狼牙の部屋の中には沢山の段ボールが積み重なっている。昨日は夕方遅くまで気絶していたため、荷解きをする暇がなかったためだ。とはいえ、まったく荷解きをしていないわけでは無い。彼が最優先で段ボールから取り出したおいた荷物――仏壇の前に正座する。
仏壇の真ん中には狼牙の父親の遺影が。彼が線香に火をつけて香炉に立てると、
彼はこの匂いが好きだ。目を閉じれば、昨日の事のように親父との思い出が脳裏をよぎり――
「…っ」
同時に思い出したくない記憶もフラッシュバックする。どうしようもない自分の
しばらくしてようやく気持ち悪さが収まる。今一度、白檀の香りを吸いこみ、立ち上がった。
「行ってくる」
その言葉に返事は無かった。
♢
異能学園1年A組。そこでは先生が教壇に立ち、今まさにホームルームが始まる所。
「え~、本日のホームルームですが……なんとですね、転校生が来ております。先生、このセリフを二日連続で言うとは思いませんでした。入って来なさい」
先生に呼ばれた転校生――狼牙は教室の扉を開け、先生の隣まで悠々と踊り出た。クラスメイトたちは彼を見て様々な表情を浮かべる。軽蔑、値踏み、好奇心……様々あったが、一番多いのは驚きの表情。全員の視線が彼の首と手首に注がれている。
「はい、昨日決闘騒ぎを起こして一日中気絶していた
「なんだ?」
「はい、先生には敬語を使いましょうね。本題に戻りますが――なぜ君は鎖付きの首輪と手枷を嵌めているんですか?」
先生がそう言うのと同時に狼牙の首元からジャラ、と金属の音が鳴った。
「その問い、私がお答えさせましょう」
クラスの後方、昨日狼牙を負かした柄鎖が席を立つ。彼女は優雅に教壇まで歩み出て、彼の首輪から伸びる鎖を掴んだ。
「狼牙、自己紹介なさって?」
「…茨城から来た狼森狼牙だ。この女の…っぐぇ!」
柄鎖に思いっきり鎖を引かれた狼牙。喉に首輪が食い込み台詞を中断させられる。
「言葉遣い」
「……茨城から来ました、狼森狼牙です。昨日づけで柄鎖…ご主人様のペットと相成りました。よろしくお願いします」
狼牙が自己紹介を終えると、クラスメイトが一斉に大爆笑し始める。先生は状況についてこれていないのか、口を開けてぽかんとしていた。
「良くできました」
柄鎖が俺の頭をこれ見よがしに撫でる。それを見て、クラスメイトは更に腹筋を崩壊させていた。
「ぎゃーっははははは!! 転校二日目でなんの冗談だそりゃあ!!」
「おいおい! 狼が一匹教室に紛れこんでんぞ!!」
「こりゃ珍しい! ニホンオオカミだ! とっくの昔に絶滅しちまったかと!」
「生物係決めんぞ! こいつは手のかかりそうなペットが来たもんだ!!」
散々っぱら馬鹿にするクラスメイト共。
狼牙がこんな目に合っているのは昨日の決闘のせいだ。
“勝った方が負けた方に一つ命令できる”
彼は歯ぎしりをしながら敗北の代償をしかと受け止めていた。
(……いつか全員ぶっ飛ばす)
とはいえ、内心穏やかではなかったが。
「はいはい、皆さん煽るのはそれぐらいにしてください。ホームルームもこれで終了です。狼牙君はそこの席に座ってください」
先生の注意で多少は静まったが、それでも少なくない野次。狼牙はそれらを浴びながら指示された席に座った。彼の隣に柄鎖も座る。
「……お前の隣かよ」
「不満でしょうか?」
「何でも言う事を聞かせられるとはいえ、人間をペット扱いする異常者の隣に座りたい奴がいると思うか?」
「10000人に1人くらいはおられるのではなくって?」
「あいにくとおれは9999人の方だ」
俺が反論すると柄鎖は口元を抑えて笑う。
「…何が可笑しい?」
「失礼。首輪を付けたチワワが強がろうと吠えている姿が面白くてつい」
柄鎖の言葉を受けて、狼牙は怒りより困惑が勝った。
(こいつ、こんなに攻撃的な発言をするタイプだったっけか? 昨日会った時はまともな奴だという印象だったが…改める必要があるかもしれない)
「あぁ、そうそう。今日から私が貴方に稽古を付けて差し上げましょう」
「は?」
柄鎖の急な発言に更なる困惑が狼牙を襲う。彼が鎖の音を立てながら首を傾げると、彼女が説明する。
「貴方、この学園で最強になる事を目標にしているのでしょう? まさか一人で達成するおつもり?」
「……」
今の段階では、狼牙より柄鎖の方が強い。これは昨日の決闘の結果から見た純然たる事実。
強くなるためには自分より強い柄鎖に稽古を付けてもらうのが近道。彼はそう考え頭を下げる。
「頼む」
「承知いたしましたわ。…とはいえ案外と素直ですのね。あなたの性格からすると、もっと噛みつかれるものかと」
「俺の何を分かった気でいやがる。指導を受ける相手に頭を下げるのは普通だろうが」
「ごもっとも。それが分かっているならもう少し言葉遣いにも気を付けた方が良いのではなくって?」
「ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します、ご主人様。…これで満足か?」
「80点。ペットなら語尾に“ワン”とでも付けてみてはいかが?」
柄鎖の発言に狼牙は思わず目を丸くした。
さっき狼牙をチワワ扱いした事と合わせて考えると、彼女はお嬢様然としている時もあるが、本質はサディストそのものらしい。
狼牙はそう結論付けた。
「…フン、ペットに首輪と手枷まで付けるとは用意周到な事で。動物愛護団体に叩かれなきゃいいがな」
「あら、猛獣ですもの。キチンと鎖に繋いで置かなければ周りに迷惑をかけてしまいますわ」
皮肉を軽く受け流す柄鎖。狼牙は辟易としながらも、疑問に思ったことを聞く。
「……どうしてお前は俺に稽古を付ける? お前のメリットは何だ?」
柄鎖と狼牙のファーストコンタクトは控えめに言っても最低最悪だったと言えるだろう。にも関わらず、彼女は彼の目標の手伝いをすると言う。
不気味だ、その点については納得を得ておきたい。そう思っての質問。
「メリット、ですか?」
そんなことをどうして聞くのでしょうか? と言わんばかりの顔で柄鎖は首を傾げる。
「名家の子女として、手伝いが必要そうな人を助けるのは当然のことでございますわ。ほとんど習慣のようなものですので、メリットと言われると…少々言葉にはしずらいですわね」
「柄鎖様!」
柄鎖が顎に手を当てて考え込んでいる所に、クラスメイトが大きな声を上げながら駆けつけてくる。
「向こうのクラスで三森君と日高君が乱闘騒ぎを起こしそうなんです! 彼らの素能で暴れるとなると校舎が半壊しかねません! 仲裁に来てはくれませんか!?」
「私からもお願いします。柄鎖さん」
教師風の男が柄鎖に頭を下げる。乱闘騒ぎを起こしているクラスの担任だろうか。教師が生徒に頭を下げるとは何とも奇妙な学園だ。個人の武力に差がありすぎる異能者の学校ならではの光景か。
「承知しました。すぐに向かいます」
「一限まで10分も無いのに乱闘騒ぎ。ここの連中は血の気が多すぎないか?」
「入学早々私を煽って決闘を行った貴方が言いますの? …後10分しか無いからこそ仲裁する必要がありましてよ」
“いつもありがとうございます” “いえ、名門御三家として当然の事ですわ” などと言葉を交わしながら、柄鎖と取り巻き達が教室を出ていく。
(あいつ、サディストなのに周りの奴らから慕われてはいるんだな。というか、サディストと世話焼きの性格って両立できるものなのか…)
助けるのは当然、と言う発言から慕われる性格を持ち合わせているのも確かなのだろう。とはいえ、真逆のSっ気を存分に味わった彼としては少し納得いかなかった。
♢
狼牙が柄鎖の性格について頭を悩ませていると、いつのまにか教室から人気がなくなっていた。全員、乱闘騒ぎの野次馬に行ったのだろうか。
(…俺も見に行くか)
そう思い狼牙が腰を上げた瞬間、
「始めまして、なのです」
彼に後ろから抱き着く影が。
「っ…!」
狼牙は咄嗟に抱き着いて来た腕を掴み、背負い投げ。投げの途中で腕を振りほどかれたため、すっぽ抜ける。急いで顔を上げるが敵の姿は見えない。
「ビックリさせちゃいました?」
またしても後ろから声が。狼牙が急いで振り返ると、そこには彼より少しだけ身長の高い女性が立っていた。
その子の容姿。前髪は切り揃えられており、もみあげが長い。髪色のベースは濃いベージュで、所々に白のメッシュが入っている。そして長い後ろ髪を彼岸花の簪で留めていた。
顔つきは幼く、特徴的なのはその瞳。彼女の瞳孔は渦巻いており、見ていると飲み込まれそうな異様さだ。
「なんで俺の背後を……!」
狼牙は耳が良い。ほんのわずかな物音も聞き逃さない自信が彼にはあった。にも関わらず、目の前の彼女は彼の背中を取ったのだ。
それは彼に警戒心を抱かせるのに十分な理由だった。
「私、気配を消すのが得意なのです。……あ」
彼女は狼牙の後ろに目線を送り、素っ頓狂な声をあげる。それに釣られた彼が後ろを振り向く。が、何もない。彼が再び顔を前に向けると彼女は消えていた。
「こんな風に、ね? えへへぇ…」
視線を切った狼牙は再び後ろから抱き着かれていた。何となく予想出来ていたため、驚かずに済んではいるが。とはいえ、ねっとりした女の笑い声に寒気を覚えていた。
僅かに注意を逸らしただけで背後を取られた。これが実践だったら致命的だ。
「…何の用だ?」
「お友達にならないのです?」
「誰が? 誰と?」
「狼牙くんが、私と」
「断る」
「そんなこと言わずに、ね?」
こんな珍妙で得体の知れない奴と関りを持ちたくは無い。狼牙はそう思いながら、耳元で囁かれたこそばゆさに眉を歪めていた。
「まずはお友達の第一歩として、お互いの事を知るのです。狼牙くんは…2月8日生まれ、遅生まれなんですねぇ。血液型はO型。奇遇ですねぇ、私もO型なのです」
彼女は狼牙の学生証をいつの間にか手に持ち、それを参照してつらつらと感想を述べていた。
「俺の学生証! 財布に入れてたはずじゃ…!?」
「私、手癖も悪いのです。こんな風に、ね?」
彼女は悪びれもせずに狼牙の財布をひらひらと見せびらかしてくる。その後、彼の上着のポケットに財布を押し込んだ。
そこまでは調子の良かった女だったが、一転して悲しそうな口調に。
「私、お友達が少ないのです」
「だろうな」
「だからこそ狼牙くんとは是非お友達になりたいのです」
彼女は狼牙に一層密着する。
「まさか私と“同じ匂い”の子が転校生として入って来るとは思わなかったのです。これは運命なのです」
「同じ匂い?」
狼牙鼻を鳴らして匂いを嗅ぐが、彼の体臭と彼女の体臭は全く違う。彼が疑問符を頭に浮べていると彼女が答えてくれる。
「雰囲気的な意味での匂いなのです。
そう、私と同じ――人殺しの匂い」
「……」
「狼牙くんはどう感じたのです? 人を殺す時。あ、そもそも何人ぐらい殺した事あるのです? 私は…」
「少し黙れ」
心の急所に無断で触れられた狼牙が強めに言うと、女生徒は首を竦める。
「ご、ごめんなさいなのです…。私、自分の得意な話題になるとついつい止まらなくなっちゃうのです。こういう所がウザイって思われちゃうんですよね…」
彼女は狼牙に絡ませていた腕をほどく。それからしばらくの静寂。
かき乱された心を落ち着けた彼は、背後で立ち尽くす女の方へと振り向いた。
「…名前は?」
彼女はビックリするほど目を見開いた後、慌てて学生証を取り出す。そして狼牙の目の前に突き出した。
「できれば“フシみん”って呼んで欲しいのです」
フシみんは小さい声で照れながら言った。