禁断箱施設では黒子が自暴自棄になった元親友を看取った。柄鎖が捕まっている廃病院では、フシみんと狼牙が対峙する。狼牙の初撃でフシみんは右腕が使い物にならない状態に。
私は普通からはかけ離れた人生を送ってきました。
幼い頃に親に捨てられ、犯罪上等で子供ながらに生計を立て、かと思えば変な暗殺集団に攫われる。
この話を聞くと大体の人は同情します。暗殺集団を抜けた時、保護してくれた大人たちも可哀想な子、という目で見てきました。
司法も年齢を理由に、私には刑事責任能力がないと判断しました。
可哀そうな子だから、刑事責任能力が無いから。だから過去に行った殺人の罪を償う必要はない。
私は少年院には入れませんでした。
“事物の是非・善悪を弁別し、かつそれに従って行動する能力のない者に対しては、行為を非難することが出来ず、刑罰を科す意味に欠ける”
事物の善悪を弁別できるか――万引きや置き引きはともかく、殺人に関しては明確な悪だと弁別できています。
なのに世界は私に罪を償わせません。私は自己中心的でどうしようもないクズですから、少年印に入って数年不自由な生活をすれば、それだけで罪を償った気になって晴れ晴れと生活できたかもしれないのに。
結局、全部自分の手で終わらせることにしました。……いえ、狼牙君の手を借りているので全部という訳では無いのでしょうが。
「フシみん……」
戦闘中、狼牙君が私を呼びます。会話はやぶさかではありません。これが最後のコミュニケーションですから。
「何なのです」
「お前、俺を殺す気無いだろ?」
……流石にバレますね。狼牙君は敵意を感じ取る第六感に優れますし。その通り、今の私は殺して貰いたいだけで、狼牙君を殺すつもりは一切ありません。
「どうしてそう思うのです?」
「殺気が感じられない。それと昔言ってただろ、お前が人を殺すには免罪符が必要だ。それが今のお前にあるのか?」
「ありません。とはいえ免罪符の話は嘘で、いつでもどこでも
「……いや、免罪符の話に関しては嘘じゃない。それだけは分かる。理由もなしに人を殺すことは、お前の絶対のタブーだ」
「随分言い切るのですね。根拠でもあるのですか?」
「客観的な根拠は無い。主観だ。俺にもタブーがあったから……何となく分かる」
「……」
正直、嬉しかったです。狼牙君が私の事を良くわかってくれていて。
私は免罪符無しに人を殺せません。それだけは絶対です。
「俺の直感が正しいとすると、今の状況の意味が分からない。俺を殺すつもりが無いのに、なんで敵対する? ……なんでこんな事しないといけないんだ!」
苦しそうな表情を浮かべる狼牙君。私と敵対している状況に、苦しんでくれています。それはつまり、私のことを多少なりとも特別に思ってくれているという事で。
私は再び嬉しくなってにやける口元を左手で押さえつけ、それから大仰に構えました。
「それじゃあ狼牙君の推測が正しいか、試してみるのです?」
先制攻撃で右腕を潰された私と五体満足の狼牙君。戦力は流石に私の方が不利なのです。このままなぶり殺されても良いのですが、下手に手加減しすぎると気絶させられて終了……なんて事になりかねません。私を殺さざるを得ないぐらいには追い込まないと。
そして実力で劣る相手に上手に戦おうとするのは愚策。一か八かを通すしかありません。
無事な左腕を大きく振りかぶる構え。見え見えのテレフォンパンチ。私が暗殺組織にいた時に放とうものなら、その場で処分されてもおかしくない1発落第の赤点パンチ。
しかし、こと狼牙君に限ってはあからさまな方が良いのです。当たればただでは済まないぞ、とこれ見よがしにアピールします。
狼牙君は臆病ですから、少し怯んでくれるかも。上手くいけば緊張のあまり避け損ねる可能性も。まぁ万が一当たって、当たり所が悪かったです、では済まないので、寸止めはするつもりですが。
私が構えても狼牙君は動きません。受けて立つつもりです。
私を信じて寸止めを待つのか、それとも恐怖に負けて避けるのか。私は拳を繰り出しました。
結果、狼牙君は待つでもなく避けるでもなく。私の攻撃を
狼牙君の左腕が、私の腹を刺していました。こんなことも出来るのですね。多分、正拳突きの握りを貫手の形にして貫通力を高めたのでしょうか。
そんな感想を抱く間に、狼牙君は私の左手を残った右手で拘束します。私は自分の腕で自分の首を絞めるような体勢に。
正面から抱き合うでもなく、後ろからハグされるでもなく。側面からの変則的な抱擁。
「けふっ、…げぐぶっ」
体内の異物に体は拒否反応を起こしますが、心持ちとしてはそんなに悪くありません。狼牙君の手は脇腹から斜め上に侵入しており、私の心臓を掴んでいます。
心臓が脈を打つたび、狼牙君の手も痙攣。まぁ、動いている生の心臓を掴む感触は確かに気持ち悪そうです。とはいえ、彼の拒絶反応に少し傷つきます。
あぁ、それにしても狼牙君は本当にすごいのです。あれだけ怖がりだったのに、私の攻撃にタイミングを合わせての
免罪符を盾にし、罪の意識に耐えられなくなれば三途の川を渡ろうとする私とは真逆。君はやっぱり、嫌なことから逃げずに立ち向かえる勇気を持っているのです。
狼牙君の手に力が入ります。正拳で吹き飛ばさず、心臓を潰して殺そうとしているのは確実に私を殺したかったからでしょうか。
私としても願ったり叶ったりです。狼牙君の腕の中 (今の状態を抱擁と比喩して良いのかは疑問ですが)で死ねるのですから。
あぁ、冷たい。
ウォームアップが済みの体内には狼牙君の腕が冷たい。
心臓は特にそう。
火照った体には気持ち良い。
……迷惑かけてばっかりなので。
最後に一つ。
送りもの
♢
数メートル先が見えない程の霧が立ち込める川辺。
ギイ、と
停泊したボートからは黒ずくめの船頭。
私はポケットの中から五文銭を取り出す。
「__一文足りぬ。帰れ」
また、追い返されました。
♢
意識が飛んでいたのは1秒にも満たなかったと思います。握りつぶされた心臓が再生すると同時に五感を取り戻しました。
私の体に刺さったままの狼牙君の手は、心臓が再生するという突拍子なファンタジーにもすぐに対応します。再び握りつぶそうとしてきますが、とんでもない速度で再生する肉体が、狼牙君の手を外に押し出しました。左手で狼牙君を突き飛ばし、距離を取ります。
これが私の
死なないためには体を修復し、
ただ、狼牙君に一つプレゼントを贈るために、無理して
三途の川の渡し賃は六文銭。五文銭じゃあ一文足りない。
とはいえゾンビのように生き返った私を目の前にしても、狼牙君は
私のサプライズは
残りの外傷も全て治し、改めて狼牙君と対峙します。
「ありがとうございます狼牙君、私を殺してくれて。お礼に1つ、奥義を見せてあげるのですよ」
この奥義は誰かを殺す時以外使わないようにしていたのですが、出血大サービスです。
「お、お礼だって?」
「はい。何のためにこんなことをしているのかと聞かれれば、狼牙君に殺して貰うため、が答えになりますから」
「……殺して貰う? 何で…」
私の心臓を握りつぶしたせいか、顔を真っ青にしている狼牙君。私が生き返れることは予想していたようですが、それでも私を一度殺して相当動揺しています。
それだけ私という存在が狼牙君の中では大きかったのでしょう、素直に嬉しいと思いました。
「狼牙君には私の事をもっと理解して欲しいので、ちゃんと説明してあげたいのはやまやまですが、あんまり時間も無いので第2ラウンドを始めちゃいましょう」
私は狼牙君に見せるつもりの奥義を発動します。右腕でデコピンの形を作り、そのまま保持。私の変な指の構えに嫌なものを感じ取ったのか、彼はデコピンを除いて私の構えを真似ていました。
体内の
左手刀、右肘打ち、左足刀、右回し蹴り。
狼牙君はそれに対して、私と鏡合わせに技を繰り出して相殺。
私の構えを真似る事で、次の動作を予想しているようです。こうなると、受けが堅牢そうですね。向こうから攻めてこないと
とはいえ、私も元暗殺集団の端くれ。手札の数には自信があります。私は重心を低くして前のめりに。タックルを狙う構え。
私の構えに狼牙君は僅かに逡巡しました。同じ構えを取れば、お互いにぶつかり合わざるを得ない。私の右手のデコピンを警戒して、至近距離に近寄る事を嫌っている彼にとっては嫌な状況でしょう。しかし、結局は私と同じ構えを取ろうとしています。
とはいえ一瞬の逡巡が命とり。構えが僅かに遅れた隙に私は突っ込みます。接近する私に狼牙君も同じ姿勢でタックル。
二人、勢い良くぶつかりながらも、狼牙君はデコピンを警戒してか、真っ先に私の右手首を取りました。対する私は狼牙君の脇の下に手を入れ、首に手を回します。
狼牙君、
私が手に力を込めて狼牙君の体勢を崩そうとします。当然、彼は抵抗する。しかし、
彼はガクンと膝を付きました。何が起こったか分からないという顔をしています。ふふ、珍しい顔が見られました。冥途の土産には十分なのです。
狼牙君は急いで私の手を
狼牙君の立ち上がりと、私の右手が彼のおでこに添えられるのは同時でした。
“
事前に溜めが必要ですが、ちゃんと使えば
接触状態からデコピンを放ちます。打つというよりは押す、ですかね。
指一本だけで狼牙君は10mほど吹き飛び、廃病院の看板を凹ませました。
これが私から狼牙君へ最後のプレゼント。
……
その時でした、地面が急にせり上がってきたのは。いや、私が倒れたのは。
自分の体に意識を向けると、
しかし、体は今までの訓練を覚えているのか、勝手に立ち上がりました。暗殺者時代、地面に寝てたら問答無用で蹴り飛ばされてましたし。
とはいえ体は限界の様子。すでに視覚は8割ほど失われ、聴覚も多分効いていないのです。触覚の方も大半が失われており、肘から先の感覚がありません。
意識と外界との接点である五感が次々にシャットダウンしていく感じ。意識だけが取り残されて孤独になっていく感じ。
……寂しい。私が殺した人たちもこんな感じだったのでしょうか。
彼ら、彼女たちは絶命の瞬間、いつも私の体を掴んできました。単なる反射なのかと思ってましたが、もしかしたら皆もこんな風に寂しかったのかも。自分を殺した憎い怨敵にもかかわらず、
私の体も何か拠り所を求めて手を伸ばします。しかし空を切る。一番近くにいる狼牙君も、手の届かないところに吹き飛ばしてしまいました。
今まで好き勝手やってきたツケが回ってきたのです。最後だけ安らかに死のうというのは都合が良すぎでした。
胴体の位置が下がります。膝を付いたのでしょうか。すでに手足の感覚が無いため、自分の体勢すら把握できません。
恐らく膝を付いた体勢で踏ん張ることも出来ず、前のめりに倒れます。そのままクズらしくコンクリートを枕に
私の体を抱き留める何か。狼牙君でしょうか。かろうじて残った触覚が人の温かさを知覚します。
私は記憶を頼りに、感覚の無い腕で狼牙君を抱き返します。……ちゃんと出来ているでしょうか、感覚が無いので分かりません。
「……ありがとう、ございます」
ちゃんと言えたでしょうか?
ほっぺたが濡れる感覚が私の最後でした。
♢
狼牙は冷たくなった
親しい者の死。どうしても父親が死んだ場面と重なる。
しかし、状況は悲嘆にくれる事を許さない。一刻も早く柄鎖を助けなければいけない。
加えて、フシみんとの戦闘中、狼牙は車の音を聞いていた。そしてたった今、一人分の足音がこちらに近付いている。
「こんな時に……来てんじゃ、ねぇよ……!」
敵は気持ちを
しかし、狼牙が避けることを見越していたかのように、敵はフックを繰り出す。それは彼の顔面を完璧に捉えたが、
狼牙は一歩踏み込み、受け流しに使った手で敵の肩を掴む。瞬間、敵が膝を付いた。先ほどフシみんにかけられた
「~~クソァッ!!」
狼牙は膝を付いた敵の顔めがけて、右腕を振り下ろす。それは
「……く、ぐく……ッ」
「……さっきの車、他にも仲間がいるかもしれない」
思考を口にして、ブレる心を何とか落ち着けようとする。
「柄鎖はB1階の放射線室にいるはずだ……」