シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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ビッグシスターの決断

 アリスの暴走から2日が経過した。

 火の海となり、瓦礫となった部室は再建工事の着手の日付が決定した。

 騒動に巻き込まれた生徒も殆どが軽傷であったため、既に復学し勉学に励んでいる。

 その騒動自体も、セミナーの揉み消しでガス爆発という形で処理された。

 

 こうして、事態は収束した。だが、それは事件が終わった事を示さない。アリスが暴走した理由も、あの機械が何であるかも依然不明なまま。あの出来事は数々の疑問と傷痕をミレニアムに、生徒達に残してしまった。

 

 ハレは推測する。アリスの暴走には少なからずあの機械が関与している、と。

 ミドリは言う。アリスの雰囲気が変わった時、モモイが持っていたゲーム機が突然起動した、と。

 

 モモイのゲーム機にはG.Bibleが入っている。それに付随するKeyという謎のファイル。Divi:Sion System。それらはまるで何か一本の糸で繋がっているように思える。しかし、その真実は闇の中だ。モモイのゲーム機はまるで中身が空っぽになったように起動せず、あらゆる操作に沈黙を返した。まるで、初めからそうであったように。

 

 件のモモイは、未だ意識が戻っていない。ミレニアムの保健室の一角で眠り続けている。バイタルデータは安定しているが、それでも目を覚まさないのは単純に傷が深いのか……それとも、分からないだけで何らかの障害があるのか。

 

 面会には通してもらえた。真白いベッド、点滴を刺され、機械に繋がれバイタルが数値化された姉。所々包帯が巻かれ、生々しい戦闘の痕が残る姉。騒がしさを形にしたような小さな口から洩れるのは吐息だけ。力の入っていない手を握りながら、ミドリはその両目を余りある悲しみで濡らした。自分がもっとちゃんとしていれば、こうならなかったかもしれないのに……なんて、遅すぎる後悔を抱きながら。

 

 そして、最後に先生。彼は当然の如く面会謝絶だった。彼の関係者、と窓口に伝えても「お引き取りを」と取り付く島もなく突き返されるばかり。だが、運良く彼を診ている主治医と話す事ができて、その容体はある程度伺い知る事ができた。

 

 簡単に、端的に言うならば死体一歩手前。容体も安定していない。いつ坂道を転がり落ちるように悪化しても不思議ではないようだ。その症状は出血性ショック。大量の血が体外に流れ出てしまって、脳や臓器といった体の重要な器官がその機能を保てなくなる病。

 特に、彼は輸血までに掛かった時間が決して短いとは言えない。何処かしらに障害が発生している可能性は充分に考えられる。このまま目を覚まさない状態もあり得るし、仮に目を覚ましても重い障害を患い、以前のような生活ができない可能性も考えられる。そもそも、明日の命すら定かではないのだ。次の瞬きをしたら眠るように息を引き取っているかもしれない。

 

 だが、それ以外にも彼を襲う症状はあった。それは体内に混入した神秘。恐らく患部から混入したのだろう。その行為が意図的か否かは不明であるが、彼の体内に神秘が入り込んでしまい、内側から蝕んでいる。まるでウイルスのように。

 言うまでもなくキヴォトス外部の彼にとって神秘は毒だ。悪性腫瘍と言い換えてもいい。体の中に取り込まれれば最後、癌細胞のように正常を駆逐しその肉体を死に至らしめる。

 

 だが、何より恐ろしいのは神秘を中和する方法がキヴォトスに存在しない事だ。仮に神秘が通常の毒であれば、解毒薬なり血清なりで治療を図れた。しかし、彼以外にとって神秘は毒でないが為に、これまで解毒薬も血清も作られなかった。その必要がなかったから。

 一応、彼の体に投与されている血中ナノマシンが無毒化を図っているようだが、先の流血によって数を減らしてしまっているのか、その無毒化スピードは決して速いとは言えない。いずれは無毒化スピードを蝕む速度が上回り……というのが、医師が敢えて彼女達に伝えなかった見解。彼はまるで真綿で首を絞められるように、その命を絶命の崖に立たされている。

 

 大好きな姉と、慕っていた先生。その両方が突然手から零れ落ちたミドリは心が折れかけていた。この数日、碌に眠れておらず、食事も喉を通らない。苦しくても涙が出なくて、吐き気ばかりがあって、何度もトイレで胃液を吐き出した。口元を抑えた掌は彼の血で真っ赤に染まっている気がして、鼻孔に入り込む臭いには全て血が付随する。

 

 トイレの鏡に映る酷い顔にミドリは思わず苦笑いした。まるで別人だ。普段はおしゃれや身だしなみには気を遣う筈なのに、なんて思う。もう見せたい相手は此処に居ないのに。

 

 そうしてふらつく足取りで部室に向かっていると────ふと、後ろから足音が聞こえた。次いで、ビニール袋が擦れる音。緩慢な動作で振り返ると、其処に居たのは。

 

「……ユウカ」

「ミドリ、大丈夫?」

「うん……」

「……ちゃんとご飯は食べて、寝なさいよ。モモイが起きた時、あなたがそんな顔をしてたらきっと悲しむから」

「……分かってる」

 

 上辺だけ飾ったはりぼての返答を返すミドリに、ユウカは何も言わなかった。このままではいけないと一番分かっているのは他ならぬミドリであろうし、一番辛いのもミドリだ。安易に慰めを言ってはならない。そんな事をしても彼女を傷つけるだけ。彼女の傷に寄り添えるのはゲーム開発部の仲間達だろう。

 

「ミドリはどこ行くの?」

「アリスちゃんの所。ユズと待ち合わせしてるから……」

「そう、じゃあ目的地は一緒ね」

 

 ユウカはビニール袋を掲げる。中には飲み物や食べ物、ゲーム。アリスの為に買ってきたもの。

 そして、彼女は空いている手をミドリに差し出した。

 

「一緒に会いに行きましょう? アリスちゃんだって、あなた達の顔を見ればきっと元気を取り戻すわ」

「……ユウカは、強いね」

 

 差し出した手に感じた、涙の感触。ぽたぽたとユウカの手がミドリの心情で彩られる。

 

「私、何も、何もできなかった……あそこにいたのに……ッ! 守られて、ばっかりでッ」

「ミドリ……」

「お姉ちゃん、眼を覚まさなくて……ッ! 先生が、し、死んじゃうかもってッ!」

 

 そう叫んだミドリの、涙で滲んだ視界。それがカーテンで遮られたように柔らかく歪んだ。暖かい温度と柔らかい感触。背中を擦る優しい手。

 

「────大丈夫、大丈夫だから。ミドリの所為じゃないわ。誰もあなたを責めたりしないから」

 

 ユウカはずっと思い詰めていた、泣けなかったミドリを抱きしめる。彼女が背負うには重すぎる荷物を解く様に。

 

 

 ▼

 

 

 ゲーム開発部、部室前。ユズと合流した2人は隔てる扉を眺める。

 

「あれから、アリスちゃんは?」

「その……アリスちゃんはまだ……」

「そう……」

 

 ────無理もない話だった。彼女の傷はずっと深い。身体ではなく、心の傷。現代の医療でも治せない場所が、彼女は痛んでいるのだ。

 

 ユウカは3回ノックして。

 

「……アリスちゃん」

 

 呼びかけるが、返事はない。

 

「ユウカよ。ミドリもユズも居るわ。入ってもいいかしら?」

 

 やはり返事は返ってこない。だから、意を決して。

 

「……入るわよ」

 

 鍵は掛かっていなかった。

 

 すんなりと空いたドアの向こう。明かりも点けず、カーテンも全て締め切っている暗い部屋。その隅……お気に入りのブランケットに身を包んだアリスが座り込んで、俯いていた。

 

「アリスちゃん」

「……」

「ご飯も食べないで、ずっと閉じこもってるってユズが言ってたわ」

「う、うん……皆、心配してるから……だから、行こう……?」

「────アリスには」

 

 アリスは初めて反応を返した。両手で細い膝を抱きしめて、そこに頭を埋めて。

 

「アリスには、出来ません」

「……どうして? アリスちゃんは……」

「アリスは、アリスの所為で……モモイが怪我をしました……」

 

 絞り出したような声は、震えていた。

 

「全部、アリスが……やった事です。どうしてこうなったのか、アリスにも分かりません。あの時、何かが……まるでアリスの知らないセーブデータが、アリスの中にあるような」

 

 アリスの人格(ソフト)ではなく、肉体(ハード)の反応。それを見たのは今回が初めてではなかった。あの時……G.BIbleを求めて廃墟の工場に侵入した時も、同じだった。アリスの体が、それに反応した。

 

「……アリスの体が反応しました。動きました。あの時、アリスが何をしたのか……何も、思い出せませんが……それでも、アリスが、モモイを……!」

「違う、違うわ、アリスちゃん。よく聞いて────」

「せ、先生も会いに来てくれません……アリスは先生に嫌われてしまいましたか……?」

 

 その言葉に、誰もが息を詰まらせた。縋るように、『違う』と否定してほしくて見上げた青の双眸。そこに映った光景は気まずそうに、苦しそうに表情を歪める3人。その沈黙を、アリスは肯定として受け取ってしまった。

 

 ────アリスの精神状態を考慮して、先生の現状を伝えなかった事が仇となる。

 

「や、やっぱりそうなのですね……アリスがモモイを傷つけたから、先生はアリスを嫌いに……!」

「落ち着いて、アリスちゃんの所為じゃないからッ!」

「────いいえ、貴女が怪我をさせた。それは逃れられない真実」

 

 酷く冷たい声が聞こえたから、振り返ると。

 

「……会長」

「ユウカも居たのね」

 

 セミナーの長、ミレニアムの生徒会長たるリオ。彼女はユウカを一瞥して、直ぐに視線を戻す。彼女はアリスを冷たく見下ろしていた。

 

「あぁ、やはり────危惧した通りになってしまったようね」

「……どうして、会長が此処に?」

「真実を伝えに来たのよ……彼女についての」

「真実、ですか?」

 

 ユウカが3人を庇う様に立てば、リオは僅かに眉を潜め、「そう」と肯定して。

 

「貴女達は数日前の事件で1つの考えに到達したのではなくて? 今まで友人だと思っていた彼女が見せた、異なる姿。そして同時に生じた破壊と混乱」

 

 リオは唄うように、誰もが目を逸らしたかった残酷な真実を少女達に突き付ける。

 

「そして、貴女達はこう思ったのでは? 今まで友人だと思っていた()()は、そうでないのかもしれない────と」

「会長、一体何を言って……」

「単刀直入に言えば、貴女の後ろにいるその少女……少女の外見を備えたソレは、普通の生徒ではないわ。貴女達がアリスと名付けたソレは────」

 

 そう言って、リオはAL-1Sを指差して。

 

「未知から侵略してくる不可解な軍隊(Divi:Sion)の指揮官であり、名もなき神を信仰する無名の司祭が崇拝したオーパーツであり、古の民が残した遺産────名もなき神々の女王、AL-1S」

 

 共存なんて不可能な、今期の知性体を排斥する侵略者(インヴェーダー)こそがアリスと名付けられたナニカの本質だと……リオは静かに告げた。

 

「な、何を言ってるんですか!? 一方的に脳内の独自設定を話さないでください! アリスちゃんはアリスちゃんです!」

「そ、そうですッ! アリスちゃんは……!」

「……会長。先の事件で気が立っているのは分かります。責任を追及しなければならない立場にある事も、分かります。ですが、どうか今は退いてください。この子達も大切な友達が、家族が……今もまだ、眼を覚ましていないんです」

 

 だからどうか、今はお引き取りを────そんな些細な願いは。

 

「ごめんなさい。私の配慮が足りなかったわね。もっと理解しやすいよう、貴女達の好きなゲームに例えましょう」

 

 リオには届かなくて。

 

「つまり、アリス(AL-1S)。貴女は────この世界を滅ぼすために生まれた魔王なのよ」

「……ッ!」

 

 ────アリスの青い瞳が驚愕と絶望で見開かれる。

 

「またそんな設定を……どうしてそんな事を言うんですか!? 一体何を企んでいるんですか!?」

「企んでなどいないわ。寧ろ、逆に聞きたいのだけど……貴女達は見たのではなくて? 不可解な軍隊(Divi:Sion)とアリスが接触した事で、何が起きたのかを」

「……それは、あの変なロボットの事ですか?」

「その通り。本来、あんな事になる予定はなかったのだけれど……完全に此方のミスよ。C&CとAMASを通じて全部追跡したと思っていたのに……まさか、掻い潜った個体がいたなんて。それは完全に私の不手際によるもの。謝罪を此処に」

 

 一方的に言いたいことを告げて、勝手に謝罪して。

 

「でも、そのお陰で私の仮説は証明された。貴女達が接触したソレは、廃墟から溢れ出した災禍。ミレニアムに、ひいてはキヴォトス全土に終焉を齎す悪夢。メサイアを殺す『滅び』」

「────」

「そして、アリスの存在が廃墟から奴等を呼び寄せているという事が証明された。今回は運良く壊れかけの個体と接触するに留まったけれど……次はこんなものでは済まないでしょうね」

 

 ────炎の中、無数の生徒の屍を貪る無名の守護者。そして、その頂点で狂い咲く、返り血に塗れた真っ赤な童話の姫君。それを、現実にしないために。

 

「この脅威を解決する方法は1つだけよ、アリス」

「解決、する方法……?」

「そう────アリス、貴女が消える事。この世界に、貴女は存在してはいけない」

 

 この世界に、アリスを受け入れてくれる都合の良い誰かは存在しないのだと────もう既に、自らの手で消してしまった後だと。

 

「……そ、そん、な……アリスは、ただ、勇者に……皆と一緒に、ゲームを……クエストをしたかった……それだけ、なのに……」

「いいえ、それは叶わないわ」

「ッ! 会長、それ以上は────!」

「ユウカ、黙ってなさい。これは私達の問題よ」

 

 アリスの存在そのものを否定するような言葉の数々に堪忍袋の緒が切れたユウカは銃を引き抜くが、冷たく言い放ったリオを止める事は叶わなかった。

 

「……私はゲームに詳しくはないけれど……それでも、辞書的な知識はあるの。だから、貴女に質問をするわね」

 

 リオはアリスを庇う3人を押し退けてて。

 

「貴女は己を勇者と呼んでいるけれど……勇者は大事な人達に剣を向ける存在かしら?」

「……ッ!」

「寧ろ、貴女のやった事は悪役(魔王)のそれではなくて?」

 

 正論がアリスの心を抉る。眼を逸らさないでいたはずの真実が浅慮と嘲けった。

 

「アリスちゃん! 聞かなくていい!」

「いいえ、聞くべきよ。眼を逸らす事も、逃げる事も許されない。事実から目を背けるのは思いやりにはならないわ。それは単なる現実逃避に過ぎない……負うべき責任の放棄は、極めて非合理的な行動よ」

「だからと云って、こんな……!」

「間違っている、と? では私はアリスを無視すべきなのかしら。多くの生徒を負傷させた事件を起こした、危険な兵器を」

 

 単純な責任問題。彼女にはミレニアムの長として、学校に通う生徒の安全と生活を守る義務があるのだ。そして、何かしらの問題が起きたときはその原因を追究しなければならない立場にある。

 最大多数の最大幸福、とは誰の言葉だったか。多くの生徒の幸せと安全の為に、リオはアリスを切り捨てなければならなかった。それがどれほど非情で、冷酷で、糾弾される決断であっても。

 

「それじゃあ、アリスは……どうすれば良いんですか……?」

「さっきも言った通り、全ての元凶はアリス……貴女が此処に居るから起きている。ならば、後は簡単でしょう? 爆弾は、安全な場所で解体すれば良いだけだもの」

 

 その言葉が意味する事は、つまり。

 

「貴女のヘイローを破壊すれば解決する、という事よ」

 

 ────それはアリスの死を指し示していた。

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