時系列は黒子とロウガの取引が破綻した後。彼女は寮に戻り、自分の部屋でパソコンの前に向かっていた。
彼女は名門黒葛原。学園に許可を取り、寮の一部を改造している。広く快適な部屋の中でモニターに映る報告書を眺めていた。
「…またいざこざを起こしたのか。まったく血の気の多い…。今は内輪もめをしている場合ではないだろうに…」
苛つきからか、黒子の目つきが鋭くなった。
黒葛原家とひとくくりにされるが、実際には大きく分けて二つの家が存在する。
“黒葛原”と“
二つの家は同盟関係によって確固たる地位を確立した。その規模たるや、二大巨頭といっても差し支えない程。
しかし、時間が経てば関係性も変わる。群雄割拠の時代が終わり、秩序が安定してきた頃、異能者の医療を行える黒葛原はその株を大きく上げた。一方剣先は平和の中でその勢いを失う事となる。優勢になったと判断した当時の黒葛原家当主は一強となるべく剣先家を潰しにかかった。
その結果起こった抗争によって黒葛原は剣先を取り込むことに成功したが、剣先はもともと荒事を得意とする家。勝てぬまでも必死の抵抗により、両家の戦力は大きく削られた。
その間隙をついて、浮上したのが上戸鎖家と雷家だったりするのだが、今は関係の無い話なので省略する。
なんにせよまとめると、剣先を取り込んだ歴史のある黒葛原は、何かにつけて内輪もめが絶えない名家であるのだ。
内輪もめの対処に1時間ほどかけた黒子は、他の書類にも目を通す。
「どうしてこいつの報告書はこんなに読みづらいんだ…? 剣先の一派だからか…? 私への当てつけか…? 中学生でももっとましな報告書を書く……!」
半分正解。加えて、先の抗争で優れた幹部や一門が多く亡くなったため、全体的な人材の質が下がっているのも理由だ。
黒子は小学生のクラスを受け持った担任の気分を味わいながら、長い時間をかけて報告書を読んでいく。それが終われば、各部門への指示だ。報告書の内容を頭の中で統合して最善と思われる施策を伝達する。
とはいえ、内輪もめをするような家だ。内部の情報伝達ネットワークが整備されているはずもない。そこでもたっぷりと時間をかけて仕事を終わらせる。
そうこうしている内に時計の針は10時を指していた。モニターの灯りに照らされる黒子の表情は、いつもと変わらないアルカイックスマイル。しかし、内に秘めた何かがいつ爆発してもおかしくない印象を受ける。
家の仕事を全て終わらせた黒子はマウスを操作し、ビデオチャットアプリを起動する。連絡先は“
「もしもし。どったの? こんな夜に」
パソコンのモニターに一人の女性が映し出される。
彼女は白い髪を短く切りそろえており、中世的な顔つきも相まってボーイッシュな印象を受ける。
「悪いね、遅くに連絡して」
「別に、私たちの仲でしょ。……また、ストレス溜めてきた?」
「…どうだろう。勝手に涙が出たり、しゃっくりが止まらなかったり、熱くも無いのにやたら汗をかいたりすることは無いから、多分大丈夫だとは思うけど」
「いや、そんな症状が出たらそうとう手遅れだよ……。はぁ、クロは真面目だねぇ。当主の仕事なんて適当にやってればよいのに。どうせ報告書にも全部目を通してるんでしょ」
「何か見落としがあってはいけないだろう」
「見落とさせる報告側が悪いって。見にくい報告書は多分ウチの部下の報告書だろうし、ちゃんと教育しておくから。…まぁ、改善の時間すら取れないのが現状だけどね。
とはいえ、黒子もそのままじゃいつか倒れちゃうよ。手を抜くことを覚えたら?」
「そんなことはないさ。これぐらいの仕事はツルもこなしているだろう。剣先家の当主として」
「まぁそれはそうだけどさ。クロは学校生活もあるし、医者になる勉強もやってるでしょ? 自由時間なんてほとんどないんじゃない?」
「それがどうかしたのか?」
「いや、そういう仕事とかのストレスは自由時間に好きな事して憂さ晴らしするもんなの。その時間が無いと溜まっていく一方でしょ」
「そうか…。そういう事なら私にとっての好きな事はツルとこうして話すことだな」
「私と?」
「あぁ、何かが爆発しそうになるたびに、こうして通話を繋ぐぐらいだ。きっと、ツルとの会話が私にとってのストレス解消方法なんだろうな」
「……そっか」
「思えばツルとはもう2年の付き合いか。丁度同じ時期にお互い当主になって、それからお互いに苦労したな」
「そうだねぇ…。元々黒葛原と剣先で仲が悪かったところに、ダブルで当主が亡くなるなんて事故があったもんだから、それはもう荒れに荒れたよね」
「それを抑えられたのもツルのおかげだ。感謝しているよ」
「別に私は何にもしてないでしょ? ほとんどクロが収めたじゃん」
「確かに私が指揮を執った。しかし、一番の功労者は昔の因縁に囚われず、当主として私に協力してくれたツルだよ。それが無ければ最悪、黒葛原と剣先の分裂もあり得た。本当にありがとう」
「まぁ、因縁って言っても私が生まれる前の事だしね。知った事じゃないっていうか。それより部下にバレないようクロに協力する方が難しかったよ。私達がこうして仲良く通話してるなんて知ったら、お互いの部下が怒り狂って脳の血管切らしかねないぐらい険悪だからね」
「違いない。…どうしてお互いに協力できないのだろうね。そうした方が効率的なのは明確にもかかわらず…」
「さぁ? 部下に直接聞いてみたら?」
「よしてくれ。そんなことを聞けるわけもあるまい。
…あぁ、そうだ。この前話した彼について覚えているかい。
「あぁ、奥義を盗めるとかいう。何か進展あった?」
「彼との交渉が難航しそうなんだ。途中までは良かったと思うんだけれども……やはり、ツカサ君について煽りすぎたのが良くなかったのか…」
「煽ったって…交渉相手に何やってんのよ。そうした方が有効な事もあるけど、限度があるでしょ? やっぱりストレスたまってるんじゃない? 悪口言い過ぎちゃうくらいにはさ」
「いや、違う。ストレスじゃない。
……私は本来当主になるような人間ではないんだ。多くの人を導いていくような勇気も能力も無いと自負している。けれど、今は当主としての役目を果たさなければならない。皆を率いる強くて優れたリーダーとして。
その矛盾からだろうか、強い言葉を使ってしまう事がある。弱い自分を指摘されそうになると良く…」
「確かに。初めて会った時も結構辛辣なこと言われたしね」
「あ、あれは本当に本心じゃないんだ! 本当に虚勢で、自分でも何を言っているんだと思う事が多々ある…」
「分かってるって。じゃないとこうして仲良くなんてしてないし」
「良かったよ…。とにかく、狼牙君との取引は必ず成功させなければいけない。黒葛原と剣先をより発展させるために」
「そうだね。とはいえ、私は何にも出来ないからクロに任せっきりだけど。ま、クロなら大丈夫でしょ。とっても優秀だから」
「そう買い被らないでくれ。私は優れた人間なんかでは無いよ。毎日毎日、何とかやり過ごしているただの凡人さ…」
「分かった分かった、そういう事にしといてあげる。…どう? ストレス発散は十分?」
「…あぁ。今日はありがとう。またいつか」
「うん。またいつか」
黒子はボイスチャットアプリを閉じる。そして机の上に顔を伏せる。
「“自らの組織に所属する者の利益が最大となるよう行動する。それが当主としての最低限の責務”……だったな、ツル」
そう呟いた黒子は鞄から医学書を取り出し、しおりの部分から読み始める。
「後20ページ。それで今日は何とかやり過ごせる…」
その疲れた声は部屋の壁に吸いこまれて消えた。
♢
場所は変わって剣先家。当主である剣先
そこへいきなりのノック音。
「……入れ」
休憩を邪魔されたツルギは不機嫌そうに入室許可を出す。
「失礼します!」
「何の用だ」
「この報告書をどうしても今日中に当主の目に入れるようにと上司が」
夜も遅い上に自分の僅かな休息時間を邪魔してまで、目に入れたい報告書。いったいどれほどの内容だろうか。
そう思いながら報告書を受け取るツルギ。しかし、その顔が一瞬で脱色された。報告書にはどうでも良いような内容が無駄に長く綴られていたからだ。
「……お前は、これがどうしても今日中に私の目に入らないといけない報告書に見えたのか?」
「いえ、私は上司から言われただけですので、内容についてはなにも…」
「あぁ、そうか。そうだな。そうだった。そういう組織だったわ。
……良く知らせてくれた。お前の上司は誰だ? 名前が知りたい」
「はい! ○○です!」
「良し。もう帰っていいぞ」
ツルギはそう言うなり扉を乱暴に閉める。しかし、何かを思い出したように扉を再び開く。
「待て。最後に聞きたいことがあった」
「なんでしょうか?」
「黒葛原と和解するか、死ぬか、どっちか選べって言われたらどっちを選ぶ?」
「何言ってるんですか。そんなの死ぬにきまってるじゃないですか。あんなのと仲良くするぐらいなら、腹掻っ捌いた方がマシですよ」
「理由は? どうしてそこまで黒葛原を嫌う?」
「理由は…あいつら気に入らないじゃないですか。傲慢で、不遜で、何か一緒の空間にいるだけで気に食わないですよ」
「具体的にどんなところが傲慢で不遜なんだ?」
「え? あー……んー……すぐには思い出せないですね」
「――良く分かった。今度こそ帰っていいぞ」
ツルギは再び乱暴に扉を閉めた。そして枕を持ち上げ何度もベッドに叩きつける。
「エピソードも! 出せないくせに! どんだけ! 黒葛原のことを嫌ってんだよォ! びっくりするわ! そのバイタリティーはどっから来てんだ!!」
ツルギはひとしきり愚痴をこぼした後、叩きつけた枕に顔を埋める。
「マジで和解は無理そう…。黒葛原の当主が死んで、小娘に代変わりしたから今が反逆のチャンスだって部下はうるさいし…。そろそろ押さえつけるのも限界そうだし…。こっちも平々凡々な小娘に代変わりしてんだって!
はぁ~……。神様は私にどうしても茨の道を歩かせたいらしい」
しばらくベッドに寝転んでいた剣。しかし、突然跳ね起き、スマホやらボイスチェンジャーやらを用意し始めた。
「“自らの組織に所属する者の利益が最大となるよう行動する。それが当主としての最低限の責務”。あんなアホ共が対象でもね…」
ボイスチェンジャーの調子を試しながら、剣はとある番号に電話を掛ける。ややあって、通話が繋がった。
「…もしもし」
「……」
「…? もしもし?」
「
歯車は動き始める。