまったので」
「舐められてるんじゃないのか?」
「あら、そんな素振りを見せれば私のセンサーが即座に反応しますわよ。私、侮られるのは大層嫌いですので」
そんなことを話しながら、狼牙は柄鎖から台車を受け取った。二人は通行人の邪魔にならないよう、狼牙を先頭に縦陣で歩く。
「そういえば、黒子様とのお話はどうなりましたか? 手術は引き受けて頂けたので?」
「……俺の方から断った」
柄鎖は意外そうに目を丸くする。
「手術してもらえなければ将来死ぬのですよ? 断わられるならともかく、貴方のほうから断るとは……いったい何を要求されたので?」
「俺の知っている奥義を全て差し出せと言ってきた」
「……えぇと…。それだけでしょうか?」
「あぁ」
「全然無茶な要求では無いと思いますが。私の想像通りですし」
「やっぱり予想してやがったか」
「でなければあんな発言は致しませんわ。
それで、いったいどうして断ったのですか? 私に義理立てする必要はないとおっしゃいましたが」
「義理立てするかどうかは俺が決める事だ」
「まぁ、そうではありますが…」
「それに、断ったのはその理由だけじゃない。…ムカつくんだよ、あいつと話してると」
「黒子様がですか? 確かに、彼女は人の神経を逆なでする発言する節がありますわね」
「それもそうだが…それだけじゃないんだよ。初めて会った時からそうだった。何か無性に気に入らない、あいつの存在が」
「ふむ…嫌いな理由が言語化できないというのは良くある話ですが。とはいえ、そのような場合の理由は大抵一つ。――同族嫌悪」
「同族…って、アイツと俺のどこが似てるんだよ?」
「さて。黒子様とは深い交流もありませんし、具体的にどこが似ているかまでは申せません。私は経験に基づく主観を述べたまでですわ」
そうこう話している内に、二人は空き教室までたどり着いた。柄鎖は担いでいた机を降ろし、狼牙は台車に乗っていた小物をその机の上に置く。
「なんにせよ、貴方は嫌悪感と私や雷夢様への義理立てのために手術を受ける事を拒んだ。馬鹿な真似をしましたわね。死ぬのが怖くないのですか?」
「それはこっちの台詞だろうが」
「? それはいったいどういう…」
「お前、一年後に死ぬんだってな」
「あぁ、その事ですか。どこで聞きまして?」
「黒子から」
「まったく、お喋りですわね」
狼牙は柄鎖に目の前まで歩いていき、至近距離から彼女を見上げる。その目つきはいつもの2倍増しで鋭かった。
「さっきの言葉をそのまま返してやる。死ぬのが怖くないのか?」
「怖くありません」
あっけらかんと答える柄鎖に、一瞬言葉に詰まる狼牙。
「…な、何で…」
「理由を聞かれましても…。感情に理屈をつけるのは非常に難しいことです。お化けを怖がる人と怖がらない人がいるように、死を恐れる人と恐れない人に分かれてもおかしくないでしょう。そういう理解をしてくださいませ」
「……っ、にしてもだ! お前が死ぬのは不治の病とか寿命とか、どうしようもない理由じゃないだろ!? なんだってお前が生贄になって封印を続ける必要がある!?」
「私しか生贄の役目を果たせないからです。昔から生贄の役目は上戸鎖の一族から選ばれるものでしてよ。素能を無効化する素能は上戸鎖家の血筋からしか生まれませんので。今代は私しかその力を持って生まれませんでした。まぁ、外れを引いてしまいましたわね」
「外れ、って…なんでそんなに開き直れる…。怖くないとしても、死なないに越したことはないだろ…?」
「それはまぁ、そうですが。しかし、私は我儘を言える立場では無いのです。幼い頃から特権階級として権利を行使してきました。そのくせに義務を放棄するのは道理が通らないでしょう?
私が死なねば世界の秩序が乱れに乱れる。であれば、私は役目を果たしましょう」
「……」
初志貫徹、表情を崩さない柄鎖に狼牙は数歩後ずさり、後ろを向いてしゃがみ込む。
「私が死なねば狼牙様とて危ないかもしれませんのよ。封印されている方は大層強くて暴れていたそうですし」
「……」
柄鎖は何も喋らない狼牙に近寄り、頭の上に手を置く。
「どうせ一年後に私は死ぬのです。黒子様と手術の取引を行うのはその後にしたらいかがでしょうか。雷夢様は奥義の流出など気にされないでしょうし、私からOKサインを出すことは出来ませんが、死んだ後であれば義理立てをする必要も…」
「黙れ!!」
柄鎖の手を跳ねのけ、眼前に指を突き付ける狼牙。
「その件は俺が決める事だ!! これ以上ガタガタ喋るんじゃねぇ!! あーだのこーだのうるさいんだよ!! ひっ、人の気持ちも考えねぇで……クソッッ!!!」
狼牙は窓を乱暴に開き、校舎から飛び降りる。そのままグラウンドを疾走して学園を出て行ってしまった。
その背中を窓から眺めていた柄鎖は懐から扇子を取り出し、口を覆う。
「…存外に、好かれたものですわね」
意外そうに呟く柄鎖。扇子の下の口は笑っていた。
♢
狼牙は気づけば寮の自分の部屋にいた。どう帰ってきたのかは彼自身あまり覚えていない。今日は色々とありすぎたらしい。彼はベッドに突っ伏し休息を取っていた。
顔だけを横に向けた彼の視線の先には、父親の遺影が。写真と目が合った彼は、すぐに顔をそむけた。
しばらくそのままの体勢でいたが、ふと飛び起きる。父親の遺影を壁の方に向け、それから再びベッドへ。数分後、彼は眠りに落ちた。
♢
木、木、木。そこはまさに森。
樹齢2千年はあろうかという巨木の前で、二人の人間が稽古に励んでいた。
「997…、998…、999…、1000!」
一人は中学生の頃の狼牙。彼は空に向かって拳を何度も突き出す。
「……良し。正拳突きも完璧にモノにしたな」
もう一人は壮年の男性。狼牙の父親はやや不健康な肌を携え、狼牙の横で腕を組んでいた。
「これで、俺が教えられることは一つを除いて無くなった」
「本当か?」
「あぁ。ここまでよく頑張った」
父親は狼牙の頭に手を置き、乱暴に髪を掻きむしる。それは不器用な彼にとって最大限の愛情表現であり、狼牙もそれを素直に受け取っていた。
「稽古も今日で最後だな。最後の心得をお前に教えて終わりだ」
「それさえ学べば来月から異能学園に通って良いんだな?」
「あぁ、思う存分最強を証明してこい。
狼牙は拳を握りこみ、喜びに体を打ち震わせる。
「親父! 早く最後の稽古を付けてくれよ!」
「……あぁ」
父親はしばらく時間をかけてから腕を解き、ゆっくりと狼牙の方に近寄る。
「…親父?」
直後、狼牙の腹に拳がめり込む。
「ガ…ッ!? ゲホッ!? ゲホ…ッ!?」
突如として父親に殴られた狼牙は咳き込みながら、膝を地に付ける。
そんな彼への追撃は上段からの振り下ろし。こめかみを正確に捉えたその一撃は、彼を地面にたたきつけ、容易に平衡感覚を奪った。
まったく事態を掴めていない狼牙は四つん這いの体勢でなんとか父親を見上げる。
「お、親父…?」
「何を呆けている。敵は待ってくれんぞ」
太ももへの蹴り。手加減の無い一撃は彼の毛細血管を潰し、大きな痣を作った。
そこまでされて狼牙はようやく防御行動を取る。地面を転がるようにして父親から距離を取り、巨木へと背中を預けた。
実践訓練というにはあまりに容赦のない攻撃。今までの稽古では寸止めか、当てるにしても急所を外していた。しかし、先ほどの攻撃は
――まさか、本当に?
殺されるかもしれないという疑念を抱いた瞬間、狼牙の大脳辺縁系が活発化し、恐怖を全身に伝える。涙腺は緩み、脚は震え、歯がカチカチと打ち鳴る。
無様を晒す狼牙を気にする事も無く父親は間合いを詰める。正確無比な型から繰り出される正拳突き。狼牙は太ももを蹴られた側の膝を折り、ギリギリで躱す。
壊すべき対象を見失った拳は後ろの100mはあろうかという巨木を叩き、強大な質量を揺るがした。
当たれば死んでいた。
狼牙は確信する。父親が自分を殺そうとしている事を。
理由は分からない。けれども、対応しなければ確実に死ぬ。
その瞬間、彼の脳は防衛本能を発揮し、神経細胞を活発化。普段の数倍の周波数で電気パルスを発し、その結果彼の思考力が底上げされる。加えて、先ほどまで恐怖で制御を離れていた体が驚くほど従順に。
逃走? いや、太もものダメージのせいで現実的ではない。
迎撃? いや、先にダメージを受けすぎた。勝算が低い。
父親を突き飛ばし、思考の時間を作る。
攻勢? …そう、こちら打って出る。それも一瞬の切れ味が肝要。一瞬の隙を突いて……殺す。
死なないために――殺す。
父親の正拳突きのせいで巨木が揺れた。その結果として、樹上から虫やら葉っぱやらが降り注ぐ。葉っぱ、その一枚が父親の右目を塞いだ。
それを予期していた狼牙は父親の右側に踏み込む。葉が視界を塞いだのは一瞬。さりとて、それで充分。
相対する敵を一瞬とはいえ見失った父親は、狼牙の初撃に対応が遅れる。彼は下からの突き上げで父親の顎を跳ね上げた。
そうして作った隙に彼は構える。先ほどの父親の一撃と同じ正拳突きの型。
決着。
立っているのは狼牙。数百m吹き飛ばされ、伏しているのは父親。
それを境に狼牙の集中が切れる。窮地から脱し、我に返った彼は体を震わせていた。肋骨を折り、内臓を潰した感触に。
「ち、違う…。ここまでする必要は…」
興奮が冷めた彼の脳は今までの痛みを思い出し始めるが、意にも介さず歩き始める。
「そんな…そんなつもりじゃ…」
向かわねばならない。しかし、行きたくない。状況と心の不一致が彼の脚を遅らせていた。
数分かけて彼がたどり着いた先には遺体が一つ。すでに事切れていた。
遺体の側には血で書かれた文字が。
“死に
「……うぅ……ぅぅぅぅぉぉぉおおおあああああああああああッッッ!!!!」
彼は父親を抱いて叫ぶ。
死の恐怖に負けて親を殺してしまった自分に。親の最後の言葉すら聞けなかった自分に絶望しながら。
♢
ブーッ! ブーッ! ブーッ!
スマホの着信音で狼牙は目覚めた。彼はベッドに寝そべったまま手探りで画面を触り、通話を繋ぐ。
「…もしもし」
「……」
「…? もしもし?」
「
「……誰だ?」
狼牙はスマホの画面を見るが、黒背景に非通知という白文字が浮かぶだけ。
「決闘を吹っ掛けても初めは断られるだろう。その時、お前はこう言え。“黒葛原は寒門からの決闘を断る臆病者か”…とな」
「何を…」
「そうして起こった決闘でお前が勝つ。それがお前の道理を通す唯一の道だ。メモはとったか? 必要があれば繰り返す」
「内容は分かった。…それとお前は誰だ? 保険医の知り合いか?」
「詮索はするな。非通知でかけている理由を良く考えろ。声だってボイスチェンジャーを通している。今、お前に掛けているスマホも廃棄する予定だ」
「使い捨てとは気前が良い」
「無駄話は無しだ。切るぞ」
ブツ
通話の切れたスマホを前に狼牙は頭を抱えた。
「……つい分かったって言ったが、決闘吹っ掛けて煽ってどうにかなる問題なのかよ…。アイツからしたら受けるメリットが無いだろ…。直情的な性格でもなかったし…。
……いや、結局やるしか無いのか。俺には」
唯一見えた突破口。狼牙はそれに賭ける他無かった。