クルシェード王国は大陸に築かれた大国である。
《大帝》と呼ばれる王族の長を中心に、選ばれた十人の《聖刻者》――《
《十賜星》とは王族の次の位とされており地位と発言力、そして影響力は貴族よりも上とされている。
その内の一人が統べる領地――トランド領は王国の東にあり、現在フォルトが居を構えている所でもある。
何より、フォルトの住んでいるこの屋敷の主こそがその《十賜星》の一人でもあるのだから……。
屋敷の奥にある執務室。
そこに呼び出した人物がいる。
気が重いが、気持ちを切り替えることにした。
「失礼します」
そうしてノックを三度し、返事を待たずに中に入る。
呼び出した以上、中に居るのは確信的に明らかだからだ。
他の《十賜星》ならいざ知らずヴァイスとの付き合いは長く、家族の様な関係だ。だからこそ、この様な無作法も許されるのだ。
扉を開けると、そこにはやはりと言うべきかヴァイスがいた。
生活感のない、正に仕事部屋と呼べる殺風景でありながら無駄に広い部屋。そこで耳に入ったのはカリカリと何かを書き記す音。
その出所に件の人物はいた。
綺麗な銀髪に金の瞳、白い肌に長身痩躯の優男風の青年。
見た目に反し、圧倒的ともいえる実力と才気を持っており、その力に相応しく《十賜星》での序列は三位である。
「来たか」
立派な椅子に座り、高そうな机で何やら一枚の書類を書き上げたヴァイスは、入ってきたフォルトを一瞥し呟いた。
「呼んだのはそちらだろう?」
「ああ。ただ今日中であればよかったからな、予想より早いと思った訳だ」
「なんだ、じゃあもっとゆっくりすればよかった」
どうやら可及的の事態ではないらしい。
そういえばベルも「急ぎ」とは一言も言っていなかったな。
そう思い返し、少しばかり肩の荷が降りる。
「まあ、来た以上おめおめとは返さないがな」
とはいえ、呼び出し自体は事実。ならばやはり何かあるのだろうと、フォルトは次の言葉を待つ。
「ほら」
だが予想に反し、与えられたのは一枚の書類だけだった。
なんだ? と疑問を抱きつつもその内容に目を通す。
「えーと……聖刻学院への入学手続き?」
そこにはとある学院へ入学する為の申請書が書かれていた。
「ああ、悪いが数日以内には向こうに行って貰うぞ」
「はあ!?」
唐突に告げられた決定事項にフォルトは驚嘆の声を張り上げた。
「待ってくれ! いきなり過ぎる!」
次いで出たのは勿論抗議の声だ。
当たり前といえば当たり前だ。フォルトは事前に何も知らされていない。それなのにいきなり学院に行けとはどういう了見か?
いや、そもそもの話しとして――。
「聖刻学院って《
聖刻学院とはその名が示す通り《聖刻印》について学ぶ場所だ。必然通う者は《聖刻印》を宿したばかりか上手く扱えない未熟者が多い。
しかしフォルトは既に自らに宿した《聖刻印》を扱える。少しばかり癖が強い能力の為に十二分に使えているかと問われれば首を横に振るしかないが、それでももう前線に出て戦えるだけの力はある。
確かにフォルトの《聖刻印》は他と比べ特殊であった為に学院ではなくヴァイスが直々に指南した経緯がある。
故に学院に通ったことはないが、それでも学院の教諭よりも遥かに優れた才能を持つ者に育てられたのだ。知識にしろ技量にしろ、何より実戦経験が他の学生とは段違いであることは自信を持って言える。
「確かに、お前の言う通りだ」
そして、そこに対してヴァイスは異論はないようで素直に肯定した。
だが――。
「だったら……」
「だが、お前は勘違いをしている」
食って掛かろうかとしたフォルトの言葉をヴァイスは遮る。
「聖刻学院は確かに《聖刻者》を育て上げる機関ではあるがそれだけではない。学術そのものを学ぶ場でもある」
「……?」
フォルトは疑問符を浮かべるが、ヴァイスは構わず続ける。
「《聖刻者》だけを育成する機関なら、彼等が生まれない時期は何をしてると思ってるんだ」
《聖刻者》は《降翅》によって発生する羽――《翅刻聖》に触れることによって生まれるのが一般的である。
だが、その《降翅》の起こる時期というのはまちまちであり、早ければ二年程度だが遅ければ七年近くかかる場合もある。
そうなれば《聖刻者》だけを育成する機関が機能するのは不定期となる。
では、その間はどうするか。そのまま埃を被せ腐らせるのか?
そうではない。そんな無駄な事はしない。
そもそも、聖刻学院のある領土は学術に重きを置く地域でもある。
その為“聖刻”学院とはいうものの、それ以外にも精通しており、《聖刻者》だけでなく、様々な分野の生徒や教諭がいる。
故に、仮に《聖刻者》の生徒がいなくなろうとも学院が閉じることはなく、寧ろ年中学びの門は開かれているのだ。
「……尚更行く意味が分からないんだが?」
説明を聞く限り肉体労働を主とする自分とは関係なさそうに思う。
《聖刻印》に関しても前述した通り学院では手に余るだろうし既にヴァイスから教えられ実戦で使っている。
やはり行く理由がないと思うのだが……?
「お前、働き始めてどれくらいになる」
怪訝な表情を浮かべるフォルトを見て、ヴァイスは一つの質問をする。
「え? ……たしか六年くらい経ったかな……」
それに対し、ヴァイスに拾われてからの記憶を掘り起こし、自信なさげに答えた。
「ああ、そうだな。お前とイリスを拾ったのが八年前。お前に《聖刻印》を与え、それに馴れるのに二年掛かり、それから《
淡々とした口調で付け加えるヴァイスに対し「わかってるなら聞くなよ……」と内心思うが、同時に「そういえばそうだったな」と感慨深くもなった。
「……それで?」
だからといって今思い出に浸る必要はない。何が言いたいんだ? と続きを促す。
「もう一つ訊ねる。お前、今ランクはどの程度だ」
ヴァイスの目は細まり、睨みつけるような視線がフォルトを射抜く。
「……Cだけど」
その様子から嘘を吐くことも下手な言い訳もしてはいけないだろう問答になるのを感じると重くなった口を開いて答える。
威圧されている訳ではない。ただ空気が変わっただけなのに、一瞬で口の中が乾き、心臓が速く脈打つ。自然と緊張している。
「やはり分不相応だな」
そんな心境のフォルトを他所にヴァイスは呟く。
なんだよ、文句でもあるのかよ。と、そう反論しようとする――
「まあ、お前の言いたいことは分かる。《
しかしそれを先読みしたかの如く、ヴァイスは言葉を連ねる。
「だがな。結果、その位に相応しくない奴がいることで他の連中の成長が停滞するのはいただけない」
責めるような強い口調に変わると、フォルトに向けられていた目は更に鋭さを増す。
この国においてランク付けされるのは基本的に二種。《聖刻者》と、《呪獣》と呼ばれる魔物だ。
目安とするのは《呪獣》であり、その推定された力や能力に応じてランク付けし、それに対応できる《聖刻者》に同等の位を与えるというもの。
ランクは例外的な者を除くのであれば基本A〜Eに分けられており、フォルトは丁度その中間に位置している。
しかし、フォルトは
能力と実績を見る限り本来ならもっと上……Bランク以上のはずなのだ。にも関わらず分不相応の位置にいるのは流石に見過ごすことは出来ない。
「いいか、“頼る”のと“依存”は別物だ。現状お前がいることで組んだ奴はお前の力に依存する。命懸ける戦場でそんな気持ちでいられるのは危険だ。それくらい分かるはずだが?」
何より、この行為が保身によるものであればまだ納得がいく。
だが、フォルトはそうではなく寧ろ積極的に前線に出ている。そしてその際、同ランクの者と組むのが大半だ。
フォルトは既にその
「…………」
ヴァイスの言っていることは正しく、反論の余地はない。
フォルトが今のランクに居座っている理由はただの我が儘だ。
彼は《呪獣》が憎い。過去にあった境遇からか、憎悪している。だからあの存在は許せず、あれ等によって奪われる命を見過ごすことが出来ない。
どの種においてもそうなのだろうが、優秀な個体というのはそう多くない。《呪獣》も例外ではなく、Bランクのものには中々遭遇することはなく、Aランクのものなぞ半年に一体出現するかどうかといった具合だ。
先にもいったが基本ランクは《呪獣》を目安として付けられる。結果対処する《聖刻者》も同ランクの者達になる場合が多い。そして出現率が多いのはCランク以下だ。上位のランクになればなる程、実はそんなに出番は多くないのだ。
つまり、フォルトは憎悪の対象である存在を一体でも多く倒したいが為に分不相応のランクに居座っているということ。
勿論それだけではなく、あれ等によって奪われる命を一つでも多く救いたいと思う気持ちもあるのだろうが、それでもその結果行った行動はやはり
一番厄介なのは怠け者よりも無用なことまでする働き者だ。
フォルトは己が目的の為に他者の仕事を奪っているようなもの。一般的な仕事であればともかく、命の危険があるような所でそれをされるのは迷惑だ。
「分不相応なお前の存在がそこにあれば、共にいるそいつらはその努力を怠る。その怠った結果がどうなるかなど容易に想像が着くだろう?」
「それは――」
口答えしようにも想像するのは難くなかった。フォルトに頼り切った結果注意力が散漫し、そこを突かれ瓦解。
数多の戦場を駆け巡り、似たような光景を幾つか見てきたからか、そのイメージは簡単に目に浮かんだ。
「だからこそ、お前にはランクの昇格試験を受けて貰う。ついでに幾つか役立つ知識や資格でも得て来いという意味で学院に出向いて貰うわけだ」
「ちょっと待て!? 昇格試験以外にも何かやるのかよ!」
ランクに関しては仕方がない。完全にこちらの落ち度だ。だからこそ、そこは甘んじて受ける所存だが、どうやら他にも何かやらせるつもりらしく、フォルトは流石に異を唱えた。
「あぁ、拒否権はないからな。お前は立場も立場だから流石に《魔断公》の耳に入ってしまってな、直々にお達しもきたぞ」
「なっ!?」
「だからこうして呼び出して叱りつけている訳だが」と呟くヴァイスを他所に、フォルトは心臓が止まりそうになる程の驚きに見舞われた。
《魔断公》とは、ヴァイスと同じ《十賜星》だがその序列は一位。実質的
そんな雲の上にいる様な人物から直々に達しが来たとなればヴァイスも首を縦に振る他ない。
「まあ、もしそれでも聞き受けられないというのなら仕方がない」
通告も忠告もされた。その上でもまだ我が儘を貫き通りというのであればやむ無しと、ヴァイスはゆっくりと右手を前に翳す。
それに合わせる様に、フォルトの全身から紋様を思わせる刻印が浮き出ると激しい光を発し、
「――くぅっ!!」
突如激痛が身体を駆け巡る。
まるで全身の骨をそのまま引き抜かれるのではないかという感覚。気を抜けば大声で叫びたくなる痛みを、歯を食いしばって耐える。
抵抗するように睨みつけるが、そんな視線もどこ吹く風でヴァイスはため息を一つ漏らし――
「お前に与えた《聖刻印》、返して貰うぞ」
フォルトにとって一番怖れている言葉を口に出した。
「っ!? ……わかっ、た……わかったよ! 行けばいいんだろ! 行けば!!」
最大級の脅しに即座に折れてしまったが、それは詮無きこと。
《降翅》により与えられるはずの《聖刻印》をフォルトは宿すことができなかった。それでも無理を言って貰ったのが今身に宿している《聖刻印》だ。
それを与えたのは誰言おうヴァイスだ。なればこそ、それを引く剥がす手段も持っているのは当然といえる。
念願叶って得た力をみすみす失うのは流石に避けたかった。そんなフォルトの心の内を見据えて放った言葉は想定以上の効果があった様子。
「ならいい。オレも貴重な人材がいなくなるのは心苦しいからな」
望みの言葉を引き出せたからだろう。口元に僅かな笑みを浮かべ、翳した手を下げると同時に刻印の発光は収まり、痛みも引いた。
すぐに手の甲や腕を確認し、異常がないことに安堵の息が漏れる。
そして、ついに観念したからか、大きく深呼吸した後ヴァイスに向き直る。
「で、昇格試験以外何をやらせる気なんだ……」
学院に向かうことは確定してしまった為、やむを得ず先程答えて貰えなかった質問を再度する。大変不服ではあるが仕方ない。気を取り直すとしよう。
「先も言ったが、あの学院は《聖刻印》以外にも学べる分野がある。その中には戦術や戦略ってのもあったりする。他にも実用的な物がちらほらとあってな。とりあえずそれは一通り学んでこい」
なるほど。単純な勉学ではなく、戦場とかでも役に立つものでも覚えてこい、と。要はそういうことか。
「ま、それら辺を本格的に学ぶなら《魔断公》の元に三ヶ月も預ければさぞや立派に身に付くんだろうが――」
「それは絶対に嫌だ!」
一応もう一つの選択肢として挙げた提案をフォルトはバッサリと切り捨てた。
厳格・厳粛とされる
故に彼の元に赴くのは全力で遠慮したい。
「だからこそ、妥協してそれを選んだんだよ」
そう来るとわかっていたからか、ヴァイスは苦笑混じりにフォルトが握っている申請書を指差した。
「…………わかった。どうせ拒否権はないからな。行くよ、行ってきます」
自棄になった様に口答えしつつも承諾する。
それと同時にこれから色々と用意しなければいけないとのか、と密かに頭を切り替え始める。
「ああ、そうそう、勿論お前はウチの重要な戦力だから他の学生同様年単位で学ばせる余裕はないからな。期間は二ヶ月だ。それまでに試験をキッチリ終わらせて、学も身に付けて来いよ」
「鬼かお前は!!」
その間際、思っていた以上に少ない期間であったことと、さらっと一つ仕事を増やされたことにフォルトは心の底から叫んだ。
そうして、フォルトの超過密スケジュールな学生生活が決まったのだった。