シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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黄金を穿つ

 トキの相手をネルにバトンタッチした先生は、一切の躊躇なくノアを横抱きにしたまま割れた窓から飛び降りた。地表20m近い高さ、当然彼が無事でいられる訳も無いがシッテムの箱のサポートがあれば話は別だ。落下に合わせて物理障壁と衝撃緩和のシールドを多重展開すればこの程度は耐えられる。

 

 リオの手中から逃れた先生とノアは嗾けられたドローンを適当にあしらいながら一目散に突入部隊の方面へ向かう。

 無論、本来ならばドローンは撃破した方が良い。敵を無視しても良い事はないし、倒せるときに倒した方が状況は有利に傾きやすいのだから。だが、そんな事を言っていられない程状況が切羽詰まっているのもまた事実だ。

 

 リオによって次々動かされるエリドゥの区画。トキとネルの戦闘の余波により崩壊する都市。降り注ぐ瓦礫は容易く先生を潰す巨大な質量だ。いちいちドローンの相手をした結果倒壊に巻き込まれた、なんて事になったら目も当てられない。そんな下らない死に方をするために此処に来た訳ではないのだから。

 

 立ち上がる隔壁を飛び越え、降り注ぐ弾雨を躱しながら駆け抜ける。リオも2人を止めるために手段を選ばなくなったのか、非殺傷弾を装填したドローンで以て追いかけていた。発射される弾丸はゴム弾ではあるが、射出される物が変わっただけで銃という媒体は変っていない為、当然の如く威力は高い。先生に当たれば内出血は間違いなし、運が悪ければ骨折までしてしまうだろう。

 

「くッ……!」

 

 駆け抜ける先生の背中、背骨から少しずれた箇所に弾丸がぶち当たる。これで何度目の被弾だろうか。10を超えてからは数えていない。身体のあちこちに生まれた内出血、不全骨折、骨折。だが、痛みはないのだ。多少身体が動かしにくいな、と思う程度。危惧した通り痛覚が正常に働いていない。シッテムの箱に映る彼のバイタルデータはほぼ全箇所が危険域(レッド)に突入している。

 右上に映る2:56:44という数字は生存限界時間。仮に何も手を打たないままであれば、この数字が0になった瞬間に彼の命は消え去るだろう。時間内にアロナは目覚めるだろうが、目覚めたからといって状況が劇的に好転する訳ではない。精々、死ぬまでの時間が少し伸びたり、死にたての状態が長く維持される程度。結局の所、この3時間弱という時間で全てに決着を付けなければならない事には変わりなかった。

 

 ……一応、この時間内に適切な処置を施すことができれば生存できる。だが、その適切な処置が可能な装置はシャーレの医務室にしかない上に、一度入ったら確実に1日は出て来れない。故にシッテムの箱による生命維持、その場凌ぎにしかならない薬剤投与、それらを総動員してもどうにもならない部分は馬鹿の一つ覚えのように気合と根性で補っていたのだが……それにも限界はある。否、元より限界なんて何度も踏み超えていたのだ。何の神秘も特別も持たぬ、ただの人の身で。

 

 きっかけは、たった一つの銃弾で充分だった。

 

 

「……っぁ」

 

 右足が弾かれたような感覚を覚えた途端、足元が不確かになった。意識が遠のくような感覚はない。堕ち逝く視界は酷くクリアだ。頭も冴えている。飴細工のように伸びる視界、近づく地面。受け身を取らなければ、そう思っても体はピクリとも動いてくれない。このままでは少し拙いな────なんて他人事のように現実を受け入れていたら、襲ってきたのは随分と柔らかい感触だった。暖かくて、優しくて。真白いカーテンに被さったような視界の潰れ方。心当たりは1つしかなかった。

 

 崩れる先生を抱き留めたノアは表情を透明にして、トリガーを引く。先生には見せられませんね、と自嘲する程にその顔は普段のノアからかけ離れていた。怒りと憎悪に塗り潰されて尚、その身に余る殺意によって透明な色彩を保つ顔。自分の大切な誰かを傷つけた相手にしか見せないノアの側面。ドローン越しとはいえ、その瞳に昏く澱む確かな殺意を見たリオは少しだけ背筋が冷たくなった。

 

 そのまま彼女は先生を抱えてエリドゥを駆け抜ける。追い縋るドローンの相手は最低限。動ける人間が自分(ノア)一人しかいない今、優先すべきは安全の確保だ。間違っても敵の排除ではない。

 それに、ノアもトキとの戦闘や先ほどのドローンの銃撃により少なくないダメージを負っている。先生を背負いながら長距離移動することが難しいほどにまで体力を損耗してしまっているため、敵の相手なんてしたくはなかった。

 

 そうして一先ず安全な場所……隔壁に3方向を閉ざされた袋小路へノアは辿り着いた。誘導された、とは思う。だが、その誘導に乗らなければならないほど切羽詰まっていたのだ。兎にも角にも戦力が絶望的に足りない。先生は重傷、ノアも傷だらけ。秒刻みで状況はどんどん悪くなる。せめてあと一人、腕が立つ人が欲しい……それが彼女の本音であった。だが、ないものねだりをしても仕方がない。今ある手札で勝負するしかないのだ。

 

 ────彼には悪いが降伏も視野に入れなければならない。内心、ノアはそう思う。

 勿論アリスも大切だ。助けてあげたいとは強く思っている。しかし、彼の事はノアしか守れないのだ。多くの人が助けに向かっているアリスとは異なって。最優先なのは彼の命。ノアはこんな場所で彼を死なす為に彼を連れて来たのではない。

 

「ノア……」

 

 けほ、と小さく咳をする。掠れた音と共に少量の血が零れて、ノアの白い制服を赤く濡らした。だらんと垂れ下がる右腕。服は血と硝煙、煤で汚れ、何かの破片で切り裂かれたような破れがあちこちにみられる。露出している手首から下は青褪めているが、弾が当たった箇所は内出血で痛々しく彩られている。指先は黒ずみ、壊死の前兆が見えた。その傷を見てノアの心が更に降伏へと傾く。

 

 ────もう、いいじゃないか。彼は頑張った。充分すぎるほど頑張った。だから休んでも……。

 

 そう思ったノアの心を見透かしたように彼は彼女の手を優しく振り解く。まだ、もう少し。こんな所で諦めたくないから。己の何を犠牲にしても彼女達を守り抜きたいから。

 

「まだ、動ける……!」

 

 ノアを安心させるように、己自身を鼓舞するように彼は呟く。ぽたぽたと垂れる脂汗を血で汚れた裾で乱暴に拭い、赫く濁る蒼の双眸を鋭くする。彼は視線を動かし、弾丸により撃ち抜かれた右足の外果部を見た。きちんと繋がっているが、弾丸が貫通していない。恐らくは骨に当たっているのだろう。本来は鉛の毒性も考慮して早めに摘出した方が良いのだが、今は時間が惜しい。進む事を優先しなければ。

 

「……切り抜けよう」

 

 例え死に体となっていても神算鬼謀と呼ばれた先生の戦術眼に曇りはない。リオのこれからの動きも、その狙いも全て見え透いている。故に彼は後出しじゃんけんをするように最適解を返し続け、リオの策を食い破らんと頭脳を駆動させた。そして、彼に応えるようにノアも動く。彼の生命維持機能を切った事で生まれたリソースにより齎された数多の強化に身を任せて。

 

 ノアが背を向けたと同時に、彼は崩れ落ちるように倒れ込んだ。音は出さない。彼女に気付かれてしまうから。そのまま彼は這いずるように移動し、壁に背を預けてからゆっくりと上体を起こす。身体が動かしにくい。感覚も分厚い膜を隔てたように不鮮明で鈍くて、痛みを感じないのも厄介だ。

 だが、好都合なのもまた事実。傷の状態から痛みの総量は大体推測できる。仮に痛覚が極めて正常に機能していた場合、この体の状態では真面に動けなかっただろうから。

 

 彼は内ポケットに隠していた劇物を取り出した。それは、彼ですら使用を僅かに躊躇う禁じ手の中の禁じ手。

 その効能は様々であるが簡単に言えば過剰再生を意図的に引き起こす化合物だった。例えるならパソコンの再起動ボタンとクリーンアップを複合させたもの。

 投与した時点で脳死さえしていなければどんな状態でも立ち上がることができる可能性を孕む、世が世なら死者蘇生の薬として持て囃される薬剤だが、当然の如くデメリットは存在する。

 まず、撃ち込んだ時点で確定で拒絶反応が現れるのだ。運が悪いと此処で死に至る。それを乗り越えても様々な副反応、後遺症等が全身を襲い、服用後は肉袋同然になる確率がある死の具現化。彼の覚悟の現れ。

 

 それを、彼は目を瞑りながら投与した。

 

「────」

 

 まだアリスと話していない。ケイと会えていない。それなのに、こんな場所で止まる訳にはいかないのだ。

 

 だから、前へ。前へ。前へ。アリスの為に。ケイの為に。リオの為に。自分以外の誰かの為に。生徒の為に。

 己にはまだ成さねばならない事があるのだと、他でもない自分自身に言い聞かせるように。故に足を止めるのは今ではない。死ぬのも止まるのも、悲願が成就したその後だ。

 自分の為ではなく誰かの為に燃える決意こそ無限の泉。故に彼は当たり前のように限界を踏み潰し、果て無き未来を誰かに齎さんがため一歩、また一歩と前へ進む。

 

 さぁ────滅亡(まえ)へ。

 

「────ァ」

 

 身体の震えが止まらない。冷や汗が止まらない。心臓が捻転したような感覚。息を吸っても血の味しかしない。酸素が上手く取り込めない。

 

 ────元から死体同然の体。激しい運動。切っていた生命維持機能。セクション2つと基幹システムをハッキングした際の莫大な負荷。ノアへのサポートへ割いていたリソース。トキから受けた攻撃。離れていたネルへの援護と、ビルのハッキング。晒された数多の非殺傷弾丸。9mmの弾丸。

 

 これだけの無茶を重ねた結果、彼の体の内側は目も当てられない程にボロボロになっていた。再生できる範疇にない数多の傷は着実に彼を蝕み、暗い奔流となって命の灯を消さんと猛っており、そんな状況下で投下された止めの薬は確かに彼の心臓に手を掛けた。

 

 だが、それでも。

 

「まだ、だ……!」

 

 死ぬのは今ではない。未だやり残した未練がある今、死ぬわけにはいかぬのだと人の身でありながら不遜にも叫ぶ。多くの命を取り零し、多くの世界を見殺しにした己にも成さねばならない事があるのだから。

 

「もうちょっとだけ頑張れよ、私の体……!」

 

 生命として当たり前に備わっている限界を再び1つ踏み越えた彼は、獰猛に笑って前を見る。白くて、華奢で、争い事とは無縁そうな少女。

 

 ────彼女を争いに駆り立てたのは、私だ。

 

 なんて罪深いのだろう。なんて愚かなんだろう。己に怒りが募るばかりだ。

 

 だけど、まだやれる事があるから懺悔も裁きも後だ。彼は血の味がする唾を呑み込み────来てくれていた2人の少女の名前を叫んだ。

 

「ユウカ! コユキ!」

「分かってます! コユキ、カバーは任せたわよ!」

「にはは! 行きますよー!」

 

 2丁のSMG、ロジックアンドリーズン。圧倒的な弾幕がノアの眼前を横切ったと思ったら、ドローンが次々に沈黙する。合間合間に投げ込まれる爆弾の種類は多種多様で、ある時は銃弾をまき散らしたり、ある時はEMPだったり、爆炎だったり。それ以外にも様々なものが射撃で仕留め損ねたドローンへ向けて的確に投下され、その絶対数を減らしていく。

 

 あっという間にドローンを8割以上片付けたユウカとコユキは静かに彼等の元へとやって来た。

 先生は壁に背を預けて、力なく笑い。ノアは驚きの混じった表情で親友と後輩を見た。まさか来るとは思っていなかったのだろう。彼女にしては珍しく『何故』という驚愕と疑問が明確に見て取れる。

 

 ユウカは様々な感情が渦巻く瞳でボロボロの彼等を見る。その中には怒りや心配が、再会の喜びがあった。

 ……言いたいことは、色々とあった。聞きたいことは色々あった。こんな場所で何をしているのかとか、体は大丈夫なのかとか。しかし、彼女はその全てを一旦飲み干して。

 

「……まずはドローンを片付けるのが先ね」

 

 ユウカはシールドを全員に付与して、銃口をドローン達に突き付ける。そして、信頼に満ちた瞳でノアを流し見て。

 

「さぁ、蹴散らしましょう、ノア」

「……ふふっ。そうですね、ユウカちゃん」

 

 その信頼に応えるように、ノアは久しぶりに笑った。

 

 

 ▼

 

 

 リオが嗾けたドローンの残党は早々に片付けられた。爆弾による広範囲殲滅が可能なコユキ。2丁のSMGという継戦力と制圧力の双方を高水準で兼ね備え、更にはシールドという防御に秀でた能力を持つユウカ。ノアが望んだ人手、それも今この状況で最も欲しかったと言えるような戦力達の到来は本当にありがたかった。

 

 これによりノアは正面戦闘ではなく、本領とも言える援護の方に回ることができたのだ。手数は少ないながらも的確なサポートが持ち味のノアは正面切って暴れるユウカと爆弾で戦場を搔き乱すコユキの援護をして戦場を掌握。それに先生の指揮が加わればドローンの程度に後れを取る訳が無かった。

 

「……これで一区切りね」

 

 空になった弾倉(マガジン)を地面に落とし、ユウカは一息吐いた。戦闘が終了するや否や、どっと疲れが押し寄せて来る。元々はユウカ一人に展開するものであったシールドを複数人纏めて展開していたのだ。損耗は必然であろう。

 しかし、彼等と合流するまでドローンの交戦は可能な限り避けていたため余裕はまだある。弾薬のストックは潤沢で、体力的にも集中力的にも大丈夫だ。先に限界が訪れるのは────どう見ても、彼ら2人だった。

 

「……なんで何も言ってくれなかったの?」

 

 ユウカは壁に背を預けて息を整えるノアの隣に腰掛け、俯きながら問いかける。何故、何も言ってくれなかったのか。事情を話してくれれば喜んで協力した。例え、それが成功率が低い特攻同然の作戦であろうと親友の頼みとあれば銃も命も預けるつもりであった。

 

 それなのに、ノアは何も話さず先生と2人で死地に赴いた。片や死に体で、片や戦闘に長けていない生徒。そんな2人が敵地のド真ん中に赴けばこうなるのは火を見るより明らかだっただろう。もしかしたら先生には何か策があってアリス救出までの道筋が立っていたのかもしれないが、その体ではいつ限界が来てもおかしくない。アリス救出まで彼が持たない可能性の方がどう考えても高かった。

 

 合理的に。数理的に。作戦の成功率を高めるならばノアはユウカに声をかけるべきだった。動かせる戦力が多くて困る事は殆どないだろう。隠密行動をするならば大人数は不適切かもしれないが、それでも2人と4人では然程変わらない様にも思える。

 

 ────否。それだけではない。確かにそういった合理的な理由もあるが、今のユウカを突き動かしている最大の原動力は合理性なんて何処にもない、人として当たり前の感情だった。

 

「私はそんなに頼りなかったの?」

 

 それは、何も話してくれなかった親友に抱いた寂しさ。相談も何もせず、ノアは彼と2人で完結させて作戦に赴いた。まるで、ユウカがそこに介入する余地はないと言わんばかりに。

 ノアと先生は何かを共有しているのだろう。思い出か、或いは秘密か。それはノアの先生に対する言動を見ていれば否が応でも分かる。彼と接するときのノアは何時にも増して輝いていて……言葉を選ばず言うならば、まるで恋する乙女のようだった。

 別に、そういったものについて詳らかに話せと言うつもりはない。誰にだって言いたくない事、秘密にしたい事の1つや2つはあるだろう。ユウカにだってそういうモノはあるし、先生と共有している特別な秘密もあるにはある。

 だが、その辺りは伏せて言ってくれればユウカも察して深く踏み込まずに協力した。それなのに、彼女は何も言ってくれず。

 大切な人が2人自分の手の届かない遠くへ行ってしまったような感情を彼女は抱いた。

 

 だから、問いかけた。ノアにとってユウカはその程度の重みなのか、と。大事な時に頼りたくはないほど軽い関係性なのか、と。親友だと思っていたのはユウカだけの一方通行の関係なのか。ノアにとって、ユウカとは何か────それが、一番聞きたかった。

 

 だけど、ノアから返ってきたのはユウカにとって予測ができなかった言葉で。

 

「……ユウカちゃんに、嫌われたくなかったから」

「────えっ?」

 

 ノアの顔を見ない様に俯いていたユウカの配慮は驚愕で消え失せ。眼を点にした彼女は顔を上げてノアを見た。

 

「先生が戦う事を、止められなかったから。ユウカちゃんに嫌われるって……」

 

 ノアは俯き、暗く沈んだ顔で地面を見つめる。

 大好きな親友(ユウカ)に嫌われたくない────それが、ノアがユウカに話さなかった理由の全てだ。彼女は先生の願いを優先すればユウカが悲しむ事をよく分かっていた。先生もユウカも両方同じくらい大事で、大切で、大好きだ。しかし、2人が違う方を向いているから板挟みになってしまい……その果てに、ノアは片方を裏切ってしまった。

 だから、何も言わなかった。何も言えなかった。それが悪手であると分かっていても、親友に嫌われるのが怖くて。侵入前、彼に「一緒に怒られましょう」と言ったのも年相応の少女らしい強がりで。

 それに、ユウカだって先生の事を好いていることは分かっている。その好いている人が死地に赴くのをノアが止められなかったともなれば、彼女を嫌う理由としては充分すぎるだろう。

 

 それを聞いてユウカは目をぱちぱちと瞬かせ……それから今日一番大きい溜息を吐いて。

 

「馬鹿ね、そんな事で嫌う訳ないじゃない」

 

 一度や二度……否、何度裏切られてもユウカがノアを嫌う訳がない。その程度で関係性が変わるような間柄ではないだろう。どんなことがあっても、何が起きてもユウカはノアを親友だと思っているし、ずっと大好きだ。だから安心して話してほしい、頼ってほしい。酸いも甘いも共有してこそ友人だろう。だから、どうか痛みも辛さも分けてほしい────そんな思いを込めて笑う。

 

「……ふふっ」

 

 そうすると、ノアも微笑みを返した。あぁ、ユウカちゃんはこういう子だった。こういう子だから自分は好きになって、親友になったのだと────初めて会話をした日、色褪せない宝石の様な出会いを思い返す様にノアは笑った。 

 

 立ち上がったユウカはノアに手を差し伸べる。彼女は臆せず、躊躇わずその手を取り立ち上がった。まるで仲直りするように。

 

 そして2人はもう一人の馬鹿……否、彼とノアを同列にしたらノアが可愛そうだ。超弩級の大馬鹿者である彼の元へと行こうとその足を向けた。

 

 

 ▼

 

 

 ユウカとノアが話している傍ら、先生は1人で弾の摘出を行っていた。クラフトチェンバーからリウエルを取り出し、カチャカチャと金属音を鳴らしながら弾を少しずつ摘出する。金属器具が骨に当たる度何とも言えない悪寒が背筋を襲うが、それを何とか飲み下しながら作業を続行。

 それにしても厄介な部分に当たったな、と思いながら患部を弄っているとふと横に気配を感じた。

 

 前髪が触れそうになるほど近くに居たのは、酷く心配そうな表情をしたコユキ。彼女の視線は先生の右足と顔を行き来している。

 

 ────こんなに酷い怪我を負った人を見たのは生まれて初めてだった。何処を見ても傷だらけで、血だらけ。黒ずんだ指先は震えていて、金属が固い何かに触れる音が鳴るたびに悩ましそうな息を漏らしている。

 

 コユキはその痛みを少しでも和らげたいと思ったが、できることなんて無くて。だからただ、縋るように、祈るように彼の手を握る事しかできない。自分の体温が冷え切った彼の手を温める事を願って。

 

「大丈夫だよ。心配かけてごめんね。ただ、摘出に手間取ってるだけさ」

「……私がやりましょうか?」

「ありがとう。でも、こんな事をコユキにやらせる訳にはいかないからね。気持ちだけ受け取るよ」

 

 他人の肉を掻き分け、骨を避けて、弾だけ摘出するのは普通に辛い。それに、器具越しとはいえ肉の感触や骨の硬さは伝わってしまうのだ。普通の人がやればトラウマ間違いなしだろう。だから、気持ちだけ受け取って、作業は自分の手で。心配してくれたその心は本当に嬉しいけれど、これは譲れない。

 

 先生はコユキの指先を一つ一つ優しく解いて、また作業に戻る。先ほどある程度引っ張り出せたため、後は最後の一押しだけ。今まで何度も銃で撃ち抜かれた。貫通するときもあれば、今回のように弾が残る事もある。そして、残った時は基本的に自身の手で摘出してきた。その場に救護騎士団や救急医学部の生徒が居る場合は彼女達がやってくれるが、そんなタイミング良く医療に秀でた誰かが居る事は少ない。尤も、呼べば来るセリナを例外とすれば、だが。

 

「────ふぅ……ッ」

 

 カランと手から器具が滑り落ちた。その先端には少し先が潰れた鉛玉が挟まっていて、肉片やら骨片やら血で汚れている。そして、摘出した傷口からは堰を切ったように血が流れ始めた。彼は動じることなく傷口に布を押し当て血をふき取り、細胞活性剤を投与。その後、パッチを張り付け包帯を巻いて足の感触を確かめる。弾が除去された事により異物感こそ無くなったが、それでも動かしにくい事には変わりない。神経系もイカれたのか、と頭の片隅で思考。シッテムの箱に映る活動限界時間は少し伸びていて、バイタルも少しずつであるが改善方向に向かっている。決して正常域には行かないが、これ以上何かしらの傷を負わなければ警告域(イエロー)までは持ち直してくれるだろう。

 

 ────これで、まだ頑張れる。

 

 そう思い、彼は立ち上がる。最初の方こそふらついていたが、しっかりと己の足で立ち、憂いを帯びた表情で空を見上げた。

 

 そして────彼は真っ直ぐと、ユウカを見つめた。ノアとの話が終わった後なのだろう。2人の間にあった蟠りは綺麗さっぱり消え去っていて、また2人はさらに絆を深められたことが見て取れる。

 

 ノアはきちんとユウカと向き合った。なら今度は己の番だ。

 

「────先生」

「ユウカ……っと」

 

 先生の体に軽い衝撃が襲って、視界の隅で深い青の髪が躍る。背中に回された腕の感触、掌から伝わる命の温度が暖かくて。

 

「心配、したんですから」

「……うん」

「言いたいことは、色々あります」

「……全部、ちゃんと聞くよ」

 

 ユウカの怒りも、心配も、悲しみも、喜びも。彼女が伝えたいことは何だって受け止める。それらを十把一絡げに捌けるほど要領は良くないから、鈍重な歩みになってしまうだろうが、それでもいい。彼女の大切な思いを流れ作業のように処理するなんてできないし、したいとも思わない。

 

「手、回してください。私だけが抱き着くなんて不平等です」

「こう?」

 

 所在無さそうに垂れていた腕を持ち上げ、彼女の服に血が付着しない様にそっと背中に回した彼であったが、ユウカは不満であったようで。

 

「もっと強くです」

「いや、でも……」

「今更服が汚れても気にしません。だから、お願いします」

 

 その言葉で吹っ切れたのか、彼も少しだけ力を入れてユウカを抱き留めた。元から近かった距離が近づき、遂に0になる。

 

「これでどう?」

「……及第点、って所です」

「手厳しいね」

 

 厳しい評価を下したユウカであるが、その表情はおおよそ他人に見せられない程には緩みまくっていた。ノアに見られれば暫く弄られる事間違いなしだろう。尤も、彼の体に顔を押し付けているため他人からは見えないのだが。

 

 ユウカも満足したのか彼から距離を取る。とは言っても、0だった距離がつま先が触れ合う距離になっただけであるため、依然として近いままであるが。

 

「……今はこれ位で勘弁してあげます」

「今は、なんだね」

「当然です。先生にはたーっぷり言いたい事があるので」

「……お手柔らかに」

 

 苦笑いでそういう彼であったが、その願いが聞き入れられることはないだろうとは思っていた。ユウカからは勿論、ノアから……場合によってはゲーム開発部等の少女からも怒られる可能性があるだろう。この前のアビドスの件も然り、色々と迷惑を掛けすぎた。埋め合わせはきっちりとしないと。

 

 ノアの方を流し目で見ると、彼女は悪戯っぽくウィンクをしてきた。張り詰めた様な余裕のない表情ではなく、ノアらしい優しい顔。それを久し振りに見る事ができて彼の心持ちも少し軽くなる。

 

 彼は踵を返し、隔壁の最奥へと歩を進める。名残惜しいが休憩は終わりだ。身体はある程度休まったし、隔壁のハッキングも済ませたため最短距離で突入部隊の元へ向かえる。これから先はアリス救出までノンストップで駆け抜けよう。

 緩んでいた靴紐を絞めて、手袋を引っ張りフィットさせる。崩れていた服装も整えて、さあ戦場へ────そう思った時に、ユウカから「先生」と声を掛けられて。

 

「ユウカ?」

 

 疑問符を浮べる彼に対して告げるのは、これだけは伝えたかった言葉。怒りも不満も色々あるけれど、それらの感情はこれを前にしたら全て些事に等しい。

 彼女は大輪の花のような表情を浮かべて────。

 

「無事でよかったです」

 

 また会えて。また話せて。また名前を呼んでくれて。また触れ合えて。本当に、本当に嬉しかった。彼が生きていてくれて本当に嬉しかった。

 それが、何よりも彼に伝えたかったユウカの祈り。

 

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