シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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束の間の

 

 アバンギャルド君を退けたゲーム開発部、セミナーの連合部隊はチヒロのマッピングに従って中央タワーに進んでいた。その中で。

 

「……所でさ、先生。ずっと気になってたんだけど……」

「うん? どうしたの?」

「なんでユウカに抱えられてるの?」

 

 ユウカに横抱きにされている先生を訝し気に見ながらモモイは至極真っ当な疑問を投げかける。エンジニア部を置いて出発する時、ごく自然な流れでユウカに身体を預ける先生と、それに対して一切疑問を抱かず彼を抱き上げたユウカを見てモモイは普通に驚いたのだ。周りを見てもノアとコユキは見慣れた光景のようにスルーして、エンジニア部の皆はどことなく納得した表情。モモイと同じように驚いていたのはユズやミドリだけだった。

 

「さっきまでは私が抱えていたので、今はユウカちゃんの番なんですよ」

「いや、そういう事じゃないんだけど……」

 

 モモイが聞いたのは抱えるローテーションではなく、抱えられる根本的な理由の方だ。別にローテーションには然程興味は……いや、ミドリが若干ありそうだった。もしかしたら自分も、みたいな顔をしている。それでいいのか妹よ。確かに彼を抱えるのは容易だが、身長差で少し問題がありそうだった。

 

 少なくともモモイが求めていない解答を出してくれたノアは悪戯っぽく笑う。それを見ると彼女も苦笑いしか浮べられなくなった。彼女が悪い人でも、怖い人でもない事は分かっている。それはアリス救出の一件で迷いなく協力してくれたことが何よりの証明だ。だが、彼女と関わった回数が少ないため、いまいちどう接して良いか距離感を掴めずにいた。

 

 それは兎も角、取り敢えず解答は貰えたし、別に今すぐ聞かなければならないものでもない。所詮、唯の雑談の一環だ。だから胸の奥の方に疑問を仕舞おうとした時、抱えられている張本人が口を開いて。

 

「体力は兎も角、身体能力は皆に適わないからね。足の速さじゃ絶対に追いつけないんだよ。それに、この作戦の要はスピードだ。私に合わせて進行ペースが落ちるくらいなら、初めから誰かに抱えられた方が良いんだよ……情けない事この上ないけどね」

「へー、そうなんだ」

「あと、病み上がりだから走るのはちょっとしんどいんだ。動けない、って訳ではないけど、この後にアリスの奪還が控えている以上余力は残しておかないと」

 

 また1つ、嘘を吐く。嘘を吐いて、それを本当のことだと自分に思い込ませる。まだ大丈夫だと言い聞かせて、せり上がる血を飲み下しながら微笑みを浮べた。上手く笑えているか心配だ。ぺたぺたと顔を触っても、分厚い膜を隔てたみたいに鈍い。手に何かが触れている感覚が朧で、顔が何かに触れられている感覚も曖昧だ。

 感覚の鈍化。症状の進行ペースが想定より早い。脳内で計算し、カウントしていたタイムリミットを誰にも悟らせずに修正。命のタイムリミットも僅かに減少し、余計に時間を掛けれなくなった。

 

 ────アリスの救出までは持つとは思う。だが、その後に敵を相手取る余裕を持てるとは思わなかった。ワカモ、ホシノを筆頭とする戦力。彼女達に伝えてある作戦行動。自身の死や意識消失等に備えて保険は掛けてあるが、だからといってのうのうと眠って良いわけではない。あくまで最終手段、という位置付けだ。リオやヒマリも起こった状況を見たら自身の意図や敵を察してくれると考えているが、彼女達にやらせたくはないのが本音だ。

 

 何せ、アリス救出後に起こるのは────正真正銘の殺し合いだ。生徒と生徒の戦いではなく、今期の知性体と前期の知性体……互いの絶滅を掛けた血みどろの激突。続きを望むものと、終わりを望むもの。真っ向から対立するがゆえに激突は避けられない。生徒達の消耗、先生の損耗。対する相手は万全。若干分が悪いと言わざるを得ないだろう。

 

 とは言いつつも、相手の戦闘能力自体は大した事ない。先生程度ならば余裕で縊り殺せるが、腕の立つ生徒であれば数人纏めて制圧可能である。だが、相手の真骨頂はその抜け目のなさと執念深さ。兎にも角にも質が悪いのだ。我儘だが、生徒に相手をさせたくない。

 

 加えて、この戦いに神聖十文字(デカグラマトン)も乱入してくるかもしれない。そうなった場合は本当に最悪だ。反則技(大人のカード)の全力使用も選択肢に入れなければならないだろう。

 それはつまり事象改変。ビナーとの決戦の最後に使用した、世界の法則を蹂躙する彼の獣性。進んで使いたい類のものではないが、使わなければならないなら迷いなくカードを切ろう。それを使用して足止めしている間に天命(ネガ・セフィラ)で本体を消し飛ばす……それが現状できる唯一の攻略法だ。

 

 次に考えるのは、どの柱が顕現するのか。ビナーは少し前に機神体を8割以上消し飛ばした後のため候補から除外。ケテルとマルクトは色々と特殊なため除外。アレは最初にして最後の剣。今この場では出て来ない。であればコクマー、ケセド、ゲブラー、ティファレト、ネツァク、ホド、イェソドの7柱。

 

 この中で最も可能性が高いのはホド、次点でケセドだろうか。何方も強敵だ。神格クラスを相手に無傷で勝てるとは思わない。ビナーは運が良かっただけだ。権能域に在る者達は内臓一つで済むほど生易しい相手ではないし、幸運に助けられる状況がいつまで続くとも思わない。最低でも腕一本は覚悟しなければならないだろう。

 

 ────先生は懐の奥の大人のカードをワンフレーズで起動できるように準備し、クラフトチェンバーに礼装をセッティングする。アビドスの一件が終わってから演算に改良を加えたため、正当顕現が完了するまでの時間は多少なりとも短縮できた。1秒が命取りになる対神格の世界、時間短縮という進歩は文字面よりも大きな意味を持つ。敵の生存を1秒も許さない、敵を最速かつ最高効率で滅ぼす……という点で。

 

 ────本当に、どうしようもない。先生は胸の奥で己を嘲笑った。無様で、醜悪で、滑稽で、愚かで、なんとも情けない。キヴォトスに来て、多くと関わり、その果てに生徒の明日を希った。その為なら何でもした。世界の救済なんて馬鹿げた夢物語を大真面目に完遂しようと駆け抜けた。

 

 多くのものを踏み付けた。多くのものを置き去りにした。多くの世界を殺して、多くの人を見殺しにした。そんな自分は肯定できない。肯定するつもりもない。自分を大事に思うことも、愛することも止めた。ヒトとしての当たり前なんて随分前に放棄して、ヒトである事すら放棄して、今ここに立っているのは果たして『彼女と約束したあの日と同じ自分』なのか、と何度も思った。こんな……邪魔者(てき)排除する(ころす)ことばかり上手くなった自分が。

 何度も悩んで、答えは出せず堂々巡りして、末期に得た唯一の結論……彼の誓い。それだけが彼を今も突き動かしている。この先の尊い未来を、自分以外のあまねく全てに齎さんがために。

 

 そうして一人で先を見ていた先生の顔を最も近くで眺めていたユウカは大袈裟に溜息を吐いた。また何か────誰も見ていない場所を思考の渦に入れている。ノアが彼とリオがどことなく似ている、と言った理由が今更ながらに分かった。考えた事、下した結論を誰にも言わずに呑み込むところが特に。

 

 唯一違う所は考えだけでなく傷も痛みも涙も呑み込む事だろうか。誰にも気づかれない様に。誰にも悟られない様に。何もかも全て、世界そのものを背負うような────希望の殉教者。今も彼は彼方へ向かう巡礼の旅を続けている。その道中に咲いた数多の幸福と笑顔に救われながら。

 

 その果てに彼はきっと鐘を鳴らすのだ。多くの人々のために。多くの幸福のために。彼を突き動かす正確な理由は分からないけど……きっと、ただ一つ裏切れないもののために走っている。

 

 ────それが、どうしようもなく哀しく思えて。貴方を独りにしたくなかった。

 

「ちょっと、なんて温いものじゃないわよ。どうして意識があるのか不思議なくらいで……あなた達と合流する少し前なんて、蹲って震えながら血を……」

「────ユウカ」

 

 彼にしては珍しい声だった。咎める意図等は一切ないが、言葉を静止する言霊を含んだ少し悲し気な声。この期に及んでまだ誰にも心配を掛けたくない、という意図が透けて見える彼の視線はユウカの瞳を貫いた。輪郭を残す孤独と寂しさ。誰も埋める事が叶わない、切り離せない一部になってしまった欠落。

 

 ────でも、それでも。

 

「この子達に余計な心配を掛けたくないのは分かります。ですが、今の先生の状態はある程度共有しておかないといざという時に適切な行動が取れません」

「最優先はアリスの奪還だよ。私じゃない。皆が何のために多くを乗り越えて此処に来たのか……そこだけは間違えないで」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()────言外に彼はそう言っていた。邪魔になった場合、というのはよく分からないが……否、分かっている。だけど分かりたくない。だって彼が邪魔になるという事は、彼が使えなくなった時。それはつまり、彼が死体になった時だろう。死体なんて持っていても重いだけだから、そんなものは捨ててほしいと言っているのだ。

 勿論、これ以外にも想定できるパターンはあるだろう。例えば彼が指揮等の戦闘行動が出来なくなった場合。そのような場合……まだ生きている状態でも使えないと判断した時、彼は自身を捨ててほしいと懇願した。

 

 まるで自身を道具や歯車だと思っているような、血の通っていない言の葉。彼の意図に至った時、ユウカの感情は容易く沸点を超えた。否定してほしくて、そういう意図じゃないと言ってほしくて見下ろした双眸。赫と蒼がマーブルを描く眼に灯る温度は何も答えてくれなかった。不正解だと言ってくれなかった。思わず彼女は抱えている彼の体を固く握る。皺になる血で汚れた白。

 

「そんな、ボロボロな体の先生を見棄てるなんて……ッ」

「ボロボロなのは皆一緒だよ。私だけが、って訳じゃない。皆、頑張ってる。頑張ってる皆の邪魔をしたくはないんだ。だから、お願い」

 

 皆、もうボロボロだった。損耗度合いが酷いのはぶっちぎりで先生であるが、生徒達も大なり小なり消耗している。エンジニア部は脱落し、ヴェリタスも通信維持に掛かり切り。ゲーム開発部はアバンギャルド君との戦いで大きく消耗し、ノアは猛者との連戦で限界の底が見えている。比較的マシな方のユウカとコユキも体に疲れが現れ始めていた。別動隊として動いているC&Cも大体同じであろう。

 

 ドローンや都市防衛機構、アバンギャルド君。彼女達はそれらと真っ向から相対し、その全てを乗り越えてきた。エリドゥに来てから気を休める瞬間は片時もなく、ずっと何かと戦い続けて……その先に掴んだ希望の光。

 此処に来るまで多くの協力があった。多くの願いがあった。それを自分の弱さで踏み躙る訳にはいかない。

 

 眼を伏せた彼は小さく咳をした。けほけほと弱々しい、だけども薄ら寒い嫌な汗を思わず浮べてしまうような音。口元を覆っていた彼の手には赤い液体がこびり付いていて、口の縁からは同じように赤が垂れている。否、口だけでない。鼻からも血が垂れている。

 先ほど……合流前も、こうやって彼は血を吐き出していた。中世の頃に行われた瀉血という血を意図的に抜く医療があるが、そんな生易しい言葉で言い表せる領域はとうの昔に超えている。吐き出す血の量と、入れる血の量。それが今はトントンなのだ。そんな状態の彼を……否、彼がどんな状態であろうと関係ない。ユウカは彼を見棄てるつもりは皆無だった。それがどれほど愚かな選択であろうと、彼のためならば喜んで愚者になろう。

 

「……私は、絶対に先生を見棄てませんから」

 

 彼に言い聞かせるように、自分自身に言い聞かせるようにユウカは呟く。見棄てないし、見棄てさせない。彼が望んだハッピーエンドに彼が居ないなんて、それは唯の悲劇だろう。だから、全てを笑い飛ばせるような喜劇の元へと彼も連れて行く。嫌と言っても絶対に聞いてやらない。それが、彼の果たすべき責務であり役割だ。

 

 ────この場で最もアリスと話さなければならないのは彼だろうから。喧嘩別れのような形で離れ離れになってしまって、それから一度も言葉を交わせなくて。アリスはきっと、先生がアリスの事を嫌っていると思い込んだままだろうから。彼女はきっと、あの日と同じように塞ぎ込んでいる。

 

「……会長に連れて行かれる前、アリスちゃんは泣いていました。先生を傷つけてしまって。嫌われたと思って。だから、絶対アリスちゃんと話してください。それまで脱落なんて認めません」

「……そっか。頑張る理由が一つ増えちゃったな」

 

 先生がアリスを嫌うなんて、そんな事は天地がひっくり返っても有り得ない。例えその手で首を切られようとも、彼女の手で殺されようとも……彼女がどんな彼女であっても、永遠に大切な生徒だ。嫌う事はない。ずっと愛したままだ。これまでも、これからも。

 

 また1つ頑張る理由が、負けられない理由が増えた先生はその心地の良い重みを心の奥底で抱きしめて……自分の所為で蔓延してしまった重苦しい空気を薙ぎ払うように冗談めかした笑みを浮べた。

 

「ま、私も易々とお荷物になるつもりはないよ。アリスを助けたくて、何度だって笑ってほしくて体を引きずりながら此処まで来たんだ。全身の血が尽きるまで戦うよ」

「先生が言うと冗談に聞こえませんよ?」

 

 くすりと笑うノアに釣られて、皆も少しだけ張り詰めた空気と表情を緩めた。だが、完全に緊張を解いて気を緩めたわけではない。緊張と落ち着きの狭間、人間が最も集中できる状態へと遷移している。最後にして最大の戦闘を前に理想的な心持ちと言える。

 

「……拙いね。武装が起動した。チヒロ、データは拾えてる?」

『うん、拾えてる……何か悪い冗談じゃないかって思っちゃうようなデータがね』

 

 チヒロの目に映る、いっそフェイク映像だと言ってほしいくらいの非現実。突入前の先生の口振りと、リオの性格。隠し玉があるとは思った。いざという時はそれを迷わずぶつけてくることも。だが、此処までとは思わなかった。

 

 ミレニアムに於ける最強。約束された勝利(ダブルオー)のネルが手も足も出ず一方的に叩きのめされているなんて────! 

 

『……先生、何分持つと思う?』

「30分が限度。それ以上は多分しんどいはず。ネルもかなり無理をしている。あの傷でアビ・エシュフを装備したトキを長時間相手にするのは現実的じゃない。アスナ達は?」

『もう中央タワーに到着してるよ。動かす?』

「いや、このまま合流まで待機してもらうよ。今のトキが相手なら私達も全戦力でやらないと……それでも、かなり分が悪いけどね」

 

 先生達の到着とトキの到着、両者を比較すると前者の方が僅かに速い。その間に配置と作戦伝達を済ませ、真っ向からトキを迎え撃つ。そこまでやっても勝率が5割を大きく下回るため、彼女の規格外さが伺えるが……。

 

「その辺りの無茶を通すのは私の仕事だ。必ず突破口は作るよ」

 

 無茶や道理をこじ開ける事こそが先生たる彼の役目。ヒトの手で作られた被造物である以上、完璧はない。必ず何処かに死角や欠落がある。幸い、その辺りのウィークポイントは事前に知っていて……其処を見抜くのに長けた優秀な『眼』を持つ生徒はちゃんといるのだ。勝ち目はないが、希望はある。

 

 彼は流し目でユズの方を見ると、彼女はきょとんとした顔をしてから少しだけ気恥ずかしそうに顔を赤らめながら眼を逸らした。いくら自ら進んで一歩を踏み出す勇気を持てたとはいえ、まだ他者と視線を合わせる事には慣れていないのだろう。だが、誰とも視線を合わせないように俯いていたこれまでを鑑みれば充分大きな一歩と言える。

 その成長が何だか無性に嬉しくなって、彼は笑みを浮べ……その表情のままユズにひらひらと手を振った。すると、彼女は状況が呑み込めていないのにも関わらず困惑を浮べながら手を振り返してくれた。どうやら少し困らせてしまったらしい。ごめんね、という意図を込めて彼がウィンクを1つすると……ユズの顔は耳まで真っ赤になった。

 

「先生ってウィンク上手いですよね」

「そうかな? 練習とかはしてないんだけど……」

 

 実はしょっちゅう片目を潰されたり抉られたり失明したりしているから得意になってるんだよね────なんて事は言える訳もなく、彼はユウカの疑問に曖昧な答えとも言えない何かを返す。

 

 ────そんな雑談と擦り合わせをしている内に少女達は長き作戦の終点、エリドゥ中央タワーの元まで辿り着いた。

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