1. 夢毒
1年B組
結果生き残った一匹には神霊が宿るとされ、その毒によって人を害すと、死んだ後も苦しむと言い伝えられている。
生き残ったのが
例えばの話だ。蠱毒の容器の中に
真っ先に命を落とすだろう。真っ先でないにしろ、まず最後の一匹になる事は無い。
♢
目が覚める。今日は夢を見なかった。思考が無に帰す時だけが唯一安寧を享受できる。しかし、こうして意識が覚醒してしまえば、暗い感情が沸騰してくる。
沸騰した思いは蒸気にして逃がしてやらなければ、破裂してしまう。私は服を脱ぎ、鏡の前に立った。鏡に映るのは傷痕だらけの体躯。その内の一つ、腹部の火傷痕に触れる。
2013年5月18日。五女が私をアイロン台にして遊んだ痕。
腕の裂傷に触れる。
2017年8月2日。八男が私を
腹の痣に触れる。
2015年10月17日。四男が私をサンドバックにした痕。
傷痕に触れるたび、その原因となった出来事が鮮明に蘇る。暗い思いはますます募るが、加害者と被害者を頭の中で入れ替えて妄想する。
「……ひひっ…」
そうすることで溢れんばかりの想いが悦にすり替わり、どうにか発狂せずに済むのだ。日課を終えた私は、寝間着代わりにしていたジャージを着なおし、家を出た。
♢
午前9時頃。学校に到着すると、校庭には誰もいない。他の生徒は授業を受けているのだからそれも当然。
だからこそ私はこの時間に登校する。校庭を一人で使えるから。
校庭の真ん中で、仮想敵を思い浮かべながら、シャドーを繰り返す。そうしていると、校舎の中から、少なくない視線が私に降り注いだ。しかし、すぐに興味を失ったように視線が外れていく。私が授業をサボるのは毎日の事。向こうも私も慣れたものだ。
しばらく私が稽古を行っていると、校舎から一人の壮年男性――国語の教師がこちらに歩み寄って来た。
「おーい、
自分を呼ぶ声に顔を顰めつつも、一応返事をする。
「……何だ?」
「敬語を使え、敬語を。一応俺のが年上だぞ」
「必要が無い」
「まったく……
そんな事より、せっかく学校まで来るのにどうして出席しない?」
「必要が無い」
「このままじゃまた留年するぞ。進学するためにも…」
「必要が無い」
「……そればっかりだな。とはいえ、本当か? ほら、こいつを書いてくれただろ」
国語の教師が一枚のプリントを見せびらかしてくる。
「これ一枚にポエムを書くだけで出席日数50日分だ。我ながらこの無茶を良く通したもんだよ、まったく。
で、進学する必要が無いならどうしてこれを書いてくれたんだ?」
教師の問いかけに、私は即答できなかった。少し言葉を詰まらせてから口を開く。
「…必要が無い、はず…」
「はず、か。そうだな…何か進学したい理由に心当たりはあるか?」
「無い」
「お、これは即答か。じゃあ留年したくない理由に心当たりは?」
「無い」
「えぇ…こっちも即答? ……ちょっと進めて、退学したくない理由に心当たりは?」
そう言われると、言葉に詰まってしまう。
「……退学しても、問題無い、はず…」
「そうか……退学が嫌か。その理由まで分かれば良いんだがな」
したり顔で考える教師に、今度は毅然と言い放つ。
「問題無いはずだ」
「……はいはい、問題無い“はず”でございますよっと」
しょうがないな、という顔を浮かべる教師に少しだけ腹を立てたが、無視して稽古を再開する。
「あぁ、ところでお前が書いてくれたポエムなんだがな」
しかし、教師は私が聞いていようがいまいが関係無いといったように続ける。
「
あいつら、妙に恥ずかしがって天気だとか風景だとかで小ぢんまりと纏めやがる」
無視して稽古を続ける。
「……なぁ、雷。復讐は悪い事だと思うか?」
教師が話題を急に転換するが、無視して稽古を続ける。
「一般的には“復讐には生産性が無い”、とか“復讐をすれば、復讐の連鎖が止まらなくなる”とか言われるよな」
無視して稽古を続ける。
「先生個人としては復讐なんかするよりも、今を楽しく生きた方が良いと思うぞ~。苦しい稽古なんかするより、上手い物食べて、好きな事やるんだ。なんなら他人に迷惑をかけなきゃ、法律を犯しても良い。家で酒でも飲んでみたらどうだ? 酔うと結構気持ち良かったりするぞ?」
そこで私は稽古を中断し、教師の方を向く。
「
「どっちでもない」
「ふむ……そりゃまたどうして?」
「復讐は行為。そして、人の行為に良いも悪いも無い。全ては自己満足だからだ。
困っている人を助けるのも、騙すのも。怪我をしている人を治療するのも、さらに傷付けるも。頑張っている人を励ますのも、馬鹿にするのも。全ては自己満足だ。そうしたいからそうしている。
今、お前が私を気にかけるのもそうだろう」
「……
その問いに、私は口角を上げる。
「自己満足? ……違う。これは正義だ。あんなクズ共を生かして置いたら社会に害悪しかない。ゴミ掃除は公共の福祉だろう? 根絶やし…根絶やしだ。雑草むしる時みたいに…ひっひひひ…!」
「……」
いつの間にか垂れかけた
その間に教師が私のポエムに視線を落としていた。
「……なぁ、足のもげた
「知るか」
言い終わるや否や、拳を突く。私の正拳は終点で衝撃波を伴い、周囲の空気を打ち震わした。
「きっと生き残るさ」
それきり、教師は校舎に戻っていった。
♢
時間は過ぎ、放課後。校庭が
そして校舎裏にはいつも通り先客がいた。
「雷夢か」
狼牙は私が来たのを認めると、稽古を中断して私を注視する。私は狼牙の目の前で構え、正拳を披露した。
狼牙は90°回り込む。
「もう一回」
正拳突き。狼牙はもう一度90°回り込む。
「後ろ足の蹴りが弱い」
言われた部分を修正し、再び突く。
「突かない方の腕が力みすぎだ。力を抜いて肩を下げろ」
再び修正、突く。それは今までで一番の手ごたえだった。
「良し。俺の目から見て欠陥はなくなった。後はお前の体に合ったフォームに一人で修正すれば良い」
狼牙からお墨付きをもらった私はもう一度構える。そして少しだけ“不完全な”正拳突きを繰り出した。
「おい、腰のひねりが甘いぞ。……しばらくは様子を見た方が良さそうだな」
「分かった」
気づけば妙に落ち着いていた。最近はたまにこうだ。自分でも良くわからない行動を取る事がある。自己満足のために動いているのだろうという事は分かるが、その自己満足がなんなのか言語化出来ないのがモヤモヤする。
そうして私が内省していると、狼牙が渋い顔で私の髪を見てくる。
「前も言ったが、髪をもう少し整えてみたらどうだ? お前も黒子と同じで顔が良いんだから」
言われて、自分の跳ねた髪に指を通す。途中で引っ掛かったため、指に力を入れて無理やりほぐす。
「ちょっと待て。無理やりやると髪が痛む」
私の腕を掴む狼牙。奴はカバンから目の粗い櫛を取り出して私の髪に触れる。
「……ビックリするぐらい枝毛ばっかりだな」
狼牙はぼやきながら、私の髪を梳かす。……時間がかかりそうだ。
しかし、私は動けなかった。“必要が無い”と断じて稽古を再開しなかった。
やはりモヤモヤする。今も、さっき国語の教師と話していた時も。復讐のためには必要にない時間だ。日夜、逆襲の時を妄想し、その時を心待ちにしているはずなのに、それとは関係の無い時間を過ごす自分がいる。波の無い平凡な時を過ごす自分が。
……悪くはない。
「終わったぞ。焼け石に水だが、マシになった」
手を髪の上にかざすと、確かにはねっ毛が無くなっている。しかし、かざした手に水滴が当たった。
「雨か…。夜まで降らない予報だったが」
狼牙も水気を感じたようで、荷物の中から折り畳み傘を取り出す。一方で空高くから電荷を感じた私は、校庭の方へと歩き出した。
「おい、濡れると髪が痛みやすくなるぞ」
狼牙の声も無視して、荷電に導かれるまま足を進める。雨で校庭から校舎に避難する生徒たちとは反対に、私は校庭の真ん中に立った。
「雷夢、傘も差さずに何やって…」
「どけ。怪我するぞ」
近くに寄ってきた狼牙を腕で押して、無理やり退かせる。その頃には校庭から他の生徒がいなくなっていた。代わりに保健室から保険医が顔を覗かせる。
「……また無茶するつもりかい」
答えない。雨に目を細めながら空を見上げる。
「狼牙君、もう少し離れた方が良い。というか校舎に避難した方が良い」
「は、はい…」
珍しく真剣な保険医に狼牙も大人しく校舎に避難していった。
目を閉じると、死角だらけの視覚が消える。
嗅覚と味覚はすでに働いていない。いつ失ったかも忘れた。数分経つと触覚すら消え、体に当たる雨の感覚も消える。
感じるのは積乱雲の電荷だけ。
チリ、と髪が逆立った。
稲光 打雷
電子が私の体を通過しようとした瞬間、素能で
遅れて雷鳴
私は膨大な電圧を携え、校庭で仁王立ちしていた。
「…………kっひひひひ…」
久しぶりに心の底から、気持ち良く笑えそうだ。
「ははhahaははhaはハハhaハhaハハ!!!!」
景気よく放電する。私の体から雷光が伸び、校舎の壁に触れて地面へとアースされる。
準備は整った。
ショートした脳で考えられるのは、
♢
数日後、私は
今日は
「ねぇ、前から思ってたんだけど~…この会合もう止めにしな~い? 意味無いでしょ、兄弟姉妹で顔合わせるなんて…」
「俺だってめんどくせぇよ。いちいち実家に戻らなきゃなんねぇのはよォ。けど、親父がそう強制するんだからしょうがねぇじゃねぇか」
「ま、実家のシェフが作る料理は美味いから俺は気にしないけど」
「えぇ~、美味しい? この料理。別に普通でしょ」
「テメェも実家を出て不味い料理を喰えば分かる」
「ほんとそれ。外の料理は不味いったらありゃしない」
もう一人が私の料理皿からメインの海老を奪っていった。
この家じゃ日常だ。私は脚のもげた
「あ! 海老! 俺が狙って…」
「何?」
「……別に、何でもない」
「ぷっ、ザッコ。睨まれただけでビビってんの」
煽られた
「あぁ!? 喧嘩打って…グゲッ!?」
隣にいたもう一人が机を叩いたクズの脇腹を突く。指一本、しかし的確に急所を抜いた。
「料理、どうしてくれるの?」
「いや…それは…ッぐぶッ!」
言い淀むクズの顔が凹む。鼻からは血が流れだしていた。
「頭に上った血を鼻から抜いてあげたわ。感謝なさい」
「…………グふッ!」
高飛車なクズが黙っているクズを再度殴る。
「返事」
「……ありがとう、ございます」
高飛車なクズは愉悦の表情を浮かべていた。
私の大嫌いな表情だ。自分より弱い者を虐げ、自らの優越を悟る最低最悪の表情。何度となく見せられた。
「あーあ、汚れちゃった床を掃除しないと」
その声が聞こえた瞬間、私は後ろから椅子ごと蹴り飛ばされた。されるがままに料理で汚れた床に突っ伏す。
少しだけ顔を上げて私を蹴ったクズを見ると、そいつもやはり愉悦の表情を浮かべていた。
「はい雑巾。さっさと床拭けよ」
私は蹴られ、さっき殴られたクズのほうに飛ばされる。そいつは悔しそうな顔をしていたが、自分より弱い獲物を前にして、やはり愉悦の表情を浮かべた。
「クソが…! オラ! ちゃんと綺麗にしやがれ!」
「私も混ぜてよ~。こんな大きい雑巾初めて。バスタオル流用かな?」
「乱暴にするな。汚れが飛び散る」
憂さを晴らすように私を足蹴にするクズ。参加するクズ。野次を飛ばすクズ。それを見て笑うクズ。クズ、クズ、クズ、クズ、クズ。
雷家は一族の中で最も強い者が当主となる。それが例え10歳のガキだとしてもだ。強ければ一族の舵を取れてしまう。バカげたシステムだ。仮に10歳のガキが当主になったとして、組織のリーダーが務まるはずもないだろうに。
当主という一つしかない席を奪い合う
こんな家はさっさと滅べば良い、誰か滅ぼしてくれ。そう思い続けて3年。私の願いが叶う事は無かった。
だから自分で叶える事に決めた。
♢
だだっ広い自分の部屋。家具はほとんど無い。今日のために用意しておいた道具が入った段ボールとクローゼットの他に唯一ある姿見の前に立つ。
料理で汚れたジャージを脱げば、小さな体躯に刻まれた無数の傷痕が良く見える。そのうちの一つ、全身に広がる凍瘡に触れる。
2011年12月31日。六男が私を裸で屋敷の外に追い出し、無様に生に縋る姿を楽しんだ痕。
背中の火傷痕に触れる。
2013年3月9日。三女が私に薬品をかけ、肉を焼いた痕。
体を横断する雷撃傷に触れる。
2012年5月4日。長兄が自分と同じ素能を持った私の力を確認するために、電撃を浴びせた痕。
……大丈夫。思い出せる。全て。
私は体に広がる無数の傷跡に一つずつ触れていく。
1時間程経っただろうか。ようやく全ての傷に触る事ができた。
そこでノックの音が響く。
「雷夢お嬢様。入室してもよろしいでしょうか」
「入れ」
私の言葉で執事が一人、入室してくる。こいつは昔から私の世話役を買って出る、奇妙な奴だ。クズ共に痛めつけられる私の世話係など、面倒でしかないだろうに。
「身だしなみを整えさせていただいても?」
「好きにしろ」
執事は丁寧に料理の汁で汚れた私の体や髪を拭き、綺麗に服を着せてくれる。とはいってもジャージだが。
その間、私は鏡に映る自分の顔を見ていた。
――とても楽しそうだ。
そうしていると、いつの間にか支度が終わっている。
「行ってらっしゃいませ」
執事の言葉に返事をすることはない。部屋の外に出て、扉を閉めた。