シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
感想欄でのベアトリーチェへのヘイトが高くて笑ってしまった今日この頃、皆様はお元気でしょうか。私は感想評価お気に入り登録誤字報告に生かされています。
「……先生は、苦しんでいるの?」
「苦しむ主体が問題なのです」
ミサキの疑問に、医者は苦々しい表情のまま首を横に張って答えた。ミサキは医者を視界に入れてすらいない。見ているのは、ガラスの向こう側にあるベッド……そこに横たわっている先生。
先生をこの状態に追いやったのはデカグラマトンが一柱、イェソド。9番目のセフィラは突然ロックを変えて────避難誘導を行っていた先生にドローンを嗾しかけた。
アロナの防壁は僅かに間に合わず、ドローンの質量を活かした体当たり後、搭載されたアサルトライフルの掃射を1秒弱受けてしまい──────彼は一度死んだ。救急が着く前に自発呼吸が停止して、病院に到着する直前に心停止した。
だけど、先生はそこから甦った。適切な処置と、適切な機械。トリニティとミレニアムの意地、決して死なせないという決意は、先生を一度の死から引き上げたのだ。微細な出血はパッチで全て止め、傷を負った臓器は仮処置され、停止した心臓は再び動き出した。
ミサキはそれを見ている。いつものような表情で。悲しめなかったのだ。ミサキには余りにも死が日常すぎて、馴染み深い光景でありすぎた。慌てることなんてできやしない。彼女にとって死は隣人だった。
「そう……」
弱々しい声で呟いた後、医者には見向きもせずミサキは歩いて自身の病室に戻った。彼女自身も決して軽症とは言えない傷を負っていて、医者から安静を言われている。割り当てられたベッドに座り、天井を眺める。
世界はいつだって突然だ。今回だって、世界というものがそうあるべき唐突さを、改めて剥き出しにしたに過ぎない。ありふれた悲劇、その1ページ。
そして翌日、ミサキはもう一度先生の元へ行った。昼は顔を合わせると面倒そうな人がいるから、夜中に。
常夜灯の灯りに導かれるように、病院内の迷路を突き進む。不思議なことに迷わなかった。まるで先生に手招きされているように、ミサキはICUまで辿り着いた。
沢山の管と、モニタ。チューブからは体の各部が不全になった先生を生かすための代替物質が注入されていて、肌の至る所に止血シートが貼られている。そして、そのシートの上や皮膚の上に直接ペンで書かれているのは電磁波の波長と周波数、使用する機械の名前。先生の機能が何処まで生きているのか、それらの個々の状態を忘れないようにするリマインダー。
どれくらいの間、先生のそんな姿を眺めていただろうか。どこかの時点で、「戒野ミサキさんですか?」と穏やかな声で聞かれて、彼女は振り返った。
「彼の担当医です」、と言って白衣の人物は自分の名前を名乗った。それをミサキはじっと見つめて、譫言のように。
「先生の状態は」
「多くの場所で内出血、骨折が起きています。幾つかの臓器はダメージを受けていて、機能を低下させていますが……それらは取り敢えず、テクノロジーが押さえ込んで生命に影響を及ぼさない範囲まで持っていっています」
ミサキは『あの先生は生きているのか』と問い詰めたくなったが……それをぐっと飲み込んだ。あそこで意識がなく横たわっている先生は果たして命なのか、ということは。
「先生の意識は」
「意識があるかないか、というのは難しい問題です。先生は頭部にドローンの突撃を受けました。その際に頭部を地面に激しく打ち付け……その後の掃射によって一時的に脳に酸素と血液が回らなかったのです。故に、先生の脳は大きく損傷しています」
担当医は一度言葉を区切って。
「戒野ミサキさん。私達は先生の脳の機能モジュールの内、どの領域が死んで、どの領域が生きているかを示す事ができます。ですが、どれだけのモジュールが残っていれば、それが意識と呼べるものなのか、それを経験する事ができないのです。死を経験できないのと同じように」
ミサキは病室に戻って考え続けた。先生が苦しんでいるのかどうか、苦痛を受ける主体が残っているのかどうか。あの場にあった先生の体に『先生』と呼べる自我が残っているのか、そして、その自我は苦痛を苦痛として認識できているのか。
脳死、と素直に言って欲しかった。それだったら諦めがついたのに。生と死にこれだけ曖昧な領域が横たわっているなんて──────知りたくなかった。
彼女は考えた。らしくもない事を。いつかの日、先生から借りた本の知識、彼の言葉。それらを使って、先生の命について、考えていた。
そして──────。
「──────こんばんは、先生」
ミサキはICUの中、先生が横たわっているベッドに腰掛けた。手を握ると、暖かい。人の温度。これは自然なのか、人工なのか。
「苦しいよね……いや、私が貴方を苦しそうって思ったの。体に縛られている、先生の魂を憐れんだの。だから、悪いのは私。こうする事しか選べなかった私と──────あの時、先生を守れなかった私達」
ミサキの手に握られている拳銃。2発しか装填されていない9mm口径、先生をこれから殺すもの。
「でも、1人は寂しいよね。だから、私も一緒に逝く」
一発目は普通の弾丸だが、二発目はヘイローを殺す弾。先生を1人で逝かせない、ミサキができる最後の恩返し。先生が褒めてくれる事はないけど、それでも──────彼にもう一度会いたいから。
「さよなら、先生。初恋だった──────また、会おうね」
つう、と涙が頬を伝って──────銃声が二発、病室に響いた。
▼
ベアトリーチェに喉元を切り裂かれ、一瞬で絶命した先生を見て──────ヒヨリは何を思っただろうか。絶望? 怒り? 憎悪? 悲しみ? どれも正解で、どれも違う。ヒヨリは人の死にそんな感情を今更抱けるほど純粋ではない。
その心にあったのは、空虚。大切な宝物を壊されたような無常感。それが心を渦巻いていた。目と鼻の先で殺された彼の血を全身に浴びて、その暖かさに安堵を覚えて──────それがもう届かないものになったと脳が認識した瞬間。
「ベアトリーチェ」
埋め尽くしたのは──────。
「貴方を殺します」
殺意。殺意。殺意。殺意。殺意。他の感情が全て殺意で出力される。怒りも愛も憎しみも、全て殺意へ変換される。
薄ら笑いで、虚の瞳。流れる涙は赤い。全身を血で染め抜いた赫い悪鬼。卑屈な言動も、ネガティブな発言も此処には無い。ベアトリーチェへの殺意のみで動くキリングマシーンがそこに居た。
それから、ヒヨリは戦い続けた。悪意と、自分達の敵と、先生の敵と。自壊さえ厭わない狂気的な前のめり姿勢。肉体を全く顧みない、致命傷以外は全て無視する戦闘技法。ライフルを振り回し、銃弾が切れたら体術で以て敵を屠る──────銃がなくても如何に多くの敵を殺せるかに着目したヒヨリ独自のスタイル。
四六時中銃を手放さず、休みなく戦場を渡り歩く。流した血と浴びた血は他の追随を許さない。そうまでしてヒヨリが前に前に進むのは理由があった。
「先生……」
ヒヨリは眼前の巨大な白い立方体と、それを取り囲むヒトガタを見て呟いた。白い立方体は震える。酷く生物的な動きで。
『Pseudepigrapha? jnlmwwo──────Avestā.あなたのつみをわたしはゆるします』
雑音。ノイズ。聞くに耐えない呪詛。しかも、それが先生の声で発せられているとなると──────腑が煮え繰り返るような怒りを覚える。
「ごめんなさい、先生。あの場で私が先生の体を取り返せなかったから、こんなことになっているんですよね。辛いって、苦しいって、痛いって分かりますか? 先生」
ベアトリーチェは先生の遺体を、徹底的に凌辱した。血液、肉片、臓器──────全てを解剖し、先生と定義された個体を暴いた。その時に得られたデータを全て注ぎ込んだ物こそが目の前の白い立方体。生徒の心を折るために作られた悪趣味な舞台装置。
先生の脳を集積回路として利用した戦闘兵器は、多大な成果を挙げた。無意味な声を流すだけで、殺意が鈍る。攻撃ができない。
先生が死んでいる事、もうどこにも居ない事、目の前の敵は先生の残骸である事……生徒達も、そんなのは分かっている。だが、先生の残滓を感じられるから──────撃てない。心のセーフティ。
『Gospel of Judas,Blut von Ischariot──────hhhhhhhiiiiiii……ヒヨリ』
どくん、と心臓が跳ねた。
「はい、先生……ヒヨリです。残骸とはいえ、もう一度名前を呼んでくれて嬉しいです……人生って辛いことばっかりですね。でも──────私が終わらせてあげますから、えへへ」
その言葉を最後にヒヨリは口を噤んだ。人格が心の奥の方に追いやられ、戦闘に特化した思考が呼び出される。視界はクリアホワイト、武器に曇りもない──────ここで、貴方を正しく死なせます。
合図もないのに、ヒヨリと残骸は同時に攻撃を仕掛けた。
2人の戦闘は苛烈を極めた。先生を埋葬するために全てを捨て去ったヒヨリと、戦闘指揮に常識を逸した才がある先生を利用したシステム。当初は残骸が有利だったが──────ヒヨリが武装を解禁した段階で、天秤が傾いた。
ライフル以外にも戦車砲や手榴弾、ナイフやアサルトライフル等を持ち込んだ彼女はそのトリッキーな戦法で徹底的に撹乱し、数を減らし、防御障壁を突き破った。
そして──────。
「辛いですよね、苦しいですよね。マダムに死後も利用されて──────だから、先生。私は、貴方だったものを撃ちます」
ヒヨリの銃口は、剥き出しの脳髄に向いている。
『seawjnooofxswa──────error,error,eeeeeeeァェ──』
やはり無意味なノイズだった。意味がない、ただ声紋が彼と一致しているだけの雑音。規格に合わない改造を施された彼は、既に死んでいるのだ。だからあれはゾンビに近い。それを正しく葬ってあげるのが、弔ってあげる事こそがヒヨリの望みだ。
そのはずなのに。
「おかしいですねぇ……涙、止まらないです……えへへ……」
ぽたぽたと地面に水の花を作る。
でも、これが──────最後の恩返しだから。逃げる事はできない。目を逸らすこともできない。貴方の命の尊厳を守りたいから。
だから──────ヒヨリは。
「本当に、ありがとうございました。先生がくれた幸せのおかげで、私はこうする事ができたんです」
最後の落涙と共に、引き金を引いた。
▼
「先生、ありがとう。沢山の花をくれて」
「これくらいなんて事ないよ。アツコの学びを助けるのは当たり前だからさ」
午後10時過ぎ、先生とアツコは帰路に着いていた。様々な物を買いに行き、フラワーショップで花を見て──────充実した一日だった。アツコは先生を独占できたようで嬉しかったし、先生も彼女の笑顔が見れて嬉しかった。
2人が同じ感情を共有している空間というのはとても居心地が良く、あっという間に時間が過ぎ去ってしまったから──────こうして、予定の解散時間より2時間ほど遅れて帰宅している。
アツコの手には色とりどりの花達。抱えた花束を嬉しそうに見つめている。花束を抱く彼女は本当に芸術品のようで。でも、それ以上に、年相応の女の子だった。この子にはやはりこの顔が一番似合うな、なんて彼は思っている。
そうして、取り止めのない話をすると──────いつの間にか、アツコの拠点に着いていた。先生は彼女の指示に従って園芸用品を置いて、手に持った全ての荷物を片付ける。雑談混じり、声は絶えない。そして全てを終えて──────。
「今日はありがとう、先生。とっても楽しかった」
「こちらこそ。私も楽しかったよ。また行こうね」
「うん、先生……実は、渡したいものがあるんだ──────」
名残惜しいけど、これで終わり。本音を言うともっと話したかった、もっと一緒に居たかったけど、そうすると彼を困らせてしまうから。だから、今日はこれでお終い。
でも、また次の日会えるから──────そう思っていたアツコを出迎えた彼は冷たかった。
半ばスラムと化している街の路地裏、キヴォトスの暴力の掃き溜めと称しても差し支えない場所に彼の体は転がされていた。左胸には穴と、そこに馴染んだ赤。白を穢すそれは彼の命が此処ではない何処かへ行ってしまった証拠。
ふらふらと、千鳥足で。何かに酩酊したように彼の元へと歩く。そして、座り込んで──────そして、足元で水っぽい音がした。俯くように音の方を見ると、赤とは別の透明な液体が散乱している。
シリコンオイルだった。アツコが彼にあげたハーバリウムの中、花と共に円柱を満たしているもの。キラキラと輝くガラスの破片と、元の色とは別の赤に濡れた花達。
彼の為に、彼の為だけの花を。彼にとてもよく似合う花を敷き詰めた。昨日、彼に送ったもの。少し恥ずかしかったけど、日頃の感謝のお返しとして。受け取った時の彼の顔は、本当に空が晴れるような笑顔だった。見てる側ですら、自然と笑みが溢れてしまうような──────。
「ぅぁ……」
もう、会えないんだね。
貴方はもう透明になってしまったんだね。
この花束は、貴方の墓標になってしまったんだね。
ずっと、遠くへ行ってしまったんだね。
「ありがとう、側に居てくれて……大好きだよ……」
アツコはそっと口付けをする。本当なら彼が生きている間に送りたかった言葉も添えて。初めてのキスは血の味がして、冷たかった。香る花は、彼のものか。それとも死臭か。分からない。
「でも、先生もこんな所じゃ寂しいよね」
アツコは流れる涙をそのままに、彼の身体を抱き抱える。いつかの彼がしてくれたような、お姫様抱っこ。たった21g軽くなっただけなのに、その重みが愛おしくなってしまう程に空虚で。
そして、少女は彼の傍らに小さな白を見た。
「花、咲いてるね……先生の側にも……」
少女の見つけた花は、一輪草。
花言葉は。
「追憶……」
──────貴方を、何時迄も想っているよ。