シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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それでも、前へ

 

 風が吹く。咳をしても一人。この場には先生以外誰にもいない。

 

 エリドゥ、入り口前。聳え立つ摩天楼が冷たく見下ろすその場所に彼は立っていた。白のシャーレの制服と、生気を感じさせないほど青白い肌。風が吹けば消えてしまいそうな命の灯であっても燃えているのならばどうとでもなる。消えて(死んで)いなければ、それでいい。

 

 

「────」

 

 都市の中に入ればAMAS達が盛大に出迎えてくれるだろう。リオ手製の超高性能ドローンだ。己が勝てるとは思わない。仮に接敵したのが1体であっても、銃を持たない先生であれば確実に敗北を喫する。否、仮に武器の類を持っていても負けるだろう。

 つまりアリスが囚われる中央タワーまでの道中、一回でもリオの探知網に引っ掛かった瞬間に彼の敗北が決定する。

 頼みの綱であるアロナは現在休眠中。目覚めるのは大体2時間後だろうか。シッテムの箱も彼の生命維持に全てのリソースを割いているため、反則とも言える数々の機能は使用不可。どうしても使いたいならば生命維持機能を切る必要がある。今、シッテムの箱でできる事はクラフトチェンバーの物資呼び出しくらいだ。

 生徒との接続(システム・メサイア)は依然として使用可能であるが、何時間も出しっぱなしはできない。適度にクールタイムを設けなければ脳が焼き切れて廃人になってしまう。

 一応、索敵やハッキングに使うためのタブレットは一台持ってきたが、所詮は市販の最上位モデル。シッテムの箱と比べられるものではない。

 

 大幅な弱体化もいい所だ。そもそも、今こうして立っているだけで限界であるし手足の震えは止まらない。視界もぼやけるし、意識だって靄がかかっているみたいに不鮮明だ。時折不整脈のように心臓が早鐘を打つ上に、呼吸だってかなりしんどい。神経がイカれているのか、感覚も鈍かった。この分では痛覚というブレーキも真面に作用してくれないだろう。

 

 文字通りの暴走列車。このまま一歩踏み出せば彼は止まれない。どう楽観的に考えてもこの先に待っているのは破滅だ。もし何もかもが上手くいって生きて帰れたとしても、壊れた部分は元に戻らない。

 

「……元々、動かない筈の体を無理矢理動かしているんだ。後遺症の1つや2つ、覚悟の上さ。死ぬことだって」

 

 誰に聞かせる訳もなく、彼はそう呟いた。

 

 ────既に準備は済ませている。自分が死んだ後に動くプロトコル。ワカモに伝えているクラフトチェンバーの制限解除コード、連邦生徒会に譲渡するシャーレの権限。これから来るであろう滅びへの対処も含め、彼が知りうる全て。

 

 尤も、これはあくまで保険だ。死の覚悟はしているが、最初から死ぬつもりは全くない。たとえ絶望が必定していても、最期まで足掻くと決めている。この役割を、荷物を他の誰にも……ましてや生徒達に背負わせてなるものか。

 

 彼は1つ息を吐き……鋭い視線で前を射貫く。

 そして、エリドゥに足を踏み出そうとした────その時。

 

「待ってください、先生」

 

 風鈴の様な綺麗な声が背後から聞こえた。聞き覚えのある、愛しい声。先生は傷口が開かないようにゆっくりと振り返り、声の主を瞳に映す。そして、あの日と同じように彼女の名前を大切そうに音にした。

 

「……ノア」

 

 ノアは彼を見る。怖気が走るほど青く、白い肌。一目で正常でないと分かってしまう。暗く落ち込んだ目元、死相が色濃く滲んでいた。

 

「何処へ行くおつもりですか?」

「エリドゥの中央タワー……アリスの元へ」

「其処にはゲーム開発部とエンジニア部、C&Cの方々が向かっています。皆さんがきっとアリスちゃんを助けてくれます。ですから、先生は病院に戻りましょう?」

 

 病院に戻って、傷を癒やして。アリスを連れ帰って来た皆を笑顔で迎える。確かに、それは合理的だろう。死体同然の彼が今更エリドゥに向かったとしても出来ることなんてたかが知れている。だったら最初から向かわず諦めて、ベッドの上で大人しく誰かの帰りを待つ。彼女達の成功を祈って。

 

 でも、それは────泣いているアリスを見棄てる事を意味する。諦観を抱くケイを見棄てる事を意味する。何もかもを背負おうとしたリオを見棄てる事を意味する。

 

 そんな選択は、到底容認できるはずがなかった。

 

「ありがとう、ノアは優しいね。でも……私は行かないと」

「……貴方が先生だから、ですか?」

 

 その言葉は、ノアにとって呪いに等しかった。先生だから、大人だから。その言葉一つで彼は何度も傷つくことを選んだ。自分以外の誰かの為に。

 

「相変わらずノアは鋭いね。その通りだよ。私は先生だから生徒の危機には駆けつけないと……これ(先生)だけが私に残された唯一なんだ」

 

 彼に残された唯一────それが先生として生きる事だというのは知っていた。

 遠い過去、ノアはリオとヒマリの推測という形であるが、先生についての考察を聞いたことがある。

 

 曰く、キヴォトスの真実に辿り着いてしまったが故にヒトではなくなった何か。

 

 彼は運命の日を契機に人類が抱く当たり前の距離感と安心を失ってしまったのだ。元より異邦の生命であった彼であるが、この出来事を境にキヴォトスと彼の溝は更に絶望的になる。まるで現実世界にぽっかりと空いた虚無の孔……存在してはいけない侵略生命(インヴェーダー)の遺物。それが、ヒトでなくなった彼に与えられた評価だ。

 

 以降、誰かと同じ空を見上げることすらできなくなった彼であるが、彼はそれでも己が『ヒト』であると信じた。例え異邦であっても、偽物であっても、虚無であっても、同じ空を見上げられると彼は祈った。

 

 その根本にあるのが、『私は彼女達の先生である』という彼の原初の誓いだ。この誓いだけが、彼を人類であると定義する唯一無二だった。

 

 ────それを否定する意味を、ノアは知っている。これを否定したら最後、彼は文字通りの虚無になってしまう。

 

 だが、それでも。

 

「それでも、先生を行かせたくないんです……これは私の我儘ですか?」

「……困ったなぁ」

 

 本当に心底困っているような、だが優しさが滲む声。その声に誘われるようにノアは彼の胸に抱き着いた。背中に回す両手。服越しに伝わるその温度と、消えてしまいそうな命の鼓動。

 

「こんなに冷たい手をした人は初めてです。貴方を進ませてしまえば、貴方は死んでしまう」

「でも、私は前に進まないと。例え死ぬとしても、今この場で前に進まないと私は先生ではなくなってしまう。皆との繋がりを無くしてしまう」

 

 己が先生でなくなり、生徒達との繋がりを失ってしまう事────それが彼にとって、何よりも恐ろしい地獄だった。自分が傷つくのは良い。死ぬのも良い。生徒に忘れられても、憎まれても、嫌われても、殺されても、その先が明るいならば喜んで受け入れよう。

 だが、生徒との繋がりを失ってしまう事だけは嫌だ。そんな末路は耐えられない。

 

「だから進んでしまうのですか? 先生を憂える全てから、背を向けて。傷口こそが自分であると思い定めて」

 

 強く握られ皺になるシャーレの制服。震えたノアの手と声。その全てが先生をこの場に縫い留める。彼女の背を擦ろうとした手は行方を無くしてしまった。彼女の祈りと言葉から目を背けようとした己に、彼女に触れる資格なんて無いと思ったから。

 

 何とか納得してもらおう、なんて甘い考えは彼方に吹き飛んで久しい。これは誰かの為と嘯きながら何度も無意味な屍を積み重ねてきた己に対する罰なのだ。眼を背けることも、耳を塞ぐ事も許されない。一言一句全て受け止め、その上で……その上で? 何をするとほざくつもりなんだ。何を言えるんだ。こんな己の身を憂えて泣いているノアに、どんな言葉をかければいい。

 生徒(アリス)の為と言いながら生徒(ノア)の願いを踏み躙った。この身は、そんな惨い事をもう一度やるつもりなのか。

 

「前に進むことがそんなに尊いんですか。前へ進まない自分に価値がないって、本気で思っているんですか? それは違います。前に進めなくても、挫けても、失敗しても、貴方はずっと大切に想われています。貴方をずっと大切に想っています」

「ノア……」

「貴方が先生だから皆に愛されている訳じゃないんです。先生が貴方だから、貴方が貴方だから……こんなにも、皆に愛されているんですよ」

 

 生徒達は先生という役職を愛しているわけではない。先生が彼だったから、善性と優しさで満ちた彼だったから愛したのだ。

 生徒を見守る優しい表情、時折見せる屈託のない笑顔。シャーレの戸を叩いた時、出迎えてくれる表情。頭を撫でる手や抱き締める手。それらは全て彼が彼だから持ち得る物なのだ。そんな彼だから生徒は彼を愛し、信頼し、銃を預けてくれるのだと────ノアはそう言っていた。

 

 だが、それは彼が先生である事を否定している訳ではない。寧ろその逆で、先生は何時迄も『先生』であってほしいとノアは願っている。ずっと隣で見守っていてほしい。ずっと一緒に歩んでいきたい。彼と共に煌びやかな日々を駆け抜けて幼年期を終え大人になりたい。

 

 でも、それでも。先生という称号が呪いになってしまうならば。自壊してでも前に進もうとしているならば。弱音の一つすら吐けず遠くに行ってしまうなら。

 

 それなら────その重荷を、今くらいは下ろしてもいいだろう。誰にもバレない所で泣いてもいいだろう。彼だって一人の人間だ。前を向かず歩かず止まっている時があってもいい。褪せない想い出を思い返して涙を流していい。そんな些細な弱さを許さない生徒は誰一人とて存在しないのだから。

 

 大切な誰かを失う悲しみ。遺された自分と、物足りない毎日。何度も無力を呪って、声をあげて泣いて。そうして掴んだ那由多の果ての奇跡。

 だから行かないで、愛しい人よ。もうこれ以上、どこへだって。

 縋るように見上げた彼の双眸、そこには確かに迷いがあった。葛藤があった。何度も己を殺すような苦い表情は彼が本気で悩んでいる証拠。彼は今、本気でノアと向き合っている。

 

 そうして彼は本気で悩んで、考えて、向き合って。意を決したように瞳を開けた。そこには一縷の迷いすらなかった。

 

「ノア、ありがとう。多分、私は誰かにずっとそう言ってもらいたかったんだと思う」

 

 先ほどまでは所在が無さそうに力無く垂れ下がっていた両手はノアの背中に回されていて、彼女を弱く、しかし確りと抱きしめていた。その仕草すらもノアを掻き乱す。この優しさも抱き締め方も、全て自分が覚えている通りだったから。

 

「だったら……!」

「──────でも」

 

 彼はいつものように笑って、ノアの目尻に溜まる涙を指先でなぞる。

 

「投げ出すことはまだできないよ。私は、まだ歩みを止めるに足る理由も、未来も見つけられていないんだ」

 

 ────連邦生徒会長。君と交わした約束はずっと覚えている。輪廻の断崖で交わした契約。遠くへ向かう最終電車で託された願い。天の割れ目、星が落ちる空の下で語り合った夢の話。それを思うと、足を止めるにはまだ早いなと思ってしまう。彼女に顔向けできないとか、生徒達の為にもとか……そういった理由も勿論あるが、まだ自分が納得できていないのだ。『これで終わりでいい』と思えるようなエンディングに出会えていないから。

 

「だから、ごめんね。もうちょっとだけ前に進んでみるよ」

 

 ────その先で、胸を張れる答えを見つける為に。

 

「……どうしても、行くんですか?」

「行くよ。アリスの元へ」

 

 その迷いのない真っ直ぐな声を聞いて。ノアは差し出されたハンカチで涙を拭いながら「分かりました」と呟いて……MP17(書記の採決)を引き抜いた。

 

「私も同行します。先生1人では心配ですから」

「……ごめんね、巻き込んじゃって」

「気にしないでください。これは元々ミレニアムの問題ですから」

 

 彼女は「それに」と付け加えて。

 

「もう二度と先生を見殺しにしないと決めていましたから」

「……ノア、君は────」

 

 何かを聞こうとした彼の口から言葉が溢れる前に。

 

「皆でアリスちゃんを連れ戻して、私達は一緒にユウカちゃんに怒られましょうね」

「……そうだね。じゃあ、怒られる為にも元気な姿で帰らないと」

 

 先生はシステムを励起させる。タブレットも稼働させ、戦闘態勢を整えた。そして、ノアは不意に「先生」と呼んで。

 

「全部が終わって、ユウカちゃんのお説教も終わったら……ちょっとだけお時間貰えますか? 聞きたい事、伝えたい事があるんです」

「勿論。実は私も君に聞きたい事と伝えたい事があるんだ」

「ふふっ、奇遇ですね。では、終わった後、楽しみにしていますよ」

 

 2人はエリドゥに足を踏み入れる。彼の道行は決して楽なものではない。それに付き従う事を決めたノアもまた同様だ。

 

 だが、それでも────。

 

「今度こそ、貴方を守らせてください」

 

 ノアは胸を張って、彼と共に歩くと決めた。

 

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