シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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駆ける場所

 

 アスナの直感のオーバーヒートと、それに伴う彼女の戦線離脱。それにより戦場は残された少女達にとって佳境へと突入していた。彼女の前線における影響はただ一人の戦闘員と呼ぶには大きすぎる。その主な役割はトキの釘付け、足止め。トキと真正面から撃ち合うことにより、絶大な戦闘能力と殲滅能力を他に向けさせなかった。

 

 だが、アスナが離脱した今、トキを縛る鎖や枷はない。その全能性を、攻撃性を……救世の刃を十全に振るうことができた。前線は最早地獄絵図と化して久しい。アビ・エシュフ纏うトキが戦場の全てを支配している。それぞれの得意のポジションが、という寝言を言っている場合ではない。スナイパーのカリンを除いた全員が前に出ている。

 アスナが離脱した直後はアカネとユウカが前衛を務めていたが、10秒もしないうちにユウカが落とされ前線が瓦解。ユウカ自身のシールドと先生が付与した障壁、何重にも重ねた防御を一撃で貫通し、彼女の体に攻撃を通した。恐らく疑問を持つ暇も、恐怖を抱く余裕もなかっただろう。一撃必殺だったのはせめてもの情けか。一瞬で意識を闇へ落とされた彼女を先生が抱き上げ戦場から距離を離させ、穴埋めにノアとミドリ、モモイを前に出したが、それでも尚抑えきれずユズとコユキを動員し……そして今に至る。

 

 状況は圧倒的に不利。トキと唯一真っ向から張り合える可能性を持っているアスナと全員の防御力を底上げできるユウカが抜けた穴は非常に大きい。

 アスナが戦線に復帰するまでに要する時間、直感のクールダウンに掛かる時間は約5分。ユウカは先ほど目を覚ましたばかりで、とてもじゃないが戦闘へ送り出すことなんてできない。

 

 先生が秀でているのは戦術構築能力と指揮能力。それに加えて生徒に付与する攻撃強化、防御強化、回復強化、五感の拡張、身体能力向上、未来視。だが、これらの能力は圧倒的な力を持つ個人相手では役に立たない場合がしばしばある。奇策や相性、戦術でひっくり返せる強弱など結局はある程度拮抗した状態であることが前提だ。どう転ぶか分からない天秤を傾けるのが策であり状況。最初から絶望的に開いている差はどうしようもない。先生が生徒達に逆立ちしても勝てないのと同じように。

 

 ────分かっていた事だった。トキが強いことも。この戦力では勝てないことも。その上で絶望的な勝率を引き上げようと手を尽くした。しかし、足りない。まだ足りない。不足しているものが多すぎる。

 

「攻撃が当たらない……ッ」

 

 焦燥に滲むモモイの声は、この場にいる全員の総意だった。攻撃が当たらない。それどころか、自在に動き回るトキの影すら踏めていない。

 

 モモイとミドリ、ユズのタイミングが完全に合った攻撃も。

 ノアのアシストも。

 コユキの爆弾も。

 カリンの未来予知に等しい超高精度射撃も。

 アカネの超広範囲攻撃も。

 

 それら全てを動員しても尚、届かない。それほどまでに今のトキは高みにいる。それは宛ら、ネルを相手にしたときに抱いたあの絶望感を更に強くしたもの。どうしたって勝てない。勝てるビジョンが見えない。戦いの中で成長すれば、とか。何処かに逆転の目が、とか。そんな温い発言は到底できない。成長する前に、逆転の目を見つける前に速攻で潰される。ユウカと同じように。

 

「くッ……」

 

 頬を掠める弾丸。切り裂かれたような痛みにアカネは表情を僅かに歪める。しかしたかが一発。まだ余裕だ。神速の手捌きで銃のリロードを済ませ、威嚇射撃と割り切りトリガーを引く。この口径の弾丸で装甲は抜けない。電磁シールドの有無は関係なく、物理法則に根付く単純な強度と高度の問題だ。ならば、威嚇射撃の豆鉄砲と捨て石にして爆撃を主な攻撃手段に切り替えた方が戦術の組み方として正解だろう。

 

 一番の問題は────。

 

「えぇ、分かっています……残念ながら」

 

 攻撃が当たる気配が一切ない事であるが。設置型も投擲型も何もかも。戦闘機の絨毯爆撃でも傷を負う未来が見えない。

 

「そろそろストックが切れる頃合いではないですか、アカネ先輩」

「いいえ、まだまだです」

 

 強気に返したものの、ストックの底が見えてきたのは事実であった。極力無駄な使用は押さえていたが、物資はいずれ無くなるもの。それはアカネの爆弾も例外でなく、これまでの使用分とアビ・エシュフを装備したトキに使用した分が重なった結果、大盤振る舞いする訳にはいかなくなった。

 

 戦闘開始前、先生は「出し惜しみはしないで。物資は当てがある」と言っていたが……それでも、彼にも限界はあるだろう。この先は可能な限り無駄な爆破を避けて、ここぞという時の使用に絞らなければならない。

 

「アカネ先輩の強みは手数の多さと攻撃可能範囲です」

「……だから、それを封じれば私は脅威ではなくなる。そういう事ですか?」

 

 その言葉にトキは頷かない。ただ油断なく構え、眼前の敵から目を逸らさない。トリガーに指をかけ、背部にマウントされたエネルギー砲をアクティブ。両腕のガトリングガンをリロードし、再度万全な状態へと遷移する。相手は室笠アカネだ。手を抜いて勝てる相手ではない。

 

「ふふっ……随分見くびられたものですねッ!」

 

 その言葉と共に、アカネはトキを相手に距離を詰めた。彼女がこの程度……最も得意な戦術を封じられた程度で脅威でなくなる? そんな訳がないだろう。彼女は03(ゼロスリー)。ミレニアム最強戦力の一角。武芸百般の体現者。あらゆる分野の戦闘が十全に可能だ。

 

「皆さん、下がってください」

「援護する、アカネ」

「露払いは任せてください」

 

 下がらせた他のメンバー。彼女達をドローンの掃討に当たらせ、アカネは更に一歩踏み込んだ。抜けた人員の隙間を縫うようにカリンとノアの正確無比な弾丸が通される。だが、それはトキにとって脅威になり得ない。点を撃ち抜く狙撃と今のトキの相性は言うまでもなく最悪だ。トキはカリンとノアを意識から外し、判断をアビ・エシュフの方に委ねる。優先的に対処しなければならないのは、ガトリングガンの掃射を全て空のアタッシュケースで受け止め、無傷のまま銃を片手にクロスレンジまで踏み込んで来たアカネだ。

 

「ご主人様の前で野蛮な真似はしたくありませんが……ッ」

 

 手刀。蹴り。拳。銃撃。その組み合わせ。あらゆる武術の長所を取り入れ昇華された近接格闘。それは捌くトキですら目を張る様な極まった練度をしていた。才能あるものが研鑽を積んだ果てに辿り着ける一種の到達点。そこにアカネは居るのだ。アカネの戦術上、敵に自ら接近する機会は少ない。近寄った敵を迎撃する事くらいはあるだろうが、ネルやアスナのようにクロスレンジでの戦闘が役割ではない筈だ。それなのに、此処まで至っているのは不可解と言う他ない。

 

 鋭い刃を思わせる蹴りをミリ単位の動作で軽々と回避したトキは額に突き付けられた銃口を軽く払い除けた。ワンテンポ遅れて炸裂音が響いて、アカネは白煙が尾を引く銃口を再び構える。

 

「この動きは……」

「えぇ、私の近接格闘の師は部長ですから」

 

 飄々とした口調で告げられた真実。アカネの体術がネルから引き継いだものであるなら、似てるのも当然だ。その時々に取る択は彼女流にアレンジが加えられていたり独自性があるが、基盤に在るのはネルのそれと同一。一度詰めた距離は決して離さない。常に相手に銃口を意識させ、気を張らせる。ネルが彼女に近接格闘の術を仕込んだのは恐らくこういう時のためだろう。面倒見の良いネルらしい振る舞いだ。

 

 アカネの脳裏に過るのは鍛錬の記憶。今よりも幼かった頃、得意分野だけを極めていた彼女はネルから呼び出され……近接格闘の訓練の開始を告げられた。その内容は延々とネルと1on1。双方ハンドガンを片手に、距離5mから戦闘訓練を開始する。

 クロスレンジでの戦闘はキヴォトス最強と自称し、それが誇張でもなんでもないネルを相手にアカネが勝てる訳も無かった。あの距離でネルと真っ向から撃ち合えるのはそれこそ歩く戦略兵器ことツルギくらいしかいない。

 今の今まで勝ち星は一回もなく、善戦こそすれどもネルに膝を突かせたことは皆無だ。だが、負けた経験はアカネの糧となっている。ネルと共に研いできた隠されし刃はその鋭い切れ味を存分に見せつけていた。

 

 

 ▼

 

 

 トキの相手はアカネとカリン、ノア。

 残りのメンバー……モモイ、ミドリ、ユズ、コユキはドローンの相手。

 

 そして、その戦闘から一時離脱したアスナとユウカは先生の傍でそれぞれ休息と治癒に時間を当てていた。ユウカは腹部に走る鈍い痛みに顔を歪める。巨大な質量で思いっきり殴られたから、恐らく服の下は盛大に内出血しているはずだ。

 横目で矢継ぎ早に的確な指示を飛ばす彼を見る。時折、表情を変えるのは痛みか苦しみか。目まぐるしく変わる戦況、それに合わせて彼も最善を選び取る。誰がどう見ても頑張り過ぎで、直視できない程痛ましくて。だが、生徒が折れないならば彼も決して諦めないという確信があった。他ならぬ彼だから。彼を見続けてきたから分かる。きっと無理をしている。それなのに何もできない自分が不甲斐ない。情けない。素直にそう思う。

 

 ────もし、仮に。彼がエリドゥに入る前に会ったのがノアではなく自分であったとして。その時、自分は彼の選択を受け入れることができただろうか。今にも消えそうな火を懸命に燃やして、自分自身を灰にしている彼を……送り出すことができただろうか。

 きっとできなかったと思う。恐らく……いや、絶対に行かせなかった。脅してでも止めたはずだ。柔く傷つきやすい体が暴力に晒さられて折れていく残酷な光景は見ていられないほど惨い。キヴォトスの生徒が傷つくのとは訳が違う。不可逆の傷はどう繕っても繕いきれないから。彼の首の斬首痕のように。

 

 ────それが、どれほど醜い……彼の心の尊厳を踏み躙る選択だとしても。

 

 意味のない思考に耽りながらユウカは身を捩り、傷が痛まないポジションを探しつつ……彼とチヒロの会話に耳を傾け、参加する。戦闘で役に立たない今、頭脳くらいでは役に立ちたいと思いながら。

 

『……エリドゥを攻撃する片手間にあの装備を解析していたんだけど……流入するデータ量がおかしい、あり得ないって言ってもいいくらい』

「そこまで、なの……?」

 

 熱に浮かされた譫言のような声に驚いたのは、他ならぬユウカ自身だった。どうやら自分が思っている以上に、感じている以上に傷は重く、深いらしい。

 

 喋るのも辛いだろうに、ユウカが受けた衝撃を観測データから知るチヒロは内心でそう思う。だが、彼女の意地を汲んで思考を声にせず、『うん』と短く返して言葉を続ける。

 

『エリドゥ全域の電力、演算機能があの機体に集中している……あのデータ量なら疑似的な近未来予知も可能だろうね。それほどの強化を施されている』

 

 先生がリオの妨害を気にしなくていいと言った理由が今更ながら分かる。あれを稼働させているのはエリドゥの全リソース。あの全能性を保ちながら妨害をする余裕なんて無いのだ。アビ・エシュフの性能を落として通信の妨害なんて小手先で勝負するくらいなら敵対者を直接叩き潰す事に注力した方が合理的だろう。

 

「ハッキングの調子はどうだい?」

『良くない。全員出し惜しみなしでエリドゥを全力で攻撃してるけど、プロテクトが硬い。恐らくアビ・エシュフの後隙を消すために何処かしらで防御プログラムが走ってるから、それの解除が先になっちゃう』

「時間はどれくらい?」

『最短でも10分。強度によっては20分かかるかも。でも、必ず落としてみせる』

「ありがとう……頼むよ」

『無茶はしないでね、先生』

 

 彼は通信を切断し、憂いを帯びた瞳で前を見る。

 

「……皆、聞いてたかい? 最大20分、何とか持たせよう」

「聞いてたけど、未来予知なんてチートじゃん! ラスボスしか許されない能力だよッ!」

「未来予知なんて……そんなのどうやって……」

「装備が強すぎます……!」

 

 装備もさることながら、何よりも凄まじいのはあの巨体を巧みに動かし十全に使いこなしているトキの力量だろう。外部のアタッチメントを自由自在に動かすのは思う以上に難しい。義手や義足がいい例だろう。基本的に慣れるまでに莫大な時間を要するし、自分の手足のように動かすのは更に時間を要する。

 それにも関わらず、彼女の動かし方は練達と呼ぶことすら侮辱になるほどだった。どこをどう動かせばいいのか、どうやって対処すればいいのか。その悉くが完璧と言わざるを得ない。アビ・エシュフが強いのではなく、トキがアビ・エシュフを使うから強いのだ。ここまで使いこなせるまでにどれほどの習練を重ねたのだろうか。

 

 ミレニアムサイエンススクールの戦力は基本的に内部で開発、製造されるドローンやオートマタで事足りる。そこが他の学校と大きく異なる部分であり、表向きには生徒により組織される治安維持部隊が存在しない。発明品が暴走してラボを吹き飛ばしたりする事は偶にあるが、意図して問題行動を起こす生徒の数が他校と比べると比較的少なく、元々の治安がそこまで悪くないのが大きな理由だ。

 鎮圧にはドローンやオートマタで事足りるし、メンテナンスさえ確りとしていれば治安維持の兵力は卒業生や入学生による人数変動の影響を受けない。新たに入隊した生徒を一から教育する手間も省けて、引継ぎもデータ移行で済む。

 

 故に、生徒により組織された大きな兵力を必要としないミレニアムであるのだが……C&Cは唯一の例外となっている。曰く、セミナーの最終兵器。その人員はミレニアムの規模に反し小さく、ゲヘナの風紀委員会やトリニティの正義実現委員会の人数とは比べ物にならないほど少ない。

 正に少数精鋭を体現したような構成。所属メンバー全員がスペシャリストであり、そのアベレージの高さは規模の大きさを武器としている他のマンモス校とは違う強みとなっている。

 

 では、そのスペシャリスト揃いの中で尚、別格と称されるコールサイン持ちとは何か。それは、部隊として運用することが不可能なほど突出した能力を持つ者達だ。

 

 コールサイン00(ダブルオー)、美甘ネルは単純明快かつ圧倒的な戦闘能力。異常と言う他ないほど卓越した全ての技能、特に近距離での撃ち合いと近接格闘、学習能力に秀でている。

 

 コールサイン01(ゼロワン)、一之瀬アスナは高い戦闘能力と冴え渡った直感、幸運。戦場を掻き乱し、勝利の女神を微笑ませるトリックスターだ。

 

 コールサイン02(ゼロツー)、角楯カリンはその狙撃能力。遠距離を撃ち抜くスナイパーとして彼女に並ぶ者はキヴォトス広しと謂えど5人と居ないだろう。

 

 コールサイン03(ゼロスリー)、室笠アカネは広範囲攻撃能力。爆弾魔と呼ばれるほどに殲滅能力に長けている彼女は一切合切を纏めて吹き飛ばす。

 

 コールサイン04(ゼロフォー)、飛鳥馬トキはバランスに優れた隙のないオールラウンダーな能力と各種アタッチメントに対する高い適性。科学技術の進歩がそのまま彼女の強さに直結する。

 

 以上、全五名。全員が掛け値なしの化け物。それぞれが単騎で旅団を相手取ることすら可能な最強戦力達。

 

 その中の一人……科学の発展により際限なく戦闘能力が上昇するトキが、ミレニアム屈指の頭脳と技術力を持つリオと協力し、その全てを惜しげもなく投入すればどうなるのか。それは火を見るよりも明らかであった。

 

 攻撃はどれ程強くとも、速く鋭くとも届く前に迎撃される。死角からの攻撃も飽和攻撃も全て対処され、追随することすら許されない。

 防御や障壁はすべて無効化され、紙切れのように突破される。

 五感を拡張してもトキの動きは捉えられず、身体能力は足元にも及ばない。

 未来が見えたとしても体の方が追いついていないため、役に立っている様子もない。

 

 生徒が傷つき傷つける光景に心を痛めない事はなかった。いつだってずっと痛かった。自分が傷つくより、死ぬよりずっと痛い。

 ヘイローを持つ彼女達は頑丈だから、この程度じゃ致命傷にならない? 痕は残らないから、痛くないから大丈夫? 馬鹿を言え、死なないから良いって訳じゃないだろう。痕が残らないから、痛くないから、それは傷ついても良い理由にはなりえない。

 

 これが我儘だというのは分かっている。彼女達はそういう環境で生きてきた。キヴォトス外部で生きてきた自分とは常識が違うのだ。故に、この感情はきっと歪だ。キヴォトスに順応できていないのは自分。これがこの世界のスタンダード。そもそも、こうして生徒を己の武器の如く扱っている自分がこんな感情を抱く資格はない。だから早く割り切って受け入れろ……そんな事ができたなら苦労しない。

 

 誰にも傷ついてほしくない。誰にも泣いてほしくない。誰もが笑っていてほしい。誰もが当たり前に幸福を享受していてほしい。

 

 だから────。

 

「……潮時、か」

 

 彼はその言葉と共に微笑を浮かべる。諦め、ではない。喜びでもない。怒りでも何でもない、言葉では形容しにくい表情。まるで『仕方がないなぁ』と子どもの願いを聞くような。それを見たユウカはどうしようもないほど嫌な予感を覚えた。

 

「……私は、まだ大丈夫。心臓と脳さえ無事なら最悪は避けられる」

 

 呟き、懐から取り出したのは一枚のカード。世界の事象を捻じ曲げ、不条理を引き起こし、奇跡と救済を成す……神の御業、その一端。彼に許された最大の反則技。即ち事象改変型プロトコル……通称、大人のカード。或いは、覆せぬ終焉のXⅢ(アナザー・ジェネシス)

 アビドスでの聖戦の最後に使用した例外的な使用ではなく、正規の使用。自身の記憶、肉体を触媒とし、結んだ絆や縁を頼りに他世界、平行世界の生徒を招集する。

 ……果たして、今の自分にできるだろうか。魂の摩耗、記憶の損壊。先のない命。何より────己の心。今の生徒を守る為に過去の生徒を戦いの道具にしていいのか、という葛藤が使用を躊躇わせる。

 

 過去を尊んだ結果、今の繋がりを無くすのか。今のために過去を消費するのか。どちらに転んでも先生は己を裏切ることになる。

 

 さあ、選択の時が来た。過去の己、今の己、未来の己。その身に余る願いを背負いながら足掻き続けた末路。生徒に優劣をつける時だ。どちらを選んでもその先に待つのは痛烈な自己否定。自己愛を持たない、獣にもなれなかった悪性。

 

 突きつけられた選択肢、引き返せぬ分かれ道。先に待つのは地獄。

 

 その二択を先生は────踏み抜いた。

 

「────いいや、まだだ。私は全てを出し尽くしたわけじゃない」

 

 その言葉と共に先生は大人のカードを仕舞う。そうだ、まだやれる。手は残っている。それなのに最終手段に手を出すのは早計だ。

 あの行動は、思考は逃げだった。自分が楽になりたいからと生み出した虚構だ。罰も罪も後悔も怒りも憎しみも涙も、自己否定すら言い訳に過ぎない。楽になるための方便だ。

 

 だから、ちゃんと。

 

「リオに啖呵を切ったんだ。先生の私が折れるわけにはいかない。過去も未来も、現在(いま)も全て抱きしめる」

 

 ────連邦生徒会長(あの子)と同じように。

 

 自分の最初の教え子。最初の生徒。この想いも、この生も、全て彼女からの贈り物。だから、今度は彼女に返す番だ。この胸を焦がす想いを、記憶に残る思い出を、この命を。

 

「だから、行けるよね。そうだろう……先生(わたし)

 

 呟き、彼は他ならない自分自身に言い聞かせる。まだ行けると、まだやれると。諦めるのはきっと早い。ゲーム開発部の彼女達が諦めずに前を向いているのに、先生たる己が折れるわけにはいかないのだ。少しでも楽な方に行こうとした己を心底恥じて悔いた彼は頬を叩き、乾いた音を鳴らす。

 

 そして、先生は徐にユウカの手を取って笑いかけた。

 

「心配そうな顔しないで。大丈夫だよ。私はちゃんと此処にいるよ。ユウカを置いて行かない。どこにも行かないよ」

 

 ユウカは『そんなに顔に出ていたのか』と内心思いながら、微笑みに答えるように彼の掌を握りしめる。そうすると痛みが和らいでいく感覚を覚えた。まるで手を起点として痛みが流れ出るように。

 

「体はどう?」

「さっきまではしんどかったですけど、今は楽になりました……何したんですか、先生」

「秘密だよ」

 

 悪戯っぽく口元に指を当てる彼はユウカの痛みを肩代わりしたことなんて一切感じさせない表情。傷つきやすい、ということは痛みに慣れやすいこと。内臓が破裂したと疑うような痛みすら彼は呑み干してしまう。

 

「……先生」

「いいのかい? 痛みは兎も角、他は……」

「まだ何も言ってないのに、私のことが分かるんですね」

「ユウカと沢山過ごしてきたからね。言いたいこと、やりたいことは分かるよ」

 

 詰まる所、皆が頑張っているのに寝ているのは耐えられないのだろう。痛みも引いてきた今、体に残るのは感覚の鈍さと動かしにくさ、痺れたような衝撃。万全とは言えないけれど、病人でもない。離脱する前のように前線で動くことはできないだろうけど、それでもやれる事はきっとある。

 

 ユウカは彼に肩を借りながらその場で立ち上がり、その手に銃を持った。これで固定砲台程度の役割にはなるだろう、なんて思いながら。

 

「知ってると思うけど、私は物凄く弱い。ユウカ一人くらいなら全然抱えられるけど、走り回りながら射撃の反動を受け流せるほど器用じゃないし、そもそもトキの攻撃から逃れられるほど早くない。だからできるのは固定砲台のアシスト程度だ。それでもいいのかい?」

「はい。それでも、何もやらないよりはきっとマシです。だから、先生……防御、任せてもいいですか?」

「勿論。指一本触れさせないさ」

 

 刹那、展開される障壁。トキの攻撃を受け止められるように改良を加え、多次元解釈のエッセンスを織り込んだコスト度外視のシールドは先生とユウカを第一に包み、順次他のメンバーにも付与された。これで少しは被弾と損耗を抑えられるだろう。だから、あとは先生のリソースが尽きるのが早いかトキの弾丸が尽きるのが早いかの勝負。

 

「……ッあ」

 

 つう、と流れる鼻血。流石にこの人数分の多次元解釈は死に体の身に余るものだったようだ。アロナもいない今、演算の負荷がダイレクトに襲い掛かっている。脳が割れるように、捩じれるように痛い。『全部終わったらまた入院かな』と他人事のように考えながら、死滅する脳細胞に喝を入れて演算を再開する。

 

「────勝負はまだここからだ」

 

 先生は急ぐ。早く、速く、疾く、死地へ。

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