ヤンデレ詰め合わせ   作:小野間トペ

3 / 12
上位存在魅入られモノヤンデレ

幼い頃には、様々な体験をするものだ。

見て聞いて、触れて嗅いで味わって。

野山を駆け回ったり、町中を歩き回ったり。

子供の頃に経験したものを基に常識や知見というものは形成されるし、感性というものはそこで養われる。

 

そんな体験の中には、不思議なものが含まれていることがある。

謎の存在を目撃したり、奇妙な現象との遭遇をしたり。

大抵は事象を理解する能力が足りていなかったり、記憶力の関係で話が捻じ曲げられたりしていて奇特に感じているというのが実際のところで、本物の特異な体験、というのは滅多に無いことだ。

 

そんなものは人生で一度、あるかないかだろう。

 

そして、俺はそんな人生に一度あるかないかの経験をしている。

あれは、小学校高学年の頃だった。

 

「家ってこっちの方じゃなかったっけ?」

 

その時俺は道に迷っていた。

正しくは樹海で遭難していた(・・・・・・・・・)のだが。

 

何処までも続く一面の森。

さっきまでいた存在の痕跡を直ぐ様喪失させる大自然。

方向感覚なんて喪われて当然だ。

自分がどこにいるかなんて分かったもんじゃない。

森に入ってしばらくは、道らしきものや獣道を通って森の奥へ奥へと進んでいたのだが、途中からはそれもなくなって道なき道を進んでいくことになった。

蔦やら草やらを掻き分けて進んだのは良かったのだが、戻るときになるとそれらの痕跡はすぐに無くなるのだ。

 

どこから道から分岐してどの獣道を通り、どこで終わりに突き当たって森を掻き分けていったかなんて小学生が覚えている訳がない。

大人なら木々に紐を通すなどして帰り道のための対策はしていただろうが、小学生にそんなこと思いつく頭は無い。

 

がむしゃらに森を進み、山を何個も越え、いよいよ取り返しがつかない所まで来て、辺りが暗くなってきて、大自然のあまりの恐ろしさに嫌気が差して、当初の目的をかなぐり捨てて帰ることにしたのだが、当初の目的では帰り道を考える必要がなかったために帰路のことなんて考えていなかった。

 

俺は遭難したわけである。

 

パニックになってあたりを走り回り、無駄に体力を使ってボロボロになった所で冷静になった。

気力がなくなると頭がヤバいと思って冷静になるらしい。

この一面のクソミドリから抜け出す為に何をするべきか考えた。

 

まず携帯電話を用意したが、圏外で使えない。

その頃スマホなんて画期的なもの無いので、GPSでなんたらも出来ない。

 

次に周りで一番高い山を目指し、山頂から辺りを見回すことを考えた。

その辺から良さげな木の棒を用意して、足を引き摺りながら山を登り、周りを見た。

 

一面の森。

そそりたつ山々。

人家の跡だとか、道の跡とか、人の痕跡の類はまるでなかった。

 

俺はそこで座り込んだ。

少なくとも今の体力と暗くなるまでの時間で、家に帰れる見込みはない。

つまり……

 

「ここで死んじゃうのかなぁ」

 

子供心にそう思った。

水も、食料も、用意してはいたが心許ない。

 

「おとうさん……おかあさん……」

 

覚悟はしていたのかもしれない。

出発するとき、失敗すれば戻ることが出来ないということを。

しかし、実際にその可能性が突きつけられるのは、非常に恐ろしい事である。

特に、年端もいかない子供には、特にこたえる。

 

耐えきれなくなって涙が溢れた。

まさにその時。

足場にしていた岩がずれた(・・・)

がくりと、少しずれた。

大人であれば、立っていればなんともないような、ちょっとしたものだったが、気力の尽き果てた、座り込んだ子供であれば。

大きくバランスを崩しただろう。

 

そして、山頂でバランスを崩すということは。

 

「ぁ……」

 

高くそびえる山の斜面へと、投げ出されることになる。

 

それからは酷かった。

山を、ゴツゴツとした山肌の山の、木々の生い茂る山の斜面を転げ落ちた。

岩肌に叩きつけられ、枝が深く突き刺さる。

そして、そんな所を勢いよく転がっていくのに耐えられる人間は居ない。

きっと、存在しない。

 

俺はきっと死んだか、死なないにしても致命傷を負ったのだ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

俺の住む町には、とある伝承があった。

 

ある農民の男は、隣町に往くために森を進むのだが、途中で道に迷ってしまう。

あちらこちらと周りを探っても道は見つからない。仕方なく一つの方角に向けて何処までも進むことにしたのだが、運良く道を見つける。

その道を進むと、一つの家に辿り着いた。

家に人は居ない。

引き込まれるように家に入ってみると、中には金目のものがどっさりとあり、それを持ち出した彼は金持ちになった。

更には何をするにも上手く行き、末永く幸せに暮らしさとさ、という顛末である。

 

所謂『マヨヒガ』伝説だ。

 

郷土学習というものでそれを知った当時の俺は、なんて酷いことをするのだろうと思っていた。

 

「人のものを盗むなんて、なんて酷いヤツなんだろうな」

 

なんて友人と話していた。

人のものを盗んでまで金持ちには、なりたくないなあなんて思っていた。

 

しかし、時は過ぎ、小学校5年生になる頃。

俺の人生に暗雲が立ち込めていた。

きっかけは親父の経営する商店の経営不振だった。

 

ウチの商店は代々あるものではない。

かつて町の住人は、隣町の大きな商店に買い出しに行くのが普通で、町には商店らしいものがなかった。

それに目をつけた親父が故郷のためにと始めたのがウチの店だ。

隣町の商店に値段では流石に勝てないが、それ以外のところで頑張った。

町の飲食店の殆どはウチの店から食べ物だったりを卸している。

これは親父の懸命の努力の甲斐あってのものだ。

商店の小売の売上は赤字だったが、卸売で収入がなかなかにあったため、足し引きすると額面では町でも有数の有力者のそれだった。

それに目をつけたのが母さんの家系だった。

 

母さんの家系は遡ると平安貴族の流れをくんでいるらしく、昔はそれはそれは力のある豪族だったらしい。

しかし、戦乱の夜にあってその力はみるみると無くなり、都市を離れて小さな町に落ちのびた。

それからは普通の庶民として生活していた。

特に凄いことをしていたわけではない。

職種も、収入も、ごく普通。

 

これを俺の祖父は快く思っていなかった。

家柄はしっかりとあるのだが、それに見合った力がないのを憂いていた。

そこに親父が登場する。

そこで祖父は考えた。

みるみる力をつけるあの家に娘を嫁がせれば、かつての輝きとは言わないがそれなりの格を得られるだろうと。

 

そういうわけで、親父に母さんとの縁談の話がやってくる。

縁談というのは当たり前だが、互いを知らない状態で急に結婚の話が舞い込む訳だ。

親父の家族は家柄を考えて、何故こんな格のある家が?とは思っていたが嬉しく感じていた。

急に結婚の申し出があった親父はそういう(・・・・)事情で縁談がやってきたのをなんとなく理解していたらしい。

 

しかし、それを知って尚母さんと結婚した。

身を固めるのに丁度いい頃合いだったから、と親父は語っていた。

 

「年齢的にも行き遅れた俺にそんな話が来たなら、受ける他ないだろ?」

 

そうして結婚した二人の間に生まれたのが俺だ。

親父は倅が出来て嬉しかったらしい。

母さんは女の子が良かったらしい。

 

ふたりとも良好な夫婦仲だった、と子供の頃は思っていた。

親父も母さんも家では笑っていることが多かったし、互いを敬っている感じがして、いい雰囲気だった。

 

しかし、俺が高学年に上がる頃、町近くに大手ショッピングモールがやってきたことで全てが良くない方向に向き出した。

 

隣町の商店が潰れた。

顧客を殆どショッピングモールに奪われたかららしい。

 

町の飲食店は卸売をショッピングモールに頼むことにするらしい。

あんたらには申し訳ないとは言われたが。

 

卸売を売上の多くにしていたウチの商店は火の車になってしまった。

そもそも小売で赤字だったのに、卸売りでそれを補填出来ないとなると、生活は厳しくなる。

 

こんな訳であっという間にウチの家の格は下がった。

親父の実家は仕方ないと言ってくれたが、良しとしないのが母さんの実家だ。

とにかく面白くないのだろう。

前は事ある毎に家に顔を出していた祖父も家に来なくなった。

 

親父にあった余裕というものがなくなっていくのを感じた。

家でもぴりぴりとした雰囲気を纏ってばかり。

顔にも焦りの表情が隠せず、多少怒りっぽくなってしまった。

これでは家庭がうまくいくわけがない。

 

母さんも家計に余裕がなくなってかりかりするようになった。

家で親父と口論になったり、言葉を交わさなくなったりしていった。

 

このままではいけない。

子供ながらにそう思った。

ショッピングモールは憎いが、どうすることもできない。

大人でも立ち向かえないのだ。

子供に出来る道理は無い。

 

なら、何ができだろう?

その時にあの話を思い出した。

 

『マヨヒガ』なら、なんとかしてくれるのでは?

 

それに自分の人生を懸けることにした。

今思えば余りにも恐ろしい選択だ。

しかしそれを選び取る程に追い詰められていた。

幸せになれる可能性に、全てを賭けることにしたのだ。

 

そう考えてからの行動は早かった。

こっそりと水筒やらおにぎりを用意して、リュックサックを背負ってお話の舞台になった森に繰り出した。

人がよく通る道沿いにはないだろうと脇道にそれ、森深くへと入っていった。

獣道を頼りに深くへと入り、掻き分けてより深くへと入っていった。

 

――その結果がこれか?

 

首は辛うじて動かせた。

山の麓まで落ちてきたらしい。

 

服はぼろぼろで、所々に穴が空いていたり、赤黒い染みが付いていたり。

 

体は動かない。

力が入らない感じがする。

 

駄目だな。

きっと助からない。

 

強烈な眠気が襲ってきた。

ふんわりと、意識が奪われていく。

 

――死ぬってきっと、こんな感じなのかな。

 

口に出すことは叶わなかった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

深いまどろみの中で、暖かななにかに触れた。

 

それは体の中に入っていって、体を芯から暖かくしてくれた。

 

なんとも言えない不思議な感じだけれど、それがやさしさによってもたらされたのだと分かった。

 

やさしさからもたらされたのなら、きっといいものなのだろう、と考えた。

 

でも、そのやさしさの中に不穏な何かを感じ取った。

 

その何かがわからないまま、意識が現実に引き戻されていく――

 

「目が覚めましたね?」

 

ぼんやりとした視界には、人の輪郭が見て取れる。

 

古い家、おばあちゃん家の様な匂いだ。

 

視界が回復していく。

その目に映るのは、女性の顔。

色素の薄い、きれいな黒髪の女性がこちらを覗き込んでいる。

その瞳は黒い。

吸い込まれてしまいそうな程に、黒かった。

 

「お姉さん、誰?」

 

反射的に、そう質問した。

 

「フフッ」

 

「安心して横になっていなさいね」

 

返答になっていないと思う。

 

ここはどこだろう?

天井は町で偶にある古い屋敷のものに見える。

木造の家だ。

 

横を見ようとした時に初めて、自分が寝かされていることに気付いた。

しかも、女性に膝枕された状態で、である。

 

「わっ」

 

気付いてすぐに起き上がった。

 

「あらあら」

 

「何も急ぐことはありませんよ」

 

両の手で肩を掴まれた。

そのまま膝枕の体勢に戻されそうになる。

抵抗しようとするが力が強い。

 

元の体勢に戻されてしまった。

 

「お姉さん」

 

「はい」

 

「誰なの?」

 

「フフッ」

 

「お姉さん、ですよ」

 

なんだそれ、と思ったのを覚えている。

話が通じないのか?

 

「ここは何処なの?」

 

「フフッ」

 

「さあ、何処でしょうね?」

 

なんの情報も得られない。

 

こうしちゃいられないんだ。

早く家に帰らないと。

 

あれ。

でも、さっきまで、森に居て、山から、投げだされて、身体が、ずたずたに――

 

「翔くん」

 

名前を呼ばれた。

 

「案ずることはありませんよ」

 

「全部良くなっていますからね」

 

はっとして体を見回す。

 

服も体も元通りだ。

痛くも何ともない。

寧ろ今まであった胸につかえたなにかや、家のことに関するもやもやもなくなってすっきりしていた。

 

再び膝枕の状態から起き上がり、お姉さんの方へ向き直った。

 

服装は、驚く程に真っ黒な着物だ。

今の知識で言えば、マットブラックと言うやつだろう。

光を吸い込んで、まるで夜の闇のようだった。

それなりに上質な素材で出来ているのだろうというのは分かった。

 

辺りを見回す。

 

どうやらお屋敷のようだった。

そこそこ広い和室で、お姉さんが居る方には掛け軸があって、横を見ると縁側があって、僕の後ろには襖があって。

よくある造りだ。

 

縁側から見えるのは、か細い小川。

きらきらと陽の光を反射して、懸命に流れている。

川向うには木々が植えてあって、所謂庭園であることが分かった。

 

そうだ。

助けてもらった人にはお礼をしないと。

 

「お姉さん」

 

「はい」

 

「助けてくれて、ありがとうございます」

 

深々と頭を下げた。

 

どうやって助けてもらって、なんで体が元通りになっていて、ここが一体何処で、お姉さんが何者なのかはとても気になったが。

助けてもらった、はずだから。

 

「フフッ」

 

「顔を上げてください」

 

ゆっくりと頭を上げて、お姉さんの顔を見つめる。

 

「何もそこまでされることはしていません」

 

「困っているひとを助けるなんて、当然のことでしょう?」

 

「ただ、それだけのことです」

 

なんて優しい人なんだろう!と思ったのを覚えている。

そんな優しさを与えてくれた彼女に、心を許している自分がいた。

 

醸し出される雰囲気はおばあちゃんとかから出てくる慈愛に満ちたそれで、赤の他人であるのにとても心が安らいだ。

まるで自分の身内であるように(・・・・・・・・・・・・・・)、接されている。

それは、その時の混乱していた俺にはとても有り難いことだった。

いつまでもここに居たいような、いつまでもこの人と一緒に居たいような、そんな感じがした。

 

ただ……

 

「お姉さん」

 

「助けていただいて、お礼をしたいのもそうなんですが……」

 

「わかっています」

 

「おうちに帰りたいのよね?」

 

「はい……」

 

いつまでもここにいるわけにはいかない。

いずれお礼をしなければならないが、まずは家に帰らなければ。

明るいのを見るに、体の治り具合を見るに、結構な日数が経っていると思う。

 

親に迷惑をかけてしまっている。

早く帰らないと。

 

「宜しいですよ」

 

「気をつけておかえりなさいね」

 

「はい」

 

「ありがとうございました」

 

お姉さんに案内されて、玄関を出る。

 

曰く玄関から続く道を真っ直ぐに行けば、町に出られるのだとか。

お姉さんは事情があって町には下れないから、一人で帰るように言われた。

 

「気をつけていってらっしゃいね」

 

「はい!ありがとうございました!」

 

元気に挨拶する。

 

振り向くとお姉さんはにこにこと笑っていた。

なんというか、幸せそうに。

 

後ろに建っているお屋敷を見ると、とても大きい。

 

山奥に建っている、お屋敷。

 

『道に迷い込んだ男は、ある家に迷い込む。その家には金目のものがたくさんあって――』

 

「もしかして!」

 

「うん?」

 

「ここって『マヨヒガ』なんですか?」

 

声が上ずる。

 

ここは、もしかすると。

あの『マヨヒガ』なのかもしれない!

 

お姉さんは考えているようだった。

あらぬ方向を見て、考えに耽っている。

そして。

 

「ええ」

 

「ここが『マヨヒガ』ですよ」

 

「貴方の待ち望んだ、ね」

 

そうだったのか。

 

俺は、紆余曲折を経て、遂に『マヨヒガ』に到達したのだ!

 

体が熱くなる。

あまりの嬉しさにバランスを崩しそうになった。

 

「あらあら」

 

「大丈夫ですか?」

 

お姉さんに抱きかかえられて、崩れ落ちることは無かった。

 

お姉さんは結構遠くにいた気がしたのだが。

 

立ち上がって、お姉さんの方を向く。

興奮気味に尋ねた。

 

「じゃあ、これから幸せになれるんですか?」

 

「そうですよ」

 

「家は豊かになるんですか?」

 

「そうですよ」

 

「もう、心配しなくて済むんですね?」

 

「ええ、そうですよ」

 

ガッツポーズをした。

これで家を助けられる!

 

「家のものを持ち出しても、きっと取り上げられてしまうでしょうから」

 

「貴方に加護を授けます」

 

「末永く幸せに暮らせるように」

 

「困ることのないように」

 

「私が、守ってあげます」

 

「だから安心して、町にお戻りなさい」

 

僕は挨拶もそこそこに足早に屋敷を去った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

結論から言うと、我が家は再び豊かになった。

町のショッピングモールを経営していた家に問題が発生したらしく、急に経営権が売りに出された。

何が起きたのかと騒ぎになったのだが、親父にモールを任せられないか、という話がこれまた急に舞い込んできた。

これを断る訳がない。

親父は大赤字の商店経営者から一転、ドル箱ショッピングモールの経営者となったのだ。

 

これで家は安泰。

再び幸せな家庭に戻ることができた。

いつもの優しい親父と母さんが戻ってきたのだ。

 

学校生活も成功の連続。

急にテストでいい点が取れるようになったし、みんなからやたらと優しくされるようになった。

推薦で生徒会長を任せられて、学校のリーダーになった。

友達ともより仲良くなれて、とにかく幸せになれた。

 

中学高校もだいたいこんな感じ。

みんなから優しくされて、勉強しなくてもテストでいい点が取れて、友達と毎日遊んで暮らせて。

生徒会長になってはやること為すこと称賛されて。

とにかくサイコーだった。

 

モールの売上も鰻登り。

町の外れに大豪邸を建てることになった。

みんなから

 

「まさか『マヨヒガ』にでも行ったんじゃないだろうな?」

 

なんて言われたのを覚えている。

 

『マヨヒガ』の話は誰にもしていない。

当然、『マヨヒガ』へ行ったなんて言っても信じて貰えるはずがない。

だから、そう言われたときにとにかく動揺した。

 

更に、俺の遭難劇は皆に知られることはなかった。

俺が森に入って出るまで、たったの一時間しか経っていなかったのだ。

 

確かに日が落ちていくまで森の中に居たはずなのに、山から落ちて生死の淵を彷徨っていたはずなのに、そこから治療を受けて回復するまで時間がかかるはずなのに。

まるで魔法でも受けたんじゃないかというくらいに、現実が歪められていた。

 

実際魔法の類を使われたのだろう。

服はボロボロになって体も元通りになるはずないほどに損傷していたが、体に傷ひとつついてないどころか、服にも傷ひとつついていなかった。

魔法の様な人智を超えた力によって、俺は助けられたのだ。

 

だからきっと、あのお姉さんは神様なのだろう。

俺を神様の力で治して、家に繁栄を齎してくれている。

『マヨヒガ』伝説では無人のお屋敷となっているが、そんなのほんの些細なことだ。

だって実際に俺たちは幸せになっているんだから!

 

本当に感謝してもしきれない。

神様、本当にありがとう!

お陰で、行きたかった大学にも進学出来そうです!

なんて素敵な人生なんだろうな。

 

大学生になったら何をしよう。

東京に行くんだから、何でもできるんだよな。

地元の奴らは町に残るから寂しいけど、きっと東京で新たな出会いが待ってるんだ!

そこでもきっとチヤホヤされて、優しくされて、毎日幸せに暮らせるんだろうな!

 

なんて、想像していた。

 

しかし実際は違ったんだ。

新たな出会いは待っていなかったし。

 

「こっち!こっちにバケツを持ってきて!」

 

チヤホヤされなかったし。

 

「畜生、消防はまだかよ!」

 

優しいやつは殆どいないし。

 

「あんた!何ぼさっと突っ立ってるのさ!」

 

俺は今、不幸のどん底に叩き落されている。

 

「お〜い!あんた!しっかりしなよ!」

 

昔のことを思い出すくらいには、参っている。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

不幸の始まりは、東京に来て直ぐだった。

 

財布をスられた。

町中を歩いていたときに、ほんの数分で。

 

中にはキャッシュカードが含まれてたんだから大変だ。

急いで紛失届を出して、暗証番号を変更して、なんとか事なきを得た。

東京程の大都会となるとこんなことが起こるものなのだなあ、とこの頃は楽観視していた。

命を取られないだけ良かった、とまで思った。

 

しかしこれは、大いなる不幸の始まりに過ぎなかった。

 

一人暮らしを始めると、事ある毎にと異音がする。

事故物件ではない。

そのあたりは調べたのだが、余りにも不穏な心霊現象が多発するのだ。

はっきり言ってやばすぎる。

周りの部屋では何も起こっていないのが不幸中の幸いだ。

 

大学生活を始めると、おかしなことが起こる。

皆俺を避けるのだ。

あからさまに、嫌なものを見るような顔をして。

授業とかクラス内レクリエーションとかでは事務的に接してくれるのだが、それ以外だとさっぱりだった。

 

サークルに入ろうとしたのだが、サークルのリーダーの人に丁寧にお断りされた。

何も悪いことはしていないのに。

 

授業の履修登録の情報も全く回ってこないので、結果として必修科目を取り損ねた。

来年度以降に履修しなければ。

――ウチは一学年ごとに必修が問われるんだった。

あーあ。

一年棒に振ることになったわけだ。

 

家にこれを報告すると、やんわりと怒られたが、あまり頭にきている感じではなかった。

せっかくだから東京を満喫して、暮らしがきつくなったら帰るようにと言われた。

 

ならばと吹っ切れて遊び呆けようとしたのだが、これもうまく行かない。

イベントへ行こうとすると延期になったり中止になったり。

テーマパークとかに行くと臨時休業とか臨時休園に出くわすのだ。

 

もしかして俺、呪われてるのだろうか?

 

そう思った俺は神社に行って祓って貰うことにした。

相当にお金がかかるが、効果が特にあると言われている所をチョイスした。

 

当日神社へ行って、お堂に入れてもらい、お祓いを担当するであろう方がやってきて、俺を一瞥するとこう言われた。

 

「我々では、それをどうすることも出来ない」

 

「は?」

 

代金を払い戻されて、敷地から追い出されてしまった。

 

何?「我々では、どうすることも出来ない」って?

そんなにやばいのが憑いてるのか?

 

その帰りにまたスリにあって財布がまた盗まれた。

結構なお金が入ってたのに……

 

その後も色々な神社にお願いするのだが、全くと言っていい程に相手にされない。

皆口を揃えて、「我々には無理」と言われる。

 

いよいよやばい気がしてきた。

『マヨヒガ』には負のお返しがあるのか?

 

しかし、実家の方はそんなことないのだ。

ショッピングモールは快調に売上を飛ばし、本部から優良店に選ばれているし、俺が東京に来てから町で何かおかしなことが起こっているというわけでもない。

東京にいる俺だけが、とても不幸になっているのだ。

 

余りにもやばいので、実家に帰ることにした。

新幹線のチケットを取って、明日には帰ろうとしていた矢先に――

 

火事が起きた。

出火元は俺の部屋。

ガス栓を閉めていなかったところで静電気が発生して、爆発的に燃え広がったらしい。

 

丁度買い出しにでかけていたので命の危険は無かった。

しかし家の中にあったものは全て燃え尽きてしまった。

角部屋だったので隣一軒に被害が及んだ程度でなんとかなったのが良かったのか悪かったのか。

 

とにかく、実家に逃げるように帰っていった。

 

家に帰ってくると、あまりの変わりなさにびっくりした。

みんな東京に出る前の感じのままだ。

 

竜二はうちがオーナーの飲食店で働いているが、相変わらずおっちょこちょいで愛嬌がある。

 

修一は町のクリーニング屋を継いだが、生真面目でも情のあるやつのままだった。

 

とにかくみんなそのままだった。

気味の悪いくらいに。

 

まるで、時間の止まったような――

 

そんなことない。

きっと、そんなこと、ない。

 

いかんいかん。

物事を悪く考える癖がついてしまった。

 

とにかく、だ。

思い当たる原因は、あれ・・しかない。

再び、あそこを目指すしかない。

再び、神様と相対するしか道はない。

 

急いで準備に取り掛かろう。

最低限必要なものは東京から用意してきた。

あとは食料とか水とかの食糧の類だ。

 

登山用のリュックサックに詰め込んで、なんとかなるだろう。

家に少し出かける旨を伝えて、件の森の方へと歩いてゆく。

 

会うことは出来るだろうか。

辿り着くことは出来るだろうか。

 

思うことは沢山ある。

何故俺にだけ災厄が降り注ぐのか。

何故町の家族には問題がないのか。

何故東京へ行ったこのタイミングなのか。

 

あれほど恩恵をもたらしてくれた神様が、一体何故?

 

分からない。

分からない事だらけだ。

 

そうこう考えていると、あの時辿り着いた道に出た。

 

あの時は帰ることができるのと、『マヨヒガ』に辿り着けたこと、神様に将来の安寧を約束されたことに嬉しくて考えていなかったが、何故この道路なのだろう?

この道路は山向こうの町に行くためには必ず通る大きな道路だ。

脇道だったとはいえあの道を通れば『マヨヒガ』に辿り着けるはずなのだ。

長い歴史の中で、これ程までに大きな道路から『マヨヒガ』につながる道があるのなら、多少は『マヨヒガ』に行き着いた人が居るはずなのだ。

 

しかし、そういった話も、大きな富を手に入れた家というのもウチ以外に聞いたことがない。

これはおかしい。

寓話の男は死にかけてはいなかった。

なので死にかけるというのは『マヨヒガ』へ辿り着く条件ではないと思われる。

しかも、この道路は『マヨヒガ』伝説で有名な森とは別の森に接しているのだ。

特定の場所というのも条件ではないと思われる。

 

では、何が条件なのだ?

 

分からない。

これが困るのだ。

今から、辿り着けるだろうか?

無欲でなければ辿り着けないとしたら?

 

きっと行くことは出来ない。

それは困る。

 

そんなことを考えていると、あの時に出てきた道に出くわした。

 

道は、森の方へと下るように伸びていた。

その道は、余りにもきれいに整備されていた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

道を行って10分程度だろうか。

民家が見える。

こんな森の奥にあるには大きく、きれいに保たれている建物。

 

『マヨヒガ』だ。

 

どうやら俺は条件に合致したらしかった。

 

よし。

これで彼女が居れば、聞き出せるかもしれないのだ。

俺の今抱いている疑問の答えを。

 

着いた。

ここが、あの時の。

ここを立ち去ったときに見たそれと全く変わりない。

こういったものは劣化したりはしないのだろう。

 

敷地に足を踏み入れる。

すると、屋敷の玄関が開く。

 

現れるのは、長身の女性。

肌は生気を感じない程に白く、その装束と髪はどこまでも黒い。

少し距離があるので表情までは読み取れない。

しかし、きっと笑っている。

そうに違いない。

 

あの時の女の人だ。

間違うものか。

全く見た目が変わっていないことを見るに、やはり人智を超えた存在なのだろう。

 

「お久しぶりです」

 

「フフッ」

 

「お待ちしていましたよ」

 

ゆっくりとこちらへ向かって歩いて来る。

デカいな。

身長が低い方ではないのだが、俺よりも大きい。

 

「フフッ」

 

笑みは絶やさないようだ。

 

「今日は聞きたいことがあって来ました」

 

「宜しいですか?」

 

「フフッ」

 

「良いですよ」

 

「なんなりと」

 

「お聞きなさいな」

 

では、率直に聞こう。

 

「東京に行ってからというもの、何かに憑かれたように不幸が続きます。これは何故なのですか?」

 

「……」

 

「答えてください、お願いします」

 

「それは」

 

「仕方ないことだったのです」

 

「仕方のないこと?」

 

どういうことだ?

 

「少し、昔話をします」

 

「良いですね?」

 

「まあ、それで答えが分かれば……」

 

「あれは、人からすれば遥かに昔のこと。私からしても、一昔前のお話です」

 

「私のこの森に、侵入者が現れました」

 

「きっと何処かから落ちのびて来たのでしょう。今にも死にそうで、今にも消えそうで」

 

「しかし私が今まで見た中で一番に美しい魂を持った男がやってきたのです」

 

男?

農民の男、ではないな。

一体誰のことだ?

 

魂ってなんだ?

美しい魂ってなんだ?

それと俺になんの関係があるんだ?

 

「私は男がこちら側(・・・・)にやってくるのを心待ちにしていました」

 

「しかし、そのまま男は町へと辿り着き、庶民として生きる道を選び、町の娘と結婚して」

 

「人並みの人生を送って死にました」

 

「そんな程度の男に私は興味がありません」

 

「この男は違う、とこちらに連れては来ませんでした」

 

何を言ってるんだ?

ほんとになんの話なんだ?

 

「時代は下って、私への信仰は途絶え、力を殆ど喪って」

 

「人の踏み入れぬ森にのみ力が及ぶようになっても、私は美しい魂を持った者が私のもとに現れるのを待っていました」

 

「人と同じ時間を生きて、待っていました」

 

「十数代続いて私好みの魂は現れませんでしたが、つい最近になって及第点の魂を持つ男が現れました」

 

「貴方の父親です」

 

え?

ここで親父が出てくるのか?

 

親父が神様の求める魂だったのか?

だから俺がここに辿り着けた?

 

「静かに聞けて偉いですね」

 

「続けますよ」

 

ぽんぽん、と頭を撫でられた。

にこにこと、慈愛に満ちた笑みを浮かべて。

 

「貴方の父上を引き込んでも良かったのですが、貴方の父上が、私の求めた美しい魂を持つ一族の娘と結婚する未来を視ました」

 

「私は、二人の生み出す男の子を、心待ちにしていました」

 

「言わずとも、誰か分かりますね?」

 

俺だ。

 

狙われていた?

生まれる前から?

 

背筋がゾクッとする。

 

「ふたりは結ばれて、愛し合って、一人の男の子が生まれました」

 

「今までに見たことのない、それはそれは上質な、きっと二度と見られないほど美しい魂を持った男の子です」

 

「私は、それを手に入れるために力を尽くしました」

 

「私という存在が消えそうになっても、構いません」

 

「貴方が物心がつくまで、富があなたの周りにあるように」

 

「物心ついて、自分で考える力を持ったなら、富をあなたの周りから奪い取るように」

 

「私の持つ力を尽くして、そうしたのです」

 

「フフッ」

 

気づくと、彼女が自分の目前まで来ていることが分かった。

語りながら、ゆっくりと。

きっと俺に気づかれないように、ゆっくりと。

ゆっくりと、こちらへ向かってきたのだろう。

 

俺は後ずさる。

 

「そして、貴方に選択を迫りました」

 

「勇気を出して、命を賭して、家族のために動くことができるのか」

 

「私の求める勇敢な精神を持つ男なのかを、見極めるために」

 

「そして貴方は、正しい選択をした」

 

「勇敢にも森へと飛び出し、『マヨヒガ』を探しました」

 

「その力を出し切って、命をかけて頑張りましたね、偉いですよ」

 

ぽんぽん、と再び頭を撫でられる。

 

その目は、慈愛にというよりも、情愛に満ちた目で。

にこにこ、にこにことしているのがあまりに不気味で。

その場にへたり込んでしまった。

 

「フフッ」

 

「頑張りましたから、こちらに連れてくる(・・・・・)ことにしたんです」

 

「あくまで自然に、あまり痛くならない様に」

 

こちら(・・・)に、冥界(・・)に連れてきました」

 

「知っていましたか?」

 

「貴方は、もう」

 

――死んでいたのですよ?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

力が入らない。

抵抗する気力もない。

 

今、俺は神様に抱きかかえられて屋敷の方へ連れて行かれている。

リュックサックは乱雑に捨て置かれてしまった。

じたばたと暴れようとするが、恐ろしい程の力を感じて、実行に移すことが出来ない。

 

その間にも、彼女は話を続ける。

 

「貴方がここを訪ねてから、友に協力してもらいまして、貴方がさも『マヨヒガ』に辿り着けたかのように取り計らってもらいました」

 

「富を司るものと、友愛を司るもの。叡智を司るものに、天運を司るもの」

 

「いろんな方に協力して頂きました」

 

「そうして、貴方は幸せのうちに青年期を過ごし、成長して行きます」

 

「身も心も、食べ頃のそれに」

 

玄関のドアが開けられる。

がらがらと音を立てて、引き戸が開く。

屋敷の中へと連れて行かれる。

 

「町を出てからが私の腕の見せどころです」

 

「友のつてを辿って、東京の方の神様にお願いして、貴方を祟ってもらいました」

 

「それはもう恐ろしいくらいに、祟ってもらいました」

 

「貴方も辛かったでしょうね」

 

「しかし、これも全ては私の下へ辿り着かせるためのもの」

 

「心を鬼にして、貴方を不幸のどん底に叩き落しました」

 

居間の様な所に通された。

あの時、俺が目覚めたあの部屋。

そこには、布団が敷いてあった。

 

丁度、二人くらいが眠れる大きさの布団が。

 

体に力を込めて藻掻くが、どうにもならない。

びくともしないのだ。

圧倒的な力の差を感じる。

 

「あらあら」

 

「大丈夫」

 

「お話が終わったらすぐに寝かせて(・・・・)あげますから」

 

「疲れたでしょう?」

 

駄目だ。

力負けだ。

抵抗出来ない。

 

布団に下ろされる。

神様はゆっくりと、俺に覆いかぶさってくる。

 

まるで、押し倒された様な感じだ。

 

「そういえばまだ」

 

「何故貴方をこれ程までに欲しているか、お伝えしていませんでしたね」

 

「単純な話ではあるのですが」

 

「私は」

 

「恋をしたいと」

 

「愛するものが欲しいと」

 

「そう思ったのです」

 

そのために、相手を探していたと。

その選考基準が良い魂をであるとか、勇敢であるとかそういうことなのだろう。

俺はそれに合致しているわけだ。

 

合致するように仕向けられていた、とも感じてしまうが。

 

「最初は、同じ神の列から、と思ったのですが」

 

「皆伴侶がもういたのです」

 

「それで、冥界の中から選び取ろうとしたのですが」

 

「皆穢れた魂ばかりで、私の求めるそれではなかった」

 

「だから、待つことにしたのです」

 

「私のお眼鏡に適う者が、現れるのを」

 

両の手を掴まれる。

 

顔が近い。

吸い込まれるように黒い瞳には、確かに光が差していて、それが情欲ゆえのそれであることを理解して、慄いた。

彼女の吐く息がどうも熱を帯びている。

まるで、寸前で待ての姿勢をしている獣の様な、そんな雰囲気を感じる。

 

「やっと貴方が現れました」

 

「私と将来を誓い合う存在が」

 

「私と末永く睦み合う存在が」

 

「すくすくと成長して」

 

「私好みの男の子になってくれました」

 

「素晴らしい魂と」

 

「勇猛さを併せ持つ貴方に」

 

腕を掴む力が強くなる。

みしみしと、骨の軋む音が聞こえるようだ。

体にのしかかる重さもより重く、酷くなっていく。

 

「さあ」

 

「もう質問はありませんか?」

 

「なければ」

 

「私と睦み合いましょうね」

 

「嫌ッ」

 

「嫌だ!」

 

「離せ!ここから出してくれ!」

 

藻掻く。

足掻く。

無意味なのに。

どうにもならないのに。

 

精神は屈服していないと示すために。

お前には負けないぞと示すために。

無意味にもじたばたとする。

 

「あらあら」

 

「もう、無理な相談です」

 

「貴方はもう、ここから出られない」

 

「私から、離れることは出来ないのです」

 

そう言うとぱっと拘束を解除された。

 

彼女は正座をしながら、にこにことこちらを見るばかり。

 

なにかある。

ここから出られないようになる何かが。

 

「どんなカラクリなんですか?」

 

「ここを出られないって」

 

「フフッ」

 

「貴方」

 

「紐の類を使って道導を作っていましたね」

 

「それを辿れば、意味がわかります」

 

「善は急げ、ですよ」

 

にこにこと。

口角を吊り上げて。

にこにことしている。

 

こちらに拒否する権利はないか。

 

玄関から屋敷を出て、リュックサックを拾う。

 

紐は付いたままだ。

これなら大丈夫なはずなのだが。

 

きっと何か起こる。

そして、俺はここに縛り付けられるのだろう。

 

そうは思っているが、体は動く。

 

もしかしたら、見逃してくれるのではないか?

そんなことを考える。

ほんの少しの良心を、信じることにした。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

森はどこまでも続いている様に見える。

しかし、終わりは、果てはある。

 

道にも同じことが言える。

道には始まりと、終わりがある。

 

俺は道中、木々に紐を括り付けてここまでやってきた。

紐を回収しながら道を進めば、必ず元の道、道路へと辿り着くはずなのだ。

はずなのだが。

 

紐を大体半分回収したくらいで、景色に違和感を覚える。

 

さっきまで、この道を通らなかったか?

 

紐は括り付けてあるし、回収されていないということは未だ通っていないはずなのだが、どうにも既視感が拭えない。

まるで、戻ってきたかのような……

 

「ぁ」

 

森の奥に、建物が一つ。

紐が指し示す道では、きっとそこに辿り着く。

その建物を、俺は知っている。

 

「ッ!」

 

リュックサックを放り投げて、逆方向へと走り出した。

道なんて関係ない。

とにかく、逆方向へ。

あそこには、辿り着いてはいけない……

 

がむしゃらに走った。

体力も尽き果てた。

周りには、鬱蒼とした木々が繁茂している。

 

周りに道らしきものは無い。

これで、なんとかならないか?

逃げおおせることは出来ないだろうか?

 

深呼吸をして、空を見上げる。

空に上った陽は、未だ高い。

きっと、時間の概念がない。

ここはどこまでも昼の森なのだ。

どこまで広いかは分からないが、とにかく遠くへと――

 

「へ?」

 

目の前に、さっきまでなかった道が伸びている。

道の先には、大きな屋敷。

屋敷は、和式の大きなものだ。

 

玄関と思しき場所には、人が立っている。

不気味なほど白く、不気味なほど黒い、人が立っている。

 

ああ、これは。

これは、逃げ切れない。

そちら(・・・)から探されてしまえば、こちらからするとどうすることも出来ない。

そりゃ自信を持ってそう言う筈だ。

 

ぽきりと。

心の折れる音がした。

実際に音がした訳がないが、そう感じた。

俺の心は、折れてしまった。

 

気がつくと、神様の方へ歩いて行っていたらしかった。

 

抱きしめられる。

強く、強く。

熱い抱擁、のようなものではない。

自分の物である、と分からせるために、強く。

骨が軋むほど強く抱きしめられる。

 

「案外お帰りは早かったですね」

 

「……」

 

「お分かりになったでしょう?」

 

「私からは、離れられないのです」

 

「……はい」

 

「いいお返事ですね」

 

ぽんぽん、と頭を撫でられる。

それがたまらなく心地よく感じられた。

 

「フフッ」

 

「疲れたでしょうから、先ずは二人でお休みしましょうか」

 

「起きたなら、お食事をしましょう」

 

「とびきりのものを、用意させます」

 

「残った時間では、ゆっくり、幸せな時間を過ごしましょうね」

 

「いつまでも、いつまでも」

 

「幸せに、幸せに」

 

「フフッ」

 

「素敵ですね」

 

「……そう……ですね」

 

「!」

 

「そうでしょうそうでしょう!」

 

「幸せになりましょうね、翔くん」

 

「……はい」

 

俺は、幸せになれるのだ。

 

手を引かれて家に案内される。

目指すのは勿論、あの部屋だ。

 

ああ、きっとめちゃくちゃにされてしまうだろう。

ぐちゃぐちゃにされて、体が耐えきれないかもしれない。

 

でも、また生き返らされるのだろう。

神様が満足するまで、それはきっと続く。

気の遠くなるほど永い間、それは続くだろう。

 

それでも、良いと思える自分が居る。

 

それほどまでに求められるなら。

それほどまでに愛されるなら。

良いと思った。

 

それで良い。

それできっと幸せだ。

 

布団に呼び招かれる。

 

「こちらですよ」

 

「おいでなさい」

 

ああ、逃れる事は出来ない。

蜘蛛の糸に絡め取られた虫のように、自由は無い。

 

自分の意志で、布団へと入っていく。

 

「さあ、おやすみなさい」

 

「まずはゆっくりと休んで」

 

「全てはこれからですからね」

 

意識が遠くなっていく。

安心感からだろうか。

心地いい。

嬉しい。

 

ああ。

幸せだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。