シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

1 / 236

 ブルアカのエデン条約を読み返し、水銀の永劫回帰にインスピレーションを受けた二次創作です。



Prologue
終局の回帰


 

 キヴォトスとは箱舟である。

 少女達という希望を送り届けるための学園都市であり、此処ではない何処かへ旅立つための機構だ。

 

 キヴォトスとは箱庭である。

 神秘を観測するためのメガロポリス規模のモデルケース。崇高の器、ゲマトリアが目指したソレに最も近しい存在が住まう場所だ。

 

 キヴォトスとは楽園である。

 危ない事はあるが、毎日を笑顔で生きている少女達がいる。

 

 現在のキヴォトスは──────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地獄であった。

 

 アビドス高等学校は洪水に沈んだ。

 アリウス分校は地割れに飲み込まれた。

 ヴァルキューレ警察学校は嵐に消えた。

 ゲヘナ学園は硫黄と火に焼き尽くされた。

 山海経高級中学校は氷河に覆われた。

 トリニティ総合学園は暗黒に呑まれた。

 百鬼夜行連合学院は酸の雨で溶かされた。

 ミレニアムサイエンススクールは塩の柱になった。

 レッドウィンター連邦学園は灰に埋もれた。

 SRT特殊学園は蝗に貪られた。

 連邦生徒会は流星で滅ぼされた。

 

 無論、これらの学校だけではない。キヴォトスに存在する数千の学校全てが血に濡れた。生き残った生徒はごく僅か。この学園都市に住まう多くの生徒たちは大きな意志の身勝手な失望に嬲り殺された。

 

 とは言っても、初めからここまで絶望的な状況ではなかった。キヴォトス戦役と名付けられたこの動乱は、最初の内は不利程度だったのだ。崇高の器の失敗作、悪性偽典のレプリカをインストールされた堕ちた偽神の軍勢は空を焼く程であったが……それでも、強力な神秘を宿した生徒達ならば勝てない相手ではなかった。

 

 そして。

 

『私は、最期まで君達の味方として──────ここで戦う。ここで抗う』

 

 キヴォトスで生徒と親交を深めたシャーレの先生がこのように宣言した事が大きかったのだろう。ミレニアムが、ゲヘナが、トリニティが、アリウスが────悉くの学校と生徒が彼の言葉に呼応し、轡を並べた。更に先生の指揮も合わさり、無限に轟く不滅の軍勢を相手に平衡状態まで持ち直したのだ。

 

 力を合わせれば、どんな困難だって乗り越えられる。先生がいれば何度だって立ち上がれる。生徒達は誰もがそう思い、輝く青春(ブルーアーカイブ)を取り戻そうと必死になって前を向いていた。

 

 故に、過去(うしろ)を振り向いていた少女に誰も気づかなかった。

 

 ────先生を殺害すればキヴォトスから手を引く。

 

 そんな取引を持ち込まれた彼女は、戦線で重傷を負った親友がいたのだ。命は助かったものの昏睡状態で、いつ目を覚ますか分からないその姿に自分の将来を重ねてしまい────その決断に至った。

 

 深夜の2時にシャーレへ忍び込み、戦術を練っていた先生に銃口を向けた。ヘイローもない、一発の銃弾で死んでしまう彼に過剰な暴力は不要だ。9mm口径で容易く旅立てる。ガタガタと不恰好に震える銃のサイトの先には、少女を優しく見つめる先生がいた。

 

 先生は彼女の事を決して責めなかった。キヴォトスの安全を、親友を選択した少女の判断を心の底から尊重していたのだ。

 

『自分の命一つでキヴォトスの安全が手に入るなら上等だよ』と。

『君をここまで追い詰めてしまってごめん』と。

『君の心を傷つけたこと、君の大切な友達を守れなかったこと……その全てに謝罪させてほしい』と。

 

 別に少女は先生に謝ってほしいわけではなかった。この戦線が先生の尽力により成立している事はよく分かっている。死者を出さず、負傷者のみで抑えている彼の手腕には感服しているし、以前の日常生活で助けられたこともあった。故に、感謝こそあれど恨みなんて欠片もなかった。

 

 ただ、彼の命よりも、親友が喪われる痛みが────終わりが見えない戦いへ身を投じる恐怖が上回っただけで。

 

 泣きじゃくりながら謝る少女に『君は悪くない、君は何も悪くないんだよ』と何度も優しく赦して、溶かして。

 

 先生にも、やり残した事はある。後悔も未練もある。

 

 ()()()()()、迷いはなかった。

 

 先生とは『先を生きる者』だ。先を生きる以上、先に死ぬのは自然の摂理。次世代を生きる幼年期を終えたばかりの少女達は輝く美しい世界を、夢を描くと信じていた。先立としてその礎になれるなら本望だった。

 

 それに加えて、彼は大人のカードの使用により既に先は長くなかったのだ。保ってあと1週間の段階まで寿命を消費していた彼は『潮時だろう』と己の命を諦めた。あまりにも、呆気なく。

 

 少女が疑われないようにアリバイを作成し、帰らせて。その後に『希望を持たせてしまった責任』を取るべく、自身の身辺整理を行なった。この命でできる最後の仕事をしようと。

 

 今後の動きや戦術指揮の案、シャーレの先生としての権限全てをリンに委託する旨を書いた──────滅びに抗う道の提示。

 

 キヴォトスからの脱出方法──────滅びから逃げる道の提示。

 

 最期に遺書と生徒をケアする目的を含んだ手紙を認めてからペンを置き────そして。

 

「────黒服」

「はい、先生」

 

 返事はすぐに帰ってきた。闇に溶けるような黒を見た先生は、口元を少し緩めて。

 

「あの子に持ち掛けた契約、貴方の仕業だろう? 私の生徒の手を血で染めさせようとしたその魂胆、気に食わないな」

「そこは申し訳ないです。ただ、我々も余裕がなく……」

 

 そう言う黒服には確かに疲れが見えた。彼は彼で色々と奔走していたのだろう。妙に人間味の溢れた仕草が少し可笑しかった。

 

 だが、黒服のその疲れも一瞬で────直ぐに、真剣な表情へと切り替わった。

 

「────先生」

「あぁ、いいよ。出来るんだろう? なら、頼むよ」

 

 黒服の提案は先生の遺体という最上の聖遺物を使って奇跡を起こす事だった。

 

 これが果たされればキヴォトスに巣食う問題は薙ぎ払われる。生徒に流血を強いずに済む。

 

「マエストロとゴルゴンダ、デカルコマニーはなんて言っていた?」

「貴方の決断を尊重する、と」

「そっか」

 

 先生は少しだけ顔を綻ばせる。存外、ゲマトリアには信頼されて、高く買われていたようだ。

 

 ────生徒の為と嘯きながら命を終わらせる己を。こんな、私を。

 

「必要なのは貴方の心臓です。それ以外は貴方の一存に委ねますが……どの様に? 生徒に引き渡しますか? それとも、我々が?」

「弔いの話かい?」

「えぇ。どちらを選んでも貴方は丁重に埋葬されるでしょう。あとは好みの問題です。我々か、子供達か」

「でしょうって……まさか」

 

 その危惧を黒服は肩を竦めながら。

 

「えぇ。私も貴方と共に消えます」

「……驚いた。まさかそんな選択をするとはね」

「貴方に絆されたのかもしれません。存外、心地の良いものですね」

 

 2人の間に流れる旧友の様な空気。それが、最後だった。

 

 

 ▼

 

 

 朝、先生は黒服に持ち掛けられた契約を全て話した。

 

 生徒は当然の如く猛反対した。

 住民は『先生とは言え、1人の犠牲で戦いが終わるなら』と消極的な賛成を見せた。

 彼と敵対した事のあるカイザーは大いに賛成したが、それが生徒や黒服の逆鱗に触れたのか本社が吹き飛んだ。

 連邦生徒会は満場一致の大反対。彼をよく思わず、シャーレを排除しようとしたカヤですら猛反対した。

 

 だが────彼は止まらなかった、止まれなかった。彼が何よりも欲したのは、自分が生徒と共に歩める明日ではなく、生徒達の明日であったから。生徒達の景色の先に自分が居なくても良かったのだ。

 

 それから彼は一人一人生徒を説き伏せて、納得させて、最期の別れを済ませて────リンの承認を貰った。泣きじゃくりながら判を押した彼女の顔を、行かないでと縋った彼女を彼は生涯忘れないだろう。

 

 斯くして、先生の心臓は世界に捧げられた。救世主の心臓という至高の聖遺物が為した奇跡は世界の救済。戦いに塗れていた日々が嘘だったかのように日常が戻って来た。

 

 敵はいない。悪意はない。殺意はない。だが、彼もいない。

 

 明日を求める心が、平和を望む心が彼を殺した。キヴォトスの民意が彼を殺してしまった。

 確かに、それが彼の望みだったのかもしれない。優しい彼は自分よりも他の誰かの幸福を喜んだ。誰かの為に尽くすことを望んだ。生徒を心の底から愛するが故に、自身の先を閉ざす事を選んだ。

 

 自分達はそれを止められなかった。たった一人、世界の為に身を捧げる彼を。本当の最期、その命を天に返そうとしたその時誰かが言った。「やめてください。こんな話、ふざけている」と。でも彼は。

 

「でも、私は逃げないよ。できるだけ遅く会いに来てね」

 

「じゃあね、皆」

 

 そう言って、逝って。

 

 式は厳かに、シスターフッドを中心にして行われて──────その最中、ずっと気丈に、敬虔なシスターとして振る舞っていたマリーが崩れ落ちた。火葬場に向かう彼の遺体に向けて「行かないで」と遅すぎる後悔を口にして。

 

 特に聖園ミカの慟哭は凄まじかった。彼に『私の大切なお姫様』と面と向かって言われ、彼女の罪を少しでも軽くするために東奔西走していた────王子様が突然失われた。

 先生に思いを寄せる生徒は多くいるが、彼女ほど熱烈な恋心を抱いている人はいないだろう。『あの人の全部に恋してる』と頬を赤らめて幸せそうに笑った彼女は、その恋の行方と届け先を亡くしてしまった。

 

 エデン条約の件で見せた涙よりも数段悲痛で、深い絶望に彼女は囚われていた。か細い声で『いや、いや……先生、置いていかないで』と泣きじゃくる少女。幼馴染のナギサも彼女を慰める言葉を持てず、ただ一緒に泣くことしかできなかった。

 

 お姫様は王子様のキスで目覚める事は出来ても、その逆は無理だった。精々、その涙で視力を取り戻す事くらいしか出来ず──────失われた命は戻せない。寧ろ、ミカ自身が彼のために流した涙で盲目になってしまう程だった。それはまるでラプンツェルのように。

 

 彼女達は皆、先生の暖かさを知っている。その手の温もりを、その眼差しの優しさを、全てを許すあの微笑みを。

 それが失われた。二度と手が届かないものになってしまった。棺に入れられている彼は凍えそうなほど冷たい。シャーレに訪れた時、優しい顔を向けてくれた彼はもういない──────その事実が認められないほど、悍ましくて。誰もが悲しみで一杯だった。

 

 でも、それでも彼が命を捧げて守った『先』を台無しにしないために、遠くに行ってしまった彼に呆れられないように日々を送っていた少女達に突き付けられたのは『お前達はいらない』という、上位者の声だった。

 

 善意が神意によって無価値となり、悪意はより加速する。

 全て、初めから夢だったようにキヴォトスの輪郭が崩れ始めた。

 

 こうして、少女達の箱庭は滅んだ。先生の死からほんの2ヶ月で。生徒の為に死んだ先生は結局の所、大量死の引き金にしかならなかった。悲しみと怒りと憎しみは伝染病のように駆け巡り、皆が愛した美しい箱庭は地獄を煮詰めたような場所へ変貌した。

 

 その後、7つの嘆き────その中の一つ、終局の七が訪れてキヴォトスは末期の夢すら見ることも無く闇に消えた。

 

 それが、この回帰の結末であった。

 

 

 ▼

 

 

 キヴォトスには滅びがある。それも、単一ではなく複数。星の運航を正常にする為にキヴォトスにプリセットされたソフトウェア……それこそが、先生が『滅び』や『終末装置』と呼ぶものの正体であった。

 

 ジェリコの古則、七つの嘆き────先生がキヴォトスに来る際の対価にして契約。

 

 十の災い────キヴォトスの契機になったもの。

 

 神名十文字(デカグラマトン)────神の存在証明の為のシステム。

 

 邪悪十文字(アンチ・デカグラマトン)────神の不在証明の為のシステム。

 

 七つの災い、七つの封印、七つのラッパ────四の騎士。

 

 最後に訪れる666と、聖四文字(テトラグラマトン)

 

 これらは全てキヴォトスに予めインストールされた自壊システム。

 先生が回帰の果てに見つけ出した忌々しい終焉ども。

 神秘を扱う箱庭を跡形もなく滅ぼす為のリセットボタン。

 

 彼が心の底から愛した少女達の笑顔と居場所を奪う不倶戴天の怨敵だ。必ず解体すると心に誓い、そしてそれは終ぞ果たされなかった。

 

「──────あぁ」

 

 先生は真っ白な空間にいた。次の回帰のまでのインターバル。救えなかった生徒達の死を見続け、悲鳴を聞き続ける……先生にとっては何よりも辛い責め苦。

 

 とある小説の登場人物は『地獄はここにあります。頭のなか、脳みそのなかに。大脳皮質の襞のパターンに』と言った。

 ならばこの光景こそが地獄なのだろう。目を閉じても、耳を塞いでも逃れる事はできない。先生の脳に、魂に、クオリアにインストールされて……ずっと彼を苛み続けている。

 

 守りたいものが掌から溢れていく感覚は何度味わっても死んでしまいそうなほど苦しく、生徒達の顔が苦痛に歪むのが見ていられなくて。

 

 この世の悪感情を全て煮詰めて濃縮したような表情で世界(じごく)を眺めている彼に、不意に軽い衝撃が襲った。まるで天使の羽にぶつかったような、そんな優しい衝突。彼の視界の端で青空が踊った。

 

「アロナ」

 

 彼はひどく愛おしそうに、その名前を呟いた。彼の腰に抱きつき声も出さず啜り泣いている少女は、ずっとそばにいてくれた頼れる相棒にして一番悲しませてしまった己の罪悪の象徴。

 

「ごめんなさい、先生……」

「いいんだ。今回も私が無能だっただけで……君が謝ることなんて一つもない」

 

 先生は屈んで膝立ちになり、青い少女の顔を真正面から見つめる。彼女の愛らしい大きな瞳から溢れる涙を優しく拭いながら。

 

 彼が言う通り、アロナが謝るべきことなんて一つもない。

 キヴォトスに来てから最後までずっと、その傍らにいてくれた。ずっと味方をしてくれた。ずっと助けてくれた。ずっと守ってくれた。

 

 そんな彼女に、少しでも恩返しができるように。

 

「先生……」

「アロナ、私はあとどれくらい保つかな?」

 

 かひゅ、とアロナの口から悲鳴になり損ねた吐息が漏れた。そして目を伏せて俯く。彼の顔を直視できない。

 

 だけど。

 

「あと、一回……耐えれるか耐えれないか、です」

 

 それは正しく余命宣告だった。彼に押し付けられたやり直しのチケットは既に底を尽きている。

 この回帰を終えたら最後、彼は一人ぼっちの夜を行くことになってしまう。凡ゆる宗教で、神話で語り尽くされた全ての死後から外れて──────永遠の孤独に。

 それが望んでもない回帰の代償であり対価。彼に与えられた運命であった。

 

「……そうかい。教えてくれてありがとう」

 

 その余りにも残酷な仕打ちを、彼は受け止めた。受け止めてしまった。

 

「……悲観、しないんですか?」

「しないさ。死んでも終わりがなかった方が不思議だったんだ。私は明確な死を与えられたことで……漸く他の生命と同じになれた。それは、きっと喜ばしいことだと思う」

 

 ──────だからどうか、気に病まないで。君が泣いてしまうと、私も泣きそうになるんだ。

 

「それに、私はあの場所が好きなんだ。大人として、先生としてだけではなく……あの場所を愛して、生徒達に救われた一つの命として全ての滅びに抗う」

 

 彼は生徒達を救い、心の底から愛した。それと同時に、生徒達もまた彼を救い、愛した。大人として、先生として、一人の人間として数多の生徒と向き合ってきた。

 

 故に、この決断は必然であった。

 

 キヴォトスの滅びを天上の視座から見届け、決意と覚悟を更に固く。残骸に成り果てた灰の精神に火を灯し、傷だらけの心と体を前へ、前へ、前へと動かす。

 

 最後の回帰。最後の生命。果たせなかった数多の約束を胸に、先生は終幕(フィナーレ)へと疾走する。

 

 ──────全ては生徒達の笑顔(あした)が為に。彼女達と供に、輝く蒼穹の空を見上げたいから。

 

「私は燃え尽きるまで走り続ける。だからアロナ、もう一度だけ力を貸してほしい」

「勿論です! このアロナ、最後まで、お側に」

 

 ────さあ、完膚無きまでのハッピーエンドを。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。