いつも通り校舎裏で稽古していた
「雷夢。少し良いか?」
「何の用だ」
「あー……」
“狼牙様。黒子様はともかく、雷夢様や二四三様を説得する際はきちんと場を整えた方が良いかと。相手の気分しだいで交渉は良い方にも悪い方にも転びますから”
柄鎖の言葉を思い出す狼牙。しかし、雷夢が気に入る場所に心当たりが全くない彼は、言い淀んでしまう。
「……雷夢は、どこか行きたい所とかあるか?」
代わりに本人に聞くことに。
「行きたい所? ……あぁ、そういえば」
雷夢は少し考えた後、答えを見つけたようだ。狼牙に向き直り、真顔で言う。
「猫カフェ」
「……え?」
「猫カフェだ」
♢
異能学園から距離にして10km。住宅街のはずれにある猫カフェ“喫茶 猫屏風”。
そこに狼牙と雷夢は来店していた。雷夢が先んじて店の扉を開ける。
「いらっしゃいませー! ようこそ、喫茶猫屏風へ! 当店のご利用は初めてでしょうか?」
「初めてだ」
「当店は1時間1000円です。延長は30分ごとに500円頂きます。ドリンクは別売りですので、つど注文してください。
そして猫と触れ合う前にこちらのルールブックを良く読んでください。では、手洗いと消毒を済ませていただいてもよろしいでしょうか?」
「分かった」
二人は店員に案内されるままに、手洗い・消毒を行う。その間、狼牙はずっと思っていた疑問を雷夢にぶつける。
「なぁ……どうして猫カフェなんだ?」
「現代の四大癒しを知っているか?」
「え、四大癒し…? いや、知らないが…」
「フワフワ、モフモフ、ぷにぷに、そしてASMRだ」
「……はぁ」
「猫はその内の三つを兼ね備えていると聞く」
「……」
「楽しみだ」
「……まぁ、楽しそうなら良いけど」
手洗い消毒を済ませ、二人は店の奥へと入る。奥は広間となっており数人の客と、十匹ほどの猫がのんべんだらりとしていた。
二人はとりあえず他に客のいない大きなドーナツ型のソファに座る。
「ルールブックによると……“猫を追い回したり、無理に撫でようとすると怖がります。そのため、向こうから近寄って来るのを待ちましょう”……らしいぞ。雷夢、座れ」
ソファに座って早々、少し離れた所にいる猫に狙いを定め、立ち上がった雷夢を狼牙が制する。
「面倒な」
雷夢が腰を落ち着けるのと同時に、狼牙の方へ一匹の雑種猫が寄って来る。毛並みは灰のトラ柄模様だ。
♢
吾輩は猫である。名前はソラ。
どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。なんでもフカフカの毛布の中でニャーニャー泣いていた事は記憶している。吾輩はそこで初めて人間というものを見た。
しかも後で聞くと、それは猫好きという人間中で一番チョロい種族であったそうだ。猫好きというのは時々、我々を愛でて撫でて癒されるという話である。しかし、その時は何という考えもなかったから、別段何とも思わなかった。ただ、
それからというと、生まれた際に尻尾が揺れた理由を追い求めてきた。結果、齢2歳4か月にして分かった。どうやら吾輩は猫好きの締まりのない顔を見るのが好きらしい。
吾輩がニャーと鳴けば頬が緩み、寝返りをうてば口元も緩み、前足で踏み踏みしてやろうものなら眉が垂れさがる。
初めは純粋な気持ちで猫好きを喜ばせていた。しかし、その内に人間を誑かす
今日も猫好きがやってきた。しかも新顔が二人。ちょいと
ドーナツ型の椅子に座る二人組。そのうちの
「にゃぁ」
これだけで猫好きは悶える。ふふふ、チョロい種族よ。
「えっと……“猫が近寄ってきたら、まずは指を差しだしましょう”」
しかし、
何たる事。この吾輩が無視。
愕然とする間に、
気を持ち直す。何という事は無い、気の無いふりをしておきながらも吾輩に触りたいのではないか。向こうがその気であればこっちのもの。ここの常連になる程、たっぷりしっかりと誑かしてやろう。
まずは鼻を近づけて
「“指を嗅ぐのは猫の挨拶です。それを確認したら、ゆっくりと触ってあげましょう”」
吾輩が挨拶を済ませると、
ふふふ…、存分に触るが良い、猫好きよ。
むぅ…、新顔にしてはなかなか心得ている…。
吾輩は目を細め、されがままに……いや待て、こんな所で屈するわけにはいかぬ。猫と猫好きとは捕食者と非捕食者の関係。一方的に狩らねばならぬのだ。
吾輩は心を強く持ち直し、額を人間の
「にゃぁ」
洗練されつくした一声。これに耐えられた猫好きを吾輩は一人たりとも見た事が無い。しかし、今日、初めて相まみえる事となってしまった。
人間の
「“あまり猫を見ないようにしましょう。威嚇されていると思い、怖がってしまいます”」
吾輩が呆然とする間に、人間の
おお、これもなかなか……いやいや、屈してはならん。快感に流されてはいかんのだ。
しかし、そこに追い打ち。耳の付け根、肩、前脚の付け根を揉まれる。しかもそれが吾輩の欲しいタイミングでくるのだからたまったものではない。
この、なんという…テクニシャン……!
あまりの気持ち良さに転がり、腹を晒してしまう。
支配者たる我々が猫好きなどに屈するなど…!
しかし、気持ち良さには抗えない。
このような辱め……! くっ、殺せ…!
吾輩は今日、生き恥を晒してしまった。
♢
「ニャア(ほう、
「ニャーオ(フフフ…奴は“喫茶 猫屏風”気まぐれ四天王の中でも最弱…)」
「ゴロゴロゴロ…(人間如きに負けるとは猫の面汚しよ…)」
そう密談するのはこの猫カフェのリーダー格の三匹。猫カフェの常連からはあまり触らせてもらえない事から気まぐれ四天王とも呼ばれている。
猫たちが話す一方、雷夢は痺れを切らしていた。
「……猫がこない」
「確かに……この猫を触るか?」
「いや、良い。猫を追ってはいけない。要は呼ぶ分には問題ないはずだ」
雷夢が先ほど密談していた三匹の猫の方を見る。
「……ニャア(あの人間、こっちを見たぞ)」
「ニャーオ(フフフ…私たちの毛並みを堪能したそうね…)」
「ゴロゴロゴロ…(少しぐらいなら遊んでやっても良いのではないか…?)」
瞬間、三匹は身震いした。
「「「……ニッ…!?」」」
まるで氷点下。それが恐怖によるものだと、遅ればせながら三匹は気付く。
「来い」
雷夢が猫を呼ぶ。平坦で抑揚のない声。しかし、猫たちにとっては
体に纏わりつき、自由を奪われる。死の匂いを鋭敏に感じ取っているというのに足が動かないのだ。四本もある足が。
「来い」
再度響く。その瞬間、三匹は自らの惨たらしい最後を想起した。死ぬことが救済と言えるほどの残酷な最後を。
行かなければ残酷に殺される。しかし、行ったとて死ぬ。
とはいえ、少しでもましな死に方を。三匹は全身を泡立たせながら雷夢の方に歩み寄る。行かざるをえない。
死との距離が半分に縮まった時、雷夢が手袋を猫の前に手を伸ばす。その手に、猫たちは尚更震えた。
何とおぞましい手だろうか。今まで自分達に触れようとしてきた人間の手とはまるで違う。造形が狂っている。人間の手とはあれほどまでに変形するのか。いや、そもそも人間の手のなのか、あれが。明らかに命を刈り取る形と色をしている。まさに死神の手。
しかし、猫たちは歩かざるをえない。自ら死刑台に立ち、あのギロチンに首を差し出さねば確実に生き地獄を味あわされるのだ。
ついに先頭を歩いていたラグドールの猫に死神の手が触れる。3年間イエネコという立場を享受し、野生を失っていたその猫にもはっきり分かった。
自分は今日、ここで死ぬ。
―――――…………しかし、彼にその時は訪れなかった。死神の手は、自分の体を撫でている。とても優しく、緩く、穏やかに。
恐怖からの解放。そして自分の命などいかようにも出来る程の偉大で強大な
全身を投げ出しての平身低頭。
尻尾、お腹、肉球。普段は触られるのを嫌がる所も今は関係ない。この
三匹の猫は順に脳を破壊されていった。
「……なるほど。これは良い」
一方で、雷夢は左手で猫の肉球を、右手で猫の体毛をモフモフしている。しかし、猫は三匹。雷夢の手は二つ。一匹余ってしまっている。これは良くない。
そう考えた雷夢は、至って合理的に考えた結果、残りの一匹に顔を埋めた。そのまま首を動かし、顔の肌でモフモフを堪能していた。
「これが…癒し…」
両手と顔を床に転がる猫に当てている体勢。そして足は正座。いわゆる土下座の形。絵面が最悪だった。
「お客様ァァーーー!!!?」
店員が止めに入るのも当然だろう。
♢
店員から注意を受け、猫から引きはがされた雷夢。
「あれをするなら自分で飼うしかないか……」
「そもそも、ああいう行為は猫にとってストレスだから自分で飼った猫にもしない方が良いんじゃないか?」
「猫の勝手など知った事か」
「ストレスたまると猫も禿げるらしいぞ」
「……それは、良くない。毛が抜けた猫はハダカデバネズミと変わらない」
「流石に言い過ぎだろ…」
などと雑談をしつつ、雷夢は店の張り紙に目を付ける。
“保護猫の里親募集中”
「おい」
雷夢は何とも横柄な態度で店員に呼び掛ける。
「里親になる。だから猫をよこせ」
「え、えっと……」
「募集してるはずだ」
親指で張り紙を指す雷夢。
「その、猫の里親になりたいという申し出ありがたいのですが……ちゃんと大事にしていただけますか?」
「ストレスで毛が抜けないぐらいには」
「あー……その、猫が飼える環境をお持ちですか?」
「無い。が、用意する。1000万あれば足りるか?」
「いっ……!? ……と、とりあえず猫を見てみましょうか。
雷夢と、ついでに狼牙も店員に案内されて保護猫のいるケージの前を通る。その瞬間、ケージの中にいた猫たちは奥の方に一瞬で引っ込んでいった。
「あれー…? 普段は皆、こんなに怖がらないのに……?」
店員も首を傾げている。この現象の原因は、言わずもがな雷夢。本能に秀でた猫たちは彼女のどす黒い本性を敏感に察知し、逃げる事を選んだのだ。
とはいえ、店員が雷夢に勧めようとした猫はこのケージの中にいる猫ではない。もう少し奥の小さなスペースにいる一匹の猫。
毛は灰色、種別はサイベリアン。やや長毛のモフモフしている。なお、現在は金魚鉢の中でベストフィット中。
「この子、目が赤いでしょう?」
店員が金魚鉢の中でくるまっている猫を手で回す。そうして雷夢と狼牙の方に猫の顔を向けると、確かにその目は赤かった。
「
店員が制服の袖をまくると、包帯が巻かれていた。
「皮膚裂かれちゃったんですよ。猫ちゃんは軽くじゃれただけなんでしょうけど。
初めは私が引き取ろうかと思ったんですけどね。こういう力の差を感じると、この子のためには異能者の人に引き取ってもらった方が良いかなって。
この子、凄く寂しがり屋で甘えたがりなんですよ。なのに、私みたいな貧弱なのと暮らし始めたら、最悪殺されかねません。猫ちゃんにそんな事とてもさせられないですからね」
「……死ぬのは、良いんですか?」
「猫に殺される以上に幸せな死に方ってあります?」
「……はぁ」
「あ、でも出来れば顔の上に乗られて窒息死が一番……」
引き気味の狼牙に店員が熱く語る一方、雷夢は猫の入った金魚鉢をひっくり返していた。にゅるりと床にこぼれる猫。雷夢は猫目掛けて手を伸ばす。
猫は伸びてくる手に反応して、猫パンチを繰り出した。店員の骨にひびを入れた猫パンチ。しかし猫と同じく異能者であるライムにとっては、普通の猫パンチだ。
そのまま雷夢の手は進み、猫の体毛に触れた。ふわふわと柔らかい感触にほんの少しだけ口元を緩める。猫も撫でられてご満悦そうだ。
「にゃあ」
「……こいつ、貰うぞ」
即断即決の雷夢。彼女は再び金魚鉢にベストフィットした猫を金魚鉢ごと持ち上げる。それを受けて、店員は我に返った。
「え、あ! ちょっと! 流石にその日にお持ち帰りは駄目ですよ! ちゃんと家に猫を迎える環境を整えてからでないと。それにこの子はサイベリアンという種でして、その特性をもろもろ把握したうえで猫ちゃんと一緒に共生するべく知識を学ぶ必要もありますし」
「分かった。ならまた今度来る」
「あ、勉強するならこの本が良いですよ。こっちが猫を迎える環境を整えるための本で、こっちがサイベリアンの本。それからキャットフードの本と、猫の仕草大全に、猫の吐いた毛玉大全と……」
ドサドサと積み上がる本、本、本。雷夢はとりあえず本を入れるハンドバッグを貸してもらった。
♢
猫カフェで大量の荷物を増やした雷夢と狼牙。二人は寮への岐路の途中。
「今日は……良かった」
いつになく、無表情に近い笑みを浮かべる雷夢。猫を触った感触を思い出しているのか、手をせわしなく動かしている。
「猫、飼うなら今度触りに行っても良いか?」
「好きにしろ」
「助かる」
そんな雑談をしながら、狼牙は本題を切り出すタイミングをうかがっていた。とはいえ、今の雷夢は過去一番で機嫌がよさそうだ。ここがベストタイミングだろう。
「……なぁ。追加でもう一つ、頼んでも良いか?」
「何だ」
「……俺と柄鎖で近い内にある施設を襲撃する。御三家を巻き込んだ戦いになる可能性が高い。その時…その、時に……」
「分かった。力を貸す」
「良いのか?」
「大方、柄鎖を生贄にさせないため。違うか」
「あ、あぁ…」
「柄鎖は私の数少ない安寧だ。それを奪う奴はお前に頼まれなくても壊す」
「そうか。……ありがとう」
お礼を言う狼牙だが、その顔はどこか暗い。
「……何を気にしている。私は首を縦に振った」
「あ、いや……」
狼牙の影を悟った雷夢の問いかけに、彼は少し言い淀んだ。
「……俺は、柄鎖を死なせたくない。大切な人だから。そして、雷夢。お前も大切な人だと思っている。
けど、俺は柄鎖を助けるための戦争にお前を巻き込もうとした。いくらお前が強いからって当然、死ぬ可能性は十分にある。……つまり、俺は柄鎖とお前を比べて柄鎖の方に重きを置いた。だから……」
「それの何が問題だ」
「え……」
「何かと何かを比べて、どっちが大事なのか判断を下す。誰だってやっている事だ。私も柄鎖と保険医、どっちかを選べと言われたら迷わず保険医を選ぶ。
お前は私と柄鎖を比べて柄鎖を選んだ。そして自分の命の危険と柄鎖を天秤に掛けても柄鎖を選んだ」
「……」
下唇を噛んで体を震わせる狼牙。
「怖いのか」
「……あぁ、怖いよ」
未だに震える狼牙を前に、雷夢は手に提げていた荷物を地面に置く。そしてファー手袋を嵌めた両手を伸ばし、狼牙の両頬に当てた。
「……」
しかし、雷夢は何も言わない。目線を斜め上に泳がせ、思案している。不審に思った狼牙が口を開こうとしたその時。
「フワフワだ」
雷夢はそう言って、ファー手袋で狼牙の頬を撫でる。頬骨、耳、首筋、顎下。順にさする。
他人に肌を弄ばれる感覚にくすぐったさを覚える狼牙だが、嫌という程では無かった。
「フワフワで落ち着いたか?」
「……少しは」
「なら良い」
雷夢が手を引くその時、狼牙がファー手袋を掴んだ。結果、雷夢の手が手袋から抜ける。突然の事に少しだけ驚く雷夢。
「……フワフワ、欲しいのか?」
「違う。
狼牙の言葉に、もう一度驚く雷夢。
「……フワフワじゃなくて、良いのか?」
「あぁ」
「変な奴だ」
雷夢はもう一度狼牙の頬に手を当てる。今度は素手。
数多の傷を負い、
しばらくして、狼牙がファー手袋を雷夢の来ている上着のポケットに押し込み、それから両頬に触れている雷夢の手に自分の手を重ねた。
「これで落ち着くのか?」
「……かなり」
「妙な奴だ」
フワフワよりズタズタの自分の手をありがたがる狼牙に戸惑う雷夢。とはいえ、彼女にとっては結果が全て。ほんの少しだけ眉を下げて、顔を緩ませた。
「柄鎖もお前も守る。どちらも私の安寧だ」
「……お前は誰に守ってもらうんだ?」
「知るか。私が決める事じゃない」
「……だったら俺が守る。出来る限り」
「好きにしろ」
背景は中秋の夕日。二人はしばらくして、再び帰路についた。