現代異能の災禍希望(パンドラボックス)   作:RKC

23 / 51
23話 無様

 

 雨上がりの森で雷夢と蛞蝓(なめくじ)が対峙する。

 

「いきなり出てきて何よアンタは…。それにさっき何て言った? あぁ!?」

 

「雑魚が一匹。練習にもならない」

 

「片目の障碍者(しょうがいしゃ)がぁ…! 一丁前に吠えてんじゃねぇ!」

 

 蛞蝓は雷夢の左側から突撃する。視力が無い方面からの攻撃。しかし、雷夢は難なく受け止め、カウンターを返した。

 

「ぐがっ…! なんで…そのひび割れた瞳、見えてるのか…!?」

 

「見えてない」

 

「なら、どうして避けられる…? そうか…!」

 

(音で敵の位置を探索するエコーロケーションとかいう技術を聞いたことがある。それに違いない…! そうと分かれば…!)

 

 蛞蝓(なめくじ)は再び雷夢の左側から突撃する。今度は音を消して。彼女は暗殺者、音を立てない歩法はお手の物。

 

(これで…! 死に晒せ…っ!)

 

 自らの勝ちを確信する蛞蝓(なめくじ)。その夢想は一瞬で覚めた。ギリギリで蛞蝓(なめくじ)の一撃を躱し、反対にクロスカウンターを叩き込む雷夢。

 

「はがぁ…っ!! な、何で…!? 音で探知してるんじゃ…!!」

 

「遅い。秒速330mでは秒速30万kmを持つ相手に決して勝てない」

 

「な、何の話だ…!」

 

「理解する必要は無い。ただの独り言だ」

 

 

 

 雷夢の素能、“電撃(ヴォルト)”。電気を発生させ、操る能力。しかし、雷夢は生まれつき素能の出力上限が低く、弱い電流しか生み出すことが出来ない。だからこそ彼女は素能を使わずにいた。

 しかし、彼女はとある可能性にたどり着いた。弱い電流でも磁界を生成し、電磁波を発生させられる。その反射波をキャッチすることで、高性能レーダーのように敵の位置を把握可能かもしれない…と。

 言うは易く行うは難し。いや、行えるかすら怪しい離れ業。だが、彼女はそれを現実のものとしたのだ。

 雷夢は今、出来損ないの目を出来損ないの素能で補っていた。

 

 

 

「くそがぁぁぁぁ!!!」

 

 顔に凶相を浮かべながら再度突撃する蛞蝓。リーチを生かし、雷夢の間合いの外から攻撃する。

 片目で距離感を掴めないはずの雷夢だが、バックスウェー、それもギリギリのところで打撃を躱していた。

 蛞蝓が打撃のために伸ばした手を引くのに合わせて、雷夢が懐に潜り込む。そして蛞蝓の顎を跳ね上げた。

 

「ガッ!」

 

 そうして出来た隙。雷夢は致命の一撃を叩き込むべく構える。

 それは正拳。突き技の基本。上段でも、下段でもない、狼牙から学んだ通りの中段突き。

 

「二連掌」

 

 正拳突きとインパクトの瞬間に“無勁”を合わせる、一撃にして二撃の妙技。それは容易く蛞蝓を戦闘不能へと追いやった。

 

 

 

 

 

       ♢

 

 

 

 

 

「ッ…! おぶッ…! ゲボッ! ゲホッ! げほ、げほっ…! ……うぇゲボッ…!!」

 

 二連掌で吹き飛ばされた蛞蝓(なめくじ)は、血反吐を吐きながらのたうち回っている。余りの痛みに一瞬気絶しかけ、咳き込んだせいで意識を取り戻していた。

 

 ズシャ…ズシャ…っ

 

 そこに足音が近づいてくる。蛞蝓にとっては死神の足音。

 雷夢は蛞蝓の元にたどり着くと、まず両足を梃子(てこ)の原理でへし折る。

 

 一本。

 

「ぐぎぃぃぃいいいいいいッ!!」

 

 二本。

 

「あがぁぁぁぁあああああッッッ!!」

 

 次に腕。これも梃子の原理で。

 

 三本、四本。

 

「うがぁぁあぁあああああッッッ!!!!」

 

 そこで、雷夢は蛞蝓をひっくり返した。仰向けになった蛞蝓は雷夢の表情を視界に捉える。

 その顔は、一見真顔に見える。しかし僅か。ほんの僅かに喜色を読み取れた。加えて口端に締まりがなく、涎が垂れかけている。

 

「ご、ごめっ…! ごめん、なさい…! た、たす“…っ! だす、けて…っ!」

 

 一言発するたびに痛む腹を無視しながら、必死に命乞いを繰り返す。しかし、その声は雷夢の喜色を深めるだけに終わった。

 雷夢は仰向けの蛞蝓の腹を踏みつける。先ほど二連掌で殴った部分を再び。

 

「い、だい…っ! いだ、いだいぃぃぃ…っ!! やめ…やめて“ぇ…!」

 

 悶える蛞蝓(なめくじ)を見て、雷夢は脚を動かし、さらに踏みにじる。

 

「ぁ“ぁ”ぁ“ぁ”あ“あ”あ“ああ…ッ”!!!」

 

 雷夢の口から唾液が糸を引く……そこで彼女は正気を取り戻した。垂れかけた唾液を啜(すす)り、口に収める。

 

「そうだ…。狼牙の様子を見に来たんだった」

 

 雷夢は蛞蝓の顎と頭頂部に手を掛ける。

 

「ま、ま”っ」

 

 ゴギ、

 

 命乞いの暇も与えず、あっさりと蛞蝓の首をへし折った。

 

「戻るか。怪我をしていた」

 

 死体を一瞥もせず、その場を立ち去ろうとする雷夢。しかし、突然の着信音に足を止めた。音は死体の胸元から。

 雷夢は今は亡き持主への着信を代理として受けとる。

 

「…もしもし」

 

 電話を取った雷夢の声は普段の声音ではなく、カエルをすり潰した時に出る断末魔の様なダミ声だった。

 

「蛞蝓か!? そっちの戦況はどうだ!?」

 

「……くそっ…! 喉を潰された…! けど、敵はぶっ殺してやった、チクショー!」

 

「だったら狐と一緒に早くこっちに合流しにこい! 敵の襲撃で壊滅状態なんだよ! 5人中4人がやられた! リーダーも相打ち! 生き残ったのは俺だけだ!」

 

「……敵はどんなやつだった!?」

 

「カーディガン着た女だ! ベージュの髪の! 目がぐるぐるしてて気持ち悪い! …ってか、もう死んだ奴の事を話してもしょうがないだろ! いいから早くこっちに合流しに来い!」

 

「場所は!?」

 

「ポイントAの4だ! 早く来い!!」

 

 プツッ

 

(Aの4は知らないが…電波は逆探知した。位置は分かる)

 

 雷夢は携帯を死体の上に放り、逆探知した位置へと走り出した。

 

 

 

 

 

       ♢

 

 

 

 

 

 茂みを掻き分け、森の中を進む雷夢。彼女はついに逆探知した位置へとたどり着いた。

 

「……あれ、雷夢ちゃんなのです?」

 

 そこには五つの死体の真ん中で、体育座りしているフシみんの姿が。来ているカーディガンは泥まみれだ。

 

「今は殺しの感傷に浸っている所なのです。少し待ってほしいのですよ…」

 

 フシみんは手で顔を覆い、ゆっくりと呼吸している。その頬は少しだけ紅潮し、息も少しだけ荒かった。

 

「5人、殺しちゃいました…。これだけの数を一気に殺したのは初めてなのです…。久しぶりなのにこれはこたえるのです…。はふぅ……」

 

 胸に詰まった重しを吐き出すように、息をつく。そのまま何度か深呼吸を繰り返し、落ち着こうとする。

 

「お前、声真似は得意か?」

 

 しかし、雷夢はフシみんの事など知った事かと言わんばかりに、自分の疑問を投げかける。

 

「……一応。あんまり役に立ったことはないのですけど」

 

 それに対して、フシみんは不機嫌そうな顔を浮かべながら答える。その声は雷夢の声そっくりだった。

 

「そうか」

 

 フシみんの答えを聞いた雷夢は、踵を返す。

 

「どこに行くのです?」

 

「狼牙の所に」

 

「あ、それなら私も一緒に行くのです」

 

 ふわりと立ち上がったフシみんは雷夢の隣に。二人は狼牙の元へと向かう……前に、雷夢は死体から衣服をはぎ取った。

 

 

 

 

 

       ♢

 

 

 

 

 

 二人は、雷夢が蛞蝓を殺した場面まで戻ってきていた。

 

「これ、雷夢ちゃんが殺(や)ったのです?」

 

「あぁ」

 

「道理でおんなじ匂いがすると思ったのです。一線超えちゃったのですね。仲間なのです」

 

「こっちか」

 

 フシみんの相手もそこそこに、雷夢は地面に線を引いている粘液を発見し、その跡を辿る。痕跡は非常に長く、数百mも辿った先でようやく目当ての人物を発見できた。

 

 茂みに紛れる三肢を折られた芋虫。彼は顔を土で、服を自らの小便で汚しながら、醜く、卑しく、無様に生き延びていた。

 

「雷夢……フシみん……。う“ぅ……!」

 

 近寄ってきた人物の顔を確認し、心を弛(ゆる)ばせる狼牙。しかし、すぐに情けない表情に戻り、顔を伏せる。

 

「これはまた……手ひどくやられたのですね。大丈夫なのです?」

 

「……ぅぅ…! ぅぅ“ぅ“っ…!」

 

 フシみんの問いに、狼牙は答えない。かろうじて動く左手の爪を地面に突き立て、悶えるばかり。

 

「残りの刺客は全部片づけたのですよ。早く学園に帰って治療してもらうのです」

 

 フシみんと雷夢は刺客からはぎ取った服とそこらの木の枝を材料として、骨折の応急手当を進める。

 

「…止めろ……止めて、くれ……」

 

 なすすべなく治療された狼牙は、刺客の服で作られた担架に乗せられる。

 

「放って……放っておいてくれ……!」

 

「――野垂れ死ぬか?」

 

 雷夢の言葉に狼牙は身をすくませ、再度涙を流し始めた。

 

「その気も無いのに吠えるな」

 

「あー、怪我人相手にひどい言い草なのです。刺客にボコボコにされてお漏らしまでして、傷心中なのですからもっと優しい言葉掛けてあげないといけないのです。…1、2の3」

 

 狼牙は二人に持ち上げられ、ゆっくりと運ばれる。

 無言の雷夢。たまにすすり泣く狼牙。今、この場に至っては自分しか会話の切り出す役目がいないと、思ったフシみんが口を開く。

 

「あー……そんなに落ち込む必要ないのです。2対1でしたし、負けてもしょうがないのですよ。生きているだけ御の字……」

 

「違う…!」

 

 狼牙は担架の上で身をよじり、顔を見られないように左腕で隠す。それから心情を吐露し始める。

 

「昔、親父が襲い掛かってきた…。疑いようがないくらい、殺す気で…。俺は怖くて…死ぬのが怖くて……親父を殺してしまった……。

 だからこの学園に来たんだ…! この学園で強くなれば、死をも恐れない強い心が手に入ると思って…。

 でも違った…! 腕っぷしが多少強くなろうが、俺の心は一切変わってない…。あの時の弱い俺のまま…。なんにも変わっちゃいない…、変わっちゃ…いないんだ…」

 

 

 

「……」

「……」

 

 雷夢は喋らない。彼女はこんな時にどう慰めの言葉をかければ良いか知らないため。

 フシみんも喋らない。かけるべき言葉を探して、探して…見つからなかったため。

 

 そのまま、傷病者を乗せた担架は学園の保健室へと運ばれていった。

 

 

 

 

 

      ♢

 

 

 

 

 

 夜中の校舎。雷夢は無遠慮に保健室の扉を開ける。

 

「ん……んー……?」

 

 ベッドで寝ていた保健室が寝ぼけ眼(まなこ)を擦る間に、狼牙が中に運び込まれる。

 

「一体何だい、こんな夜に……って、ひどい怪我だね」

 

「後は任せた」

 

 雷夢は狼牙を床に置くなり、さっさと部屋を後にしようとする。

 

「あれ、もう帰っちゃって良いのです?」

 

「コイツをここに連れて来た。それで私の役目は終わり。……そう、終わりだ。だから帰る」

 

 雷夢にしては歯切れの悪い言葉を残して、彼女は退室していく。

 

「もう少し自覚が合っても良さそうだけどねぇ…。ま、今は狼牙君が先か。とりあえず、腕と脚を治して、服を着替えて貰ってから…」

 

 保険医が狼牙に近寄ろうとする。が、二四三(ふしみ)が狼牙に覆いかぶさるようにしていた。

 

「二四三君?」

 

「狼牙君は言ってたのです。死ぬのが怖いと」

 

 フシみんの渦巻き瞳がぐるぐると回り始め、狼牙を中心に捉える。

 

「な、なん、だよ…」

 

「片腕しか動かない状況。雷夢ちゃんもさっき帰っちゃったのです」

 

「二四三君、そこを退いてくれ。治療ができ…ぐっ!」

 

 フシみんが保険医の肩を突く。保険医は仰け反り、床に倒れ込んだ。

 

「体が、動かない…っ? ツボを突いたのか…!?」

 

「少し大人しくしてもらうのです」

 

 二四三は保険医から目を切り、狼牙に向き直る。

 

「狼牙君は言っていたのです。死ぬのが怖いと」

 

「な、なん、だよ…」

 

 二四三は狼牙の左手を掴み、床に押し付ける。

 

「片腕しか動かない状況。保険医も無力化されて、雷夢ちゃんもさっき帰っちゃったのです。

 ――なのに快楽殺人者を前にして、どうしてそんなに落ち着いているのです?」

 

「……な、え、あ…?」

 

 二四三の顔は至極真面目。少なくとも狼牙からすれば、冗談を言っているようには見えなかった。

 

「今まで、私が殺してきたのはほとんど赤の他人だったのです。……友達を殺したら、いったいどれだけの背徳感を得られるのか…」

 

 二四三は空いている手を大きく振りかぶる。

 

「私、気になるのです」

 

 狼牙の喉目掛けて貫手が振り下ろされる。

 

「ああ“あ”ぁ“ぁ”ぁ“ぁ”ッ“ッ”!!」

 

 

 

 果たして、貫手は喉の一歩手前で止まっていた。

 

「…こんな状況でもしっかり防御するのは流石なのです」

 

 フシみんは狼牙の喉を爪で叩く。金剛不壊(こんごうふえ)で硬化された肌はコンコン、と硬い音を返した。

 

「本気じゃないのです。今は大義名分がありませんし。…ごめんなさいなのです、突き飛ばしちゃって」

 

 フシみんはあっさりと狼牙を解放し、保険医のツボを再度突き、引き起こす。

 二人は狼牙の治療と世話を進めながら言葉を交わす。

 

「……結局、君は何がしたかったんだ?」

 

「反応を見たかったのです」

 

「反応? いったい何の…」

 

「人が死ぬ寸前に返す反応を。私調べですが、大体3パターンに分かれるのです。

 1つ目は怯え、竦み、動けなくなるパターン。

 2つ目は見切りをつけ、諦め、生を放棄するパターン。

 3つ目はそもそも死ぬことを何とも思っていないパターン」

 

 骨折を治してもらい、服を着替えた狼牙はベッドに潜り込む。

 

「……俺は3つ目になりたかった…」

 

「そうなのです? それはもったいない。狼牙君は3つ目よりレアなパターンに属しているのに」

 

 フシみんは狼牙の寝るベッドに腰かける。

 

「どれだけ命のやり取りを経験して、命懸けに慣れた人でも、いざ死を目の前にすると恐怖し、目を閉じる。それほど死の恐怖と言うのは大きくて強烈なのでしょうね。…私は3つ目なのでハッキリとは分からないですけど。

 けれども、狼牙君は絶体絶命の状態でも目を閉じなかったのです。涙を流し、恐怖に顔を引き攣らせようと、絶対に。それって意外と珍しいのですよ。

 “死に臨(のぞ)む人”。狼牙君みたいな人は殺すのに苦労します。決して諦めず、紙のように薄い勝ち筋を必死に探り当て、それを通してこようとする。死に相対した極限状態でだけ発揮する底力があるのです」

 

 フシみんは布団越しに狼牙の体へ手を置く。

 

「あんまり落ち込まないでほしいのです。死ぬことを恐れない人や、諦める人、恐怖するだけの人では決して届かない領域。そこに手を掛ける勇気を持っているのですから」

 

「……俺には…勇気なんか…」

 

「あるのです。不甲斐ないと思っている自分から必死に変わろうとしていたじゃないですか。命を懸けて、怖い思いをしてまで」

 

「怖いってのがもうダメなんだ…! そんな臆病のせいで…俺は…」

 

「自分の弱いところから目を背けて、盲目的に自己肯定する。臆病って言うのは私みたいな人を指す言葉なのです。狼牙君はもっと胸を張って良いのですよ。

 自分をもっと好きになってあげるのです。私みたいなゴミクズと違って狼牙君は凄い人なのですから」

 

「……」

 

「自分をもっと愛してあげるのですよ。仮に自分が粗大ごみ以下の存在だと自認していても。自分だけは自分を愛してあげないと」

 

「……」

 

 フシみんは狼牙を抱きしめる。

 

「――それが無理なら、私が代わりに愛してあげるのです。誰からも愛されないのは…耐えられないのですから」

 

 ぐりぐりと布団に頬を擦りつけるフシみん。その目には薄っすらと涙がにじんでいる。

 

「……ありがとう」

 

 布団の奥から微かに感謝の言葉が聞こえた。

 

 

 

 

 

       ♢

 

 

 

 

 

 狼牙が運び込まれてから、1時間が経った。狼牙とフシみん、保険医の割り当てでそれぞれがベッドに寝ていると、部屋の外で走る足音が。

 耳が良く、加えて死にかけたせいで精神が敏感になっている狼牙は、その音で一気に覚醒する。

 

「……っ、ふ、フシみん…!」

 

 隣で寝ている彼女の体を揺らし、戦力を整えようとした狼牙。しかし、フシみんは一向に目を覚まさない。まるで糸の切れてしまった人形の様。

 その間にも足音はどんどん近づいてくる。狼牙は不整脈を起こしそうなくらい暴れる心臓を手で抑え込みながら、ベッドから降りる。

 

 足音が保健室の前で止まった。狼牙が構えたその時、扉が開かれる。

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」

 

「柄鎖(つかさ)…」

 

「意外と…ゲホッ…お元気、ぅぇほっ…! そう、でッ、ぉェッ…!」

 

 喉が渇くのか、言葉を発するたびに咳き込む柄鎖。よく見れば、額は汗にまみれ髪が肌に張り付いている。服も所々に汚れや千切れが。

 

「ほら、水」

 

 狼牙から水を受け取った柄鎖は時間をかけて喉を潤す。

 

「はぁ………失礼いたしました」

 

「お前、走って来たのか?」

 

「えぇ。車よりも自前の足の方が速いので」

 

「実家に呼ばれてたんだろ。どうして…」

 

「どうして、だと思いますか?」

 

「…俺の事が心配だったから、か?」

 

 柄鎖は扇子を懐から取り出し、顔を隠す。

 

「……普通に当てるの止めていただけませんか? それより、良く恥ずかしげも無くその答えを返せましたわね…」

 

「保健室に入って来るなり、むせてまで俺の心配をしただろ。客観的に考えてそうじゃないかと思っただけだ」

 

「はぁ…ご明察ですわ。実家を伝手(つて)に黒子(くろこ)様に刺客が送られた事を知り、その時狼牙様の妙な電話を思い出しました。あれは黒子様に向けられた刺客と戦うための人手集めだったのではないかと。

 普通に考えれば狼牙様が刺客と戦う理由は無いはずですが……何とも嫌な予感がいたしました。それで念のため雷夢様に様子を見に行くよう頼みましたら、腕と脚の骨を3本折られたと返信が来まして。……もう少し詳細に報告していただければ、ここまで慌てる事も無かったのですが」

 

「そうか…ありがとう、心配してくれて」

 

「どういたしまして。…というより狼牙様、少し変わられましたか?」

 

 柄鎖は狼牙の目の前まで近寄り、まじまじと顔を見つめる。

 

「な、何だよ…」

 

「どこか弱気になられたような」

 

「……」

 

 狼牙は柄鎖から目を逸らす。

 

「そういう所ですわよ。前なら睨み返す…とまでいかなくとも、目を逸らしたりはしなかったでしょうに」

 

「……こっちのほうが小便垂れにはお似合いだろ?」

 

「…本当に何がありまして?」

 

 自嘲気味に笑う狼牙。彼は全てを柄鎖に話し始めた。

 

 

 

 

 

       ♢

 

 

 

 

 

「そんな事が…」

 

 狼牙が事の顛末を語り終える頃、彼はベッドに寝転んでいた。

 

「フシみんに言われた、俺は死に臨む者だと。けど、やっぱり俺は恐れを知らない戦士になりたい…。そうしないと俺はまた大切な人を…」

 

 狼牙は布団を巻き込み、うずくまってしまう。

 

「……とりあえず、今日は寝た方が良いと思いますわ。時間が気持ちの整理をつけてくれる事もありますので。なんなら、添い寝でもして差し上げましょうか?」

 

「…いいのか?」

 

「えぇ。……え?」

 

 柄鎖は冗談のつもりだった。冗談のつもりだったのだ。

 

「いや、その…汗は引いているのですが、服にしみて匂いが…」

 

「嫌な匂いじゃない」

 

「私の方が気にするのですが!? というかこの距離で平然と嗅ぐのは止めてくださいます!? 鼻が良すぎるんですのよ!!」

 

「そうか…。悪い、我儘を言った」

 

 明らかに気勢を落ち込ませる狼牙。柄鎖はそれを見て、ますます断りづらくなってしまう。

 

「……~~分かりました! 添い寝いたします! いたしますが、その前に着替えはさせていただきます。ついでに濡れタオルで体も」

 

 柄鎖は保健室の備品を使って体を拭き、その後備え付けの寝間着を借りて準備を終える。そして、狼牙の寝るベッドの縁に腰を掛けた。

 

「……それでは失礼して」

 

 柄鎖は意を決して、狼牙の背中側に横たわる。

 どくん、どくんと暴れる柄鎖の心音。耳の良い狼牙は当然、それを聞きつける。呼応するように彼の心音も荒れ始めた。同時に呼吸を浅くする。

 狼牙の呼吸の変化で、自分の緊張が影響を与えていると悟った柄鎖。目を閉じて鼓動を落ち着ける。それから狼牙の体に腕を絡め、体を密着させた。

 

「申し訳ありません。落ち着きました」

 

 狼牙は絡められた柄鎖の手を取った。柄鎖は努めて平静を装う。

 

「……硬くて厚い皮」

 

 狼牙は手のひらを撫でた後、手の甲を撫でる。柄鎖は努めて平静を装う。

 

「発達した人差し指と中指の第三関節」

 

 その後、指と指が絡み合う。柄鎖は努めて平静を装う。が、ちょっと無理だった。

 

「み“」

 

 変な声が漏れる。しかし、狼牙はそれをスルーして続ける。

 

「綺麗だな。無駄の無い、良く鍛えられた手だ」

 

「ど、どうも…」

 

「それに比べて俺の手は…」

 

 狼牙は柄鎖の手を離す。下手な練習を繰り返して余計な所が発達した自分の手を胸の前に置いた。

 柄鎖は狼牙の手を追う。そして大きな手で彼の手を包み込んだ。

 

「綺麗ですわよ」

 

「……どこが」

 

「貴方のがむしゃらさが表れている所が」

 

「ただの無鉄砲だ」

 

「いつになく自己否定しますのね。

 無鉄砲で結構。あなたは今の自分に満足せず、成長しようとしている。

 不格好でも良い…そうして成長すれば、最後に勝つのは貴方の様な才溢れるものなのですから」

 

「……」

 

 狼牙は答えない。代わりに問いを返す。

 

「お前は一年後に死ぬんだろ?」

 

「えぇ」

 

「けど、お前は死を恐れていない」

 

「えぇ」

 

「……俺は、怖い…」

 

 狼牙の手は震えていた。柄鎖の手にも振動が伝わる。

 

「…えぇ、そのようですわね」

 

 柄鎖はより強く狼牙を抱く。

 

「……ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 会話はそれきり。肉体的にも、精神的にも疲れている二人は朝まで目を覚まさなかった。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。