シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
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再び舞い戻ったエリドゥ中央タワー。数刻前に来た時はほぼフルメンバーでこの威容を仰いだが、今はそのメンバーも半数以上が減り、ゲーム開発部の3名と先生のみ。
リオの秘蔵っ子であるアバンギャルド君は倒した。最高戦力であるトキも戦闘不能に追いやった。エリドゥ各地に配備されているドローンも粗方掃討し、残存個体も彼らの突入には間に合わない。残るのはエリドゥ中央タワー自体に張り巡らされた防衛機構のみ。勝ち戦、ではないが、それでも勝利を確信するには充分な状況であった。
『……本当に、トキを下したのね』
「……あぁ。私達はトキを踏み越えた。譲れない目的の為に」
復旧した通信の最初の相手はリオだった。それは再度彼女がエリドゥの通信ネットワークを掌握し、ヴェリタスからの支援を受けられない事を意味するが、少女達は今更気にしなかった。目的地が目の前に鎮座している以上、ナビゲートはもう不要だ。
あとは正門から侵入し、最上まで駆け上りアリスを助けるだけ。その為に今まで戦ってきた。その為に数多の願いを踏み潰した。共に戦ってくれた仲間達。命を預けてくれた仲間達。幾多のバトンを託され、意志を託された果て、願いがもうすぐ成就する。
少女達の心臓が高鳴る。呼吸が浅くなる。手汗が滲んで、思わず銃のグリップを固く握った。夜明け前に開始した作戦。だが、今はもう朝の雲雀が鳴き終わった頃。それだけの時間を費やした。その終わりが、もう目の前に。
『……アリスは此処に居るわ。眠っている』
「アリスに何もしていないよね!? もし何か変なことしてたら……ッ!」
『えぇ、何もしていないわ。そして、もうするつもりもない』
その言葉を嘘だとは疑わなかった。疑えなかった。リオの発する声には痛いくらいの真実が宿っている。他者と自己を傷つける可能性を孕む言霊。彼女がアリスに真実を告げた時と同じ声音。純然たる理論と現実に裏打ちされた刃物は、これまでと異なり少女達に向けられておらず、その切先を発言者である彼女自身に向けている。まるで自刃するかのように。
『ねぇ、先生。酷い話だと思わないかしら』
「君が世界を滅ぼす兵器だと認識した存在が……ヘイローを持ち少女の形をしている事が?」
彼の冷たい、温度を感じさせない言葉にリオは『えぇ』と同意を示す。
通常、心理的にヒトは自身と近縁種の動物を殺しづらい。魚類を殺す様に哺乳類を殺すことは難しく、牛や豚を殺す様に猿を殺す事は難しい。自身の姿形に近ければ近い程、手に掛ける心理的なハードルは跳ね上がる。
アリスは同じであった。リオやヒマリといったキヴォトスの生徒と何もかもが。皮膚の感触も体温も。表情も、体も。ヘイローを持つことすら共通し、心まであるのだ。彼女は紛れもなくキヴォトスの生命だった。
だからリオはアリスを兵器であると思い込む事にした。彼女は偶々ヘイローを持ち、姿形が人間であるだけの兵器だと。そう思わなければならなかった。そう信じなければ殺せなかった。そう思わなければ、この引き金は余りにも重かった。人差し指に掛かる命の重みに押し潰されてしまいそうだった。
『私は、最後まで迷い続けた。本当にこれで良いのか。不思議よね。何度も迷った末に出した結論のはずなのに、こんな土壇場で迷うなんて』
「そうかな? 私はリオらしいと思うよ。君は磨り潰される誰かのために立ち上がった子だ。だから、今まさに磨り潰されようとしているアリスを想って立ち止まるのはとても自然なことさ」
『酷いマッチポンプね。私がやった事のはずなのに』
リオの作戦は、盤面は完璧であった。それは頭脳面の最高峰であるヒマリが、先生が太鼓判を押していた事実であり、この盤石を押し付けるように展開をしていれば先生側に勝ち目は無かった。
リオの敗因はただ一つ。彼女の性格だ。合理的で、排他的で、遊びが無くて……それでいて優しくて。その優しさが最後まで彼女の判断力と意志を鈍らせた。本当にアリスを殺すつもりなら、エリドゥに連れてきた瞬間に殺せただろうに。
世界という巨大な集団を善しとしていながら、彼女は声も上げられない誰か……弱者の味方であることを望んだ。世界とは大衆でありマジョリティだ。彼らを善しとするのならば、その対極に位置するマイノリティを切り捨てなければならない場合がある。今すぐに、ではなくとも集団秩序の側に立つ以上、そのような場面は避けられない。最大多数の最大幸福、それは最少の不幸に眼を瞑る事を意味する。
大きな矛盾だ。大衆に肩入れしながら弱者の味方であろうとするなんて。対立する二つに板挟みになりながら、リオは最後の最後までどちらも切り捨てる事ができなかった。その非情になり切れない優しい性格は────どうしようもない程に救世主に向いていなかった。
やはり、救世主なんて碌なものじゃない。子どもが命を投げ出さないと、心を殺さないと救えない世界なんて間違っている。そもそも、誰か一人に救えてしまう世界なんて何処にもないはずだろう。誰かの為だけの世界ではあるまいし。
────リオもトキも誰かの命を手を掛けずに済んで、世界は回り続ける。彼女達の手は汚れないまま、あるべき日々に帰り日常を謳歌する。
これでよかった。彼が望んだ帰結になった。漸くリオの抱えていたものを下ろしてあげられる。代わりに背負ってあげられる。
残るはアリスとケイ。彼女達と話して、心と心を通わせて。彼女達を日常に帰して、この騒動は幕を下ろす。
────その後の始末は全て先生が処理する。無名の司祭が来ようが
静かに、されど強く。刃は鋭く。殺意と云う砥石で研ぎ澄ませる。他者の為に蠢動する殺意であり、悪意。彼を突き動かすのは『守るために殺す』と謂う人類最大の
そして……先生達はビルの入り口、自動ドアの前に立つ。彼が手を翳すと静かな音を立てながら開いた。どうやら鍵は掛かっていなかったらしい。そのまま4人はビル内部に足を踏み入れる。
「ここが……」
中央タワー、エリドゥの文字通り中心であるにも関わらずその中は随分と殺風景であった。エレベーターが駐留するホール、エントランス、ロビーが複合になった広いスペースと、扉の奥に隠された非常階段。明かりすらついていない部屋は人の気配を一切感じないのに……少女達は何かの視線を感じた。
見つめられる眼に温度は感じられない。感情は感じられない。まるで監視カメラにフォーカスされているかのような感覚。心当たりは当然ある。恐らくは────。
ごくりと生唾を呑む。背筋に冷たさが走る。銃を握り締めて、辺りを警戒。先生を中心にして、漏れがないように周囲を固めた。
『先生、貴方にとって生徒とは誰なの? ヘイローを持っていれば、ヒトの形をしていればいいの? それとも学園に所属していれば? 貴方の生徒とは一体誰を示すの?』
リオの言葉に彼は「そうだね……」と呟き、静かに歩を進める。コツコツと固い床を靴底が叩く音色。静かな場所に音が反響する。彼が足を進める先に在るのはエレベーター。彼は指先を滑らせ、ボタンを押した。
リオが投げかけた問いは先生としての彼の核心に迫るものであった。彼の中心は生徒だ。何事も生徒優先、その下に生徒以外の誰かが居て、自身は最下層に近い場所にある。
だから聞いた。彼にとっての生徒とは何であるのか。それを聞けば、何かに納得できるような気がして。彼が答えない、という線は考えられなかった。彼は真摯に疑問と向き合うし、一度交わした約束を反故にする事はない。だから必ず答えてくれる。そう信じている。
「私も明確な答えを持っている訳じゃないんだ。リオが並べてくれた要素はあくまで生徒を構成する要素でしかなく、それ自体が生徒ではない。学園に所属している事が生徒の条件なら、職員のオートマタだって生徒になるからね。彼等彼女等は私の生徒ではない。勿論、ヘイローを持っていれば誰でも私の生徒という訳でもないよ。それだと私の敵まで含めちゃうし」
彼は冗談っぽく笑いながら、その言葉に己が結論を装填する。彼が愛し、信じ、幾度打ちのめされても決して諦めなかった……大切な存在が『誰』であるのか。それは特定個人に非ず。特定コミュニティに非ず。彼にとっての生徒とは────。
「私にとっての生徒は、大人と子どもの間で揺れる天使だ。自分と世界、責任と自由、成長と未熟。子どもとして生き、大人としての羽化を始めている存在。定まらないものを抱えながら、懸命に前を向き、未来を見据える……今を生きる生命達」
彼は遠い眼で何処かを見つめる。壁ではなく、もっと奥。水平線すら通り越して宙の彼方まで。
天地の間で切なく揺れ動く半端な心。現実と理想の擦り合わせをしている彼女達は定まらない自己を噛み締めて、これから答えを見つけに行こうと一歩一歩、矛盾を超えた歩みで前に進んでいる。
「そういった子ども達が私にとっての生徒であり、何よりの宝だよ」
『何よりの、宝……』
「そう、何よりの宝だ。だって私は君達という未来の為にこれまでも、これからも走り続けているからね」
彼は「だから」と一旦言葉を区切って。
「アリスもリオも、私の大切な生徒だ。そこに違いはない。助けを求められたなら何度だって手を差し伸べるし、何度だって歩み寄る」
『その果てに何の報酬が無くても?』
「そもそも報酬が欲しくてやってる訳じゃないよ。駆け抜けた先に私が居なくても、今を走らない理由にはならない。私は結局、皆が大事で大好きなんだよ」
別に報酬が欲しくて、感謝が欲しくて何かを成す事はない。強いて言うなら、作り上げた先にある笑顔達が最高の報酬だ。今を走り続ける理由はその先にある未来を信じたから。駆け抜けた先にある幸福な未来を現実にしたいから。
と、色々と理由を並べたけれど────結局生徒の事が何よりも大切で、大好きだから彼は今も此処に立っている。
そんな彼の核心を明確な言葉と共に伝えられたリオは初めてその表情を穏やかな笑みに染めて。
『そう……完敗よ、先生』
静かに、だけど何処か晴れやかに己の負けを認めた。
しかし。
『でも────私には責任がある。トキを巻き込み、ヒマリを幽閉し、アリスを攫った責任が。だから、私は最後まで醜く足掻くわ。例え、それが合理的でなくとも』
重厚な音を立ててタワー内部に張り巡らされた防衛機構が起動する。対侵入者、それも此処まで足を踏み入れた相手を完璧に想定したそれらの性能は最高峰と言って過言ではない。ドローン1機の性能は他の数枚上を行き、固定砲台であるミサイルユニットや機関銃のスペックも相応に上がっている。
「そっか、それが君の選択なんだね」
『笑ってくれるかしら、先生』
「まさか……リオらしい、とても素敵な選択だよ」
余りにもリオらしからぬ選択を彼は歓迎した。彼女はちゃんと足掻こうとしている。最後まで諦めず、彼方にある勝ちを信じて抗おうとしている。
リオの言う通り、それは合理的ではないかもしれないけれど────それでも、とても人間らしい選択だと彼は思う。
だって人間は、『もう少しだけ諦めずに頑張ってみよう』という思いを積み重ねて、ここまで来たのだから。
そう意味では、リオは漸く────他の皆と同じ地平を見れたのだと思う。先生として、一人の人間として、その進歩と成長を喜ばない筈が無かった。
彼はタブレットを構える。起動する各種システム。思考がクリアに、鮮明になる。つう、とどこかで傷が開き血が流れる感覚。垂れ下がった左腕、コートの下から血が滲んでいる。痛みは無いが、血液の凝固能力が下がっている今は失血が怖いためあまり時間は掛けられない。
「アロナ、これで一区切りだ。最後まで苦労を掛けて申し訳ないけど……頼んだよ」
『はい! 各種システム、問題なしです! いつでも行けますよ、先生!』
────耳に届く頼もしい声。
そんな事を考えながら戦闘態勢を取る彼は「そういえば」と口を開いて。
「リオは彼女達にトロッコ問題を聞いたんだよね?」
『えぇ、そうよ。それがどうかしたかしら?』
「君が答えを出して、この子達が答えを出したなら────君に相対した者として、私もせめてその問いには答えを出しておかないとって思ってね」
『……そう、律儀なのね』
「己の意志で武器を握った人間として当然の事さ」
武力衝突は可能な限り避けるべきだ。殺し合いは最終手段であるべきだ。間違ってもそれを前提としてはいけない。確かに反対意見を力ずくで捩じ伏せれば簡単に自分だけの世界が出来上がる。
だが、そうして作った世界は必ず力で滅ぼされてしまう。決して逃れられない力の呪縛だ。しかも、それは代替わりしても途絶える事がない連続性がある。
一度暴力革命でひっくり返った国が良い例だろう。暴力によって齎された変革は暴力でしか維持できない。当然そんな状態は平穏と程遠く、誰もが銃声に怯えながら、死に震えながら日常を送る。屍山血河の上で作られた地獄のような日常を。そして、最後は打倒した権力と同じように暴力で打ち倒される。それの繰り返しだ。『一度それでどうにかなったなら、次もどうにかなる』という成功体験は拭い難い。そうなった以上、大きな変革には必ず暴力が伴ってしまう。
だから暴力は嫌だと彼は言うのだ。力を行使し、溺れた末の末路は大概酷いものだから。一生力の呪縛から抜け出せなくなり、最後は別の力に砕かれるしか道はないから。
そうだ。武器を取った以上、そこに大義や意義はあったとしても正義はない。武器を行使するしか道がない状況なんて須らく塵屑であり、対話を拒絶した獣のコミュニケーション。どちらがヒエラルキーの頂点に立つかを決める争いだ。
故に彼は己が武器を振るう理由を宣言する。自分に、誰かに、世界に、もう届かない彼女に。自分の中に明確な答えを出し、それを軸に己が力を行使する。定めた軸から逸脱した行為だけは絶対にしない様に、力を行使している間も思考は止めず争い以外の方法を模索する。
────それこそが、先生である自分のやるべき事。やりたい事だ。
「私は前提が間違っていると思う。人間は皆、自分の命の重みを背負うだけで精一杯だ。自分の命の責任を果たす事に生涯を費やす。それなのに、自分以外の他者の命まで背負わせるのは違うと思うんだ」
生きている者は皆、自分の理由を探している。命の理由とか存在する意味とかそんな大層なものじゃなくても今日自分がやるべき事とか何ができるかとか。そういった小さなタスクを積み重ねて、ヒトは終わりに向けて疾走する。その疾走こそが生まれた責任であり、生まれた価値。何が残せるか、何を成せるかではなくその道筋そのもの、走り抜けた軌跡に価値があり、意味がある。
そして────その軌跡の最後に人類共通でやるべき事がたった1つだけある。それが、自分の人生にピリオドを打つことだ。つまりは上がりの合図。それをして初めて、人間の生は終わりを迎える。
思うに、人間が人間を殺す権利を持つのはその生涯に於いて1回きりだ。その殺人は自分を終わらせてやるために使うべきものであり、他人に使ったら最後、権利を使い果たした者は皆と同じように死ねない。自分を終わらせることができないから。
だから、この問題は前提そのもの間違い。他人にたった一回の権利を行使させる事を強要させる問題は不条理だ。
彼は「でも」と続けて、彼なりの結論の続きを話す。
「これは所詮綺麗事だ。だから、本当にどうしようもない時は……私は、私の身を呈して止めるよ。この決断で誰かが救われる事を祈って」
その言葉を最後に、彼は口を噤んで戦士となった。
『……そう。貴方は────』
言葉の続き。リオはそれをあえて口にしなかった。きっと彼なら分かっているだろうと思ったから。その決断に潜む矛盾を。彼が何を置き去りにしてしまっているのか、それはきっと彼自身が一番分かっている。それこそ、痛い程に。
だから、リオと先生の間にこれ以上の言葉は不要。続きの会話はこれが終ったあと、先生と生徒の関係性に戻ってから。
『……行くわよ、先生』
「あぁ、おいで、リオ。君の全てを受け止めるから」
そうして彼は自身の眼をアロナの色彩に染め上げる。己の肉体を変換し、教室と繋げ、境界を越えて。唯、自分がやるべき事を果たすべくこの作戦に於いて最後の戦闘────最も不要で、無意味で。だが決して無価値ではない、リオがリオ自身の心と決着をつけるための戦いを開始する。
「皆、これで最後だ。あとひと踏ん張り、一緒に頑張ろう。この道を駆け抜けた先にはアリスが居る。彼女に笑顔の花束を贈るために────最後の最後、完膚なきまでに完璧な勝利を」
「うん、勿論! 待っててね、アリス!」
「はい! これで最後なら、私達の有りっ丈をッ!」
「が、頑張ります……ッ!」
この曇天を突き抜けた先、求め続けたたった一つの笑顔がある事を祈って。
「ゲーム開発部、出撃ッ!」
「おーッ!」
開戦の号砲が響き渡った。
▼
先生達とリオが最後の戦いを開始する数刻前。まだ彼等が中央タワーへの道中を進んでいた頃。漸く少し体を動かせるようになったトキの元へ一件の通信が転がり込んだ。
『……トキ』
リオは静かな後悔を感じさせる声で彼女を呼んだ。いつも冷たい温度を宿していた眼は感情が灯す熱にゆらゆらと揺らめいている。
トキが「リオ様……」と譫言のように彼女の名前を呟けば、俯いて表情を隠した。誰にも見られない様に。
トキは通信越しにリオを一瞥し、痛む体を無理矢理動かそうとしたが……多少動く様になっただけで、未だ支障が無いとは言い切れない状態。忠誠を誓うような膝立ちなんてできる筈も無かった。『儘なりませんね』と内心思いながら息を一つ吐いて、トキは真っ直ぐとリオを見る。
「申し訳ございません。不肖トキ、任務を失敗しました」
『いいのよ……私が、貴女を信じ切れなかっただけ。貴女に落ち度はない。貴女はよくやってくれたわ』
首を振りながら、リオはトキの言葉を否定する。並べた言葉達は紛れもなくリオの本音だった。確かに結果だけ見れば都市防衛の任務は失敗しただろう。だが、責める気は全くない。本当に、良くやってくれた。落ち度なんてある筈がない。
敗因があるとすればたった一つ、リオがトキを信じ切れなかった事。一緒に戦ってやれなかった事。それだけだ。もし、信じていれば、共に戦っていれば────彼女達は先生とネルのタッグに勝利していたのかもしれないのに。双方に差があるとすれば、たったそこだけだっただろうから。
『謝って許されるとは思わないけど、それでも謝らせて頂戴』
リオは俯いたままの顔を上げて襟元を正し、最後まで仕えてくれた最高に誇らしい少女に向けて言葉を紡ぐ。
『トキ、ごめんなさい。私は貴女の時間と自由を奪い、アリスを殺させようとした。決して許されない事をしたわ。私が貴女にした仕打ちの全てに、謝罪を』
「……どうか謝らないでください」
トキはそれ以上の言葉を発せられなかった。発する事を許されていなかった。何を言っても彼女を傷つけてしまいそうで。どんな言葉も慰めにすらならないと分かってしまったから。言葉は届かない。祈りも届かない。心は遠い。
だからせめて、彼女に付き従った事を決して後悔していないと伝えたくて。
『現時刻を以て、貴女の任を解くわ』
「リオ様、それは……ッ」
声を荒げて、その決定に異議を唱えようとしてもあまりに遅くて、遠くて。
『お疲れ様、トキ。ありがとう……貴女には何度も助けられたわ』
それが、トキが初めて見たリオの笑顔だった。
その言葉を最後に、通信が切断される。それに伴い、トキに付与されていたエリドゥの各種アクセス権が剥奪され彼女は真の意味でリオの元から離れてしまう。リオとの繋がりを失ってしまう。
通信機をタップしても二度と彼女に繋がる事はない。声を聞けない。顔も見えない。彼女は孤独になった。孤独を選んでしまった。それが責任だと言わんばかりに。
トキは一瞬、親とはぐれた子供のような……見るだけで胸が締め付けられるような表情を浮かべて、通信機を触っていた手を下ろす。俯いたまま。突然の別れに身体の力が抜けてしまって、譫言のように「リオ様……」と呟き、固く結んだ唇で悲しみを噛み締める。
そして、彼女は徐に顔を上げて。
「どうしましょうネル先輩、無職になってしまいました」
「知らねぇよ」