シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
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音を立てて崩落するビル。耳を擘くような爆音が鼓膜を乱暴に叩き、撒き散らされる細かい破片が宙を舞う。小柄なネルと比較すると倍以上の全長を誇る瓦礫達を、彼女は重力に真っ向から反抗するように蹴り上げる。自由落下の運動をしていた瓦礫は彼女の膂力により細かく砕かれ打ち上がり、滞空しているトキに目掛けて殺到した。
それは宛ら、散弾銃を更に極悪にしたもの。莫大な運動エネルギーが込められたそれに当たれば運が良くても骨折は免れないだろう。
その面攻撃を前にしたトキは────脚部のスラスターを赤熱させ、瓦礫の雨に突っ込む形でネルに向かって加速。自殺行為同然の勝負を捨てたような行動であるが、それは実行者が彼女以外だった場合の話だ。彼女は鮮やかな身の熟しと卓越した姿勢制御で以て瓦礫と瓦礫の隙間を縫うように前進しながら回避。即席の瓦礫の散弾銃はトキに一切の手傷を負わせる事無く彼女の後ろに聳えていたビルの屋上部分を半壊させるだけに留まった。
最速最短で地上のネルに届いた彼女はアームギアのパワーアシストを全開にして右五指を握り締める。それを迎え撃つネルも同じように右手を握り締め拳を象った。
地上から打ち上げる拳と、空中から打ち下ろす拳。ネルが立つコンクリートには彼女の足元を起点として蜘蛛の巣状の罅が幾重にも入り、トキのアームギアからは金属の軋む音が鳴る。冷たい目で見下ろすトキと、真剣な鋭い視線で見上げるネル。互いに一歩も退かぬぶつかり合い。
そして、2人は示し合わせたように逆の手で銃を互いの額に突き付けた。銃口との距離は5cmを切っている。双方共に回避は不可能────!
「我慢比べだッ!」
トリガーを引いたのは全くの同タイミング。効率的に他者を害する洗練された暴力は回避を選ばなかった、選べなかった少女達に殺到する。トキはシールドで弾いているが、相対するネルは全くのノーガード。弾丸が当たり続けた箇所が徐々に赤みを帯び、マガジンを7割ほど空にした頃に漸く血が流れ始めた。常軌を逸した耐久力と防御力。単純な肉体性能の面に於いてトキは逆立ちしてもネルに勝てないだろう。
だが────血が出たという事は倒せるという事。長い戦闘で生まれた初めての明確な傷を前にトキは少し攻撃的になってしまい……。
「────逸ったな」
底冷えするような声が聞こえた時にはもう遅かった。急いで防御に回そうとした右腕は引き戻す前に五指を広げたネルの手に固められ、繰り出そうとした膝蹴りは出鼻を挫かれる。体勢を崩した彼女を前に映るのは、弾切れになった銃を仕舞い左手を引き絞っているネルだった。
繰り出されたネルの全力の一撃は負荷が掛かっていた電磁シールドを紙切れのように引き裂き、威力を全く減衰させぬままトキの腹部に突き刺さる。巨大な衝撃により『く』の字に折れ曲がる華奢な体。その勢いのまま彼女は地面を何度か転がり、地面に突き刺さった瓦礫に背中から激突した。
「……」
腹部に走る鈍い痛み。今の所、戦闘続行に大きな支障はないが後に尾を引くのは明確だ。それ程までに重い一撃。仮にノーガードで貰っていたなら、先ほどの時点で確実に意識が消し飛んでいただろう。
────油断した。勝負を急いでしまった。敢えて血を見せる事で『効いている』と思わせ、少し攻撃的になった所に手痛いカウンターを食らわせる。話に聞いていた通り、データにあった通りのクレバーな戦い方。先の攻防でのダメージレースは明確にトキの負けだった。
トキは鉄仮面の裏に痛みを押し殺し、リロードを済ませたネルを見る。油断なく向かい来る彼女はトキのリロードが終わる前に畳みかけようと一気に攻勢に出るが────真横の通りから巨大な駆動音が聞こえた。
聞き覚えの無い大きな音が聞こえたネルは訝し気に流し目で見ると────都市防衛のためのドローンの大群が押し寄せていた。その数は3桁にも上る勢い。しかも、装備はどれも高火力で中にはシールドを装備している個体までもいる。真っ当に戦えばかなり面倒な手合いであることは誰の眼から見ても明らかだった。
だが、彼女は顔色一つ変えることなく。それどころかドローン達を視界にすら入れていない。それはまるで、あの大軍を脅威と見做していないようであった。
そして、溜息を吐きながら徐に銃を構えて────。
「邪魔だ」
刹那、暴風雨が巻き起こった。人智の及ばぬ天災、抗う気力すら起きない空の意志。それが収まった後に残るのは見るも無残な破壊痕のみ。彼女の歩みを止められた時間は5秒にも満たなかった。だが、その5秒の間でトキの立て直しは済んでいる。時間稼ぎとしては充分だった。
睨み合う両者。技量とセンスで上回るネルと、スペックで上回るトキ。その2人の勝負は完全に拮抗状態にあった。
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C&Cの3名。彼女達は都市の構造変更によりネルと引き離され、それ以降ずっとノーマークだった。強力な存在ではあるが、所詮ネルがいなければ烏合の衆と思ったのか。それとも、エリドゥの防衛能力に大幅な信頼を置いたのか。
その仔細はリオにしか分からないが、唯一つ確かな事は────彼女は学園最強戦力を甘く見過ぎてしまった。
「そーれッ!」
アスナの掛け声は爆音に搔き消された。見渡す限りに広がる機械の残骸、死屍累々。C&Cのナンバーツー、戦場を搔き乱すトリックスターたる一之瀬アスナは非常に伸び伸びと戦っていた。異常、とも言えるほど冴えわたる直感とコンバットハイ。身体が軽く、思考は広く深く。後ろにも目が付いているみたいに、視界が360°に鮮明だった。
AIの思考を先読みしているのか疑ってしまうほど、彼女の行動は速く的確だ。脅威度の高いものから、自身や仲間を狙っている個体から、攻撃をしてくるであろう個体から潰していく。前線でアスナが獅子奮迅の活躍をしているため、狙撃手のカリンと爆弾魔のアカネもその能力を100%引き出していた。
「一発で充分だよ」
対物ライフル。アンチマテリアルライフルや対戦車ライフルとも呼ばれ、土嚢等の障害物に隠れる敵を障害物ごと貫いたり、軽車両に対して損傷を与える事も可能な大口径の狙撃銃は、ドローンの装甲程度ならば容易くぶち抜ける。1発の銃弾で複数体射貫くのは当たり前、場合によっては射線上の敵を根こそぎ撃破していた。武器の特性上、面制圧こそできないものの、その圧倒的な火力と精密さは他のメンバーには持ち得ない長所だ。
正確無比な射撃が狙うのは装甲が分厚い個体や盾を持つ個体。それを吹き飛ばし、破壊し、アスナが戦いやすい場を維持する。それが今のカリンに与えられた役割であった。
次弾の装填も済ませ、
そして彼女の前方、ミドルポジションで戦っているのは。
「良い位置ですね。では────」
カチ、と戦場の中では埋もれてしまう────しかし決して聞き逃してはならない破滅が鳴った。爆炎が昏い空を赤く染め、立ち昇る煙はまるで狼煙のよう。焼け焦げ、所々溶解した機械部品が辺りに散らばり、抉られた地面に徒花の如く咲く防衛機構達。本日何度目かの爆破かは不明であるが、アカネのストックに未だ底は見えない。
彼女は無闇矢鱈に爆破しているように見えて、その実、効力を最大限活かせるようなポジショニングとタイミングを常に計っていた。アスナが攻撃しにくい敵、カリンが狙い難い敵。それらが全てアカネの獲物だ。仕損じも無いし、取りこぼしも無い。正面切っての戦闘は他のメンバーと比べて然程得意ではないが、サポートや援護ならば話は別。前線で暴れてくれる頼もしい仲間がいるならば、その圧倒的な火力と継戦能力は脅威以外の何物でもないだろう。
徹底的なお掃除を持ち味とする彼女は端から敵を逃すつもりなんて皆無だ。至る所に仕掛けられた爆弾と、敵の動き。加えて自身も
リオの想定では、彼女達は『分断された』と気付くや否や確実にネルと合流すると踏んでいた。トキの力量……1on1の状況ならば相当厳しいが、4人で相手すればかなり有利になる絶妙なバランス。今後の為にもトキを潰しておきたいだろう彼女達は勝算が明確にあるトキの元へ向かう計算だった。
実際、以前までは彼女達もそうするつもりで行動をしていたが、しかし、現在彼女達はネルとも突入部隊とも合流せず中央タワーを目指している。
確かに、たった一人でトキを相手にするネルの事は心配だ。だが、今回の勝利条件は誰かがアリスを奪還する事であり、ネルの増援に向かう事でもトキの撃破でもない。
故に彼女達はネルを信頼して、たった一つの勝利条件を満たすための行動に打って出た。その旨を通信越しに彼女へ伝えるとネルは『
たった3人であるが、最強戦力の3名。その決定力も影響力も申し分ない。リオも区画移動や隔壁、各種防衛機構を用いて全力で迎撃しているが焼け石に水。悉くを鎧袖一触し、その歩みは止まる事を知らない。先生とセミナーに嗾け、彼等を苦戦させたアバンギャルド君・レプリカも導入したが2分も経たずにスクラップにされ今は瓦礫の下に埋もれている。寧ろ、彼女達3人を相手に2分持った方を褒めるべきなのだろうか。それは不明であるが────彼女達はリオの盤面を着実に崩しつつある。
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未だ暗い空の下、鮮やかな赤い軌跡が描かれた。
正式名称、溶断切断式回転鋸。通称はノコちゃん。バッテリーまで含めると総重量50kg以上になるそれは本来武装ではなく、あくまで材料を切断するための設備だ。今回持ち込んだ理由も隔壁等に閉じ込められた場合に無理矢理突破するための手段……という位置づけだった。だが、ヴェリタスの奮戦のおかげで出番が無く此処まで来て、今は武装として開発者たる彼女の手の中にある。
赤熱し、超高速で回転する無数の刃。電磁シールドが過負荷で一時的に消えたタイミングを見計らい、ウタハは刃を携えて突貫する。当然何発も弾丸を貰ってしまうが、それは織り込み済み。元よりリスク承知の突撃だ。インドア派かつ荒事に向かない非力な方であると自覚する彼女であっても50kg程度の質量ならば軽々と振るえるし、ライフル弾も1マガジンなら頑張れば耐えられる。
そして、その予想通りに彼女は掃射を耐え抜き────アバンギャルド君に肉薄した。
下から切り上げる形で振るわれる切断道具。火花が散り、赤の閃光が舞う。獲った────そう確信したが、現実はそう甘くなく、胴体関節を180°以上回転させる事により無理矢理物理シールドを真正面に持ってきた。激突する剣と盾。銃撃のように弾かれる事なく、少しずつ表面を溶かし、切断し、刃が沈み込む。
通常、この距離感でアバンギャルド君と戦うのは自殺行為だ。圧倒的な火力のガトリングガンとバズーカが回避不能な上、アサルトライフルまでアクティブになったら手数でも負ける可能性がある。余程防御力に自信がある者以外はまず勝ち目が無い。
だが、それは全武装がアクティブであった場合の話だ。ガトリングガンとバズーカがリロード待ちであるのは確認済み、アサルトライフルもウタハに向けて撃った時点で弾切れだ。使える武装はCIWS、今更そんな豆鉄砲は気にしない。
先ずは、あの邪魔なシールドを削り落とす────!
がりがりと音を立て、火花を撒き散らし、少しずつシールドを溶断し、そして────完全に切り落とした。これまでと比べて面積が半分未満になる盾。アレでは真面な防御はできないだろう。強固な守りを構成する内の1つを使い物にならなくしたのはこの戦場において大きな意味を持つ。これで電磁シールドを突破しても……という思いはせずに済むはずだ。
だが、その代償は────ウタハの脱落。
向けられるバズーカの砲身。リロードが済んだのだろう。馬鹿げた口径から覗く暗闇はそのままウタハの未来を暗示する。回避も防御も不可能。だが、その末路は受け入れた。自分達の後輩は非常に優秀だ。突破口さえこじ開ければ後はどうとでもなる。目覚めた後にはきっと何もかも解決しているだろう。だから、彼女は勝利を確信して涼やかに笑いかけた。
「年長者としての意地さ」
────尤も、リオ会長には理解できない概念かもしれないけどね。
さぁ、後は任せたよ。そう思い、眼を閉じたウタハを襲ったのはビルすら崩壊せしめるバズーカの砲撃────ではなく、想像していたより随分と軽い衝撃だった。
「……おや?」
疑問に思い眼を開けると、そこには焦燥感を滲ませるミドリが居た。どうやら横合いから飛び出してきた彼女に間一髪で助けられたらしい。
「……驚いた。助かるなんて思ってもいなかったよ」
「初めから刺し違えるつもりなら、そんな事やらないでください……ッ!」
彼女は倒壊したビルの瓦礫が積み重なる物陰まで退避し、ウタハを下ろして息を整える。本当に急いで来たのだろう。その瞬発力と速度はミドリの中でも間違いなく人生最速だったと自負しているが、それでも尚間に合うかどうか不安だった。だが、彼女は何とか間に合わせた。搔き集め、振り絞り、彼女はウタハを救ってみせた。
それは、あの日のトラウマを乗り越え成長した確かな証。
「もう二度と、私の前で誰かに傷ついてほしくないんです」
彼が斬刑に処されるのを見ていることしかできなかった。首を切られて、血を流して死に逝く彼に何もできなかった。怖くて、苦しくて、どうしようもないほど辛くて動けなくて。その所為で姉まで失いかけた。
何度も悔やんでも悔やみきれない。己の弱さを幾度も呪った。
だから誓ったのだ────もう二度と、誰も取りこぼさないと。あの悲劇を、あの光景を二度と自身の目の前で起こさせないと、ミドリはミドリ自身に誓いを立てた。
だから、勝手に犠牲になるのは許さない。あまりにも眩しい少女の誓いを目の当たりにしたウタハはくすりと笑って。
「……済まないね。私が軽率だった」
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苛烈な戦闘が三つのポイントで巻き起こる地上に反して、地下の道はいっそ不気味なほど平和だった。多くのドローンが地上に出払っている関係で、地下にまで回す個体数が無いのだろう。接敵した数も少なく、その個体達も戦闘を目的として製造されたものではなく建築用の個体ばかり。辛うじて銃を持つ物もあったが、製造当初から戦闘目的で設計されたものではなく、非戦闘個体に臨時で銃を持たせただけの粗末なものばかりだった。
案外余裕がないのか、とは思うが……リオの策略は時折斜め上の方向に逸れる事は身を以て知っている。彼女は紛れもない天才なのだ。
そして、そういった策に引っ掛からない為にも地下道を通る事は必要不可欠。リオに余裕があるのかは不明であるが、対する此方は余裕も無ければリソースもない。突入当初からずっとカツカツで、今までは騙し騙しやりくりしていたが……この後は強者との戦闘が相次ぐ。生徒の体力も心配であるし、何より寄り道をしていては先生が持ちそうになかった。
「まるであの子達の作るゲームに出てくるダンジョンね……」
コンクリートに囲まれた細い道。地下は横の広がりも厄介であるが、特に縦の広がりが厄介であった。建物で換算すると大体地下5~6階だろうか。蜘蛛の糸のように張り巡らされた通路は目印になる物すらないため、地上よりも更に迷いやすい。仮に彼の案内が無ければ目的地はおろか地上に出る事すら困難だっただろう。
通路の先にある階段を下った先には地下鉄の駅が存在していた。改札や駅員室もなく、ポツンとプラットホームだけ。真向かいにある階段の先には壁が聳えていて、反対側にあるホームの壁の中央にはポツンと穴が開いていて、その先に道が見えていた。恐らく此処とそれ以外とでセクションが分かれていたのだろう。
防衛力は非常に優れているのだろうが、リオの指先一つでマップが使い物にならなくなる街は少々過ごしにくそうだ。
ノアとコユキは1人で、ユウカは先生を抱えながら反対側のホームに飛び移り、ぽっかりと空いた通路の先を目指す。右へ左へ、前へ。上も下も行ったり来たりで、目指す場所はゲーム開発部達がいるセクション。何分の行軍を続けたかは定かではないが、それなりの距離を彼らは歩き────。
「あれ? 行き止まりですよ?」
コユキがぴょんぴょんと跳ねながら、彼の肩越しに見たその先は確かに行き止まりだった。どう頑張ってもうんともすんとも言わなさそうな重厚なコンクリートの塊。まさか壁を破壊して先に進むつもりなのか────と思うが、頭の中の冷静な部分が『いや無理でしょこれ』と呟いた。何発銃弾を撃ち込んでも、爆弾を投擲してもこれを壊せるビジョンが浮かばない。もしかしたら此処だけ脆いのかも、と思って彼の左腕と胴体の隙間に手と顔を通して壁を軽くノックするが、伝わる重さと厚さは他と遜色ない。
え? これどうするんですか? ────そう思って先生を見上げると彼はくすりと笑って。
「見た目はね。でも────」
彼は重厚な壁に最早
構造的には上下に道が折り重なった吹き抜けだろうか。上にも下にも道が張り巡らされていて、階段もあちこちにある。何処が何処に繋がっていて、何処が目的地なのか皆目見当がつかない。しかも、道には手すりしかないため、少しでも足を滑らせれば暗くて見えない底まで真っ逆さまだ。
重厚な壁に囲まれた息苦しい地下道と、解放感に溢れすぎたこの道……正直どっちもどっちで、あまり通りたくない道であった。
しかし、選り好みはしていられないだろう。この道を辿らなければならないならば、行くだけだ。
「今、私達は地下20m地点にいる。此処は見ての通り吹き抜けになっていて、地下50mから地表まで高低差関係なく道が張り巡らされてる。この構造を使って一気に地上まで行こうと思う。出るポイントはあの子達が戦闘をしているポイントから500m離れた場所、皆の足なら30秒も掛からない」
カンカンと、靴底が床を叩く音が反響する。
「その先は戦闘だ。恐らくはアバンギャルド君とトキの連戦。特に全力のトキは私達全員で勝負に挑んで漸く勝率が2割を超えるくらいだ」
「そんなに彼女は強いんですか?」
「うん。エリドゥの中であれば最強は彼女だ。
「先生の指揮があっても、ですか?」
「私が万全だったら分からないけど、今は確実に無理だね」
あまりにもあっけらかんと白旗を上げる彼にユウカは絶句した。彼はこういう時に嘘を言う人物ではない。正真正銘全く勝ち目が無いのだろう。しかし、それは駆け引き無しの真っ向勝負に限った話だ。彼は「でも」と言葉を続けて。
「打つ手が無い訳ではないよ。ネルからトキの話を聞かなかった? 彼女の強さにはロジックがあるって。確かにトキは強いけど、それを後押ししてるのがリオの装備とエリドゥのシステムなんだ。この2つの要素のどちらかが無くなれば、或いはこのリソースを別の部分に回させれば私達にも充分勝算はある。少なくとも、負け戦ではないさ」
彼は「厳しい戦いにはなるけどね」と付け加えて────フォーカスリングが回転する監視カメラを見上げた。
「その為の仕込みは、もう済んでいる」
▼
誰もが意志を持っている。誰もが正義を持っている。
友人のため。未来のため。世界をよりよくするため。
だからこそ交わらず、ぶつかり合うしかない。先にある理想の美しさを信じて。
その光景を争いから遠い場所で眺めていたヒマリは天井を見上げながら呟く。
「なるほど……リオの考えは分かりました。綿密に練られた計画、何重にも張り巡らされた策、その手法……それはある意味、合理的なのかもしれません」
ヒマリがプライベートやハッキングで用いる各端末はこの檻に入れられる前に全て没収されている。スマホもタブレットも、何もかも。彼女の持ち物は車椅子と纏っている衣服のみ────そのはずだった。
だが彼女は一台の端末を手に取り、その画面を眺めている。紛れもない異常事態であるが、リオは把握できていない。この檻に仕掛けられている監視カメラや各種センサーは全てハッキングされ、書き換えられ、正常な状態に偽装されている。
「ですが、やはり私はそのような独善には賛同できません」
ヒマリの眼には確かな意志がある。リオの計画を覆さんとする、確固たる意志が。彼女は欠片も諦めてはいなかった。監獄に入れられ、抵抗する手段を奪われようとも虎視眈々と逆転の目を探していて────ついに、その糸口を掴めた。
「聞こえていないでしょうが────1つだけ、忠告しておきます」
だから、これは唯の感傷。関係性が最悪でも、蛇蝎の如く嫌い合っていても、確かに友人で理解者だった者へ送る哀れみ。
この戦いがどのような結末になっても、ヒマリはリオを決して許さない。リオが自ら振りかざした刃を収めその過ちを認めたなら話は別だが、彼女の性格を考えるとそんな事態は万一にも起こらないだろう。
故に、例え誰が許してもヒマリだけは彼女の罪を糾弾し続けなければならない。彼女をよく知る者として。彼女を独りぼっちで此処まで進ませてしまった者として。
────もしもリオが何かを話してくれていれば。もしもヒマリが踏み込んでいれば。互いに一歩ずつでも歩み寄っていれば、こんな風にはならなかったのかもしれない。誰もが笑い合える結末を迎える事ができたのかもしれない。
だが、それは夢想の絵画だ。リオと、ヒマリと、アリスと、■■。その4人が屈託なく笑い合える世界はもう何処にもない。些細なボタンの掛け違い、運命の悪戯によって剪定されてしまった。
しかし、それでも────その景色を目指して駆ける事はできる。だって、まだ誰も諦めてないから。
「あなたは確かに優秀です。よくもまぁ、バレずにこのような都市を建設できたものだと……ある種、感心すらしてしまいます」
リオは優秀である。それだけはヒマリも否定しない。紛れもなく自身に匹敵し得る傑物だ。総合力は兎も角として分野毎に見ればヒマリを凌駕するものもあるかもしれない。
だが────その優秀さが仇となってしまった。
「あなたは自身が正しいと信じたら、やるべき事と感じたら振り返らず突き進むでしょう? それはあなたの長所であり……同時に弱点でもあります。あなたは、悩みを誰かに打ち解けた事はないでしょう?」
この話は相互理解にも通じる話だ。言葉を交わし、想いを交わし、心と心を交わらせる。それが相互理解であり、心と心を結ぶ枝。その枝をリオは誰にも伸ばすことなく折ってしまった。
「別に、弱点というものは本来そこまで大袈裟なものではありません。それを受け入れ、見つめる事が出来れば。補い合える誰かが居れば。ですが、あなたはそれをしなかった」
彼女は付き従ってくれているトキにすら何も話していない。弱さを、悩みを、重圧を共有しなかった。多くを抱え込んでしまった。自分が背負うべきだと決めつけて。その思いの丈を吐き出せば、きっと誰かは理解して共感してくれたのに。
「優秀過ぎるが故に────人と歩幅を合わせる事も、相手を待つ気もない。あなたのそういうところが最大の弱点なのですよ」
そう言って、ヒマリは────
「ですから……あなたを心配する誰かの声も、聞き逃してしまうのです」
────例えば、この端末のように。
時間は少し前……リオとヒマリがアリスに関する極秘の会合を開いていた時に遡る。
この会合は話し合いの果てに互いの意見が交わらない事を確信したリオが最大の障害になるであろうヒマリに
だが、リオは知らなかった。トキがヒマリの意識を落とし、彼女にヒマリの身柄を引き渡す────その間に生まれた極小の時間に先生はトキと接触していたのだ。その時は彼もシッテムの箱も万全、リオに感付かれずミレニアムのシステムを全て違和感なく書き換える事なんて造作も無い。
こうして、ヒマリを抱えるトキと先生は会った訳だが……彼はヒマリの引き渡しを要求しなかった。代わりに彼女に持ち掛けたのは、ちょっとした取引。
その取引内容こそが今、ヒマリが眺めている端末だ。リオにより持ち物が没収され檻に入れられる直前に端末を忍ばせてほしい、と。そして少しの交渉の果てに取引が成立し、ヒマリの懐に端末が届けられた。
当然、身に覚えのない端末が懐に潜り込んでいた事に気付いた彼女は困惑したが、裏面に小さく印刷されたシャーレのロゴを見て全てを察し、その存在をひた隠しにした。
エリドゥの迎撃システムが励起したタイミングと同じくして起動したこの端末はクラフトチェンバーで作成された特別性。頑丈だったり、各探知に引っ掛からなかったりするのだが……その最たるはシャーレの秘匿回線を使用できることだろう。
これを用いて彼女にリアルタイムでエリドゥ内部の情報を流している。各部隊の動き、ドローンやリオの動き、都市の構造……その他諸々。彼女は囚われの身でありながら、誰よりもエリドゥを俯瞰できていた。
彼女こそが彼の切り札。とっておきのジョーカー。リオの盤石を切り崩す最強の一手。彼女に大幅な信頼を置く彼は敢えて明確な指示を出さず情報だけを与え、その最終的な意思決定を彼女自身に委ねた。そして、その意味を彼女はしっかりと把握している。つまり、彼女のタイミングで自身という最強のカードを切ってほしいという事だ。
そして、そのタイミングなんて────1つしか思い浮かばなかった。
この端末に記されているリオとトキの切り札。エリドゥ全域の機能を一点に集中させる事により生み出されるあの装備を失墜させる。それこそが、リオに王手を掛ける最も冴えた方法だろう。
「それにしても端末を持ち込ませるなんて……一体先生はどんな手を使ったんでしょうか」
リオは恐らくこの取引に関与していない。ならば、取引相手は必然的にトキに絞られる。だが、トキはトキでリオのメイドであろうと徹底している少女だ。生半可な取引では確実に靡かないだろう。一体どんな手品を使ったのか……気になる所であるが、今考える事ではない。ヒマリは雑念を追い出して、スマホの画面を眺める。
状況は目まぐるしく変化している。リオが敷いた盤石は徐々に切り崩され、拮抗状態に。
勝負の行方は、まだ誰も知らない。