気づけば昼。私が寝ているベッドは酷く濡れていた。
喉が渇く。シャワーを浴びるついでにシャワーヘッドから水分補給をした。
シャワーを終え、着替えを済ませると、扉がノックされる。
「ご当主様、入室してもよろしいでしょうか」
執事の声。
「入れ…………いや、待て。当主?」
私が違和感に気づくまでに入室を済ませた執事。そいつは丁寧に答える。
「はい。
つきましてはいかがいたしましょうか。ご当主様は今後、雷家をどのように運営されますか?」
「興味ない。お前が好きにやれ」
「仰せのままに。…遅まきながらですが、朝食でございます」
執事が料理の乗ったワゴンを私の目の前まで動かす。そして、椅子すらない私の部屋に折り畳み式の椅子を敷設する。
執事が飲み物を用意する間、手持ち無沙汰な私。胸がぽっかりと空いたような喪失感は昨日から相変わらずだ。
「……はぁ」
柄にもなくため息をつく。すると、食事の準備を終えた執事が口を開いた。
「本日お客様が来ておられます。きっとご当主様の暇つぶしになるかと」
執事はそれだけ言い残して、部屋を出て行ってしまった。
♢
「お前か!?
「っ…ね、ねぇ……止めようよぉ…」
分家の玩具たち。それも強気なのと弱気なのが二つ。
「だったらなんだ」
「かたき討ちに決まってるだろ! 俺が相手だ! かかって来い!」
「だ、ダメだって…! 私達じゃ絶対勝てないよ…!」
「うるさい! こんなちっこいのに兄貴が負けるわけないだろ! きっと何かズルい手を使われたに決まってる! まともにやればこんな奴、俺でも倒せるさ! 喰らえっげgッ!」
口上が長い。今はインスタントに遊びたい気分なんだ。
「いっつ……! な、何がゥッ!! ゥグッ! ァぐっ!」
吹っ飛んだ玩具を殴る、殴る、殴る。
しかし、この玩具は一方的に殴りつけても、私を睨み返してくる。
遊び方が面倒なタイプの玩具だ。今はインスタントに遊びたい気分なんだよ。
だから、標的を変えた。強気な方から弱気な方に。きっと、こっちの方が手軽に遊べる。
「ひっ……、ご、ごめんなさい…!」
「おいっ!! お、俺はともかく、そいつは関係ないだろ!? 殴るなら俺にしろ!」
強気な玩具が慌てる。
あぁ、なるほど。この玩具は2つで1セットなのか。
弱気な玩具の頬をペシペシと平手で軽く叩く。痛くもない程度だろうに、それだけで玩具は目じりから涙をあふれさせた。
他人の涙は良い。私を豊かにしてくれる。
そして他人の叫び声はもっと良い。
腕を振りかぶる。
「っ…! この、クズが!!」
しかし、強気な玩具の一言に手を止めた。そう呼ばれるのは心外だ。私が最も嫌う人種とひとくくりにされてはたまらない。
「……クズ? 違う。クズってのは人を人とも思わず、弱い者を虐げ、怯える様を見て愉悦の表情を浮かべるような奴を指す。それこそ、お前らが慕ってるような兄貴のような奴をな。
それにひきかえ、私のどこがクズだ? 私の……わたし、の…………」
どこがクズかって?
……全部?
痛い。頭にひびが入ったように。思わず頭を手で押さえる。
同時に浮遊感。無限に落下し続けるような……。
「……違う…ちがう、はずだ……」
私はクズではない。私がしてきた行為には全て正当な理由があるはず。
正義だ。あいつらは社会のダニ。それを掃除するのは福祉に値するはず。そう、根絶やしにしなければいけないのだ。
…だったらなぜ、あいつらは全員生きている? なぜ駆除しなかった?
大義名分が一つ剥がれる。
復讐だ。あいつらが私にしてきたことをただやり返しただけ。そう、やられたからやり返しただけ。
…だったらなぜ、関係の無い家族や、分家の奴らに力を振るおうとした?
また、大義名分が一つ剥がれる。
それからも大義名分の装甲を纏おうとするが、どれも上手く接着してくれない。ボロボロと剥がれ落ちていく。
気づけば、門構えの前にある大きな噴水に着いていた。溜まっている水を覗き込むと、自分の顔が映し出される。
ひどく醜悪な笑顔。私がこの世で最も嫌いな愉悦の
ベゴォッ!!
水面に振り下ろした拳が噴水を破壊する。水が無秩序に放水され、私は濡れ鼠に。
「…………くっ…クククク……っ! ハハハハハハハ……ッ!」
復讐、正義。その二枚の皮を剝いだだけで、私の本性はいともたやすく露見した。
ただのクズ。弱者を虐げ、苦しむ顔を見て悦に浸るただのクズだ。
「アッハハハハハハハハッッ!!」
蛙の子は蛙。
私も、所詮は
「ハハハハハハハッ!! ハハハ、ハハ、ハ……ハ…………」
ひとしきり笑い、息を吐ききった私は噴水に顔を突っ込んだ。
私の拳で壊れて水が抜けている噴水だが、呼吸器官を塞ぐ程度の
クズを自覚したまま、のうのうと生きるぐらいなら死んだ方がマシだ。
意識が遠のいていく。
頭をよぎるのは、嫌な思い出ばかり。痛み、苦しみ、恐怖、怒り、悲しみ、憎しみ。
体が生を求めて、水面から顔を上げようとする。私は右腕で自分の顔を押さえつけた。
抵抗するな。大人しく死ね。あんな奴らと同類のクズでいたくない。
無に…帰った……方が……マシ…………。
本格的に気が遠のく。体もようやく抵抗を止めた。
あぁ、やっと死ねる。
その時、嫌な思い出ばかりの走馬灯が少しだけ変わった。
執事、国語の教師、保険医、柄鎖、狼牙。
……最後に……会って…おき………たか…………………………………………――――――――――
♢
「…………ゲホッ! ガハッ! ゴホッ、ゴホ…っ!」
突如、闇の中から意識が引き戻される。
気分は最悪だ。何もない
「か、帰って来たっ…!」
声の方に視線を向けると、そこには涙を流している狼牙がいた。
「本当に……死んだかと……!」
この玩具の急所は私か。本当に死んだらどんな顔をするだろう。いや、死んだらその表情も見れない。いったいどうすれば。
――――不思議と、そんな黒い考えは浮かんでこなかった。
「……濡れ…るぞ…」
私に抱き着く狼牙を手で退けようとする。しかし、力が入らない。結局、私はされるがままだ。
「なん、で……ここに……」
「良かった……間に合って、良かった…」
狼牙は私の問いに答えず、泣くばかり。私は震える手を狼牙の背に回す。
「泣く、な……」
しかし、狼牙は泣き止んでくれない。
「もう…死なない……だから…泣く、な……」
そうは言ってもしばらくの間、狼牙は泣き止んでくれなかった。
♢
三途の川を往復した翌日。今の私は異能学園の校庭にいる。
復路を導いてくれた狼牙。最近の私の様子がおかしく、そんな折に実家に帰ったため、気になって様子を見に来たらしい。そして大きな門の外から、噴水に顔を突っ込んだまま動かない私を見つけた。そんな経緯だ。
「おーい、雷!」
稽古の最中、国語の教師の声が聞こえてくる。
「何だ?」
「敬語を使え、敬語を。相も変わらず稽古ばっかりだな、雷は」
「こうしていないとクズになる」
「言葉のドッチボールは止めような? もう少し会話の段階を踏んだ方が良いぞ」
「教室にも一度行ってみた。けど周りの玩具でどう遊ぶかばかり考える。……それは嫌だ」
「玩具って……そんな物、教室にあったか?」
「1クラスに25個。たっぷりある」
「25個、ねぇ……。25人の間違いじゃないか?」
「単位なんかどうでも良いだろう」
「おー、荒んでる荒んでる」
そう言いながら、教師はベンチに腰かけた。私はその横に座る。
「何だ? いつになく距離が近いぞ」
「相談がある」
「お前はいつも突然だな……。で、相談ってのは何だ?」
「人はどうやって生きる?」
「……生物学的な事が聞きたいなら、生物の先生に聞いた方が良いんじゃないか?」
「違う。私以外の人は何を頼りに生きているのか、それが知りたい。
昨日、死なないと約束してしまった。けど、私にはそれ以外に生きている意味を見いだせない。それは……空虚だ」
「ふーむ……。まぁやっぱり娯楽じゃないか? 人生、辛い事があったとしても楽しい事をすれば気も紛れるってもんだ。
雷夢は何か楽しい事、無いのか?」
「人を虐げ、痛めつけ、苦しめる事」
「…………」
「けど、それはしたくない。クズでいたくない」
「…じゃあ、稽古は? さっきもやってただろ?」
「稽古の最中は何も考えなくて済む。
急ぐ社会人の足を折り、この後の予定に遅れさせたらどんな顔をするだろうか。あの親子の子供だけを切り裂いて殺したら、親はどんな顔をするだろうか。
そういう事を考えなくて済むからやっている」
「…………」
「そもそも、過剰な娯楽はいらない。過ぎた快楽の後には必ず虚無感が襲ってくる。
脳を焼くような快楽も、天上の幸福も、涎が出るような愉悦もいらない。
代わりに夜も眠れない怒りも、頭からこびりついて離れない憎しみも、無限に落ち続けるような絶望もいらない。
……安寧で居たい」
「おっ、それじゃないか? 安寧」
「…安寧?」
「そうそう。さっき雷が言った言葉。安寧を目指して生きてみればどうだ? 他の何でもない、自分から出た言葉だしな」
「安寧……」
「安寧っていうと、落ち着く、癒される、とかそんな感じだよな。そう思った時は何かあるか?」
「……こうして、お前と話している時。
執事に世話をされている時。
狼牙と稽古している時。
柄鎖と一緒に居る時。
他には……」
少し考え、私は自分の手で自分の腕を折った。
「え、ちょ、お、えぇ!!? な、何やってんだ!?」
「腕を折った」
「見りゃわかる! 何でそんな事したんだ、って聞いてんだ!」
「安寧のためだ」
私は折れた腕をぶら下げ、保健室へと向かった。
♢
「折れた」
「またかい? しょうがないねぇ…」
腕を折った私は保健室で治療してもらっていた。治癒の素能を受け、ベッドに腰かける。そして、保険医が料理をするのをじっと眺めていた。すると、保険医が聞いてくる。
「一つ聞いても良いかな?」
「何だ」
「さっきの骨折だけどね。外傷というよりかは、自分で折ったように見えるのは私の気のせいかな?」
「気のせいじゃない」
私がそう言うと、保険医が調理器具を床に落とす。
「……何でそんな事を?」
「お前に治療して欲しかったから」
「い、いや、怪我をしたらもちろん治療するが、自傷してまでここに来る必要はないだろう?」
「必要ある」
私はさっきの国語教師との会話を引き合いに出し、なぜ安寧を求めているかまで説明した。
「私が求めるのは、復讐でも正義でも愉悦でもない。安寧だ。
この部屋でお前といる時は、不思議と落ち着く。だからここに来た」
「……そうか。やっと……」
保険医が突如こちらに近寄ってきて、私を抱きしめた。
「バカ。別に怪我してなくても、ここに来て良いのに」
私の第二の目は保険医の涙を捉える。
「……なぜ泣く」
「ずずっ…なんで、だろうね。 雷夢君は分かるかい?」
「知るか」
「バカ」
なぜか罵られた。お前も答えを知らないくせに。
そんな不満も、すぐに消え失せる。保険医の腕の中はとても暖かい。私は穏やかな気持ちで保険医の背に手を回した。
「泣くな」
「……優しいんだね。いや、知っていたさ」
抱かれる力が強くなる。暖かい。
「奇跡みたいだよ、本当に……」
安寧。
ハッキリと自覚する。正にこれこそが私の求めていた物だ。