シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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 書きたい事を詰め込み過ぎて予定の2倍ほど長くなったVSトキ、今回で決着です。



コールサイン、約束された勝利(ダブルオー)

 

 全方位を壁に囲まれた空間。10m立方の銀色の場に放り込まれたトキは不思議そうな表情を浮べながら室内を見渡す。壁に埋め込まれた装置、排出口、出力口。壁の分厚さは最早冗談かと見紛うほど厚く、通常兵器で突破することは困難極まる。それはアビ・エシュフでも同じ事であり、リミッターを解除しない限りは長時間攻撃し続けて漸く、といったレベルだ。

 

 一応、出口はある。真正面の扉からは先ほど叩き込まれた時にできた風穴が見えていた。だが、恐らくは────そう思ったトキの思考に呼応するように扉が閉じられる。

 

 当然、この施設に覚えはない。そもそもトキはエリドゥの区画等の知識はあるが、どの施設がどこにあるのか、どのような役割を果たすのかについて……そういった細かい部分に関しては知識が殆どない。彼女はあくまでエリドゥとリオを守る役目があるだけで、エリドゥを使ってどうこうする立場ではないため、必然的にその知識は戦闘系に偏る。

 

 トキが持つのは都市の区画変動とドローンの操作権限、全施設へのアクセス権。この内、全施設へのアクセス権は全くと言って良い程使っておらず、入る場所もリオがいる中央タワーのみ。それ以外の場所なんて前を通りかかった事はあれど中に入った事なんて一度も無かった。

 

 とはいえ、彼女も科学技術の最先端を突き進むミレニアムの生徒。一目見ただけでこの場が何らかの研究施設の一室である事は分かった。それも、かなり危険かつ特殊な実験を行うための場所。そうでなければここまで徹底的に密閉しない。

 

「────此処は……」

「エリドゥ総合研究センター中央棟、らしいぜ」

 

 LEDの光に照らされる先。数枚の自動扉が重厚な音を立てながら開いた先に居たのはやはり美甘ネル。彼女は澱みない歩みで銀の部屋に入室した。双方の距離は5mもない超至近距離。まつ毛の本数すら見えてしまうほどだ。

 

 ────エリドゥ総合研究センター。その名の通りエリドゥの研究を担う施設であり、その研究分野は多岐に渡る。医療や工学、情報学、宇宙航空学。それ以外にもキヴォトスで研究されているありとあらゆる分野の研究を行えるようなこの場は紛れもなく最先端。その最先端の中でも特に予算が掛かっているのが中央棟であった。その中の一室がネルとトキの居る場所であり、高負荷実験室と呼称される銀の封牢。

 この室内で設定できる環境変数は多岐に渡る。人間が生存可能な環境は勿論、人間が生存不可能な環境まで自由自在。水深数千mや標高数千mの環境、真空、放射線や紫外線、人体に有害な物質で満ちた空間も作成する事が可能だ。

 

 トキがネルを相手に使い潰した数多の装備達。リオとトキの切り札であるアビ・エシュフ。この2つの武装はこの施設の内部で設計、製造、テストが行われてリリースされた。アバンギャルド君は設計と製造の場所は異なるが、性能テストはこの場で行われた。

 

 重厚な音を立てて扉が閉じる。ネルに遠いドアから順に閉じられ、鍵を掛けられ。その動作が数回繰り返され、最後に彼女の真後ろのドアが閉じて室内は完全な密室となる。ネルとトキ以外に何もない空間。眼に見えない微生物すらいない、完全な閉じた世界は宛らコロッセオ。何方かが倒れるまでこの扉が開くことはないだろう。

 

「……誘い込まれた、という事ですか」

「あぁ。テメェの敗因はアタシばっかり見過ぎた事だ。アタシには度胸のある後輩達が居るんだよ」

「敗因? 面白い事を言いますね。閉鎖空間に閉じ込めれば回避スペースが無くなり、その分有利に運ぶ……そうお考えですか? でしたら、それは浅はかです。逃げ場が無くなったのは私だけではなくネル先輩も同じです。この条件下でしたら……私が負けるよりもネル先輩が負ける方が速い」

「ハッ! ま、確かにそうかもな。万全なら兎も角、アタシがこのザマじゃ勝負の天秤はどっちに傾くか分かんねぇ。だから────更に天秤をぐっちゃぐちゃにしてやる」

 

 にやりと笑ったネルの顔に途轍もないほど嫌な予感を覚えたトキは周囲の環境をスキャンする。眼に見える危険物はない。ネルが何かをした訳でもない。だが、彼女は何か得体の知れない苦しさを覚えた。

 

 ────苦しい? 

 

 トキの頭に疑問が生まれる。この苦しさは何だ。見ればネルも何処か苦しそうにしている。息が上がり、自然と呼吸の頻度が高くなり……。

 

 そこでハッとしたトキはスキャニングの対象を物質から拡張し、空気中の成分や体積に至るまでの詳細な情報を収集するように変更。すると、トキの嫌な予感とこの状況を裏付けるデータがバイザーに映し出された。

 

「酸素濃度が……ッ」

「あぁ、徐々に空気を抜いてるぜ。あと数分もすればこの室内は酸素がゼロになるだろうな」

 

 その条件は共に同じ。ネルもトキも徐々に息がしにくくなり、全力疾走した後のような苦しさを覚える。だが、時間が経てば治るものではない。寧ろその真逆、酸素を取り込めば取り込むほど、後の苦しむ時間を延ばす事になる。

 

「……私を酸欠で失神させるのが狙いですか?」

「んな下らねえ勝負の決着をアタシが選ぶ訳ねぇだろ」

 

 トキの考えをネルは鼻で笑いながら一蹴する。この期に及んでそんな女々しい拍子抜けの幕切れを見たくて此処に連れ込んだ訳ではない。フィナーレは劇的に、だ。

 そもそも、トキが失神する頃にはネルも同じく失神しているだろう。自爆なんて趣味ではない。勝つなら勝ち切る、それがネル自身が己に課した勝利条件(ダブルオー)

 

「あくまでこれはフィールドの条件だ。搭乗者のお前を極限環境に追い込めば、搭乗者(デバイサー)を生かす為にそいつの演算もちったぁ戦闘以外の方面にリソースを割り振るんじゃねぇか?」

 

 ネルの読みは的中していた。トキの視界には何とかして彼女を生かすべく、数多の手段が瞬きの間に演算されている。だが、その悉くが不可能であると突き付けられ、それでも尚トキを生かすべく不可能の中から一握の可能性を探していた。

 アビ・エシュフは極限環境下でも活動ができるように設計されている。しかし、アビ・エシュフの限界は遠くとも、それを動かす人間の方が先に限界を迎えてしまうのだ。機械であるアビ・エシュフにとって酸素が欠乏した環境は大きな脅威ではないが、人間であるトキはそうもいかない。酸素が無いのは文字通りの死活問題。確保できなければ酸欠で死に至る。

 

 ────この部屋のコントロールルームに居る先生には悪い事をしてしまった。生徒を傷つける事を何よりも嫌い、疎む彼にこんな事をさせてしまうなんて。酸素をゼロにする、なんて言ったが、それは恐らくブラフになる。彼の性格上、そうなる前に空気を正常値まで戻すだろう。打ち合わせはしていないが、絶対にそうするであろうという確信がある。

 

 きっと彼は今にも泣きだしそうな、吐きそうな酷い顔をしている。自分自身が傷つく事よりも彼は他者が傷つくことに痛みを覚えた。それ自体は美徳なのかもしれないが、それではあんまりだろう。彼には少しだけ、誰かの痛みに鈍感になってほしい。そうしないと、彼が死ぬより前に彼の心の方が死んでしまうだろうから。この世界は彼のような……極端に他者に重きを置く人間にとっては何よりも地獄だ。

 

 酸欠で視界がブレる。耳鳴りがして、意識に霞がかかり、眩暈と頭痛まで現れ始めた。酸欠の初期症状。このままのペースで行けば1分後には酸素がなくなるだろう。

 故にそこがタイムリミットとなるのだが……もう1つ、ここに条件が加わるとタイムリミットは更に早くなる。最後の仕上げをすべく、ネルは通信機で先生にサインを送り────要件を終えたのち、彼女は耳に付けていた通信機を徐に取り外し、その手で握り潰して破壊した。まるで、この戦いの邪魔だと言わんばかりに。

 

「んで、ダメ押しだ」

 

 ネルの言葉と共に、部屋が動いた。

 

「これは……」

「あぁ、この部屋は上下に動くらしいからな。それを利用させてもらったぜ」

 

 アビ・エシュフが算出する三次元座標データのz軸の数値が徐々に動き始めた。それに加えて、部屋の外側に磁界の発生し、電流が流れ始める。電磁界の形成。部屋の側面4方向に作り出された力場、トキはそれを見てもあまりピンと来ていないようであったが……先進兵器の開発に関わった人や電磁気学を専攻している人、或いはSFが好きな人はこの力場を見れば何をしようとしているのか理解することができるであろう。

 

 それはレールガン。フレミングの法則に従い、物体を電磁力で弾き飛ばす力学の申し子。アリスの光の剣と同種だ。弾丸はこの部屋全体。4本のレールで加速させ、地上50階にあるこの部屋を地下20階まで高速で叩き落とすのだ。

 

 その速度は重力加速度の約10倍。最高速まで加速した場合、彼女達の体には10Gという莫大な圧力が圧し掛かる。生理的な限界が6Gの先生とは異なり、彼女達の重力に対する耐性はとても高い。10Gが体に掛かろうと別に死にはしないが、それでもその衝撃力は高速道路を走行している乗用車と正面衝突した場合よりも大きいのだ。これが終ったあとは真面な戦闘なんて出来そうもない。

 

 だが、それで良かった。ネルはこの場を最終決戦の地としている。肉体は元より限界、意識は気合いで保ち、銃も長くは使えない。しかし、トキを倒すのには充分だ。己に最大の敗北を与えた好敵手を今度こそ打ち負かし、華々しい勝利をこの手に掴もう。

 ここまでお膳立てされて敵わないならば、それは単に己が無力なだけだ。彼女以外の誰にも責任はない。より研鑽を詰み、強さに貪欲になろう。今度こそ勝利者となるために。

 だが、負けるつもりは皆無だ。彼女は多くの願いと意志を受けてこの場に立っている。それが彼女の背中を押す。まだ負けるな、まだ立てと、手を引く。故に────敗北は無い。あるのは勝利(ダブルオー)、それのみだ。

 

 そして、トキもまたこの場を最終決戦の地として見做している。トキの肉体はボロボロ、アビ・エシュフもガタガタ。こんな状態ではゲーム開発部の3人にすら勝てそうもない。このフィールドに誘い込まれた時点でトキの敗北は決定していた。しかし、それは最終的な勝ち負けの話だ。最後には負けるとしても、その過程までも負ける必要はないだろう。この勝ちだけは────譲れない。

 

「テメェとの闘い、それなりに楽しかったぜ。テメェはどうだ?」

「できれば二度とやりたくありませんね」

「ハッ! いいな、正直な奴は嫌いじゃないぜ」

 

 鼻で笑いながら、ネルは腰を落として瞳を鋭くする。正に獣だ。彼女は確かに強者であるが、その本領が最も発揮されるのは格上殺し(ジャイアントキリング)だろう。生存と継戦能力、学習能力に秀でている性質は己より強い者と相対した時にこそ真価を発揮する。つまり、彼女はキヴォトス最強クラスでありながらも生粋の挑戦者(チャレンジャー)なのだ。これは彼女と同格の他の生徒とは明確に異なる点であり、格上との戦闘で勝ちをもぎ取る能力で彼女を上回る者は存在しないだろう。

 

 ネルのニヒルな笑みを見て、トキは上品に笑う。初めて見えた鉄仮面の裏側の表情は直ぐに陰に隠れ、彼女は己の任務を遂行すべくトリガーを構えた。

 

 ────アビ・エシュフの回避能力は60%に低下。ガトリングの残弾は約5000発。背中のエネルギー砲は砲身が焼け爛れ、あと1回の使用が限度。スラスター等の燃料も底が見えており、戦闘能力は目に見えて落ちている。トキ自身の体も傷だらけ。激痛で意識が飛びそうになるのを何とか抑えているが、それも長くは持たない。アビ・エシュフをパージしたら数回の攻防の末斃れるだろう。

 

 ()()────そう思ったトキの考えに同調したネルは今まで一番優しく笑って。

 

「勝負はこれから。そうだろう?」

 

 斯く言うネルも限界。靭帯は切れているし、骨折は多数。神経もイカれていて、毛細血管もかなり千切れており体の至る所で内出血している。筋肉も様々な箇所が断裂していて、動かすのも一苦労という有り様。今の体で殴り合いなんてできないため、銃で仕損じた場合は負けが確定する。

 

 だが、それでも叫ぼう。『勝負はこれから』だと。まだ負けていない以上、逆転はあり得るのだ。勝利の女神を微笑ませるのは己だと、傲岸不遜に吼える。叫ぶ。

 

 それはトキも同じだったようで。

 

「えぇ、まだ負けていません」

 

 互いに突きつけた、突き付けられたのは黒の銃口。己を貫き通す鉄の決意。微かに香る火薬と硝煙の匂い。張り詰められたのは一本の糸。それを切断し、最後の戦いを始めるべく。

 

「────さぁ、勝負だ」

 

 それ以外の言葉は不要だった。

 

 

 ▼

 

 

 少女達2人は互いに示し合わせたかのように全くの同タイミングで動き出した。超至近距離、互いに間合いを離す真似はしない。その銃口が狙う先、トキはネルの右腕部、ネルはトキのバイザー。構えてから照準を定め、トリガーを引くまでコンマ数秒のオーダー。瞬きの間に決まるスピード勝負を最初に制したのはネルだった。

 

「取り敢えず、邪魔な眼は潰させてもらうぜ?」

 

 ────戦闘開始から3秒経過。トキのバイザー破損。

 

 次にネルは右腕に握った銃でトキの操縦桿の片方を吹き飛ばそうと構えるが、それよりもトキの方が速い。彼女は腕部で思いっ切りネルの右腕を殴りつけ、ゼロ距離でトリガー。高レートで発射されたライフル弾が治りかけていた骨を徹底的に粉砕する。

 

「まずは腕一本、です」

「ハッ! 片手なんてくれてやるよ!」

 

 ────戦闘開始から5秒経過。ネルの右腕、粉砕骨折。使用不能。

 

 使い物にならなくなった右腕から離れた銃のトリガーを仕込んでいたワイヤーで引き暴れさせる。トキだけでなくネルもダメージを負うが、そんな事は双方共に気にしない。少女達は再度力を込めて銃を握る。

 

 ────戦闘開始から10秒経過。ネルの左大腿部を弾丸が貫通。アビ・エシュフの右操縦桿及びトキの右五指、粉砕骨折。使用不能。

 

 ────戦闘開始から12秒経過。アビ・エシュフの推進剤、枯渇。

 

 トキの右五指はもう動かない。痛覚すらない。勿論操縦桿を握る事すらできないが……アビ・エシュフは思考操作に対応している。操縦桿が無くとも操作は充分に可能だ。

 

 対するネルは流石に体に風穴が空いたことが堪えているのか、痛みに歯を食い縛る。だが、所詮はただの足。内臓でないのならば構わない。自分の頑丈さは理解している。致命傷でないなら無視だ。

 そして、彼女は過去最高の冴えで死地の中に活路を見出し、本能の叫ぶまま突貫。万象を抉り穿つかの如く左腕を構え……そのまま、トキの真横を神速で通過。ワンテンポ遅れてアビ・エシュフの左腕部が根元から宙を舞った。

 

「これでイーブンだ!」

「ぐ、う……!」

 

 ────戦闘開始から22秒経過。アビ・エシュフの左腕分、欠損。

 

 なんて馬鹿げた攻撃力。まさか単純な腕力で左腕部を吹き飛ばされるなんて思っていなかった。あぁ、やはり彼女は強い。疑う余地なんて皆無だ。ネルこそが頂点、最強に相応しい。

 背後に回ったネルは、トキが振り返るよりも速く左手に銃を構え直し、そのまま射撃。数秒の掃射で彼女は的確に武装を奪った。

 

 ────戦闘開始から24秒経過。アビ・エシュフの右背部エネルギー砲、破損。

 

 ────戦闘開始から25秒経過。アビ・エシュフの左背部エネルギー砲、破損。

 

 しかし、トキもやられっぱなしではない。片腕を吹き飛ばされた事により変化した重心を利用し、ぴんと張った右腕部をハンマーに見立ててネルにぶつける。巨大な質量と加えられた遠心力により生み出された衝撃は反応の遅れたネルの胴体にクリーンヒット。そのまま勢いよく吹き飛び壁に叩きつけられた。

 

 ────戦闘開始から26秒。ネルの肋骨、粉砕。及び脊髄、損傷。

 

 トキは荒い息を整える。まだ戦闘が始まってから30秒も経っていない事実に驚愕しながらも、戦況をひっくり返す事が可能な高火力兵装を瞬きの間に奪われ、悪化した状況に彼女は焦る。エネルギー砲は左右共に使用不能、このまま持っていてもデッドウェイトにしかならないため先ほどパージした。左腕は根元から吹き飛ばされて、今は地面に転がっている。

 

 残る武装はトキ自身が持つG11K3(シークレットタイム)とアーミーナイフ、右腕部のガトリングガンのみ。しかも、そのどちらも弾数に余裕がある訳ではない。無駄撃ちどころか、致命打を与えられる場合以外の使用は制限されたと言っても過言ではないだろう。

 

 しかし、弾数に余裕がないのはネルも同じであった。残るのはあと2マガジンだけ。それを撃ち尽くしたら最後、攻撃手段は徒手空拳に限られる。

 

「まだ……!」

「あぁ、そう来なきゃなぁ!」

 

 その上で()()()()()()と、気丈にも叫ぶ。満身創痍、後がなくなってからが本番だ。少女達は切れた唇から流れた血を拭い、再び構え直す。深く息を吸う。浅く息を吐く。酸素の残量は刻一刻と減っている。意識が曖昧になってきた。頭も痛い。タイムリミットは2分弱。その間に。

 

「テメェをぶっ倒す」

「ネル先輩を倒します」

 

 互いに銃を突きつけ、僅かの間だけトリガーを引き弾丸を発射する。接近の布石、目晦まし。少しでも其方側に意識を向けろと言わんばかりの攻撃は2人の意図が共通していたばかりに何の効果も無く、ただ凹みを作るだけ。

 近距離で睨み合う両者。互いに構えたのは拳。この距離なら殴った方が速い。両者の拳はノーガードの腹部に鋭く突き刺さった。

 肺の中の空気が漏れるような音が口から零れ、零れた唾液が地面に滴り落ちる。

 

 ────戦闘開始から33秒。ネル、トキ、内臓を損傷。

 

 続く二撃目をお見舞いしようとしたネルであるが、引く手をトキに掴まれ……ガン、と頭に強い衝撃が走った。頭突きされたのだ。額の何処かが切れたのか音もなく血が流れ、ネルの右側の視界を赤く塞ぐ。その視界、額を赤く腫らしたトキが恨めしそうな眼で見ていた。

 

「随分石頭ですね……ッ!」

「お互い様だろッ!」

 

 トキの右五指は既に砕かれた。物を掴むことは当然できない。だが、使い物にならなくなったのはあくまで手首から先。ネルのように腕全体が使えなくなった訳ではない。だから……こういった奇襲もできる。

 

 彼女は左手でアーミーナイフを引き抜き、空中に展開。くるくると回る銀刃、その柄の部分に彼女は振り下ろした右腕を叩きつけた。刃先の向く先はネルの右足の甲。右側の視界が制限されている彼女はその攻撃に反応が遅れてしまい、トキの狙い通りナイフは足の甲を貫通した。

 

 ぱっと散る赤い血。鋭い痛みにネルの神経が焼き切れんばかりに反応するが、奥歯が砕けんばかりに食い縛り、耐え抜いて……ナイフが突き刺さったままの足で蹴りを繰り出す。その足先はトキの顎骨を容易く砕いた。

 

「ガ……ッ!」

「ぐ……ぅ……!」

 

 トキが痛みに怯んでいる隙にネルは足に突き刺さったナイフを引き抜く。血でべっとり濡れた刃は明かりを受けてウェットに輝いている。彼女は自身を裂いた凶器を一瞥した後に部屋の隅にぽいと投げ捨て……にやりとした笑みを浮べ、懐から銃を引き抜いて射撃。マガジンを空にする勢いで放たれた神秘纏う暴風はダメージが蓄積されていたアビ・エシュフの装甲をズタズタに引き裂き、内部を蹂躙し……遂に叡智の結晶を失墜させた。

 

 ────戦闘開始から40秒経過。アビ・エシュフ、全損。

 

 ────戦闘開始から41秒経過。トキ、アビ・エシュフをパージ。

 

「アビ・エシュフが無くとも……ッ!」

 

 G11K3(シークレットタイム)を片手にスクラップと化したアビ・エシュフから飛び出したトキは銃を構える。そうだ、アビ・エシュフを失っただけ。まだ手は動く。足も動く。まだ、戦える。

 

 ネルは撃ち尽くしたマガジンを交換し、最後の弾倉を装填。トキもこのマガジンが最後のため、本当の意味で互いに後が無くなった。

 

「来いッ! コールサイン04(ゼロフォー)、飛鳥馬トキ!」

 

 疾走するトキを迎え撃つは絶対的強者(ダブルオー)。部長であるネルにそう言ってもらえて、トキは初めてC&Cの一員として認められたような気がした。お前も他の誰かと変わらないネルの仲間で後輩であると、そう言ってもらえたような心地になった。初めて、こころの底から胸を張れる居場所を持てた。それが嬉しくて────だけど、何故だか少しだけ悲しくて。

 

 抱いた悲しさを胸の奥に仕舞い、トキは銃撃音を奏でる。それは機動力が落ちたネルに突き刺さり、数多の銃創を作るが彼女は気にした素振りすら見せずに銃を構えて彼女に突き付け、トリガー。回避先を読まれているのか避けきれなかった弾丸がトキの体を打ち付ける。

 

 狭い室内を縦横無尽に動き回るアクロバットな銃撃戦はトリガーロックにより終わりを告げる。弾丸を撃ち尽くしたのだ。そして、残弾はゼロ。遠距離攻撃手段は消え去った。となると、残されるのは。

 

「例え弾切れでも……ッ!」

 

 ────戦闘開始から53秒経過。MPX(ツイン・ドラゴン)G11K3(シークレットタイム)、共に弾切れ。双方格闘戦に移行。

 

 互いに満身創痍、防御にまで気は回らない。そもそも守ったら負ける。攻めて攻めて、攻め続けろ。最後まで立っていた方が勝者なのだから。

 

 なんて不格好な戦い。先ほどまで天を舞いながら戦っていた頂点同士の最終決戦とは思えないほど泥臭くて、単調な戦闘。だが、もうこれしかないのだ。持てる全てを出し尽くした後、頼れるのは積み上げた経験と身に着けた技術だ。

 ここで負けられないという意地が、限界を置き去りにした少女達の体を突き動かす。一撃を受ける度、放つ度に意識が遠のく。もう限界、何度そう思ったか分からない。痛い、辛い、苦しい。そんな泣き言は吐かない。

 

 弱音を部屋に残存する酸素と共に肺一杯に吸い込み、少女達はフィナーレを飾る一撃を放つべく拳を構えた。

 これで最後。この次は無い。この一撃の後、立っていた方が戦いの勝者だ。

 

「これで終わりだッ!」

「負けません、私は────ッ!」

 

 ネルの瞳に宿る意志のなんと強い事か。必ずアリスを助けるという意志がそのまま形になっているかのよう。本当に彼女の事を心の底から大切に想っているのだろう。そうでなければここまで必死にならない。こんな眼をしない。だって、あれは正真正銘、少女の為に命を懸けている表情なのだから。

 

 その目を見た瞬間にトキは自身の敗北を悟ってしまう。

 ……あと少しだった。本当に惜しい所まで来ていたとは思う。勝敗を分けたのはきっと本当に些細な要因。ただ────自分の目的に、やろうとしている事に胸を張れるのかどうか。ネルは最後の最後まで迷わなかった。だから強いのだ。

 

 対して、自分は判断をずっと先送りにしていた。事の善悪、ではない。自分の感情を。袋小路に閉じ込めて、見ない振りをして。だから最後の最後、意志と意志のぶつかり合いで敗北を刻もうとしている。

 

 ……さっき抱いた悲しさに答えを出せていたら、こうじゃなかったかもしれないのに。だが、それは余りにも遅い後悔だ。今どうこうしても、この敗北は覆せない。だから諦めようとしたけれど。

 

『何かを学ぶのに、知るのに、遅すぎる事はないと思うよ』

 

 脳の奥、遠い記憶。自分(トキ)ではない彼女(トキ)の思い出。垣間見た事すら刹那に忘れ去る、何人たりとも穢せない残滓。

 届かない場所から夜のような優しい声で語る、見知った見知らぬ誰かが居た。

 

 その声に背中を押されたように、トキは深く沈めていた所に思考の手を伸ばす。思えば、自分に問う事なんて久しくやっていなかった。だから望んだ解答を、あの感情の理由を見つけられるか不安だったのだが……その不安は杞憂に終わる。

 

 その領域、ずっと触らなかった透明に触れた瞬間、トキは自身の心を見つけた。そして、その大切な解答(想い)を無くさない様に、心の奥に抱き留める。こんなに簡単なら、こんなに単純ならもっと早く見つけられていれば良かったなんて思いながら。

 

 あぁ、先ほど抱いたこの悲しさは。寂しさは。

 やっと分かった。分かってしまった。それと同時に、納得した。

 自分は案じていたのだ。あの人を。泣きながら前を向いていたあの人を。誰よりも他人の幸福を願っていた、泣き虫な少女を。

 

 寂しがり屋の自分が、涙を堪えながら独りぼっちになろうとしている誰かを見過ごせる訳が無かった。だって、孤独の痛みは誰よりも知っているから。

 そう、結局────飛鳥馬トキは調月リオが大切だったのだ。

 

「……だから私は、リオ様を見棄てられなかったのですね」

 

 漸く納得のいく答えを見つけたトキは満足そうに呟き、眼を閉じる。かくん、と落ちる体を支えたのは彼女の前に立つ少女。

 

 ────戦闘開始から60秒経過。

 

「……アタシの勝ちだ」

 

 美甘ネル、勝利。

 

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