シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

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 感想評価お気に入り登録誤字報告が大好きです。パヴァーヌもいよいよクライマックスです。



亡き王女のためのパヴァーヌ Ⅱ

 アリスと同じ声で先生を呼んだ彼女。アリスと異なる声音で先生を呼んだ彼女。赤い瞳はリオもモモイもミドリもユズも一切見ておらず、視界にすら入れていない。彼女は先生だけを見ている。

 その眼に灯る温度は殺意と憐憫、憎悪、愛。彼の境遇を心の底から憐れんでいる。彼の事を心の底から憎んでいる。故に愛を以て救済しようと殺意を研ぎ澄ませる。破綻している様にも見えるが実に論理的。

 

 彼女は善意で彼を殺そうとしている。それは彼の先を知ってしまっているから。この先へ彼が進んでも何も良い事なんて無くて、唯只管に人生を消費されるしかなくて。信じたものに裏切られ続け、大切なものを失い続け、最期は己の意志で断頭台(運命)の露と消えるしかない。そんな末路に彼を至らせるくらいならどれほど罪悪に苛まれようとも自分の手で殺す。救世主の死ではない。先生に人間らしい最期を送ろう。それが、せめてもの恩返しだと信じている。

 

 その決意は何度ほうき星が巡っても変わらない。

 

「殺し損ねてしまいました。不要な苦しみを与えてしまった事を謝罪させてください」

 

 枷を紙屑のように引き千切った彼女は全身に取りつけられたケーブルをそのままに立ち上がる。軽く手を握ったり、開いたり。足首を解したりと人間らしい所作をしながらも声音は非常に機械的。目覚めたばかりのアリスよりも人間らしい情緒が無かった。それは彼女に育てるような人間性が機能的に与えられず欠如しているのか……或いは意図的に機械らしく振る舞っているのか。

 

 リオには後者に見えた。彼女は意図的に機械を演出して、自身の内側に燻る感情を押し殺している。声は誤魔化せても眼は嘘を吐けない。目は口程に物を言う、とはその通りで彼女の眼は痛いほどに感情的だ。

 

「……ケイ」

 

 そして、彼の声も。言葉自体が莫大な質量を持っているのではないかと錯覚するほどに重苦しい声。茫然としているように見えて、その実薄々分かっていたかのような表情を一瞬だけ浮べた彼は眼を固く瞑り緩く首を振った。唇をきゅっと結び、零れそうな言葉を必死に堪えた彼は、声の代わりに息を吐く。それだけで気持ちの切り替えを行う。だがそれは満足に行えず、未だに思考の片隅に彼女に対する疑念が渦巻いていた。まるで未練のように。

 

 ────あぁ、分かっていた。分かっていたんだよ。薄く開かれた宝石のような赤い眼を見た時から。いや、もっと前。ミレニアムの部室棟が破壊された事件……この世界で初めて彼女の意識が表層に出たその時から。彼女は明確な意志を持って私を殺そうとしている。何かに請われたからとか、そうするしかないからとか。そういった選択肢を狭める要因なんて無くて、彼女は極めて正常に機能している心と脳で以て私の殺害という解を導き出した。

 彼女に一切恨まれてないと言い切れるほど自身は清廉潔白な人生を送っていない。寧ろその逆、殺される理由はそれなりに思いつく。アリスを大切に想う彼女からしてみれば先生は敵だろう。それも、在り方を捻じ曲げた不俱戴天の仇。殺されても文句は言えない、言うつもりもない。

 

 けれど────そう思った彼は悲しそうに眼を伏せ、開眼する。視線の先には茜空の彼女。アリスと表裏一体である少女。

 

 彼女の眼にあるのは殺意だけではなかった。その隣に憐れみや憎悪がある事を先生は正確に見抜いている。だが、それらの感情が何に起因するかは彼には分からなかった。いや、憎悪なら分かる。しかし、憐れみだけは本当に分からなかった。彼女に憐憫されるだけの何かなんて持ち合わせていない。

 

「ケイ……ッ!」

 

 得体の知れない焦燥感に駆られた彼は叫ぶ。彼女の名前を。元はモモイの言い間違い。だが、彼女はその名前を大事にした。王女のための鍵ではない、この世界に存在する掛け替えのない命の1つである事を証明する……彼女だけの名前をもう一度発すると彼女は柔らかい表情を浮かべて。

 

「その名前で呼んでくれるのですね。でしたら尚の事……これ以上、生かしておくわけにはいきません」

 

 だが、それも一瞬。彼女は直ぐに固い決意を持った表情を浮かべ、細い手を指揮棒のように動かす。まるでそれは運命の糸を手繰り寄せるよう。彼女の動きに連動し追従者もその刃と銃を構えた。撒き散らされる殺意の方向は先生に集中する。肌に突き刺さる鋭さは錯覚と言い切るにはあまりにもリアルで、先生は眼を細めた。

 

「ケイ、何故……」

「何故? それは貴方が一番よく分かっているでしょう、先生」

 

 そうだ、当事者である先生が分からないなんて言わせない。今彼に向けられている殺意も、あの時彼に向いていた殺意も、何もかも。そこに込められた願いはただ1つ。

 

「貴方を殺しにきました。これ以上貴方の生を侮辱させないために」

 

 刹那、銀刃が閃く。数日前に彼の首を切り裂いた時と同じ……否、それよりも更に鋭く速い一撃。モモイも、ミドリも、リオも。この場で最も動体視力に優れているユズでさえ初動を認識する事ができなかった。

 彼女達が感じたのは何かが通り過ぎたような感覚と、それが取り返しのつかない失態であるという実感だけ。

 

 あの一撃を見送ってしまった時点で負けだった。アレの切れ味は良く知っている。ヘイローを持つ少女達であっても刃が通るのだ。そんなものが彼に振るわれればどうなるかなんて、あの日の彼自身が身を以て証明している。最悪、首と胴体が泣き別れるかもしれないのだ。

 

 だが、その少女達の想定は甲高い音と共に覆される。

 

「……防御は健在ですか」

「……まあね。私も色々と不測の事態に対応できるように微調整をしてたんだ」

 

 苦笑いを浮べる彼の首筋、あと少しでも刃が前に進めば薄皮が切れるであろう場所で刃は静止していた。挟まる青白い障壁に阻まれている刃は火花と不協和音を撒き散らし、彼の首を切り落とさんと出力を上げるがアロナの防御はその程度で破れない。

 埒が明かないと思ったのかワイヤーを巻き取る要領で触手を縮ませ、質量を活かした体当りに加えてレーザーを用いてシールドに負荷を掛けようと迫り来る。しかし、幾ら雑兵が工夫を凝らそうと破れないものは破れない。体当りもレーザーも、考え得る全ての攻撃を受け止めた障壁の内側で彼は手を伸ばし機械に触れる。

 

 すると突然糸が切れたように全ての触手が力なく地面に垂れ下がる。内部のプログラムを破壊されたのだ。彼の手で触れられた、ただそれだけで。

 

「重っ……」

 

 ぴくりとも動かなくなった機械を両手で持ち、邪魔にならない場所まで移動させた彼は腰を心配そうに見ながら息を吐く。

 

「その年齢で腰の心配ですか?」

「私は皆みたいに体が頑丈じゃないし、若くないからね。あの重さでも気を付けないといけないんだよ……割と本気で」

 

 妙に緊張感が無い会話。既知の仲かと錯覚させる発言達はもう一度眼を鋭くした彼女によって薙ぎ払われた。再び走る戦場特有の張り詰めた空気。硝煙が香る。鉄が香る。少女達は思わず息を呑んだ。戦場のイニシアティブは間違いなく彼女にある。

 

「……それで、私に大人しく殺されてくれますか?」

「それが君の本当の望みなら、私は否定しない。私を殺して救われる心があるのなら喜んでこの命を差し出すよ」

 

 彼は「でも」と言って。

 

「それが私や君以外の誰かのためなら、どうか思い留まってほしい」

 

 自分の死で彼女が救われるなら構わない。だが、自分の死で救われる人物が彼女以外である事だけは駄目だ。手を汚した彼女が救われない未来だけは否定しなければならない。だって、そんなのは余りにも惨すぎる。

 

 だから、どうか────そう考えた彼の眼に映ったのは、憐憫の色を強めた彼女だった。

 

「そういう所が不愉快なのですよ、先生。貴方は自身を勘定に入れていない。貴方の言う皆に貴方の姿が無い。命は尊くて大切だと説いておきながら、貴方は貴方自身の命に価値を感じていない」

「……」

「教えてください、先生。貴方の事を誰が救ってくれるのですか?」

 

 その問いに先生は答えられなかった。自己救済なんて持ち合わせていない。自己愛も持ち合わせていない。一番嫌いなのは自分であるし、許していないのも自分だ。最初から救われたいなんて思っていない。幸せになりたいとも思っていない。愛されたいとも、認められたいとも思っていない。

 

 己に許されている唯一は生徒の為に生きて生徒の為に死ぬこと。その為の人生だった。それだけが望みだった。その為に全てを捧げてきた。

 

 名前は捨てた。

 誕生日も忘れた。

 家族の事も覚えていない。

 友人や恋人は居たのかどうかすら定かでない。

 

 自分自身の事なんて心底どうでもいい。生徒達だけが彼の全てだった。

 

「やはりそうなのですね、貴方は何も変わっていない。自己救済も自己愛も持たない生命なんて、その時点で破綻しています。このまま生きていても貴方は失い続け、擦り減るばかりです。生きる喜びを貴方は根本的に持つことができない」

「でも、私にはまだやるべき事がある。それを自分が救われないからなんて弱音で投げ出す事はできない」

 

 先生の目的は生徒達に明日を生きてもらう事であり、神秘の■■。別に生徒達と生きていたい訳ではない。勿論、共に過ごせるのであればそれに勝る幸福は無いと断言できるが……作り上げた景色に自分の居場所が無くても構わなかった。誰もが幸福を享受できるのであれば、その裏側で己が虚無になったとしても彼は満足して息を止める。

 

 自己救済は持っていない。だって、彼はそもそも最初から『救われたい』だなんて思っていないから。罪に生きて罰に死ぬと決めているから人並の幸福なんて疾うの昔に投げ出している。

 自己愛は持っていない。だって、彼はそもそも最初から自分を大切に想っていないから。この体は入れ物で、心は入れ物を満たす透明な液体。皆と同じように死ねない人もどきの事をどうやれば愛せるというのだ。

 

「それが歪だと云うのです。託された貴方は貴方自身の意志で折れる事はできない。やはり貴方は此処で死ぬべきです。その生に終止符と安らぎを」

 

 願いはただ1つ。貴方に死の安息と安らぎを。生きることが激痛であるならば死を送る。殺して救ってみせよう。

 

 彼の生涯は確かに救えるものがあった。だが、救われた者以上に彼が傷ついていた。手を差し伸べて、痛みを背負って、血を吐きながらそれでも前へ。安心を抱ける誰かも居ない。胸に巣食う絶望的な孤独感を抱えて生きる彼は傍から見るだけでも悍ましい。こんな生が人間の生であるものか。

 

 だから殺す。人間らしい生が駄目なら、せめて人間らしい死を。彼の死は確かに悲しいものだ。自ら望んで彼を殺すものか。でも、そうするしかないなら、そうする。それで彼が救われるなら喜んで。

 

 彼に救われた。彼に愛された。その温度は幾度の世界を超えても未だこの胸に残っている。ありがとう、この感謝の念は嘘偽りない。王女の付属品でなく一個の生命として見做してくれた時に抱いた戸惑いと喜びは一生涯で片時も忘れない宝物の感情。

 

 だから、今度は私が貴方を救う。それが……貴方に救われた私ができる唯一の恩返し。    

 

「先生、王女の鍵である私が……貴方に救われた私が────貴方のための救世主になります」

 

 その一言と共にヘイローの浸食が開始される。青色だった天使の光輪は徐々に色を変え、目の前に居る彼女の瞳の色と同色となる。それに伴い服装が再構築。ミレニアムの制服は粒子となり黒のドレスへと変貌した。

 

 その姿はまるで闇の花嫁。彼女は彼の命を手折らんと細く華奢な指先を伸ばした。

 

 

 ▼

 

 

 ヘイローの変色と服の変貌。アリスではない少女の誕生は戦場に大きな変化を齎した。

 

 先生は信じられないものを見るような眼でケイと呼んだ少女を見つめる。彼女の正体は既に知っている。その目的も粗方話してもらった。だが、その上で『何故』という疑念が全てを上書きする。彼女がそこまでする理由も、彼が抱えているものを知っている理由も……何もかもが分からなくて。唯一つ言えるのは、彼女が本心から彼を案じている事だけ。それは嬉しくもあったけれど同時に悲しくもあった。

 

 リオはこの状況を冷静に分析する。間違いなく最悪の事態だ。アリスの人格が深層部に追いやられ、終焉のトリガーを引く存在の人格データが表層部に露出している。しかも、その人格は恐らくアリスよりもアリスの体を上手く使える。それはあの特異点一つとってもそうであるし……全身から放出される神秘が証明している。神秘の量自体はアリスと変わらないが、問題なのはその濃度。圧倒的に濃いのだ。出力する肉体(ハードウェア)は同じである筈なのに人格(ソフトウェア)が変わるとここまで変わるものなのか、とリオは焦る。

 それに、先生とあの人格の会話も気がかりだ。ほぼ初対面である筈なのに互いの事を知っているかのような口振り。世界終焉の引き金をたった一人の為に引こうとしている彼女は果たして自分が危惧した滅びなのか。いや、それよりも────彼は一体何を抱えているのだ。

 

 そして、ゲーム開発部の3人。彼女達はまだ状況を呑み込めていなかった。先生とアリスの会話は内容がいまいち掴み辛かったし、リオが何を焦っているのかも分かっていない。今、目の前に居る黒と赤で彩られたアリスがアリスなのかも分からず、彼が何故痛みを堪えるような表情を浮かべているのかも不明で。でも、唯一つ言えることは……この状況が非常に良くないという事だけ。それは先生とリオの纏う緊迫した雰囲気が証明している。

 

「……」

 

 銀に張り詰めた空気。手汗が滲むほどに痛い緊張は一歩でも動くと均衡が崩れることの証左。僅かな挙動が命取りになる。

 さて、どうするか────そう思った先生の耳に1つの通信が届いた。

 

『先生!』

「……チヒロ」

 

 先生は穏やかだが、どこか固さがある声音で彼女の名前を呼ぶ。今になって届いた通信、とても珍しい彼女の荒げた声。この2つだけでも良い知らせではないという事はよく分かる。それに加えてこの状況……アリスの人格が深層に沈み別人格が表に出てきている今、知らせの内容なんて大方見当がついていた。

 

『エリドゥ各地で空間振動が確認されてる! 震源は先生の居る場所、中央タワー最上階! 今そっちで何が────』

「外部との通信は遮断しました」

 

 チヒロの通信はまるでケーブルが切れたかのような唐突さで以て切断。勿論、チヒロの通信だけではない。今このエリドゥ中央タワーはほぼ全ての通信が遮断された。外部から内部にアクセスすることは不可能で、逆もまた然り。空白地帯ではなく暗黒地帯。あらゆるネットワークが目の前に居る少女の指先一つで沈黙させられた。規格外の処理能力はアリスの体の限界値が過剰なほどに高いことの証明。電子戦もお手の物だ。

 

「では、ついでに」

 

 アリス(■■■)は徐に手を翳す。瞬間、正常に世界を映していた大型メインモニターが黒くなり……そして、再度輝く。だが、それはもう正常に世界を映していない。眼が痛くなるような茜色一緒に染まった背景と、白抜きされた文字。その文字列はリオにとっても、先生にとっても大きな意味を持つ。

 

 あの文字が表すものは今目の前に居る少女が統括するシステムの総称。少女の傍で刃を鳴らしている無名の守護者も含めた、文字通り『全て』の名称であった。それがメインモニター……否、この部屋にある全てのモニターに映ったという事は、つまり。

 

「エリドゥのシステム全体がハッキング……いえ、違う。これはそんな単純な話じゃない」

 

 リオは眼を見開き、驚愕で彩られた表情を浮かべ手元のタブレットでエリドゥ全体のシステムを見る。あれほど強固だったプロテクトを素通りするかのようにすり抜けて、アリス(■■■)はこの要塞都市を掌握しようとしていた。

 だが、この話はそこで止まりではない。仮にハッキングされて主導権を奪われるだけならまだ手を打てる。遅れを取ってしまったが電子戦はリオの土俵。仮に彼女だけでは不足であっても、ヒマリや先生を動員すれば最低でも五分五分には持って行けるという確信があった。

 

 しかし、この掌握の本質は更に奥底にある。単純なハッキングではない。掌握しているのはアドバンテージを握りたいからではなく、必ず他に理由がある筈だ。何の根拠もない確信を抱くリオは必死に画面を見つめて感じた違和感の理由を求める。だが、探しても探しても違和感は何処にもなくて、ただただハッキングされているように見えた。

 

「やっぱり……!」

 

 だが、それこそが求めていた解。眼で見えるプログラムに違和感がないならば眼で見えない部分に解があると決まっている。現在進行形でアリス(■■■)が掌握しているのは要塞都市エリドゥという概念そのもの。という事は、つまり────。

 

「掌握した上で書き換えて、変質させている……!」

 

 今まさに、リオが建設した要塞都市エリドゥは別の何かへ存在理由を変質させられている。それはまるで羽化であるかのように、繭を突き破り世界へ羽ばたこうとしている。この世界を真っ新にするために。新たな地平を築くために。

 

「アロナ、エリドゥ全体にプロテクトを」

 

 小さく、誰にも聞こえない声の返答はタブレットの点滅。サンクトゥムタワーすら数秒で全ての権限を掌握せしめた彼女の能力は先生の生命維持に半分以上のリソースを割いていたとしても、真っ向からアリス(■■■)とやり合えるだけのスペックを持つ。

 

 突然生まれた強固なプロテクトを前に少女は「……攻め辛いですね」とだけ呟き、解除に取り掛かる。その間にリオはエリドゥから可能な限りリソースを切り離し、仮に全てを掌握されたとしても致命傷にだけはならない様に奔走。

 

 水面下で繰り広げられる極限の頭脳戦は正に一進一退。僅かな綻び、判断ミスが即座に敗北に繋がる戦場の緊迫感は今まで蚊帳の外に立たせられていた少女達をハッとさせるのに充分過ぎる空気であった。

 

「ぼーっとしてる場合じゃない! 早くケーブル全部を外してアリスを……!」

「その行為は推奨しません」

 

 ────初めてアリス(■■■)の声が少女達に向けられた。そして、その視線も。今まで殆ど先生しか見ていなかった茜色の眼に射貫かれた途端、一瞬少女達の呼吸が止まった。別に威圧感があった訳でも、滲むような殺意や敵意があった訳でもない。

 

 その目も、声も、何もかも。アリスと全く同じ姿形である筈なのに、何かが根本的に違う。拭い難い違和感を少女達は改めて突き付けられた。

 あの子はアリスだ。あの子はアリスじゃない。じゃあ誰なのか。そんな疑問が頭の中をぐるぐる回っている間に、アリスだったはずの少女は言葉を紡ぐ。

 

「現在、アリスの表層人格は内部データベースの深層部に隔離されています。強制的に接続を解除すると取り返しのつかない損傷が起きるでしょう」

「アリス……一体何を……」

「違う! お姉ちゃん、この子、アリスちゃんじゃない!」

 

 血を吐くような声と共に疑問のループに一足早く決着をつけたミドリは咄嗟に銃を構える。彼女とて本音を言うとアリスに銃を向けたくはない。例えそれが、アリスの体を借りているだけの何かだとしても。だが、それでも……自分の判断ミスで、判断の遅れでこれ以上大切なものを失いたくなかった。故に心を鉄にして、涙を流す心にナイフを突き立て、引き金に指を掛ける。アリスちゃんを返せと叫びながら。

 

 そして、ミドリの切羽詰まった声に突き動かされるようにモモイとユズも躊躇いながらも銃を構えた。何時でも引き金を引ける姿勢。だが、引きたくはなかった。

 

「えぇ。私はアリスではありません。彼も言っていたでしょう、私はKey。王女(アリス)を助ける無名の司祭達が残した修行者であり、彼女が戴冠する玉座を継ぐ(Key)です」

 

 自身の正体を明かす言葉を聞いても少女達の頭の中には疑問で埋め尽くされていた。まず固有名詞が多すぎる。王女、無名の司祭、(Key)。まず王女というのは直前にアリスと言ったのち言い直していたため、恐らくアリスの事を示す。(Key)というのは目の前に居るアリスではない彼女の事。アリスとは別の人格を示しているはずだ。

 

 無名の司祭は……正直よく分からない。彼等或いは彼女達が何者なのか、その一切の情報が無い。精々、アリスやKeyを作り、後世に残したであろうということだけ。修行者もよく分からない。何をするために、何を身に着けるために修行をするのか。無名の司祭なる存在達は彼女達に何を求めたのか。

 

 その目的の一切が謎に包まれているが、穏やかな目的ではない事だけは確信できる。それは場の雰囲気が、先生とリオの表情が証明している。

 

「本来ならば異なる名称は存在の目的と本質を乱すため、王女に王女以外の名前は不要ですが……まぁ、あなた達なら良いでしょう」

 

 そう言ったKeyの表情に喜びと感謝が見えたのは見間違えだろうか。少女達3人を見つめる彼女の眼差しは少しばかり優しい。

 それは、初めて王女のための鍵以外の名前を定義してくれた存在達への感謝か。それとも王女に暖かな春の記憶を齎してくれた事への感謝か。何れにせよ、Keyという少女はゲーム開発部の少女達に悪感情を抱いてはいなかった。

 

「何を言っているの! アリスちゃんを返して!」

「今は拒否します。彼を殺した後でしたら構いません」

「殺すって……そんな事……ッ!」

「今の内に殺しておかなければならないのです。このまま放置すれば彼はいずれ自殺すらできなくなってしまいます」

 

 それが最大限の慈悲。この先、死よりも辛く重く苦しい人生しか待ち受けていないならば今の内に死んでおくのが幸福だ。そうすれば少なくとも今より幸福になる事も、不幸になる事も無いから。

 

 だからせめて苦しまずに逝かせてあげたい。受難の道から解き放ってあげたい。それが自身(ケイ)自身の最愛(アリス)を救ってくれた人であれば、猶更。

 

「妨害の対処を優先し、攻撃を最小限に。リソースの保守を最優先します」

 

 固く、強い決意を持って彼女は最後の準備に取り掛かる。初動でエリドゥのリソースは使用分確保した。もう繭は完成しているのだ。であれば残るやるべき事は羽化、ただそれだけ。

 

「只今よりエラーを修正し、本来あるべき玉座に王女を導かせていただきます」

 

 少女は手を翳す。それに伴い各所の存在理由が変質し、玉座へ至るための道へ再構築される。

 

「AL-1Sに接続された利用可能リソースを確保するため全体検索を実行……リソース領域の拡大」

 

 ケーブルを通し、ネットワークを通し、己が掌握できる全てをその手に落とす。世界の真実と嘘と、甘さと苦さ。いつか夢見た景色に至れないけれど。あの日のように、皆で歩む事なんて出来ないけれど。それでも、何時までも色褪せない思い出として貴方を連れて行く。

 

「リソース名、要塞都市エリドゥ。約50%のリソースを確保……10万エクサバイトのデータを確認」

 

 莫大なデータ量は全て、神の先へ至るため。人の叡智から生まれた彼女は、その叡智で以て死という慈悲をたった一人に捧げる。

 

「────現時刻を以て、プロトコルATRAHASIS稼働」

 

 それは、世界を滅ぼすための意志。既存文明を全て薙ぎ払うための絶滅。

 或いは────たった一人の大切な彼を殺す(滅ぼす)ために世界を滅亡に至らしめる終焉。

 キヴォトスに於ける旧き最新の『滅び』が遂に眼を覚ました。

 

「コードネーム、『アトラ・ハシースの箱舟』起動プロセスを開始します」

 

 世界滅亡へのカウントダウンが開始される。

 

「プロセスサポートのため追従者(Divi:Sion)を呼び出します」

 

 エリドゥ各地、彼女が掌握したと思われる場所で幾多の空間振動が観測される。現実に空いた虚無の孔から零れ落ちたのは球体状の機械兵。無名の守護者、或いは追従者(Divi:Sion)と呼ばれるモノ。秒単位で膨れ上がる敵性反応はエリドゥのシステムを蹂躙しながら何処かに向かって進軍する。

 

 その光景は正に────リオが見た『終焉』の第一段階であった。

 

「アトラ・ハシ―スに追従者(Divi:Sion)……まさか、そんな……」

「リオ会長! これどうなってるの!? なんか、これ、怖い……ッ!」

「私はキヴォトスに終焉が齎されることを懸念してこの要塞都市エリドゥを建設した。私が動員できるミレニアム全ての技術と力、資源とエネルギーを集めたのに……けれど……寧ろ、その所為で……この都市が終焉の発端に……」

 

 リオはその流麗な黒髪を振り乱し、頭を抱えて一際感情的に叫ぶ。

 

「違う……私は、こんな事がしたかったんじゃない……!」

「貴方にも同情します、調月リオ。もしあなたが世界を見れなければ、ミレニアムの生徒会長でなければ……こうなる事はなかったのかもしれないのですから」

 

 Keyの声音には確かに同情と憐れみが籠っていて、その言葉に一切の虚偽が含まれていない事がよく分かる。彼女もリオには色々と思う所があるのだろう。僅かに眼を伏せ……そして、開眼する。

 開いた眼に一切の迷いはない。

 

「────王女は鍵を手に入れ、箱舟の用意は整う」

 

 その声音はまるで唄うように。

 

「無名の司祭の要請……いえ、鍵たる私の意志により、この地に新しい聖域(サンクトゥム)を建設する」

 

 誰かの意志ではなく、少女の意志で。

 

「その到来で初めて、全ての神秘はアーカイブ化される」

 

 世界(先生)殺す(救う)剣をその手に握る。

 

「果て無き戦いの螺旋から貴方を解放します、先生」

 

 貴方に安らぎを。望んだことは、ただそれだけ。そのためにKeyは彼の為だけの救世主となる。

 

「プロトコルLONGINUS、励起」

 

 少女達に初めから備わっていた機能ではなく彼のためだけに構築した機能、嘗て救世主を貫いた運命が再び動き出す。

 

「コードネーム、『ゴルゴダの磔刑』起動プロセスを開始します」

 

 その名が示すものは救世主の終わり。復活なんてさせない。この手で誰もが見棄て消費した彼を手折ってみせる。それがどれほど罪深くとも。

 

「えぇ、貴方風に言い換えましょうか」

 

 Keyはアリスにそっくりな、だが大人びた微笑を浮べて。

 

「──── ()()()()

 

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