今は放課後。狼牙は
「
柄鎖の一言を受け、狼牙は腰を落として構える。
……ピー、ピー、ピー
ややあって、狼牙の横にある物々しい機械が警告音を吐き出した。
「左大腿四頭筋、力をお抜きになって」
大きく深呼吸をして自然体に。すると警告音が収まる…が、一時のもの。すぐにピーピーとわめき始める。
「右腓腹筋、体重をかけすぎですわ」
少しだけ重心を移動させる。すると警告音が収まる…が、やはり一時の静寂。再び機械がさえずり始める。
「今度は左上腕三頭筋。あちらを立てればこちらが立たず、ですわね。一度休憩致しましょう」
柄鎖が機械の電源を落とす。狼牙は筋肉の動きを測定していた電極を体から全て取り外した。
さっきまで狼牙がやっていた稽古は
ポーズを取るだけなら模倣が得意な狼牙にとっては朝飯前だ。しかし、ポーズを取りつつ無駄な力を抜くとなると、途端に難易度があがる。
バランスを僅かでも崩せばどちらかの脚に余計な力が入ってしまう。かといってバランスの意地に意識を割くと、今度は腕が疎かに。
“無駄な力みは動きの硬さにつながりますわ。骨で立つ事を意識して筋肉は出来るだけ使わないように” というのが柄鎖の言だ。
現にこの練習をするようになってから、狼牙の技と技の繋ぎが少し滑らかになった。そのため、続ける価値ありと判断して今も行っている。
狼牙が電極を纏めて片付けていると、柄鎖が声を掛けてきた。
「流石のアナタも筋肉の動きまでは模倣できませんのね」
「当たり前だろ。俺の目はMRIじゃない。皮膚の表面だけ見て筋肉の動きまで完璧に把握できねぇよ」
狼牙は観測したものしか模倣できない。型なら動きを見る必要が、
「だからお前の筋肉に触らせてくれ」
「…まぁ、別に構いませんが…」
そう、実際に筋肉に触る必要がある。ということで、彼は柄鎖にポーズを取ってもらった。まずは前腕に触れる。
「…」
「ここがこうで…こっちがこうで…」
柄鎖の腕に触りながらリアルタイムで模倣していく。
「……」
「…あぁ? ここの力抜いたらこっちに力入れねぇと腕が下がるだろ…。他の部分で補ってるのか?」
腕の上で指を滑らせていく。
「……っ」
「おい、力入ったぞ。ちゃんと脱力してくれ」
「……貴方が触るからでしょうに」
「触らずにどうやって模倣すんだよ」
「もう少ししっかり触ってくださる? くすぐったいんですの」
「良いのか? じゃあ遠慮なく」
狼牙は撫でる様に動かしていた指を柄鎖の肌に沈み込ませる。彼女の筋肉は指を柔らかく受け止めた。
「良い柔軟性だ。なるほど、奥の筋肉はこうでこうか…」
指をズラし、二の腕から脇にかけての筋肉を揉む様に調べる。
「……っ」
「この筋肉のラインがミソか…。よし、次は表側を…」
次は上半身。そのまま手をスライドさせ、三角筋、小胸筋、大胸筋の境目を…
「~~…っ! これセクハラ扱いしても良いものですの!? セクハラ扱いして良いですわよね!?」
急に柄鎖がキレた。
「なに怒ってんだ。力みは硬さを生むんだろ? ほら、早く力抜け」
「胸は普通避けませんこと!? 何をナチュラルに揉みにきているんですの!?」
「は? 触って良いって言っただろ?」
「限度という者がありまして! とにかく胸は止めてくださるかしら!!」
狼牙に有無を言わせぬ大声。しょうがなく彼は柄鎖の胸から手を離し、背中に触れた。
「まぁ胸は余計な脂肪のせいで筋肉の動きが分かりづらいから別に良い。次は下半身触るぞ」
「…お尻には触らないように」
「分かった。そこは試行錯誤で補う」
こんな調子で今日の稽古をこなしていった。
♢
時刻は夜の9時。稽古後のストレッチを終えて以降は解散するだけ。……という所で狼牙のスマホから通知音が鳴った。
通知はメッセージアプリから。狼牙がホップアップをタッチすると、フシみんとのトーク画面が表示される。
『明日、ショッピングモールにでも行かないのです?』
遊びの誘い。狼牙は表情にこそ表さない物の内心、テンションを上げていた。幼少期は親父との特訓詰めでろくに遊んだことが無く、ショッピングモールにも行った事が無いためだ。
別に親父との特訓が嫌だったというわけでは無い。むしろその時はとても充実していた。単純に初めての場所に他の誰かと遊びに行ってみたいという欲求が溢れて止まらないだけだ。
しかし、稽古をサボって遊びに行くというのは少し後ろめたい気持ちもある。それが彼を手放しで喜ばせない枷となっていた。
「…画面を覗いたご無礼、お許しください。その上での助言ですが、体と心を休めるのも大事な事ですわ。気にせず遊びにいったらいかがでしょう」
狼牙の思考を読んだかのような発言をする柄鎖。
「…なら」
狼牙はその言葉に容易く流された。少しだけ自己嫌悪に苛まれるが、明日へのワクワクがすぐに塗りつぶしてくれる。すぐにフシみんへと連絡。
『行く』
『じゃあ、明日の8時に正門前に集合なのです』
(よし、今日は速く寝よう)
そう心に決める狼牙の隣で柄鎖が頭を抱えていた。
「どうした? 頭抱えて」
「いえ…その…。貴方と
「そうだが」
「そこはかとなく嫌な予感がするのは私の気のせいでしょうか…」
「……いや。合ってると思うぞ、その予感」
狼牙とフシみん、問題児の二人だけで遊びに行く。何か問題を起こしそう、というのはいたって普通の考えだろう。
加えて狼牙はショッピングモールに初めて行く。つまりショッピングモールでの作法を知らない。そこが完全にフシみん頼りになるわけだ。彼女の知識が非常識なものであれば、めちゃめちゃな一日にもなりかねない。そして彼女の普段の言動からすると、まともな常識が備わっているようには思えない。
「心配ですので私も同行したいのですが…よろしいでしょうか?」
「俺は構わない。というかこっちから頼みたいくらいだ」
「後は二四三様の了承を得るだけですわね」
スマホでメッセージを送る。
『明日、柄鎖も来るけどいいか?』
『良いのです。人は多い方が楽しいですから』
すぐに了承の返事が来た。
「一安心ですわね」
「だな。じゃ、また明日」
「えぇ、また明日。今日はお疲れの出ませんように」
こうして狼牙はワクワク気分のまま、一日を終えた。
♢
翌日。朝8時から狼牙、柄鎖、フシみんの三人でバスと電車を乗り継ぎ、ショッピングモールへ到着。異能者の身体能力なら公共交通機関を使うよりも走った方が速いのだが、汗をかくのを嫌った。
「…デケェ」
そして狼牙は人生初めてのショッピングモールに気圧されていた。この世にこれだけ大きい建物が存在するとは思いもしなかったのだ。
(7階建ての駐車場ってなんだよ…。いったい何人収容する想定なんだ?)
ショッピングモールの入り口が無限の胃袋を持つ巨大な化け物の口に見え始めたころ、フシみんが狼牙にしなだれかかり、背中を押してくる。
「入り口でボーっとしてたらもったいないのですよ。ショッピングモールは中に入ってなんぼなのです」
「二四三様の言う通りですわ。外は暑いですし、早く中へ入りましょう。」
学園の正門ほども横幅がある大きな自動ドアをくぐると、中にはSF世界が広がっていた(狼牙にとって)。
吹き抜けの巨大なエントランス。上を見上げても何階立てなのかすぐには分からない。
そして各階層を繋げるエスカレーターも巨大で複雑。人の血管を機械で再現した現代アートなのかと思ってしまう程。
壁や転落防止の柵はなぜかガラス張り。そのため透明感に溢れており、透けて見える向こう側の細かい景色に圧倒される。
結論。めっちゃテンション上がる。
見渡す限り壁に埋め込まれたような店、店、店。わけの分からない英語からお馴染みの日本語など、様々な看板を掲げた店舗がただ一つの施設に凝縮されている。
エントランスの中央には巨大なステージがあり、そこでは何かイベント事もやっているようだ。
とりあえず、エントランスの景色を上から眺めてみたい。そう思った狼牙は足に力を溜め、吹き抜けの最上階まで跳躍しようとすると…
「お待ちなさい」
柄鎖に肩を掴まれた。
「何だよ」
「貴方、今最上階までジャンプしようとしていませんでしたこと?」
「それがどうした」
「公共の場で無暗に目立つ事をなさらないでくださる? エスカレーターがあるのですからそちらで上がりましょう」
「ジャンプした方が速いだろ…」
柄鎖に叱られ、狼牙はしぶしぶエスカレーターに乗る。逸る彼にとっては蚊が止まってしまいそうな速度だが、退屈はしなかった。ゆっくりと流れるショッピングモールの景色を隅から隅まで堪能していると、いつの間にか最上階までたどり着いている。
下を覗くと、まるで螺旋階段の様な景色が目に入って来る。
見上げた時は巨大さを十分に感じたものだが、見下げると今度は深さが際立つ。今いる場所が一階で、地下に無限の空間が広がっているかのよう。地下に広がる空間といえば秘密基地。勝手に連想して勝手にワクワクし始める狼牙の脳。まったくもって嫌ではない。
狼牙が階下を眺めてニヤニヤしていると、フシみんが口を開いた。
「せっかく最上階まで来ましたし、一階まで下りながら色々なお店を見て回るのです」
提案に異論はない。狼牙は上機嫌で返事をする。
「分かった」
「承知しましたわ」
「それじゃあ、早速行くのです」
最上階には自販機があるだけで、店が無い。フシみんの先導に従って一つ階を降りた。
♢
「…で、寄る店寄る店、服屋ばっかりなんだが?」
柄鎖とフシみんが大量の衣服を吟味している後ろで圧をかけるようにロウガが呟く。
「服屋、嫌いなのです?」
「嫌いというかやる事が無い。家具とか家電とかならまだしも、服を長時間眺める趣味は無い」
狼牙は、ショッピングモールにはありとあらゆる商品が売られていると聞いていた。しかし、先ほどから服屋にしか立ち寄っていない。最初の方は彼も楽しんでいたが、流石に飽きているようだ。
「では眺めるだけではなく、試着してみたらいかがでしょうか。例えばこちらの服とか」
そう言って柄鎖が狼牙に渡したのは、どう見ても女性用の服。
「は? これ女用の服だろ」
「いえ、至って真面目でございますわ。狼牙様は目つきこそ鋭いですが、幼い顔つきで、肩幅も狭いので女性用の服も似合うかと」
「そうなのです。他にもこういうのとかも似合いそうなのです」
フシみんも適当に見繕った服を狼牙に押し付ける。
「…本当か?」
「えぇ、天地神明に誓って」
「きっと良く似合うのですよ」
「…試しもせずに否定するのは違うか」
狼牙は押し付けられた服を手に、試着室へと入った。
♢
とりあえず渡された服を着た狼牙。鏡で自分の姿を眺める。
色素が薄く、上と下が繋がっている一枚布の服。長袖にも関わらず、なぜか肩の部分に穴が空いている。しかも袖が長すぎるせいで手の部分に布がかぶさって少し邪魔だ。
「とはいえ、普段の運動着とか無地のシャツに比べればマシか…?」
「着替え終わったのです?」
狼牙が鏡の前で一回転してから感想を呟くと、カーテンの外からフシみんの声が聞こえてくる。
「一応。着方間違ってないか?」
狼牙がカーテンを開くと、彼の姿を見たフシみんと柄鎖が固まった。
「…おい、何か言えよ。」
(やはり女物の服は似合わないか。それにこんなの着てたらまた女と間違われてトラブルの種になりかねない)
そう思った狼牙は着替えるためにカーテンを閉める。が、その途中でフシみんと柄鎖がカーテンを閉じさせまいと阻止した。
「は? 何だよ、今から着替えるんだ。その手を離せ」
「そうなのですか。ではこっちの服に着替えて欲しいのです」
「いえ、狼牙様にはこちらの方がお似合いかと。股下とヒップのサイズは何センチでしょうか? 脚が細く見える黒ストッキングを今から買ってまいりますので」
二人はカーテンの隙間から服をねじ込む。
「これもこれも女用の服だろ!? 男用の服を渡せよ! あっちのカッコいい奴とか!」
狼牙はマネキンが着ている服を指差す。しかし、フシみんと柄鎖は首を横に振った。
「ああいうのは高身長の男の子にしか似合わないのです。狼牙君が着てもちんちくりんにしか見えないのです。服に着られる状態なのです」
「えぇ、それにあちらの服はMサイズ以上しかないようですわ。XXS、良いところXSサイズのお可愛い狼牙様が着られるような服ではございません。身の丈にあったファッションをされるのがよろしいかと」
「なんか急にボロクソ言い始めるなお前ら! 似合わないかどうかは着てみねぇとわからねぇだろ!」
二人の制止を振り切り、狼牙が指差した服を手に試着室へとこもる。とりあえず着替えてみたが…
「…何か横長に見えてダサいな」
「加えてベルトの位置が低いため、ただでさえ低い身長に加えて短足が際立っております。やはりスカートを高めに履き、脚を長く見せるべきかと」
「しかも配色がダメダメなのです。インナーとまったく合ってないのです。やっぱり黒白で統一したこのゴスロリ服を着るべきなのです」
「色は知らねぇよ、色覚異常なんだから。けどこの服が似合わないってのは分かった。俺の審美眼が悪いのもな。だから二人が似合いそうなの持って来てくれ。女用でも構わねぇから」
狼牙は後にこの言葉を後悔する。まさか2時間も着せ替え人形にさせられるとは流石に思っていなかった。