シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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 排熱ファンの唸る音。モーター、ローター、車輪、キャタピラの駆動音。銃声が鳴る。薬莢が落ちる。その奥で小さく響くのはキーボードを叩く音。

 立ち上げた隔壁を背にエイミは銃のリロードを済ませ、敵機の数を確認する。

 

 ────空戦型が12、陸戦型が26。装備している火器はミサイルと機関銃。

 

 あの装備だったらすぐには突破できないだろう、と思いながらエイミは自身の後ろに聳える壁のように分厚いシャッターを見つめた。この奥にスパコンが座しており、ヒマリが作業を行っている。つまるところ、彼女は防人だ。ヒマリが銃声に気を取られる事なく、心置きなく作業するためのセーフティ。

 

『エイミッ! どれくらい持ちますか!?』

「損傷度外視で1時間くらい」

『自爆は許しませんよエイミ!』

「むぅ……なら50分」

 

 耳の通信機から響く声が予想より大きかったのか、エイミは若干しかめっ面を浮べながら無言で音量を小さく設定する。

 50分、と言ったがそれはこのペースで敵の増援が送られ続けた場合の話だ。そのペースが上下すれば自然と時間も前後する。恐らくペースが落ちる事はないため、時間は確実に右肩下がりになる。その辺りを鑑みて大体30分持てば良いくらいだろう。

 

 エイミの勝利条件は一定時間、敵機をヒマリの元まで通さない事。彼女の後ろに聳えるシャッターを突破されなければそれで良いのだ。間違っても敵の全滅やエイミの無事ではない。エイミがどれほど傷つこうが守り切れば勝ちだし、無傷でも通せば負けだ。

 

 その勝利条件が今のエイミにとってはネックだった。自分一人が生き残る事には長けている。防衛戦も撤退戦もミレニアムの中では有数の腕を持ち、例えどれほど傷つこうと判断が鈍る事はない。故に特異現象捜査部に選ばれたのであり、生存能力も頗る高いが……それはあくまで自分一人に限った話。ヒマリを制圧せんと迫りくるドローンを一機も通さない、というのは得意分野から離れている。

 

 自分を狙っているのならば幾らでもやり様があるが、他者を狙っているとなると話は別だ。味方の庇い方や拠点防衛について知識や経験がある訳ではない。ここにきて、常に単独で実地での任務を遂行しているという弱みが出てしまった。

 

「うーん……もう1人、誰か戦力連れて来れば良かったかも」

 

 そう口に出したが、生憎もう一人の戦力には心当たりが無かった。今の自分達は使えるものを総動員している状況。余裕があるわけ無い。畢竟、ないものねだりだ。そもそもこうして相手のテリトリー内で、年単位で盤石な態勢を整えていたリオと不利ながらも真っ向勝負ができている時点で贅沢は言えない。

 

『リオ……! あなたの相手は私です……!』

 

 通信越しに聞こえるヒマリの切羽詰まった声。彼女は現在、リオのハッキングの対処を一身で請け負っている。稀代の天才の相手が務まるのは稀代の天才のみ。相手にとって不足は無いと豪語し、彼女は全力でコンソールを叩いている。花を思わせる真白い彼女によく似合う余裕に満ちた微笑は影も形も無い。全力を尽くし、死力を振り絞り、彼女は切り開いた活路を死守している。演算に負荷を掛ける目的の区画移動はその場で組んだ有り合わせのマクロとAIに任せ、彼女は彼女のやれる事を。

 

 ────ヒマリは下半身が不自由である。全く動かせない不随と謂う訳ではなく、補助器具を使用すれば短距離の歩行が可能なレベルであるが……一切の制限なく自由に動かす事はできない。故に彼女は常に誰かの手を借りて、誰かの助けを借りて生きてきた。そこがリオとの決定的な差異であろう。

 

 つまり、自分一人の限界を知り、誰かに頼る事を知っているのだ。才に溢れていようができない事はできないし、そもそも一人でできる事なんてたかが知れている。自分一人で解決できることの方が少ないのだ。

 だから彼女は他者を頼る、信頼する。他者に頼られ、信頼されるように。自分が救えるのは自分の世界だけと分かり切っているから、助け助けられの輪を広げる。いつかもっと大きなものを救えるように。

 

 これこそが明星ヒマリの天才性であり、美徳。知性の頂点に座しながら孤高を選ばず、他者と手を取り合う事を尊んだ。ある種、天才としての完成形。リオが辿り着けなかった場所に彼女は立っている。

 

 故にヒマリは負けられない。負けるわけにはいかない。他の何に負けても良いが、自分が否定した自分のifの体現者たるリオにだけは絶対に負けられないのだ。

 

 リオもヒマリを片手間で相手する事はできないため、トキのサポートを一旦AIに任せて全力でハッキングを行う。リオの狙いは量子コンピュータの制御権。奪われたそれを奪取することであるが……ヒマリが強固なガーディアンとして立ち塞がっているため、中々上手くいっていないというのが現状だ。

 

 互いの意地とプライドをかけた量子コンピュータ攻防戦。制御権を取り戻したいリオと、制御権を奪われたくないヒマリ。その2人の読み合いは千の先を見据えている。

 

『頼みましたよ、チーちゃん達……!』

 

 

 ▼

 

 

 ヴェリタス部室。普段ならばキーボードを叩くや椅子を動かす音をバックミュージシャンに幾つかの会話が繰り広げられるだけの静かな部屋であるが、今は蜂の巣をつついたような状態となっている。

 

 会話はない。そんな事をしている余裕はないから。

 椅子を動かす事も少ない。此方も同様に余裕が無いから。

 

 キーボードを叩く音と何かのアラート音がひっきりなしに鳴り響く。このサイレンの音色はヴェリタスのサーバーが外部からハッキングを受けている場合に鳴るものだ。ファイアウォールと各種プロテクトはきちんと作用しているが、それでも油断は許されない。本来ならばこの対処に1人人員を回すべきなのだろうが、今は防御よりも攻撃を優先。

 

 自分が倒れる前に相手をぶっ飛ばせばいい、という脳まで筋肉でできているのかと疑うような思考だが、それこそが最善手。ちまちまと攻防の駆け引きをしても勝てないのは分かり切っているのだから、最初からノーガードで相手をする。攻撃以外は全て捨て、最短最速で敵をノックアウトさせることが目標だ。

 

 現在、量子コンピュータへのアクセス権を付与されたヴェリタス4名はヒマリ作のAIと共に処理能力に負荷を掛けている最中である。不正アクセス、クラッキング、DDOS攻撃を行ったりといった事も同時並行で実施し、徹底的に破壊しようとしていた。

 

 一見悪質な嫌がらせにしか見えない行為であるが、これにはきちんとした訳がある。先生やチヒロからの情報からアビ・エシュフ本体に演算能力があるわけではなく、外部の演算装置から結果を受け取っているだけというのは早い段階から判明していた。そして、その演算装置がある限り攻撃は回避され続ける。

 

 全方位から全くの同時タイミングで攻撃を仕掛けたり、トキが行動できる範囲を極小にして回避しても当たるようにする、といった方法が攻略の術として挙げられるが双方ともに現実的ではない。前者はそもそも机上の空論に等しく、後者は行動を縛る術が非常に限られている。

 

 後者の方法は先生が現在進行形でトキに挑んでいるがリスクとリターンが釣り合っておらず、トキを倒し切るよりも前に先生の限界が先に訪れるだろう。

 

 だからこそ、この2つの理想論よりも幾分か現実的な方法でトキの完全性を剥奪する事が求められた。現実的な方法、今ある手札の組み合わせの範囲内、それでいて成功率がそれなりに高い。そんな無理難題に解答を出したのが、遠く離れた場所で戦いを観戦していたヒマリである。

 

 圧倒的な回避性能を実現させている外部演算装置(量子コンピュータ)を処理落ちさせ、完全性を失墜させる────それがヒマリの考えたアビ・エシュフの攻略法であった。

 

「もー! どんな処理速度してるのさ!」

 

 頭を抱えたマキが悪態を吐く。先の攻略法はあくまで先の2択よりも多少現実的というだけで、実現が容易かどうかは全くの別問題。寧ろ一般論と照らし合わせると可能性はかなり低い部類に入るだろう。

 

 兎にも角にも処理速度が速すぎる。ワンオフの量子コンピュータ、と聞いた時点で覚悟はしていたがこれは想像以上だ。モニターに映るメモリとCPUの使用率はまだ余裕があり、これでは到底処理堕ちなんて望めない。勿論、多少なりとも影響は与えられているだろう。だが、600秒先までの未来が見える状態から590秒先までの未来が見える状態になっても実際に対峙している者にとっては大して変わらない。

 

『皆、もっと負荷を掛けて!』

「そうは言いますが……!」

「……うん、これ以上はこっち側も持たない」

 

 チヒロの言葉に返すコタマとハレ。しかしその声はマキと同様に余裕がなく、切羽詰まっている事が見て取れる。単純に此方側のマシンスペックの限界より相手側の限界値の方が高いのだ。それはある程度は想定していた現実であり、この作戦に於ける1つの懸念点。部室内のPCを全て動員しても尚、相手のスペックには届かない。

 

 もし仮にこれをどうにかしたいのであればエリドゥ内部に居るヒマリに協力してもらうのが一番手っ取り速いが、そうすると彼女が留めているリオがフリーになってしまう。流石にリオが相手ではPCのスペシャリストが揃うヴェリタスといえど分が悪い。そもそも、ヒマリとリオで1対1の交換ができて4人がフリーになっているこの状況が最善なのだ。これ以上は望めない。今ある手札で戦い抜く。

 

『私達ができるのは此処まで。後は頼んだよ、先生……!』

 

 

 ▼

 

 

 才羽モモイ────意識あり。負傷軽微、戦闘可能。

 才羽ミドリ────意識あり。負傷軽微、戦闘可能。

 花岡ユズ────意識あり。負傷軽微、戦闘可能。

 

 早瀬ユウカ────意識あり。負傷多数、戦闘不能。現在治療中。

 生塩ノア────意識なし。負傷多数、戦闘不能。現在治療中。

 黒崎コユキ────意識あり。負傷軽微、戦闘不能。

 

 一之瀬アスナ────意識あり。負傷多数、戦闘不能。現在治療中。

 角楯カリン────意識なし。負傷多数、戦闘不能。現在治療中。

 室笠アカネ────意識なし。負傷多数、戦闘不能。現在治療中。

 

 これが現在の状況であった。総勢9名の戦力はその一切をトキにより撃破され、壊滅状態に。指揮官たる先生も惨憺たる様子で、顔色は白を通り越して青白くなり、意識は消えかけ。地面を踏みしめる足はみっともなく無様に震えており、膝を突くのも時間の問題だろう。

 

 対峙するトキは先生の状況とは全くの正反対で無傷そのもの。ボディスーツに包まれた体に一切の傷はない。

 

 彼がこうなり、動かせる戦力もゲーム開発部のみとなった今、トキが敗北する可能性は立ち消えた。欠伸をしていても確実に勝てるであろう。

 

 だが、トキの表情には余裕が一切なかった。まるで信じられないものを見るかのような眼で、眼前に立つ幽鬼のような青年を見つめている。冷や汗が流れる。瞳孔が開く。喉が渇いて、思わず生唾を呑み込んだ。最強であるネルと対峙した時ですら覚えなかった緊張感。それを何の力も持たない先生に抱いていた。

 

 そこでトキは気付く。彼の本懐は戦闘能力の有無でも指揮能力の高さでもない。彼の真に怖れるべきは何をしてくるか分からない部分だ。あまりにも未知。あまりにも領域外。彼はキヴォトスのスケールで測れない。正しく異邦の生命だった。

 

「……取り敢えず、その邪魔な電磁シールドは奪わせてもらったよ」

 

 ゆらりと微笑みながら彼は呟く。彼の云う通り、電磁シールドはバッテリーが底を突き発生装置を破壊された。これでは再使用なんて不可能だろう。

 

 ────流石にこれは予想外だ。僅かに攻撃が掠ったときは『まさか』とは思ったが、それを何度も繰り返されシールドを剥奪されるなんて考えてもいなかった。不可能に思えた策を実現する頭脳と機転は紛れもなく脅威そのもの。油断も慢心もしていなかったはずなのに、完璧であったはずなのに。それでも尚、彼等は上回ったのだ。偉業と呼んで間違いないだろう。

 

 それに加えて。

 

「アビ・エシュフの演算機能が……これも先生の仕組みですか?」

「私、と言えば私なのかな? でも、あくまで私はきっかけを作っただけ。実行しているのはヴェリタスの子達だよ」

「……成程。先生が電磁シールドを奪い、ヴェリタスの皆様が回避性能を落とす。確かに、皆様方はそうするしかないのでしょう」

「あぁ、トキがフルスペックだったらまず間違いなく勝てない。仮にこの場に私が動員できる全戦力が居たとしても、電子戦抜きじゃここで頭打ちだ。この先はどうやったって進めない」

 

 目に見えて落ちている回避能力。先までは100%を維持していたのにも関わらず、今は70から80の間を不規則に揺れている。先生を注視するトキの視界に映る彼の未来も数分後の時点で不明。回避性能と、それを支えている近未来予知の機能の低下はアビ・エシュフの最大の手札を削がせたのに等しいだろう。

 

「だから、私達が勝つためにはまずその2点……回避性能と防御力を奪う必要があった。アビ・エシュフの特に優れている箇所である生存能力、それの根幹を成す2つをね。これをどうにかしない限り、私達に敗北はあっても勝利はない。だから優先的に対処したんだけど────」

「ですが、対処しようと思って対処できるものではありません。防御を削ぐには触れる必要があります。ですが、回避能力と未来予知がある限り私に触れることができなかったはず。ですが、先生は机上の空論のそれを成した」

 

 ヴェリタスが回避能力と未来予知を奪ってから防御を奪ったのではなく、その2つは同時並行で成し遂げられた。先生達は触れる事すら不可能な相手に触れ、全ての攻撃を回避される相手に攻撃を当てている。迷ういなく不可能と断じられる所業。だが、彼はその不可能を、机上の空論を実現する術を持っている。

 

「それを可能にしたのがシッテムの箱、という訳ですか」

「そう。ま、反則技だね。仮にこれが無かったら私達はもっと早く全滅してたよ」

 

 そう呟いている彼は冗談を言っている様には見えなかった。シッテムの箱がなかったら事態はここまで縺れ込むことは無かったのかもしれないし、トキのシールドが奪われることは無かったのかもしれないが……トキはあまりそうは思わなかった。シッテムの箱が無かったとしても彼ならば別の手段で対抗してきそう、という何とも言えない信頼がある。

 

「でも、私もノーリスクとはいかなかったよ。障壁は外部からの干渉を遮断するもの。内側からの干渉は通すもの。その辺りの条件を変更してトキを閉じ込める即席の檻を作るのは苦労したさ。負荷を掛けすぎたから箱のバッテリーは底が見えたし、私もこれ以上はキツイ。同じことをやれって言われてももう無理だ」

「……手札を晒してもよろしいのですか?」

「構わないよ。それも、トキも何となく分かっているだろう? 私に()()()()切れるカードが無いって事くらい」

「……えぇ。仮に先生に打つ手があった場合、今この場で使わないのは不自然ですから」

 

 彼の発言に僅かな引っ掛かりと違和感を覚えたトキであるが、それを頭の片隅に留めつつ言葉を続けて。

 

「防御、回避、未来予知の機能が停止または低下した今、攻撃を緩める必要はありません。それをしない、という事はつまり────」

「全部のカードを切った、という事だ」

 

 あまりにもあっけらかんとした降参宣言。ともすればサレンダーに見える彼のお手上げは、その瞳の奥を見れば言葉だけのものであると即座に分かる。彼はこの期に及んでまだ諦めていないのだ。手札は尽きた。策は尽きた。体力が疾うに限界で、シッテムの箱も底が見えている。

 

 だが、まだ彼は勝ちを諦めていない。アリスを必ず救うのだと傲岸不遜にただ一人、世界の残酷さと、どうしようもなさと────優しさと暖かさを知る彼は戦場に立つ。

 

「でも、その上で言おう────私はアリスを取り戻す」

「私に勝つつもりですか、先生?」

「勝ちたいんじゃない。私は守りたいだけだ。アリスを。あの子を傷つける悪意から」

 

 勝ちたいのではない。彼は己の願いと在り方を貫けるのなら勝負なんて心底どうでも良いのだ。争いを嫌い、戦いそのものに価値を見出さず。戦った果てに得られたもの、守れたもの、救えたものにこそ価値を見出す。キヴォトスでは見ない在り方は、彼が異邦だからなのか────それとも、彼だから持ち得るものなのか。

 

 彼は守りたいだけだ。誰かを。世界を。幸福を。希望を。未来を。輝きを。

 

 だから決して折れないのだろう。その芯がある限り。

 

 だが────。

 

「確かにシールドは失いました。ですが、アビ・エシュフは健在です。まさか、彼女達3名だけで勝てるとは先生も思っておりませんよね」

「そうだね。所詮は防御の手札を1枚失わせただけ。攻撃力は健在だし、何より回避性能もほぼ据え置きだ。流石に彼女達にはちょっと荷が重い。ま、彼女達はこの後の事もあるから戦わせるつもりなんて無いけど……」

「では、どうされるのですか? まさか先生自らが、ですか?」

 

 その言葉に彼は「まさか」と呟き、笑いながら。

 

「私が出たところで踏み潰されてお終いさ。私自身がトキと戦うつもりはない」

「……ゲーム開発部の彼女達ではない別の手段があるとでも?」

「あぁ、あるよ────君の後ろに、ね」

 

 先生の優しい声音に促されるままトキは後方を振り返ると────彼女は信じられないものを見た。

 

 見間違えようがない姿。相手側の最高戦力。何度も拳を打ち合い、何度も銃口を突きつけ合った存在。しかし、アビ・エシュフを解放したトキにより数刻前に敗れ去り、今はリオよって回収されたはずの────コールサイン、勝利(ダブルオー)

 

「よぉ、後輩。久しぶりだな」

 

 勝利に飢える美甘ネルがその両脚で地面に立っていた。あくまでも自然体で、気さくで。まるで久しぶりに顔を見た知り合いに声をかけるようなトーン。

 しかし、だからこそ恐ろしい。ギラつく眼や暴力的に吊り上がった口角は凡そ友好的とは言えず、血の匂いと彼女自身の香りが混じり合った天然の香水はまるで硝煙のように否応なく戦場を意識させる。

 細い足はすぐにでも距離を踏み潰してきそうで。だらりと垂れ下がった左手は瞬く間に拳を振りかざしてきそうで。銃を握る腕は刹那の間に万象を穴だらけにするだろう。

 

「……ネル先輩」

 

 発したその声が震えていない事は、トキにとって奇跡に等しかった。あれは何だ、と脳が全力で警鐘を鳴らす。アビ・エシュフの演算は彼女がボロボロであることを示しているが、肉眼で見るトキには到底そうは思えなかった。

 

 美甘ネルは戦闘続行不能? 戦闘した場合の勝率99.99%? 馬鹿を言え、アレはそんな油断が通じる相手ではない。侮ったら……否、侮らなくてもただでは済まないだろう。それは宛ら手負いの獣。自身の生存を度外視し、目の前の壁を超えるためだけに生命の火を燃やし尽くすもの。血の海に灰を浮べ、骨肉を焚べるように。

 

 あぁ、この感情は────恐怖(テラー)だ。

 

「おいおい、そんな化け物を見るような目でアタシを見んなよ……這い蹲らせたくなるだろうが」

 

 獰猛に笑い、ネルはトキの前を素通りし先生の横まで歩く。彼は彼女の帰還を心底喜んでいる事が容易に見て取れる表情で迎え入れ、数往復の短い会話を済ませる。その後、彼は手元のタブレットを操作すると何もない空中から物資が落下する。一切のカスタマイズがされていないMPX。それはネルの手元に収まり、彼女は晴れて元の戦闘スタイル……SMG二丁持ちに戻る。

 

「有り得ません。あの傷でまともに動くなど……!」

「テメェの尺度でアタシを図んなよ。この通りアタシは元気だぜ?」

 

 気丈に言い放つネルであったが、相応に無理をしている事は先のスキャンで既に分かっている。どうして立っていられるのか、どうして動いているのかが不思議に思えるほどの重傷。だが、それでも────トキが倒したあの時と比べて大幅に回復している。折れていた骨は最低限くっつき、切れていた筋肉はある程度修復され、内臓も元通りに。治療されず手付かずのまま残る傷は比較的戦闘に支障が無いものだけ。これらの治癒は恐らく先生と……彼女自身が持つ回復能力によるもの。

 

 つまり、依然としてボロボロであるが、彼女にとって戦闘自体は可能なのだろう。色々とスケールが違いすぎるため、此方の常識が通用しないという事は分かっていたが……それでも、ここまで常識から斜め上に外れているとは思わなかった。

 

 ────これがキヴォトス最強格。これがミレニアム最強。これが勝利の象徴。

 

「全力のお前に負けたのは気に食わねぇが、そいつのリベンジマッチはまた今度だ。今は……お前を一秒でも早くぶっ倒す事を優先する」

「やれると思っているのですか?」

「やれねぇと思ってんのか?」

 

 確かにトキのスペックは落ちた。回避性能と近未来視は機能が低下し、防御の要であった電磁シールドは失われ、カタログスペックから2割減している。

 だが、それはネルも同じだ。寧ろネルの方がスペックの低下は激しいだろう。傷は癒えても痛みは消えない。彼女は体を動かすたびに脳を焼く激痛を味わっているはずだ。

 

 ────先ほどの戦いは、全力のトキにフルスペック、アビ・エシュフとそれなりに損耗したネルとのマッチアップだった。これからの戦いは全力のトキ、8割のスペックのアビ・エシュフと手負いのネル、それに加えて────先生がいる。

 

 彼も死に体だ。その傷はネルのそれを上回り、いつ倒れてもおかしくない程。倒れないのは彼の意地によるものか、或いは何か別の助力があるのか。

 ネルだけ戦わせて彼は観戦する、というのは考えにくいため何らかの形で彼も確実に戦闘に参加する。考えられるのは先と同じ指揮とバックアップ。これが唯でさえ単騎で強力なネルに齎された場合、火を見るより明らかだ。

 

 アビ・エシュフが映す勝率は信用できない。先程の数値はネル単体と戦ったときの勝率だ。先生が確実に加わるだろうこの状況、勝率は落ちるはず。

 

「分かっているとは思うけど、今回は制限時間がある」

「だから最速で叩き潰せばいいんだろ、分かってる」

「もし君でもどうにもならなかったら、私の最終手段を使う」

「使わせねえよ。アタシが勝つからな」

 

 余りにも頼もしい言葉の数々は、互いに高い信頼があるからこそ成り立つもの。先生と生徒でありながらその在り方は戦友のようで、言葉の裏で武器を研ぎ澄ます。アビ・エシュフのような遠くに至るための剣(外敵を排除する刃)ではなく、明日に至るための剣(傍にいる誰かを守るための刃)

 

 そして、2人は共に不敵な笑みを浮べて。

 

「ネル、行けるかい?」

「当然ッ!」

 

 ネルは拳を掌に打ち付け、音を鳴らす。それに伴い赤を幻視する怒りの神秘が全身から立ち昇り、空気に緊張が走った。

 

「……もう手加減はできません」

「する必要はねぇだろ。アタシもお前も、自分がやるべきと思った事をやっているだけだって。それを肯定するのも否定するのも自分(テメェ)次第。だったらせめて悔いのないようにしないと目覚めが悪い」

「……本気で、その傷でやるつもりですか? 動くのも辛いでしょうに」

「当たり前だ。それに、先生が気張ってんだ。何の力も無い先生が、だ。ならアタシがたかが致命傷如きで止まる訳にはいかねぇよなぁ!?」

 

 指向性を持たせない単なる神秘の放出。通常であれば放出したからといって別に何も起こらないが、膨大な神秘を持つネルが行ったならば話は別だ。放出された力場は強度の低いものならば瞬時に圧壊せしめ、鉄柱やポールもひしゃげる圧力となる。それに当てられたトキは思わず顔を覆い、眼前の脅威を見据えた。これではどちらが挑戦者(チャレンジャー)か分からない、と考えながら。

 

「確かにアタシは動けないのかもしれねえ。だが、動けようが動けまいがどっちでもいいんだよ。やる事は変らねぇ。アタシは、お前を絶対に逃がさねえ」

 

 一歩、一歩。ネルは踏み出す。そしてトキも彼女を迎えに行くように一歩、また一歩と前に進み────その間合いは20mとなった。一瞬の踏み込みで容易く潰せる距離。一瞬の離脱で容易く離せる距離。

 

 双方、トリガーに指をかけて銃口を相手に向ける。眼に入るのは相手のみ。それ以外は視界からも、思考からもはじき出された。

 

「先生! 援護は任せたぞッ! 遠慮はいらねぇ、フルスロットルだッ!」

「任せて! ネル、君に────ただ一つ、輝ける勝利(ほし)をッ!」

 

 ────アリス奪還作戦、最大にして最後の戦いが幕を開けた。

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