シャーレ活動備忘録 作:遊園市街
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白銀の狼
──────やめてくれ、■■■。もういいんだ……。
『
──────君が私の為に、そんなことをする必要はないんだ。お願いだよ、分かってくれよ……。
『
──────私の命にそんな価値はないんだ! どうせ次がある! だから……!
「それでも、私は今ここにいる貴方に生きてほしいのです」
『
「──────神秘、起動」
▼
『先生〜! 起きてくださーい! 朝ですよ〜!』
「……んぅ……」
『起きて〜!』
端末から聞こえるアロナの声をガイドにして、肉体と意識を結ぶ。薄らと開いた視界から見えるのは真白いデスク、窓から差し込む太陽光。頭を乗せていた両腕は若干痺れている。緩慢とした動作で上体を起こした先生は数秒間、ぼうっと無人のシャーレを見て。
「おはよう、アロナ。モーニングコール、ありがとうね」
『はい。おはようございます、先生。何時も言っていますけど、ちゃんとベッドで、最低でもソファで寝てくださいね?』
液晶に映るアロナは呆れを多く含んだ表情で頬を膨らませていた。先生は「ごめん、次はちゃんとするよ」なんて言っているが、アロナは全く信じていない。
何せこの先生、キヴォトスに来て2週間経つが一回もベッドを利用していないのである。現状の利用者はアツコのみであり、先生は基本的に仕事をしながら寝落ちしている為、机と椅子が寝具になっている。さらに、睡眠時間も3時間未満と短く、不摂生の極み。先生はキヴォトスに来てから、自分の体を労った事が全くない。
そんな人間が『生活習慣を改める』なんて言っても──────信じられるわけがない。ジト目で先生を見るアロナに、彼は少し居心地悪そうに、申し訳なさそうに笑った。
「最近はやる事が多くてね……」
『最近じゃなくて毎日じゃないですか。徹夜続きは体に悪いですよ?』
「分かってるさ。でも、現状シャーレは沢山の生徒がいる訳じゃないから、可能な限り私一人でも回さないと。いつもユウカに迷惑をかけるわけにはいかないよ」
冗談めかした口調で「私があと10人位いれば楽をできるんだけどね」と先生は言って、紙束をペンで叩いた。処理しても終わりが見えないデスクワークの一片、これと同じ量のものが電子媒体にある……そう考えると中々気が滅入りそうであるが、泣き言は言ってられない。可能な限り仕事は前倒しにしてやっておかないと、臨時の仕事を詰め込める余裕を生めないのだ。
「アロナ、今日は誰か来たかい?」
『いえ。ユウカさんもワカモさんもいらしてませんよ。何か伝える事があるんですか?』
「いつもみたいに存在を感じないからさ。ちょっと気になっただけだよ……」
先生はデスクの引き出しからケースを取り出し、中に入っている錠剤を2つ掌に出して、口に放り込んで水と一緒に飲み込む。
ワカモの話……彼女をシャーレ所属にする件は中々に上手く運んでいる。後は最終決議で反対意見が出なければ、彼女は晴れて指名手配犯でなくなるだろう。
それまで頑張らなければ、と決意をして──────アロナに再び問いを投げかけた。
「何か変わった事は?」
『うーん、特にはないですね。各学校や団体、自治区の要望書や申請書、相談の類は多いですが……ゲヘナ学園の風紀委員会とトリニティ総合学園のティーパーティーからの会談の申し出は届いてますけど、急ぎではないですし……』
アロナは様々な書類データをタブレット上に表示させて、『急ぎの要件はあったかなー?』と探っていると、突然、『あ!』と何かを思い出したような声を出した。
『そういえば手紙が一通届いていました!』
「手紙?」
オウム返しをすると、アロナは元気よく『はい!』と返事をして。
『デスク傍に便箋を置いておきました! これは恐らく、先生が一度目を通して判断した方が良さそうなので……あ、爆発とかはしないですよ! そこは抜かりなくスキャンしました!』
アロナの指差した方向に視線を向けると、そこには確かに一通の便箋があった。手紙を手元まで持ってきて、表面にそっと指を走らせる。
認めた人の性格が垣間見える丁寧な手紙と、その梱包。裏面の封に使われているのは、正三角形と日輪のシンボル。
「……だとすると」
先生は封を丁重に切って中身を取り出すと、便箋3枚に渡って綴られた文字列に目を落とす。
連邦捜査部の先生へ
こんにちは。私はアビドス高等学校の奥空アヤネと申します。今回どうしても先生にお願いしたい事がありまして、こうしてお手紙を書きました。
単刀直入に言いますと、今、私達の学校は追い詰められています。それも、地域の暴力組織によってです。
こうなってしまった事情は、かなり複雑ですが……どうやら、私達の学校の校舎が狙われている様です。
今はどうにか食い止めていますが、そろそろ弾薬などの補給が底を突いてしまいます……このままでは、暴力組織に学校を占拠されてしまいそうな状況です。
それで、今回先生にお願いできればと思いました。先生、どうか私達の力になっていただけませんか?
「……アビドス高等学校。あぁ、君たちの事は──────よく、知っているとも」
手紙の全文を読み終えた先生はポツリと呟いて、手紙を折り目に沿って畳んでデスクの引き出しに仕舞う。
紙媒体の仕事は、期限が2週間以内のものは全て終了させた。電子媒体は10日以内のものは残ってないはず。この進捗ならばシャーレのオフィスを開けても問題ないだろう。
此処からが本番だ。決して失敗は許されない。キヴォトスの根の底、ゲマトリアの胎動する悪意が──────本格的に始動した。
タブレットを手に取り、クラフトチェンバーのパラメータを見る。
弾薬等の各種補給物資──────OK。
概念武装『天命』──────完成率58%、擬似展開可能。
概念武装『天理』──────完成率34%。
決戦礼装『獣殺し』──────完成率13%。
決戦礼装『神殺し』──────完成率2%。
アンチ・パラドックス──────完成率48%
神秘否定防壁プロトコル──────完成率63%、擬似展開可能。
「まあ、こんなものか」
必要最低限の準備は出来ている。欲を言えばもう少し……最低でも礼装一柱が完全展開できれば良かったが、贅沢はできない。寧ろ、過去の例から鑑みてもかなり恵まれている方だ。この手札でも──────充分戦える。
「アロナ、暫くシャーレを空けるから施錠を頼むよ」
『おぉ! もう出張されるんですね! 凄い行動力です!』
画面の向こう側の青い少女は『このアロナに任せてください!』とビシッと敬礼して、シャーレの施錠に取り掛かった。その間に先生はユウカとワカモに暫く留守にする旨の連絡を送り、ホームページやSNSのアカウントでも同様のインフォメーションを記載する。
医療キットとタブレット、ペットボトルの水と軽食をバッグに放り込んで、着替えとシャーレのコートを取り出してシャワー室へ足を向けた。
「さて、ここからだ」
先生本人に指摘すると苦虫をダース単位で噛み潰したような顔をするだろうが──────彼はベアトリーチェ以外のゲマトリアをそれなりに信頼している。無論、そこに友愛やら親愛といった感情は皆無だ。彼にとってゲマトリアは踏み越えるべき障害であり、生徒の為に倒すべき敵だ。間違っても握手をして仲良しこよしになる関係ではない。
だが、彼らの神秘を捉える感覚……所謂レーダーのようなものには、信頼と信用を置いている。神秘の探究者にして、キヴォトスの影に蠢く者。暗号数式によって神秘を暴く秘術者。表舞台には殆ど顔を出さない彼らが、目立つほど動いたということは──────始まるのだ。キヴォトスの運命を決める聖戦が。
先生の勝ち目は那由多の彼方。そこに1が有るかすらも疑わしい領域にのみ、辛うじて勝機と呼べる何かがある。
「
それでも、可愛い教え子達は善い未来を描いてくれると──────彼は心の底から信じているのだ。
▼
「今度はヘリで行こう……」
最早呪詛のような譫言を溢す、純白の制服とコートに身を包んだ先生は絶賛後悔していた。朝早くにシャーレを発ち、アビドス自治区の最寄り駅に下車して──────そこからは徒歩での移動だった。どの方角を見ても同じ砂漠の景色が広がる広大な地を歩き続けて早数日。最短ルートを突き進んでいる筈なのにまだ目的地には遠い、という現実を突きつけられた際に出た本音。今更引き返す事も出来ない割と最悪な状態だった。
先生はマップアプリが表示されたタブレットを片手に持ちながら、自販機で買ったドリンクを口に含んで──────若干顔を顰めた。
「捨てるほど不味いわけではないけど……」
鯖コーラ味。彼の好奇心がゴーサインを出して買ったゲテモノドリンクは、何とも形容し難い味をしていた。美味しくもないし、不味くもない。変わったものが好きなイズミ辺りに上げたら面白そうな味だった。
「それ、美味しいの?」
「リピートはしない味かなぁ……」
「ん、そうなんだ」
彼は何とも言えない返事を聞いて、後ろを振り返った。
アビドスの校章を身につけた狼耳の銀髪の少女が、何とも表情で先生を見上げていた。読み取れる感情は物珍しさや好奇心だろうか。
──────君はワカモのように覚えてはいないんだね。
何処に向けるべきでもない寂しさを呑み込んで、先生は穏やかな笑みを作る。感情の残滓は決して彼の表層に出ることはなく、心の廃棄孔に遺棄される。
そして、その笑みを向けられた少女──────砂狼シロコは驚きで目をパチパチしていた。凪いだ水面のような微笑が先程までゲテモノを飲んでいたよく分からない大人から発生したものだと考えると、若干脳がバグりそうだった。
シロコが驚きでフリーズしていると、彼は「あぁ」と何か納得したような声を上げて。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。私は連邦捜査部シャーレの先生。気軽に先生と呼んでくれると嬉しいな」
「私は砂狼シロコ。シャーレの先生って事は、もしかして──────」
「お察しの通りだよ。私はアビドス高等学校に用事があって来たんだ」
「そっか、なら久々のお客様だ」
シロコはそう言って、微笑む。本当に久々なのだろう──────こうして、悪意や害意、敵意が欠片もない善性の塊のような人が此処に訪れるのは。
「で、意気揚々とシャーレを発ったんだけど……まあ、このザマでね」
彼は苦笑いして辺りを見渡す。着実にアビドスに近づいてはいるものの、絵面は完全に砂漠の遭難者だ。あと数日分食料と水の備蓄はあるが、ぶっちゃけもうやりたくないのが本音だ。中高校生のようにバイタリティに溢れているわけではなく、成人を迎えた大人なのだ。精神力は兎も角、体力は加速度的に削れていき、休んだとしても疲労は残る。
「此処は砂漠地帯だから。郊外の方に行けば市街地やお店、ホテルはあるけどちょっと遠いし」
「だねぇ……シロコはこの後は学校かい?」
「ん、そうだよ」
その言葉に彼は『待ってました!』と言わんばかりに飛びついた。此処からアビドスまで残り200km、5km/hで歩いても40時間掛かるのだ。徒歩が食傷気味になっている彼に──────恥も外聞も無い。運んでもらう気であった。
「君さえ良ければ学校まで案内して欲しいんだけど、どうかな?」
「ん、全然大丈夫。歩ける?」
「ちょっと厳しいから、そのロードバイクの後ろに乗せて貰うか、背負ってくれるとありがたいんだけど……」
彼は「どうかな」と言ってシロコに打診する。
勿論、シロコとしても久しぶりのお客様を無碍にしたくはない。それもこのタイミングで来たという事は恐らくアヤネの手紙を読んできたのだろう。既に生徒が殆ど残っていない学校と、そこにいる生徒達の為にたった一人で砂漠を歩いてきた彼を放置して進む事はそもそも選択肢に入っていない。
だが──────。
「これ、1人用だから……背負って行くしかないし……」
「私はそこまで重くないから、君なら片手でも持てると思うけど……」
「えっと、さっきまでロードバイクに乗っていたから、その、沢山掻いた訳ではないけれど……汗が……」
「私は気にしないけど……」
シロコだって年頃の女の子だ。汗の匂いは気にする。彼が、ではなく彼女が気にするのだ。そこまで汗臭くはないだろうが──────それでも、恥ずかしいものは恥ずかしい。
そんな彼女の逡巡を感じ取った先生は。
「勿論、君が嫌ならこの話は──────」
「……大丈夫。背負う」
彼は気にしないと言ってくれたし、無理に頼む事はなく最後はシロコの意思を尊重してくれた。彼女はそれで充分だった。
「ありがとう、シロコ。じゃあお言葉に甘えて……」
先生はシロコの肩に手を置いて、身体の重みを彼女の背に預ける。
シロコはその感触を確かめていた。自分とは違う、男性の体。細身の体から想像できていたが、体重は軽かった。身長を鑑みると、この重さはちゃんと食べているのか心配になる位に。背中から伝わる鼓動と、フローラルな香りに混ざる汗。ふと横を見ると、彼の顔がある。
総じて、結構背徳的であった。シロコの頬に茜が散る。
「それじゃ、しっかり掴まってて」
上がった体温と心拍数を隠すように、シロコは先生を背負ってアビドスへ駆け出した。