転校初日に決闘、気絶、二日目の朝に人からペットに格下げされ、更にはヤバい奴に絡まれるという幸先の悪いスタートを切った狼牙。しかし、そこからは無難だった。1限から4限まで授業を受けて昼食。5限、6限と授業を受けて放課後に。
「柄鎖、自由時間だ。稽古を付けてくれるんだろ」
彼は今日の朝に取り付けた約束を持ち出して、柄鎖に話しかける。
「気が早い事でございますわね。…ま、今日は予定もありませんし、良いでしょう。それでは体操着に着替えた後、私についてくるように」
「分かった」
「更衣室は間違えないようにお願いしますわね」
「分かってるよ!」
狼牙は半ギレ気味に更衣室へと向かい、速攻で着替えて戻って来る。
「着替えてきたぞ。で? お前について行けば良いんだったか?」
「えぇ、私が利用している修練場まで向かいますわ。10kmほど距離があるのでウォーミングアップがてら走りますわよ」
そう言って柄鎖は走り始める。狼牙も彼女の3歩後ろについて後を追う。二人は車道を時速60km程で駆けながら会話を交わす。
「更衣室へ行く時に耳に挟んだんだが、“ランキング”ってのは一体何なんだ? 中庭で殴り合ってる奴らとその野次馬が言ってたが」
「察しはついているでしょうが、改めて説明すると学内の強さのランキングでございますわ。学園公式のものではなく、生徒間で勝手に決めている非公式なものではありますが」
「生徒間で勝手にね…。具体的に聞いても?」
「システムは単純。下位の者が上位の者に勝てば、ランキングの入れ替えが発生します。その逆は何も起こりません」
「そのシステムじゃ、上位の奴が決闘を受けるメリットがない。ランキングを奪われるだけだ」
「上位の者は下位からの挑戦を月に1回以上受ける決まりがありますわ。それを破ればランキングが下がります」
「なるほど」
雑だが分かりやすいシステム。学生間で管理するにはこれぐらいの方が良いのだろう。
「管理方法は?」
「スマホのアプリでございますわ。学園の有志が開発したものを使っております」
「脳筋ばっかじゃねぇんだな、この学校」
「…異能者は戦う事以外頭に無いと勘違いしておられなくって?」
「少なくとも俺は戦い以外頭に無い」
「さもありなん、でございますわね」
柄鎖が引きつった笑い顔を浮かべた後、続けて口を開いた。
「最強を目指すだけの貴方には関係ないかもしれませんが、ランキング上位で卒業すればその後の就職が有利になる恩恵もありますわ。SPや警察、自衛隊の特殊部隊などですわね。とはいえ無条件で就職というわけにはいきませんが。やはり実力だけでなく精神面での適正というのもありますから」
「そうか」
狼牙は興味が無い事項を適当に聞き流し、聞きたいことを聞く。
「ちなみにお前のランキングは?」
「1位」
「喧嘩の仲裁に呼ばれるわけだ。……って事は、お前を倒せば学園で最も強くなれると」
「素能の相性もありますから最強を語るのは難しいと思うのですが…平たく言えばそうなりますわね。……などと話している間に目的地に到着いたしましたわ」
柄鎖が足を止めたのに
柄鎖の後を追って狼牙も施設の玄関をくぐる。中はますます研究所といった様相。
「柄鎖様、本日はどのようなご用件で」
「いつも通り修練を積むだけですわ。後ろの方もご一緒に」
「承りました。後ろの方のお名前は?」
「
「…はい、登録完了いたしました。こちらのゲスト用IDカードをお使いください」
入退室を管理・制限するIDカードの存在。ますます研究所のよう。
「受付じゃあ随分と偉そうだったが、ここはお前の所有する施設なのか?」
「偉そうにしたつもりはないのですが…そうですわね。正確には
「名門ってのは俺の想像以上に金持ちなんだな」
「当然でしょう。上戸鎖家は名門の中でも御三家ですから」
名門。
約100年前に
異能者の人間離れした戦闘力は軍事・国防に大きな影響を与える。それを考えると、国際情勢が不安定だったころの異能者の名門がどれほど高い権力を持っていたかが予想できる。
現代では戦車やらミサイルやらの開発で昔ほど異能者の戦闘力に頼らなくても良くなったが、それでも名門の影響力は大きい。
御三家。
名門の中でも特に大きな三つの家の事。
上戸鎖家、
などと解説している間に、柄鎖がIDカードを扉にかざすと自動で扉が開けていた。狼牙もそれに倣って部屋の中に入る。
部屋の内装は武骨の一言。ある程度広さのある空間に科学的な装置が2,3個置いてあるだけ。
「ここが修練場でございますわ。壁や床に最新の高硬度素材を使用しておりますので、多少のヤンチャも問題ありません」
「ホントか?」
自信満々に語る柄鎖。その真偽を確かめるべく、狼牙は壁に向かって正拳突きを繰り出した。
ベゴォ!
ウー!ウー!ウー!
「……壁、半壊したぞ? 何か警報も鳴ってるし」
「……~~っ勝手に壁を殴らないでくれます!? 多少のヤンチャと言ったでしょう!!?」
「……すまん」
これに関しては自分が全面的に悪い。そう思った狼牙は素直に謝った。
♢
警報を聞いた研究員たちに厳重注意を受けた後、再び柄鎖と部屋に二人きりに。
「……さて、気を取り直して修練を初めましょうか」
「オネガイシマス」
狼牙は最新の高価な素材を用いた壁をぶっ壊したにも関わらず、弁償はしなくても良いと言われた。その負い目のせいでカタコトになってしまったのもしょうがない事だろう。
「まず初めに貴方が普段どのような修練を積んでいるのかを見せていただきたいですわ。それによって指導の方法も変わってきますので」
「普段の修練か…」
渋る様子を俺が見せると、柄鎖がすかさず突っ込んでくる。
「あら、何か問題でも?」
「いや問題というか器具がな…」
「トレーニング器具なら古今東西の物を取り揃えていますわ。電話一つですぐに倉庫から運んでこさせられます」
「そうか。なら全面ガラス張りの部屋を用意してくれ」
「……ちょっと待ってくださる?」
しばし頭を抱える柄鎖。結局ガラス張りの部屋は用意できなかったようだが、数十枚の鏡を部屋の中に運んでくることで代用してくれた。
「本当なら上にも鏡が欲しいんだが…まぁ良い」
最低限の環境が整った所で狼牙は練習を開始した。
まずは腕を水平に広げる。すると、周りの鏡に映る彼も腕を広げる。彼は腕を水平に広げたつもりだったが、鏡の自分を見ると僅かに右腕が上がりすぎていることに気づく。即座に修正した。
今度は真上に手を挙げる。鏡を見ると、僅かに左腕が前に傾いていた。これも修正する。
その後も様々なポーズを取り、イメージと現実とのずれを適宜修正していく。これが彼の準備体操だ。自らの体を思い通り、しかも寸分の狂い無く動かせないようでは何も始まらない。チューニングは念入りに行う。
狼牙は調整中、鏡越しに柄鎖と目が合った。彼女は何を思ったのか、右手の甲を左の頬に添え、左手を右腕の肘当てに持っていく。いわゆるお嬢様の高笑いポーズ。…真似してみろという事だろうか。
狼牙がお望み通り、と言わんばかりに完璧に真似してやると、今度は簡単なステップを踏み始めた。彼はそれも完璧に真似してみせる。
すると、単調なステップが一気に複雑なリズムに。加えて上半身の振りも加わり、お金を取れる完成度の踊りを披露し始める柄鎖。
当然狼牙もそれを模倣する。流石に一度目では完コピ出来なかったが、柄鎖は踊りをループさせていたため、2度目のループで完全模倣を完了させた。
「…この振付け、一応習得に2週間はかかったのですけれど」
「遅くないか?」
「貴方が早すぎるだけでしょうに…。私の金剛不壊を昨日の戦いだけで模倣した前例もありますし、天才型ですのね」
「天才、ね…」
天才。生まれつき備わった優れた才能。
“優れた”というのは絶対的なものではなく、周りとの比較で決まる相対的な指標だ。しかし、狼牙は親父としかまともな人付き合いをしてこなかったため、相対的な判断が出来ない。そのため、柄鎖の天才という言葉を素直に受け取っていいのか判断に困る。
「…俺が天才かどうかは知らんが、模倣については親父が教えてくれた。幼い頃から人の模倣をし続けてきた」
深呼吸をする。
「学ぶ事とは“
大地に両足を付ける。
「強者の
昨日手合わせした強者の姿を思い出しながら構えを取る。
「それすなわち、人類の英知である」
狼牙の構えを見た柄鎖が呆れた顔をする。
「私の構え。まぁ、貴方なら簡単に模倣できるでしょうけど」
「お前と俺とじゃ体格が違うから俺に最適な構えではないが」
狼牙が構えていると、突然柄鎖が手を出した。上段、中段、下段。いきなりの攻撃だったが、狼牙はそれらを丁寧にさばく。
「この構えは良いな、守りやすい。それでいて…ッ!」
地面を蹴り、一瞬で柄鎖に肉薄する。
「詰めやすい。攻防一体の良い構えだ」
「それはもう、我が家に伝わる基本の構えですから。とはいえ、この構えは本人の技量をそのまま反映する鏡のような構え。熟練者にとっては守れば堅牢、攻めれば烈火と形容できる隙の無い構えですが、未熟者にとっては守っても脆弱、攻めても
狼牙様におかれましては、私の守りを打ち破った攻めの嗅覚に関しては文句のつけようもございませんが…」
柄鎖は先ほどと同じように狼牙に向けて手を出す。しかし、先ほどとは勢いが桁違いだ。彼は反射で凌ぐが、次第に手が足りなくなってくる。ついには、喉元へと手刀を突き付けられてしまった。
「守りの方は今一つの様ですわね。本能的すぎます。動きに無駄が多くなっていますわ」
狼牙は急所に突き付けられている柄鎖の手を払う。
「ふん、守る前に攻めて倒せば良いだろ。そっちの方が俺に向いてる」
「そうですわね」
俺の言葉に柄鎖も同意。
「技術を教えてどうこうなる状態ではありませんし」
そして口元をニヤリと歪めながら呟く。狼牙の優秀な耳はそれを聞き逃さなかった。
「どういう事だよ?」
「あら、聞こえていましたか? 独り言のつもりだったのですが」
「御託は良い。さっきの呟きはどういう意味だ」
狼牙が追及すると、柄鎖は強く一歩を踏みだしてくる。突然の踏み込みに驚いた彼は反射的に一歩下がる。
その隙に柄鎖が狼牙を押し倒し、上に覆いかぶさった。
「な、にを…?」
狼牙は押し倒されたものの、敵意は感じなかったためされるがままに。
「守りが本能的で単調。その理由は貴方が一番良く理解して無くって?」
柄鎖の顔が狼牙の喉元へ近づく。そして、彼の喉ぼとけの上を生暖かいものが這った。その感触に生理的嫌悪を覚えた彼は、腕を使って柄鎖をつき飛ばそうとする。しかし、のしかかっているという位置の有利さを活かし、柄鎖は彼を抑え込んできた。
柄鎖の舌は狼牙の頸動脈を捉え、起伏を何度も往復する。ついには、歯が肌に食い込むその瞬間、柄鎖から強烈な殺気が放たれた。
狼牙は考えるより先に体が動いていた。今出せる限界まで
口から飛び出そうな程心臓が脈を打っている狼牙とは対照的に、柄鎖は彼に蹴られた部分の埃を淡々と払っていた。
「……っ、い、良いとこのお嬢様が随分とはしたない真似をするんだな」
狼牙は一息に言い切ってから大きく息を吸う。彼が荒れた呼吸を整えている間、柄鎖は舌を唇から覗かせ、口角を吊り上げていた。
「お目汚し失礼。空威張りしている人を見ると、どうしても虐めたくなってしまう
空威張り。
その言葉は狼牙のコンプレックスに突き刺さり、根を張り、萌芽する。二の句が継げない。せめてもの抵抗として、彼は僅かに湿った喉を必要以上に袖で拭った。
狼牙が黙り込んで顔を青くすると、打って変わって心配そうな表情を浮かべる柄鎖。彼女はゆっくりと狼牙に近寄り、無遠慮に頭を撫でる。
「申し訳ありません。悪い癖が出てしまいましたわ。言いすぎてしまったようで」
狼牙の頭に乗った手は大きく、固く、彼の親父の手に似ていた。何度手の皮が剥げたのだろうか。何度修練を繰り返して拳を傷つけたのだろうか。
撫で方は優しく、髪の流れに沿ってゆっくりと動く。
「…っやめろ! ガキ扱いすんじゃねぇ!」
狼牙は我に返り、頭を振って柄鎖の手を払う。
「あら失礼、子供扱いしてほしそうな雰囲気でしたので。それに満更でもなさそうでしたが」
「ふん…」
悪びれず言う柄鎖に、狼牙は腹を立てつつも反論はしなかった。撫でられて穏やかな気持ちになったのは事実だったため。
「……稽古、続けるからな」
「どうぞ。止めてしまって申し訳ありませんわ」
♢
体のチューニングを終えて、ふと柄鎖の方を見るとこの施設の研究員と何やら話し合っている様子だった。
「……そんなに金持ってねぇからな」
「いったい何の主張ですの…」
壊した壁の代金を改めて請求されるのかと思った狼牙の主張に、柄鎖は呆れた顔をする。
「貴方のパンチ力について話していただけでございますわ。先ほど壁を半壊させた貴方の正拳突き。その破壊力を推定してもらったのですが…これ本当ですの? 計算ミスではなくって?」
「いえ、複数人で検算しましたので間違いないかと」
「そうですか。……え、良くこれを喰らって、私生きていますわね……。私、思っていたより頑丈かもしれません」
柄鎖はいつの間にか手にしていた扇子で自分を扇ぎ始める。
「ところで貴方、正拳突きの稽古はどれほど行っておいでで?」
「左右合わせて1000回。それを毎日。ゲロ吐くぐらい体調の悪い日もこれだけは休んだことがない」
「流石に体調不良の日は休んだ方が良いと思いますが…。であれば杞憂だったようですね」
「何が?」
「貴方の弱点ですわ」
弱点と言われた瞬間、狼牙は顰め面に。
「俺に弱点だって?」
「えぇ。分かりませんか?」
「……俺が模倣した技の事か? 毎日の反復練習で体に技を染み込ませていないから、練度が低い。
現にお前との決闘の最後、咄嗟に金剛不壊を使用したが、ほとんど硬化できなかった。……単純に金剛不壊が難しい技だったってのもあるが。」
狼牙の答えを聞いて柄鎖はにっこりと微笑む。
「そこまで分かっているなら言う事はありませんわ。異能者たるもの、折れた肋骨が肺に刺さっていようが片腕がもげていようが、これだけは繰り出せるという“技”を持っていなくてはなりません。
そしてその“技”は気の遠くなるような反覆練習をもってしか会得できない。模倣を主とする貴方にはその技が無いかと心配しましたが…正拳突きがあるようですわね」
(狼牙! 異能者たるもの、利き腕が千切れていようが内臓をぶちまけていようが、繰り出せる“技”をもっていなくはいかん! 一日1000回だ! 一日たりともサボるでないぞ!)
柄鎖の言葉に、狼牙の記憶の中の親父の言葉が重なる。
(武骨な手といい、発言といい。女のくせに男の親父と良く重なる奴だ)
狼牙がそうして感慨にふけっていると、頭の上に手が乗った。
「だからガキ扱いすんじゃねぇ!」
狼牙は柄鎖の手を跳ねのけて距離を取る。
「あら失礼、つい手が。私、母性がある方なのかもしれませんわね」
勝手に撫でてきた当の本人は悪びれもしない。
「チッ…正拳突きの稽古に入らせてもらうからな」
「どうぞ」
狼牙は腰を落として右腕を引く。体のチューニングを終えて万全の体はスムーズに構えを取ってくれる。理想のフォームである事を体感した後、拳を突き出す。彼の腕は半回転しながら風を切り裂き、衝撃波をあたりにまき散らしながら空を打った。
「お見事」
「…どうも」
もう一度正拳突き。今度は反対の腕で。
「稽古中に失礼しますが、今後のご予定をお伝えしておきますわね。
貴方の稽古を見て方針は決まりましたわ。模倣の能力を加味すると実戦形式で経験を積んでいくのが良いでしょう。明日からは私がお相手しましょう。
それと一応健康診断も行わせていただきます。
明日は朝の5時30分にここへ集合するように。今日の夜は何も食べず、当日は検尿を忘れないようお願いしますわ」
「分かった」
柄鎖の話が終わるのはちょうど、50回目の正拳突きの時だった。