体が動かない。
体格差はそれ程無いはずなのに。
筋力差は性差でこちらに分があるはずなのに。
動かない。
「やっとここまでこれました!」
「やっと、やっと先輩のことを、好きにできるんです!」
「待てッ、待つんだ鈴鹿、早まるなッ!」
途端に体にかかる力が強くなる。
未だ全力では無かったのか?
「待ちませんよ」
「千載一遇のチャンスなんですからね」
「やっとのことでこのシチュエーションにもってこれたんですから」
「もう、待ちきれないんです!」
身をよじって隙間を作ろうとするが、上手く行かない。
体術に明らかに実力差がある。
こちらの意図を的確に読んで、隙を作らせるための行動を潰してくる。
「駄目ですよ」
「私が良いって言うまで」
「動かないで下さい」
体の重心を完全に捕らえられた。
これじゃあ何も出来ない。
糞ッ、もっと体術を学んでおくべきだった!
相手の方が明らかに上手だ。
咄嗟に十全な準備を施した奴相手に渡り合える訳がない。
なにせ相手は箍の外れた殺人犯だ。
何をし始めるかなんて分かったもんじゃない。
それじゃあ対策のしようが無いじゃないか!
「物分りが良いですね」
「そうですもんね」
「殺人犯ですもの、何をしでかすか分からない」
「ちゃんと私、持ってきて・・・・・ますから」
「ちょっとしたことで、殺しちゃうかもしれませんもんね?」
「こんなところで死にたくないですもんね?」
今はチャンスを待つんだ。
必ず付け入る隙が生まれるはずなんだ。
なにせ相手は冷静さを喪いかけている。
その時が来るのを待つんだ。
身内だから完全に安心しきっていた。
定期連絡で重要な情報を手に入れただなんて言われたから、緊張が解れたのがよくない。
安々と家に上げてしまった。
やはり同僚だからというのもあったのかもしれない。
盲点だった。
同じ時期に配属されたのもあってそれなりに交流があったから、とき偶に飲みに行ったりする仲だったから、疑う相手として考慮していなかった。
「こっちを見てください」
反射的に目を見た。
目は爛々と輝いている。
瞳孔は興奮によって大きく開いている。
明らかに、尋常ではない。
「先輩はこれからこの私・・・に犯されるんですから、よく見ておいて下さい」
「私という存在でいっぱいになりながら」
「私のことだけを考えて」
「私に犯されて下さいね」
両手の拘束を解かれる。
好機。
何かしらの抵抗の余地は残されている筈――
「だから!」
「言いましたよね!」
「動かないようにって!」
ざくりと、音がする。
まるで、鋭いものが突き刺さる様な音が。
いや、音はしていない。
音がしているように感じるのは、俺の身体の中に・・・・・・・その原因があるからで。
抵抗しようとして動かした筈の腕の感覚が無いのに気づいた。
右の手を見る。
そこには、深々と包丁のようなものが突き刺さっていた。
左の手を見る。
アイスピックのようなものが、左の手のひらを貫いているように見える。
現実を理解した途端に鋭い痛みが押し寄せてくる。
痛い。
痛い。
「……ッ!」
「痛いでしょう?」
「……」
「そうでしょうそうでしょう!」
「痛いに決まってますもの!」
駄目だ。
思考が痛みで覆い尽くされる。
何か、何かしなければ。
最悪の展開になるというのに。
「私の言うことを聞かなかったから!」
「私の言う通りにしなかったから!」
「痛い思いをしなきゃいけなかったんですよ!」
両の手で首を締められる。
容赦が無い。
「ここまでされなきゃ!」
「分からないんですもんね!」
「自分が今、どんな状況にあるのかなんて!」
脳に酸素が渡らない。
頭が回らない。
抵抗出来ない。
ヒューヒューと締まった喉から乾いた音がする。
それが彼女を興奮させたらしかった。
「・・・・・・・・・・・・・・!」
「・・・・・・・・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・!」
何を言っているのか分からない。
視界が白んでいく。
まずい、意識が、保てない……
……
…………
………………
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
県警本部に配属されて3年が経過した。
俺は、県南での捜査手腕と検挙率の高さから見込まれてやってきた。
全国区に成る程の連続殺人事件を解決に導き、犯人をこの手で逮捕したし、強姦魔を現行犯で逮捕したりもした。
何をやるにも神がかったものを感じたものだ。
地道に捜査と立件、逮捕を重ね、結果として県内でもトップの成績を収めて、地元の警察署から栄転したわけだ。
その腕を見込まれて捜査一課に配属され、県内を飛び回って捜査をすることになった。
なんでも、そういったポストに若くして充てがわれる奴は、将来を嘱望されているとのことだ。
最初は県内を縦横無尽に休みなく駆け回る仕事に嫌気が差したが、その言葉を聞いて、もしそれが嘘だとしても自分の中で吹っ切れた部分があった。
それからはがむしゃらに仕事に取り組んだ。
各地で起こる凶悪事件を現地の警官と共に解決し、事件が無ければ進行中の事件捜査のバックアップに回り、時には他県と協力して未解決事件を解決に導いた。
ここに来てもやはり神がかったものを感じる。
やはり、師匠の見込みは正しかったのだ。
俺は幼少の頃から野球に親しんでいて、ピッチャーとして全国大会に出場したこともある選手だった。
高校生になっても野球を続けるつもりだったし、周りもそれを望んでいた。
自分の果たせなかった夢を、父は俺に懸けたのだ。
日本に羽ばたくかもしれない俺を、母は応援してくれた。
俺も大きな夢を見た。
その通りになると信じて邁進した。
しかし、現実はそう上手く行かない。
きっかけは越境入学する予定だった、高校の体験入部で覚えた、ちょっとした違和感だった。
「?」
「どうした?」
「いや、なんでもありません」
「そうか……それなら良いんだが……」
学校から冷却スプレーを貰って、どうにも違和感の残る腕を擦りながら電車に乗っていた。
当時はなんのことない、筋肉痛とか炎症のそれだと思った。
だから、その程度の処置で済ませてしまった。
それで日常生活が送れてしまったから、余計にたちが悪い。
受験期から卒業までは、自主練習の程度で済ませておいたのが、問題を先延ばしにした。
違和感が決定的な、致命的な結果をもたらしてしまったのは、高校に入学してからの紅白戦での出来事だった。
(………………、三振を取れ、か)
(先輩はインハイに求めてるな)
(問題なし、っと)
忘れもしない9回の表、1-0で迎えた回で、二死一塁のタイミング。
監督からの指示を確認して、先輩の指示を受けて。
持ち玉のストレートで、追い込みにかかっていた。
(決まりだ!)
構えて、溜めを作る。
大きく、振りかぶって。
全力の、ストレートだ。
(喰らえッ!)
「――が、あッ!」
弾けるような音がして、右腕に激痛が走る。
ボールはすっぽ抜けて、あらぬ方向へと飛んでいくのがスローに、無限に引き伸ばされていく。
右腕だ。
この音の発生源は、右腕だ。
右腕がイカれた。
あの違和感の正体は、身体の危険信号だった!
――なんて冷静に考える能力も当時の俺には無くて。
頭の中は痛みのことで一杯だった。
痛い、痛い、兎に角痛い!
形容し難い、しかし人のおおよそ経験してはならない痛みが身体に押し寄せてくる。
しかし痛みはゆっくりとやってこない。
いっそ意識を手放したほうがマシな位の痛みは、何処までも俺を追い詰める。
痛くて頭が破裂しそうだ!
いっそ殺してくれ!
声にもならない。
「坂上!」
「大丈夫か!」
気がつけば俺は部員や監督に抱えられる形で、どこかへと運ばれているようだった。
方々から俺を心配する声が聞こえてくる。
右腕の肘から先に感覚が無い。
痛みは確かにその右腕から発せられているのだが、それが有るという感じがしない。
まずい、かなりまずい。
思い返せばあの音は、腱の千切れ飛ぶ音だった。
骨の軋み、肉が裂かれる音だった。
日々を平凡に過ごしているなら、まず聞くことのない音だ。
そんな音が飛び出せば、流石に皆その異常性とヤバさに気づく訳で。
皆何かしらの意図があって連れ出しているのだろう。
しかしそんなことを考える頭は俺には無くて。
常に襲いかかる痛みに耐えて、人の支えを受けてよろよろと歩くことで精一杯だった。
何故歩かされているのかも分かっていなかったと思う。
「……い、い、いッ」
「どうした?」
「痛、い……」
「まだ痛むか?もう少しだからな!」
「……痛い、痛い、痛い痛い痛い!」
「うぉっ」
「止めろ!暴れるな!」
痛みの元である右腕の存在を確認しようと、痛みを低減させようと、足元も覚束ないのに形振り構わず腕を振り回そうとする。
腕は意識が遠くなっていた頃にギチギチのテーピングが施されていて、急拵えながらある程度の固定と防護が可能になっていた。
しかし、所詮は急拵え。
スポーツマンの端くれであっても暴れれば、意図すれば破壊が可能なものだ。
肉体的にも充足した高校生の筋力を以てすれば容易にそうなることだろう。
意識を取り戻したらどこかわからない場所へと勝手に運び出されていて、身体に明らかな違和感が生まれて、相手の意図が分からないとなると、人間は本能的に、抵抗する。
頭も身体もめちゃくちゃになってしまった俺に、物事を正確に、でないし語義が崩れない程度に咀嚼し、理解する能は無かった。
だから、全力で抵抗した。
「やめ、て、ください!」
「駄目だ」
「はなして、ください!」
体の動きを阻まれる。
腕はふたりにそれぞれ抑えられ、軸は羽交い締めにされることで奪われた。
「連れてくぞ」
「やめて……はなして……」
「大学の方にしよう。腕も早いとこ処置しないとまずいな。痛みで混乱して頭も回ってないみたいだ。早めに向こうの方に……」
頭が割れる様だ。
また、時間が緩やかに……
……
…………
………………
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「単刀直入に言うと、これまでの水準へと右腕の機能を戻すのは不可能です」
「そんな!」
母が急に立ち上がる。
そんなものは見慣れているのか、医者は気圧される気配もない。
「大丈夫です。多少不器用にはなりますが利き手として使うことはできますよ」
「しかしスポーツ等は厳しいと思います」
「でも、それじゃ!息子は野球を――」
「もう続けられない、ですよね?」
「そうなりますね」
「そんな!」
今度は力を失ったようにへなへなと椅子に座っていく。
俺より生気を失ってるな。
俺より正気じゃないな。
ははっ、俺、冷静だな。
「続けて下さい」
「冷静ですね、助かります」
「佑!」
「良いんだよ、母さん」
「終わったんだよ」
俺の選手生命がさ。
その後特に何も驚くことは言われずに、診断は終わった。
診断結果は『右肘両側副靭帯断裂及び腱・筋繊維広域損傷』だった。
多額の治療費を学校側が全額負担する形で、俺の腕を再建させるための大規模な手術をするらしい。
未だ日本では起こったことのない症例らしいから、非常に注目を集めるということからも、学校側が保険のルールを破った上で全額負担を申し出たのだろう。
研究資産として、俺の一年間は費やされるんだ。
術後は概ね良好だろうが、日常生活に支障を来すため、大体一年は学校生活に戻るのが難しいとのことだった。
高校一年生の時期、15歳から16歳にかけての大事な時期を無駄にするようで周りはとても嘆いていたけれど、自分はどうとも思うことができなかった。
確かに、俺の右腕は未だ動かない。
大体数ヶ月は固定したままで生活して、そこからリハビリがあって、ようやく前より少し使いづらい位になれる。
明るい未来は感じられない。
でも、それもなんとも思えなくなっていた。
何をするにも無感動で、毎日窓の外とか、天井を見て過ごすばかりで、無為な感じがする。
更に、それでもいいと思う自分が居る。
もういっそどうにでもなれという自分が、確かに心のなかにいる。
自分のことだと、自分に今起こっていることを誰よりも正確に、冷静に捉えられているようで、一歩引いて当事者意識もなくぼんやりとしているようでもある。
ある意味では、人生をここで諦めていた。
父の託した願いを、叶えられなかったこと。
母の思いを、実現することができなかったことに、申し訳無さを感じていた。
だから、もうそうなってしまったのはどうしょうもないから、これからもどうしょうもなく、することも、あてもなく生きることしか出来ないのではないかと思っていた。
手術となって全身麻酔を受けたときも、いっそこのまま一生夢の中にいられればなんて思って、意識を手放した。
術後は特にすることもなく過ごしていた。
それでいいと思っていた。
それがいいと思っていた。
何もしないことで救われていた。
手術から一ヶ月ほどが経って、俺の充てがわれたベッドのむこうに、新しい人が入ってきた。
俺と同じく腕を怪我している。
年齢はだいぶいっていて、中年の終わりくらい、大体50代程に見えた。
所謂強面で、どうにも厳つい、高圧的なものを感じた。
最初は特になんとも思わず互いに関わらずに生活していた。
相手は偶に人が訪ねに来ていて、皆口々に『残念だ』と言っているのを聞いた。
どうやら仕事で怪我をしてしまったらしい。
最早続けることも出来ない、大怪我のようだ。
俺と同じような境遇だと思った。
相手がここにやってきて、大体2週間位が経った頃に、相手側から急に話を持ちかけられた。
「なあ」
「そこの坊主」
「……俺ですか?」
「腕の怪我か」
「治るまで一年かかるみたいです」
「利き手か?」
「そうですね」
「俺もそうだ」
「俺はそこまでかからんがな、仕事が続けられなくなる」
「稼業は引退だ」
「そうですか」
ごく普通の、世間話。
最近はすることも無かったような。
暇なんだろうな、なんて思っていたら。
「なあ坊主」
「なんでしょうか」
「お前はやり残したことがあるんじゃないか?」
「……いいえ」
「そんなことねえな?」
「……そうですね、心当たりは無いわけではないですが」
「そんな若いのに利き手をやってよ、心ここにあらずって感じじゃねえか」
土足で踏み込んできたな。
まあ、付きやってやるか。
「俺は若い頃にあんまり苦労はしなかったんだけどよ」
「やんちゃはしたもんだった」
「それを親に咎められてな、なんやかんやあって警察官にさせられちまった」
「最初はなんのために生きてるのか分からなくなってな、仕事にも身が入らずにいたんだ」
「そうですか」
自分語りってやつだろうか。
親父にされて以来だな。
「でもまあ、結局は死のうとしない限りは生きてかなきゃいけねえ訳でよ」
「やるしかなくなって警官を続けてきたんだ」
「十年二十年と続けてよ、気がつきゃ部下も出来てな」
「あんだけやりたくなかった仕事が、楽しくて仕方なくなりやがった」
「あいつらにも、もっとやってやることがあるってのによ」
急に態度が軟化したような、そんな感じだ。
身内には優しい質なのかな。
「殺人犯をとっ捕まえるってなって、一人で突っ走っていったら、犯人に待ち伏せされて腕を折られた」
「不覚を取っちまった」
「結局犯人は捕まったんだけどな」
「仕事は続けられない」
この人、何を言うつもりだ?
目的が世間話とは違うように見えるぞ。
「でも、やり残したことが幾らでもあるんだ」
「未だ仕事をやっていたいんだ」
「未だ後輩に伝えきれていないものがあるんだ」
「未だ犯人を捕まえていたいんだよ」
「そうですか」
そう俺に言われても、困る。
だからなんだって?
俺にそれを言ってストレス解消になればいいな。
「そうやって悶々としてたんだがな」
「向かいにお前が見えた」
「あまりにも暇そうで、あまりにも可哀想でな」
「心が痛いんだ」
「……何が言いたいのか、はっきりと言ってくれませんか?」
「なんというか、回りくどいですよ」
「……」
こっちも暇だが、人と話すよりもぼーっとしている方が楽なんだ。
早く終わって欲しい。
「単刀直入に言う」
「警察官を目指さないか?」
「は?」
「お前、やりたいことはあるか?」
「……ありませんが」
「やり残したことも出来ないんだろ?」
「……そうですね」
「ならよ」
「俺の夢の続きを見てくれねえか?」
「もう俺には、出来ないことなんだよ」
なんだそれ。
会って初めてする会話が、これ?
意味がわからない。
「初対面でそんな話するんですか?」
「もっと親しくなってからとか――」
「それじゃ遅いのさ」
「……と、言いますと?」
「お前、あまりにも時間を無駄にし過ぎだ」
「若いのがやっていい時間の使い方じゃねえ」
「もっと身になることしろ」
「はあ」
それはそれなのだろうが。
認めたくはないな。
「身になることしろったってやらなさそうだからよ」
「俺の夢を叶えろって言えばよ、ちょっとはやる気になるかな、なんて思ってな」
「どうだ?」
「前を向いて見ねえか?」
「……」
つまりこの男は。
お節介を焼いていると。
そういうわけだな。
面白いな。
あまりに馬鹿らしくて、面白い。
「良いですよ」
「もっとお話を聞かせて下さい」
その話、乗った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
退院して、久々の学校生活。
やることは決めてあった。
警察官を目指すこと。
そのために、色々と研鑽を積んでおくこと。
右腕のハンデを持っていても合格できるようにすること。
道のりは長い。
勉強をして学力を高めておく必要もあるし、体力を作っておく必要もある。
評定も出来るだけ高い方がいい。
兎に角全力で、角が立たないようにさまざまなことに気を遣いつつ、己を磨いた。
勉強は、毎日、決まった量取り組んだ。
予習・復習はもちろんのこと、大学受験を見据えて志望校の過去問を無理しない程度で解いたりした。
体力づくりとして、部活動で柔道部に所属した。
利き腕をあまり使わずとも闘える体術を顧問と共に研究した。
負担を考えて大会等には参加しなかったが、毎日柔道に取り組んだ。
学校生活では、生徒会に所属し、風紀顧問を務めた。
特に厳しく取り締まったりはしなかったが、事故に繋がるような、危険な行動は窘めた。
アメとムチを上手く使い分けて、信頼を勝ち取った。
そんなこんなで3年間。
大学は法学に長けた所を選んで受験した。
対策には万全を期したので、特に問題もなく合格した。
高校4年間で、俺の人生は大きく変わった。
それで良かったと思えるような未来になってくれるだろうか。
大学4年間は、運動は自主的に外部のトレーニングジムで行い、刑法の勉強を基本的に重視した。
これから使うものだからと、警官になったら使いそうな条文は暗記しておいた。
皆が司法試験の対策をしていた頃は、一緒に対策こそすれど、受かるつもりは無かった。
結局司法試験は受けずに、県警の採用試験の対策にシフトした。
所謂キャリア組になるために頑張った。
採用自体は問題なくされて、警察学校に入所するための試験を受験した。
右腕の怪我について問われたが、能力的には問題なかったらしいのでそれ以上は詮索されなかった。
特に問題もなく合格して、首席で卒業した。
県警本部での研修を強く打診されたので、本部で研修を受け、1、2年本部で色々とやって、強い要望で地元の署に異動させてもらった。
それからは先程のとおり。
何をするにも上手く行った。
県内を駆けずり回る業務は一年前に終わり、今度は捜査一課として普通の業務につくことになった。
普通に仕事が出来るようになって、市内に腰が据わった。
先輩たちとの交流もここで生まれるようになって、同僚・上司・部下、先輩・後輩の関係を把握した。
そうなってから始めたのは、適切な同僚との付き合い方の研究だ。
これから部下が出来たりして、様々なことを教える立場になっていくことだろう。
そのために、経験できることはしておくのだ。
今は後輩との付き合い方の研究として、たまに後輩と飲みに行ったりしている。
仕事以外での付き合いというのが、必要になる場合もあるのだ。
特に異性の同僚との関わり方はとても難しい。
丁度同時期に一課に配属された女の子が居たので、よくプライベートで会ったりして、彼女からの意見を聞きつつ、適切な距離の置き方を男女別で作成している。
何よりも、経験するべきこととして、配偶者を作るというのは大事だと考えている。
公務員は安定した職だ。
だからこそ、さっさと身を固めたいという考えになる奴もいることだろう。
周りの先輩に聞くのも良いが、自分なりに研究して方策を授けるのが良いと考えて、1から彼女を作ってみることにした。
やはり職場恋愛になるのだろうか。
同僚の彼女にするか?
……それは違う気がする。
やはり外部に出会いを求めよう。
先輩から打診された合コンに数回参加して、気の合う女性を見つけることに成功した。
出会ってから数ヶ月、様々なイベントを起こして、その反応を見た。
とても興味深い結果が得られたので、概ね満足だ。
後は如何に結婚まで持っていくかになる。
これは研究のし甲斐があるな。
そんなことを考えている夜道。
後ろに何かがいる。
後ろを見てみたが、誰もいない。
どこかに隠れたか?
街灯があるから、街灯から向こうの景色が見えない。
電柱に隠れるようなベタな奴はいない。
何だ?
ここはまだ一本道で、横に伸びた道はまだ先にあるため、別の道に行ったわけではなさそうだ。
となると見間違いか?
きっとそうだろう。
気にすることでもない。
きっと疲れて気が立っているからだ。
先を急ごう。
「?」
数歩歩いたが、後ろには人影がある。
やはり誰か居る。
相手を刺激しない程度に体を動かして、後ろを見る。
こちらから顔は見えないか。
何者だ?
逮捕された腹いせ、というのもあるらしい。
所謂お礼参りで、警官を襲撃する奴もいるとのことだ。
だが、俺が逮捕した奴は大抵が実刑で、まだシャバには出てきていないはず。
警官であれば誰でもいいとか?
それはあり得る。
となると、相手は凶器を持っている場合があるな。
いけるか?
無理だ、止めておこう。
その後、大通り等をわざと通って、相手を撒くことに成功した。
ストーキングの可能性があるとして、上司に報告したが、俺自身も危険性は低いと見ている。
何か意図がありそうだったが、俺の見間違いか?
それはなさそうだ。
では一体何だったのだろうか?
分からないな。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その数日後の帰り道。
やはりつけられている。
夜道の向こう、俺の後ろには、きっとやはり誰か居る。
実際に見えるわけではないのだが。
刑事の勘というやつだ。
確かに、誰かが俺を見ている。
――仕掛けてみるか!
全力でダッシュして、家の前を突っ切り、道の突き当りまで行く。
これでついてきていれば、家までの道で誰かがいるはずなのだ。
ゆっくりと、家の方まで歩いていく。
俺に敵意があるなら、襲いかかってくるはずなのだ。
対策は、してある。
フラッシュライトを相手の顔めがけて照射する。
拳銃の携帯を申請してもある。
最悪、ちらつかせて何とかするしかない。
家に着いてしまった。
居ない?
読み負けたか?
どうやらそのようだった。
その後も、数日置きに誰かにつけられる生活が続いた。
何度も報告するもんだから、流石に問題があると考えた上司が調査してくれた。
しかし、上司が一緒に居たり、後ろで待機しているときに限って居ない。
警戒体制を解くとまたつけられる。
最終的にリュックの後ろに付けた隠しカメラでストーキングの証拠を掴んだ。
背はあまり高くない、細身の男。
解像度が低いため顔までは割り出せなかった。
ここで証拠を掴みきれなかったのが痛い。
今度は俺の彼女に矛先が向いた。
一体どこで情報を掴んだんだ?
家を漁られた?
家を捜索してもらうと、盗聴器が至る所から、テレビの裏には隠しカメラまで用意されてあった。
不覚を取っちまった。
まずい。
情報は相手に筒抜けだ。
このままだと、防衛手段を持たない彼女が危ない。
そうこうして対策を講じている中で、事件は起こった。
それは、彼女の家に警官を詰めようということで準備をするために彼女の家に向かったときのことだった。
「先に鈴鹿を送ってあるから、安心して待っていてくれ」
「わかった、直ぐにお願いね」
「今も見られてるように感じて、怖いの」
声が震えていた。
女性警官だから頼りない、というのはステレオタイプだとは思うが、根強い偏見としてあるのは事実。
しかし鈴鹿は強い。
後輩の中では一二を争う強さと有能さがある女だ。
男女の距離感の研究に置いては大きく助けて貰えた。
そんな彼女も今では一皮剥けて、余裕のある女性へと変わっている。
そんな彼女がいるのだから安心なのだが……
「とにかく、そろそろそっちに着くから、一応用心して――」
突然、電話が切れる。
再びかけても繋がらない。
不覚を取った!
「急いで!仕掛けられました!」
「最高速でやってるよ!」
「とにかく!早く!」
車でまだ10分は掛かるんだぞ……!
これはまずい。
鈴鹿の能力を甘く見ている訳ではないが、もしものことを考える。
頼む、何とかなってくれ……
彼女の家に着く。
アパートの他の部屋から人が出てきている。
ああ、ヤバい。
階段を上って、彼女の部屋へと入っていく。
鍵が開いている。
拳銃を構えて、意を決して中へと突入した。
「全員動くな!」
部屋は荒らされていた。
「鈴鹿!」
後輩が倒れている。
どうやら頭を打ったようで、意識が朦朧としている。
「先輩……ですか……」
「鈴鹿!状況は?」
「向こうに……犯人が……」
「不覚……です……」
「畜生!」
ドアの閉まった居間に踏み込む。
「嘘だろ……」
そこに、彼女は居た。
犯人もまた、居た。
「遅かったか……」
先輩が漏らす。
「両名、死亡……」
「殺られたな……」
二人は、死んでいた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
彼女は、首を掻き切られて死んでいた。
恐らく、抵抗するまでもなく殺されたのだ。
犯人と思しき男は、その横で自殺していた。
迷いなく、こちらも首を掻き切っていた。
鈴鹿が言うにはこうだ。
家の窓が割られ、外から犯人が侵入してきた。
彼女に逃げるように指示して応戦したが、刃物に気を取られている隙に玄関方面へ突き飛ばされた拍子に頭を強く打ったようで、そのまま意識を失ったとのことだった。
後は想像する他ない。
彼女は逃げ切れずに襲われ、殺されてしまった。
それの後を追う様に、犯人も又死んだ。
それ以上のことは分からない。
しかし、気掛かりなことがある。
窓を割って居間から侵入した犯人だが、鈴鹿が適切にあいつを誘導できていれば、殺されたとしても玄関側のはずなのだ。
何故、居間で殺されているんだ?
わざわざ居間に追い込んだのか?
不自然な気がする。
何か、他の可能性はないだろうか?
この違和感を払拭する何かが……
――鈴鹿が共犯者とか?
現実的ではない。
突飛な思考だな。
となると一体何があったのだろうか?
カメラなどを設置するまでもなく犯行が行われてしまった。
狙われたように、殺された。
俺の勘は正しいはずなのだが……
鈴鹿へのヒアリングと、周辺住民への聞き込みで、大方鈴鹿の証言どおりにことが進んでいることが裏付けされた。
やはり、鈴鹿の言った通り。
でも、何か引っかかる。
「仕方なかったんだよ、坂上」
「本当に申し訳ないがな、折り合いはつけないといけないんだ」
「乗り越えないといけないんだぞ」
「……わかってはいます」
「でも、どうにも納得がいかないというか……」
「坂上」
「もう、終わったんだよ」
あれから一ヶ月。
あっという間に時は過ぎるようだ。
新たな出会いを探すつもりはない。
なんというか、怖い。
また失ってしまいそうで、怖い。
鈴鹿に前に向くように、後輩にまで言われてしまったが、怖いものは怖い。
立ち直るまで、時間がかかりそうだ。
「先輩」
「どうした?」
「またあの日のこと考えてますね?」
「やっぱり何かおかしいと思うんだよ」
「そうですか……」
「私も何か忘れてる気がするんですよね……」
「思い出したら教えますよ!きっと!」
「……そうか」
「期待してるよ」
その日の夜。
電話がかかってきた。
「先輩!」
「思い出しましたよ!」
「あの日のこと!」
「そうか!でかしたぞ鈴鹿!」
やはりあの夜には何かあったんだ!
逸る気持ちを抑えられなさそうだ。
「どうすればいい?」
「私が先輩の家に向かいます!」
「他の人にも証言を伝えているので、きっと明日から捜査ができますよ!」
やった!
これで無念を晴らすことが出来る!
「待ってるぞ」
「はい!待ってて下さいね!」
一時間程経っただろうか。
インターホンが鳴る。
「先輩!来ましたよ!」
ドアを開ける。
息の上がった、肩で息をした鈴鹿が入ってくる。
「詳しい話は中でしましょう!」
「良し、入れ」
靴が揃ってるかなんて気にしている場合じゃない。
リビングに案内する。
「座れ、鈴鹿」
「はい!」
「……?鈴鹿?」
一向に座る気配がない。
返事はするんだが、こっちを見つめるばかりで何もしない。
不気味だ。
――まさか。
やはり犯人はすず――
「先輩」
一挙に距離を詰められた。
咄嗟のことに反応できない。
「無用心ですよね、私を中に入れるなんて」
「鈴鹿、まさか、お前!」
「そうですよ」
「私が、二人を殺したんです」
床に押し倒されてしまった。
両の手は掴まれて動きを取ることが出来ない。
まさか、お前が?
その言葉は力強く床に叩きつけられたことで口から出ることは無かった。
「なんで……なんでお前が……」
「先輩は」
「知ってますか?」
「釣った魚に餌をやらない、って」
「は?」
「知らないですもんね」
何を言い出すかと思えば、突拍子もない。
別に引っ掛けた女の子なんているわけ――
あった。
居る。
一人、居る。
確かに、引っ掛けた女が一人いる。
「わかりましたか?」
「先輩、酷いですよね」
「私にあれだけのことをしておいて、あれだけ距離を詰めておいて、あれだけ親しくしてくれたのに」
「別の女に目が移るなんて」
両腕を掴む力が強くなる。
「騙されてただけなんですよね?」
「……何がだ」
「あの女にですよ!」
みしみしと骨の軋む音が強くなる。
右腕がまずい。
相手を刺激させないようにせねば。
「そう……なのか?」
「そうなんです」
「先輩の家での話を聞くに、女であれば誰でも良かったんですよね?」
「丁度いい相手があの女だっただけですよね?」
「それは――」
「そうでなくても」
「私を選ばなかったのは事実ですよね?」
「……そうだな」
今は雌伏の時だ。
好機を待つんだ。
相手から話を引き出すんだ。
「先輩は気づいてないんです」
「あの女に先輩は唆されて、騙されて、洗脳されて」
「一緒になるべきはあの女だってことにされたんですよ」
「本当の運命の相手である私を差し置いて」
「……」
どうなったらそんな考えになる?
運命の相手?
突拍子もない。
思考が飛躍してないか?
「だから覚ましてあげようとしたんです」
「私達の恋路を邪魔するあの女からの洗脳から」
「だから実行しました」
「先ずは、先輩と女の動向を探りました」
ストーカーは鈴鹿だった。
腕利きの警察官なんだ、尾行位お手の物か。
道理で俺が素性を知れないわけだな。
「先輩がいない間に家にも色々と細工して、情報を集めました」
「そこで確信したんです」
「先輩は、あの女に騙されてるって」
「先輩、知ってましたか?」
「あの女も、別に先輩じゃなくても公務員みたいな安定した職に就いてる人なら誰でも良かったんです」
「もっといいと思ってる男がいたのに、『扱いやすい』って理由で先輩にしたんですよ」
「妥協して先輩にしたんです」
は?
なんだそれ。
聞いてないぞ。
「聞いてないぞって顔してますよ」
「そうですよ」
「あの女には、隠してる部分があったんです」
「先輩には見せられないような、いかがわしいこともしてました」
「だから、先輩の横に立つのにふさわしくない」
「そうなるように、あの女に仕向けられていたんです」
いかがわしいこと?
そんな、まさか。
ありえない。
「だから、洗脳を解くために、あの女を殺すことにしました」
「先輩の最初の見立て通りだったんですよ」
「私は共犯者」
「男を一人雇ったんです」
雇った?
まさか。
隠しカメラで撮った男か。
「護送計画に先んじで現場にやってきて、頃合いを見て男を入れました」
「男があの女をさっくり殺して、不意をついて男も殺しました」
「あの男には伝えていませんでしたが、あの男が犯人として現場に残っていることが重要なんです」
「なので、殺すことも織り込み済み」
「あとは適当にそこらで頭を打つだけ」
「それで、すべて良くなる」
「そのはずでした」
筈?
「事件が終わっても先輩は前を向こうとしませんでしたね」
「あの女が消えても、洗脳は解けなかった」
「私のもとにはやってこなかった」
「事件のことを考えてばかりで、私に見向きもしない」
「正直、直ぐにでも先輩の目を覚まして上げたかったんですが」
「準備に時間が掛かりました」
準備?
何を言ってる?
嫌な予感がする。
全身の毛が逆立つようだ。
「やっとこれで」
「先輩を好きに出来るんです!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「やっとここまでこれました!」
「やっと、やっと先輩のことを、好きにできるんです!」
「待てッ、待つんだ鈴鹿、早まるなッ!」
更に腕の力が強くなる。
右腕の古傷が痛む。
まずい。
痛んできた。
「待ちませんよ」
「千載一遇のチャンスなんですからね」
「やっとのことでこのシチュエーションにもってこれたんですから」
「もう、待ちきれないんです!」
抵抗するが、上手く自分のペースに持ち込めない。
右腕分のハンデがある以上、警官相手は分が悪いか……!
しかし、隙を作らなければ!
このままでは最悪の展開になる!
「駄目ですよ」
「私が良いって言うまで」
「動かないで下さい」
相手の眼光が鋭くなる。
獲物を狙う目だ。
追い込まれた獲物の前で、爛々と光り輝く目をしている。
――どうにかならないか!
「物分りが良いですね」
「そうですもんね」
「殺人犯ですもの、何をしでかすか分からない」
「ちゃんと私、持ってきて・・・・・ますから」
「ちょっとしたことで、殺しちゃうかもしれませんもんね?」
「こんなところで死にたくないですもんね?」
そうだ。
こんな所で死ぬわけにはいかない。
何か糸口を探さなければ。
何か、状況を良くする何かを……
「こっちを見てください」
顔を見る。
目は先程の輝きを保ったままだ。
獲物の前で舌なめずりをしている。
顔はこれから起こることの期待で膨らんでいるようだった。
気味が悪い。
「先輩はこれからこの私…に犯されるんですから、よく見ておいて下さい」
「私という存在でいっぱいになりながら」
「私のことだけを考えて」
「私に犯されて下さいね」
両腕の拘束を解かれた。
ここで仕掛ける他無い!
勢いを付けて両手で相手を突き飛ばし――
「だから!」
「言いましたよね!」
「動かないようにって!」
懐から何かが取り出された事までは分かった。
それがなにか分かる前に、事は済んでしまった。
ざくり。
それでおしまい。
急に俺の動きは止まった。
腕が動かない。
何かで留められている様に、動かない。
手を見た。
俺の両の手は、刺し貫かれていた。
「……ッ!」
「痛いでしょう?」
「……」
「そうでしょうそうでしょう!」
「痛いに決まってますもの!」
痛みが遅れてやってきた。
思考が塗りつぶされるようだ。
「私の言うことを聞かなかったから!」
「私の言う通りにしなかったから!」
「痛い思いをしなきゃいけなかったんですよ!」
今度は俺の首に手をかけた。
思い切り首を締めてくる。
痛い。
痛い。
息が苦しい。
「ここまでされなきゃ!」
「分からないんですもんね!」
「自分が今、どんな状況にあるのかなんて!」
目の前が白くぼやけていく。
意識が急に遠くなる。
駄目だ。
ここで気を失ってはいけない。
駄目なんだ。
駄目なのに。
痛みで頭が追いついていない。
酸素が頭にいっていない。
鈴鹿はなにか言っているらしかったが、何も分からない。
ぼーっとしてきた。
あのときと似ている。
痛みが頭を支配して、なんだか意識が朦朧として。
どうにかなりそう……
……
…………
………………
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここに来て、どれくらい経っただろうか?
何日?
何週間?
何ヶ月?
何年?
分からない。
起きて明るければ昼だと分かるし、暗くなれば夜だとは分かる。
しかし、どれだけ経ったかは分からない。
もう、時間的な感覚は無くなった。
今の俺は軟禁状態にある。
右の腕を家の柱に鎖と手錠で繋がれていて、家の中では自由は効くが、外に出ていくことは出来ない。
右腕はもう殆ど機能していない。
古傷が再発して、痛み止めを飲んで痛みを紛らわせるぐらいしか出来ていない。
そんな腕を固められているから、俺にはどうすることもできない。
集合住宅だったりしたなら、宅配の人が来るなら脱出のことも考えたが、そこはしっかりと対策されている。
一軒家に繋がれていると思う。
周りから生活音はするのだが、距離がある気がする。
これでは、大声を上げてもどうにもならない。
更に、俺が助けを求めたとて、鈴鹿が結局いいようにしてしまうのだろう。
その後の流れは大体分かる。
俺は嫐られることになる。
大抵めちゃくちゃになって、昼夜問わず続いて、そのせいで時間感覚が喪失したのだが、相手が満足するまでそれが続くことになる。
しかも、もしそこから逃げ出せたとて、その後どうなるというのだろうか?
どこかも分からぬところからやってきて、女に監禁されている腕を怪我した元警官で、その女は殺人犯で、なんて誰も信じちゃくれない。
もし本気にするなら正気を疑うだろう。
映画にしては出来すぎだ。
そして、もし、また見つかったりしたら?
協力者はまず間違いなく殺されるだろう。
俺はまた連れ戻されて、いよいよ何をされるか分かったものじゃない。
身体が一部欠損するだけで済めばまだいいほうだと思う。
「ただいま〜」
玄関から声がする。
帰ってきたようだ。
「居ますか、先輩」
居間のドアを開けて鈴鹿が入ってくる。
「この通りさ」
「偉いですよ、先輩」
「いい子にしてましたね」
されるがままに頭を撫で回される。
ペットにするそれだと思うのだが。
「先輩」
「なにか言うこと、ありませんか?」
「……」
「ないんですか?」
「まだ言うつもりは無い」
「強情ですねえ」
「ま、いいですよ」
「一生待ってあげます」
師匠に与えられた、警察への夢。
誰かを導き、弱きを助ける正義の味方であろうと、そうすることにした高校時代から10年とかそこら。
空っぽの器に注いだ、誰かの叶えられなかった夢。
それはもう、喪われてしまった。
最早社会に戻ることすら叶わない。
ここで一生、過ごすことになるはずだ。
この女が死んだなら、話は変わるだろうけれど。
今の俺に、そんなことをする気力も、体力もない。
ここに来てからの生活で、牙も殆ど抜かれてしまった。
抵抗する意思も奪われて、いっそこのままでもいいと思っている自分が居る。
そう。
きっと、このままでいい。
もう、ものを考えるのも面倒で、無駄に思えている。
こんな気持ちはあの時以来で、また何かきっかけがなければ抜け出すことは出来ないだろう。
そして、そんなきっかけを与えるものは、
だから、諦める他ない。
「?どうしたんです?先輩?」
「……いや、何でもない」
「なら良かったです」
「何か策を講じようものなら」
「どうなっていたことか」
目のハイライトが落ちる。
これももうよく見る光景だ。
「大丈夫さ」
「きっともう、どこにも行かないさ」
「どこにも行けない」
「それなら良かったです!」
途端に活気を取り戻す。
感情とか考えているものが態度に出てわかりやすい。
こいつの考えてることが分からなかったんだから、面白い。
俺の人生1の失敗だ。
「さて、色々買ってきましたから」
「ご飯にでもしましょう!」
「今日は週末なんですよ〜」
「いろんなものを買ってきましたから、仲良く頂きましょうね!」
「ささ、こっちに……」
そう言われてキッチンに押し込まれる。
「さ!」
「共同作業、と言うやつです!」
「張り切って行きますよ!」
「はいはい……」
こいつと二人の生活に、慣れきってしまった。
こいつが俺のもとからいなくなるというのが、怖いと思う自分が居る。
こいつがいなくなると、怖い?
犯罪心理の授業で聞いた気がする。
監禁されて時間が経つと、犯人に情が移って親近感を覚えたりするとか。
俺は、防衛本能として、こいつに飼われている?
それでもいいか、と思う。
もう、全てがどうでもいい。
好きにすればいいと思う。
どうにでもなればいいと思う。
身近にいるのがこいつしかいないから、こいつが幸せならそれでいいと思っている。
もう、それでいい。
「先輩!」
「ぼーっとしてないで、手伝ってくださいよ!」
「……ああ、分かった」
「でも俺、料理下手だぜ?」
「それでいいんです」
「そういうところも、愛しますから」
「気にせず続けて下さい」
「そうか?」
「なら良いが……」
何とも言えない気分だが。
これが、満ち足りてるってことなのかもな。
野球をやってた頃とか、周囲に認められたときに感じてたヤツだ。
今は、こいつに喜ばれるだけでそう感じるようになった。
これが幸せか?
「先輩はレンジを使って温めるだけで良いですから」
「本格的な調理は私がしますんで!」
「分かった」
多分、幸せだ。
空っぽになった俺には、お誂え向きの幸せだ。
それで差し当たり幸せなら、それでいい。
「……幸せ、か」
「どうしたんです?」
「いや、気にすんな」
「焦げるぞ、それ」
「うわっ!」
お互いに笑った。
これで、きっと良かった。
あとどれだけこの時間が過ごせるかは分からないが、残された時間を最大限幸せに過ごそうと思う。
こいつと。
これが。
これで。
ハッピーエンド、ってやつなんだろう。