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暗い山中をまだ年若い二人の少年と少女が走っていた。
時刻は既に二十時を超えており、子どもが出歩くには遅い時間だ。しかし彼らにとってはそんなことは関係なかった。
後ろから迫る黒い影から逃れるように必死に走っている。
「ハァ……ハァ……っ! クソッ!」
息を切らせながら毒づく少年の名はフォルト・フォーネル。
交通に不便な片田舎に生まれ、今日(こんにち)まで何の変哲もない毎日を享受していただけの少年だ。
「待って! お兄ちゃん!」
フォルトの少し後方を幼い女の子が追いかけていた。
肩口までの藍色の髪を揺らしながら、一生懸命にフォルトを追いかけている。
フォルトは今、少女――イリスと一緒に夜の山道を駆け抜けている最中だった。
「待ってよぉ!!」
「急げ!! 早く逃げないと俺たちも――!?」
言いかけ、フォルトの脳裏にはつい先程起こった光景が過ぎった。
突如として飛来した巨大な黒い物体が、自分達が住む村を炎で覆い尽くした。
父と母は自分達を助ける為に自らの命を使ってほんの数秒だけ時間を稼いでくれた。その僅かな隙をついて二人は逃げてきたのだ。
「ぅっ……!!」
その時の――両親が炎に焼かれる様を見てしまったフォルトは吐き気に襲われたが、何とか堪えた。
吐いてる時間なんてない。今はとにかく逃げるんだ。そう自分に言い聞かせ、走り続けた。
……どれくらい走っただろうか?
辺りは既に真っ暗になっており、夜目が効かない人間であれば遭難してしまうほどの闇が広がっていた。
「はぁ……はぁ……」
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「あ、ああ……。まだ走れるか?」
「うん。平気だよ」
「よし、ならもう少し走ろうか」
「うん!」
再び二人で走り出す。
しかし、そんな二人を追う影があった。
――その影は上空に鎮座する月を隠す程に巨大だった。
「あ、あぁ……!」
見上げるフォルトの視界に入ったのは、巨大な黒いドラゴンの姿。
それは、まるで山のように大きかった。
そのドラゴンを見た瞬間、フォルトの中に眠っていた恐怖心が爆発し、足は動かなくなった。
何故なら、アレこそがフォルトの村を壊滅させ、両親を焼き殺したものの正体だからだ。あの時の光景が脳裏に浮かび、身体は震え始める。
「う、うぅぅ……」
それはイリスも同じらしく、フォルトの腕を掴み震えている。青い瞳からは大粒の涙が零れていた。
その姿を見て何とかしようと思いはするものの、依然身体は硬直したまま。
そんな恐怖に支配された二人の状態を、ドラゴンが気にする訳もなく、その巨躯は地面に向かって『落ちてきた』。
――轟音と共に地面に激突し、大地を揺らす。
二人は衝撃により身体が浮いた様な錯覚すら感じた。そして、落下してきたドラゴンはゆっくりと立ち上がる。
「ひっ!!」
思わず悲鳴を上げてしまう。目の前にいる存在に対して、何も出来ない無力な自分への絶望感が、恐怖心を更に掻き立てた。
(ダメだ!ここで諦めたらいけない!!)
そうは思っても、身体は言うことを聞かない。足も腕も鉛の様に重く、動かすことが出来ない。
――このままでは、二人共殺される。
それだけは避けなくては。
腕にしがみついて泣きじゃくるイリスを見て、フォルトは覚悟を決める。
――せめて、イリスだけは守らないと。
そうして、振り払うようにイリスの手の拘束を解く。
「お兄ちゃん!?」
突然の行動に理解できずイリスが叫ぶと同時にフォルトはドラゴンに向かって走って行く。
「お、おおぉっ!!」
何の力も持たない子どもが巨大な躰の怪物に挑むなど正に無謀。
「■■■!」
それを証明するかの如く、ドラゴンは嘲笑うように鳴くと一度翼を羽ばたかせた。たったそれだけで、フォルトは吹き飛び、大木に叩きつけられた。
肺の中の空気が全て吐き出され、呼吸困難に陥る。
フォルトは痛みに耐えながら必死に立ち上がろうとするも力が入らない。頭を強打した影響だろうか。
「お兄ちゃん!? お兄ちゃん!!」
動かなくなったフォルトに駆け寄ると、イリスは大粒の涙を流して必死に呼び続ける。
しかしフォルトがその声に応えることはできない。
(に、げ……)
ただ朦朧とする意識の中、声にならない思いだけを浮かべ、少年の視界は暗転した。
「や、やだ! 目を開けて! 起きてよお兄ちゃん!」
イリスがいくら呼びかけても返事はない。虚しく少女の声が木霊するだけ。
「■■■」
そんな、無力な二人の様子を無様とでも言いたいのか、ドラゴンは見下すように鳴く。
「ひっ……!?」
そして戯れはこれまでと言わんばかりに、その巨大な顎を開く。
子ども二人など簡単に呑み込んでしまえる程の大きさと、凶悪さを前にイリスは泣くことすらできなくなり、失意の底に叩き落とされた。
頼れる大人は既に殺され、一番信頼していたフォルトも瀕死の重症。
助かる見込みはどこにもなく、ただ受け入れるしかないのかと絶望した。
失意の底にでも落ちた如き顔を見て満足したのか、ドラゴンは慈悲も容赦もなく二人目掛けて牙を向けた。
――その刹那、 突如として空から光の柱がドラゴンを貫いた。
それは山程ありそうなドラゴンの巨躯を容易く呑む程に太く、凄まじい光量と熱量が籠もっていた。直撃したドラゴンは断末魔を上げる間もなく消滅する。
闇を裂き、夜なのに太陽の如き光を前にイリスは咄嗟に目を閉じていた。
多少距離が離れていたとはいえ、それでも肌焼くような熱さ。
一瞬でそれは過ぎ去り、次の瞬間、イリスが目を開けた時にはドラゴンの姿はどこにもなかった。
代わりに一人の青年がそこにいた。
髪は白銀で、金の瞳はどこか神秘的な印象を与える。
服装は黒のジャケットに白いシャツ、青いズボンといった出で立ちだ。
「……え?」
見惚れていた為気付かなかったが、その青年はどういう訳か『宙に立っていた』。
いや、もっと具体的に言うのなら『先程ドラゴンが居た場所の地面がまるっと抉られており地面がなくなっているのだ』。そして、その『地面があった場所』に青年は立っていたのだ。
どう見ても常人とは思えない。恐らく、先の光は彼が放ったのものなのだろう。その圧倒的な火力によってドラゴンは断末魔をあげることすら許されず『地面ごと蒸発してしまった』のだ。
しかし幼いイリスに分かったのは、ドラゴンを簡単に葬る程の強さを持つ者が突然目の前に現れたということのみ。
「うぅぅ……」
故に、彼女は恐怖し新たに涙を浮かべる。
「あー……待て待て泣くな」
その様子に澄ました表情をしていた青年は、慌て始めた。
「オレは《
そう言いながら彼はイリスの近くの地面に降り立った。彼の言葉にイリスが少しだけ安堵する。
一方で青年は頭を掻いて困った顔をしていた。
それもそうだ。何せ、今の彼にとってこの状況は想定外の出来事なのだから。
「……あの村の生き残りか」
此処に来る途中に『村だったと思わしき残骸』を見つけた。既に大半は焼け落ち、村人の遺体すら見当たらなかった。
それだけで如何に凄惨な出来事が起きたのか想像がつく。
そんな光景を見ていたから生き残りはいないと思っていたのだが……。
「生き残ったのはお前だけか?」
青年の問いかけにイリスは首を横に振った。
「お、お兄ちゃんも……」
そうして兄と呼ぶ少年に寄り添った。
「なるほど」
ぐったりとしていた為既に事切れていたかとも思っていたが、よくよく観察すれば弱々しくもまだ息がある。
「たす、けて……」
村からかなり離れた場所まで幼い子どもの体力で走ったのと、ドラゴンの脅威から抜け出した安堵からか、イリスは糸が切れたように意識を失う。
(……本来ならオレの領地ではないのだから捨て置いても問題はないが、しかしそれは《大帝》の意に反するだろうな)
二人の処遇を一瞬考えはするものの、自らの立場と忠誠を誓った方の意を汲み取り、『助ける』という選択が即座に弾き出された。
「それに……これも『運命』だろうしな」
自嘲する様な笑みを浮かべると青年は二人を助けるべく手を差し伸べたのだった。