シャーレ活動備忘録   作:遊園市街

143 / 236

 感想評価お気に入り登録誤字報告に感謝です。



亡き王女のためのパヴァーヌ Ⅵ

 部屋に蔓延する鬱屈としていた空気を張り詰めていた緊張感ごと吹き飛ばしたエンジニア部の最新作品ことアバンギャルド君Mk.2。先生やヒマリが苦笑いで、リオが僅かに悲しそうな顔で、ゲーム開発部の少女達が疑問符だらけになりながら眺めていたその光景はKeyに指揮される追従者の自爆によりモニターが破壊され、強制的に途絶えた。

 

 恐らく、この光景を流しっぱなしにしているといつまで経っても緊張感が戻らないと判断したためだろう。

 

「……これらも全てあなたの手の内、という事ですか」

「いや、アバンギャルド君Mk.2には関与してないからね?」

 

 これは紛れもない本音である。先生はアバンギャルド君の改修には全く関与していない。仮に関与していたのであれば、せめて頭部のデザインを弄らないように助言をしていただろう。主に、若干ショックを受けている少女のために。

 

「抵抗は予想していましたが、ここまで激しいとは。ですが、まだ想定の範疇です」

「……本当に?」

 

 先生はちらりと今は亡き改修前のアバンギャルド君、そのミニチュアフィギュアに視線を送る。彼女も彼の視線の意図を察したのか苦い顔を浮かべる。丁度、先生がデスク脇に忍ばせている高カカオのチョコレートをこっそり食べたアリスが今の彼女に近い顔をしていた……なんて、取り留めのない日常の記憶を彼は思い返した。

 

「……想定内、です。貴方は私をおちょくっているのですか」

「そんなつもりはないよ。気を悪くしたならごめんね」

 

 緩やかな笑みを謝罪として浮べた彼は「さて」と小さく言って表情を切り替える。

 

「これ以上、追従者の増援は望めない。残存している個体も生徒達でどうにかなる範疇。今君が保有しているリソースも慎重に使わないと底が見える」

「……」

「アリスの人格も何重にもプロテクトを掛けて保護しているんだろう? アリスを大切に想う君がアリスの人格を危険が及ぶ場所に保管するとは思えない。ケーブルの切断は勿論、強制シャットダウンや初期化への対策もしていると考えた方が自然だ」

 

 ────図星であった。彼の云う通りアリスの人格には何重にもプロテクトを施している。それこそ、万一すらないように過剰とも言えるほど。

 

「もう止めよう、ケイ。私は大丈夫。だから、君が私の為に怒る必要は無い。傷つく必要は、無いんだよ」

「この期に及んで私の心配ですか。本当に、貴方は……ッ!」

 

 続きの言葉は言葉すら発する事が叶わない酷い頭痛により掻き消される。視界が歪む。音が歪む。何もかもがマーブル模様を描いて、深い底に落ちていくような感覚。平衡感覚もなくなって、自分が今どんな姿勢なのかすら分からなくなった。

 

 ────神秘を装填する術はオーパーツであるシッテムの箱とアロナ、規格外の演算能力を持つ先生が協力して初めて運用できる手段である。Keyが運用するに際し幾つかの機能はオミットしたが、その上で運用には莫大な情報処理が求められた。エリドゥにあるコンピュータ全台をフルで使っても尚足りない情報処理能力が。

 

 その情報処理をKeyは独力で行っていたのだ。それがどれほど無茶な事なのかは言うまでもない。

 

「ぐッ……ぅ……」

 

 確かにKeyも目を見張る処理能力を保有している。だが、彼女であってもシッテムの箱と真っ向勝負をするのは分が悪く、そこに先生が加われば敗北は確定。そして、簡略化したとはいえ神秘の装填には彼とシッテムの箱のタッグに近いレベルの能力が必要であり……あくまでトリガーAIであるKeyはそこまで過剰な能力を持ち合わせていなかった。

 

 それに加えてシッテムの箱との攻防、追従者の指揮、神秘の取り込み。それらは装填に比べれば負荷が少ないが、無いものとして無視することはできない。

 

 Keyは当の昔に限界を迎えていた。それを今まで持たせていたのは偏に彼へ向ける殺意()。或いは彼譲りの精神論。

 だが、それにも終わりはある。今まで重ねてきた無茶がまるで遅効性の毒のようにKeyの全身を蝕む。彼を殺すという一念で耐え抜いてきた負荷がその細い体を軋ませた。

 

 酷い頭痛は治まる事を知らず、何度も聞いた筈の彼の声はエフェクトを掛けたかのように歪んで聞こえる。何度も夢見た彼の姿はパレットの中の絵の具のように周囲の景色とぐちゃぐちゃに混ざり合う。触覚や神経もおかしくなった結果、寒いのか暑いのか分からなくなり、乱れた平衡感覚では立つことすら叶わず床に座り込むばかり。

 

 それにも関わらず、彼女は意識を手放さずにいる。そうした方が圧倒的に楽なのに、彼女は自身の苦しみを呑んで刃を向ける。それは偏に彼のため。その想いは思わず少女達が感心してしまうほど強く、純粋で、幼気だった。

 

「────アロナ、行くよ」

 

 タブレットを操作した先生は静かに告げて、今も苦しむ少女に向けて歩き出す。その歩みに乱れはない。罪も罰も全て等しく吞み込んだ。これから彼女の意志を捻じ曲げる己は何と邪悪なのだろう、何と罪深いのだろう。自己嫌悪は募るばかり。

 

 それでも────もう、見ていられなかったのだ。彼女が苦しみ、傷つく姿を。こんな自分の為に痛みを増やす光景を。

 

「……あぁ、分かっている。所詮これは我儘。私が直視できないから……そんな身勝手な理由。自己満足以外の何物でもない」

 

 だから、君は君を責めないでほしい。その言葉をKeyのプライドの為に口には出さず。彼は優しい足取りで地面に座り込み荒い息をする彼女の元へと近寄った。

 

 彼女の苦しみを取り除くために、彼はあまり使いたくない類の方法に手を伸ばす。

 

「……ケイ」

「やめ、て……私は……」

「────おやすみ。良い夢を(ふかく おちて まどろんで)

 

 少女の頬に手を当てた彼は起動詠唱(ランゲージ)を紡ぐ。元は眠れなくなった彼の為にアロナが考案した子守歌。魂に休息を与える他に類を見ない独自系統の術。眼と眼を見合わせ言葉を耳に届かせなければ効果を発揮しないため有効活用できる場面は然程多くないが、代わりに効果は絶大だ。抵抗すら許さずに対象を夢の中へ送る事ができるのだから。

 

 そのフレーズを認識してしまったKeyは急速に意識が遠のいた。痛みも異常も雪解けのように消え去り、代わりに何もかもが膜を隔てたかのように鈍い。声も、感覚も。

 

「せ、ん……せ────」

 

 その言葉を最後に意識の糸が切れ、ヘイローが消える。彼に凭れ掛るKeyは安らかな寝息を立てて眠っていた。閉じられた大きな瞳。その縁に溜まった涙を人差し指で優しく拭った先生は小さな彼女の体を優しく抱きしめて、悔いるように。

 

「……こんな私を、どうか許さないでほしい」

 

 固く目を閉じ、重い言葉を紡ぐ。まるで眠り姫に縋るように。その光景は宛ら宗教画。トリニティの大聖堂か教会のステンドグラスにあっても不思議ではないほど、神秘的であった。

 

 何秒ほどそうしていただろうか。彼は徐に少女を抱擁から離し、横抱きにしたまま少女達が居る方に歩いてくる。眠る少女と、俯いたままの彼。

 気になって覗き込んだモモイが見たのは、今まで見た事が無いほどに鮮明な痛みに打ちのめされた彼の表情。有り余る悲しみに心が渇いている彼は二度と離さないと言わんばかりに少女の体を抱いたまま。それがモモイには自傷行為に見えた。

 

「これがKey……無名の司祭の『オーパーツ』を稼働させるためのトリガーAIですね」

 

 彼に掛ける言葉を探している皆の中、一番最初に動いたのはヒマリだった。車椅子を転がして近寄り、知性溢れる瞳で少女の体を観察する。トリガーAIたるKeyの発現により何か肉体側に変質が起きているかもしれないと危惧していたが、それはどうやら杞憂だったようだ。肉体の負荷こそあるものの、何か異常がある訳ではない。アリスの頑丈さを加味すると1日安静にしていればすぐに良くなるだろう。

 

 ────だが、アリスを休ませるその前にやらなければならない事がある。

 

「このまま放っておけばきっとアリスの人格はKeyに置換され、無名の司祭が望む通りに『名もなき神々の王女』として覚醒する事になります」

「そ、それじゃあ……!」

「ヒマリ先輩……それって……」

「アリスちゃんは、このまま……」

 

 少女達の表情が眼に見えて翳る。ヒマリの言葉はいつだって真実だった。けれど、この言葉だけは真実であってほしくなかった。だって、あれが真実だとしたら。アリスはもう、二度と────。

 

「勿論、それを防ぐ方法もあります」

 

 ヒマリは少女達に纏わりついた払拭するように希望を齎す。超天才清楚系病弱美少女ハッカーたる者、いつまでも後手に回ってばかりではいられない。先生に作戦指示を貰った時からこの状況は想定済み。そして、想定していたのであれば対策も当然考えている。だが、1つ懸念があるとすれば。

 

「事態は一刻を争います。既に無名の司祭は動き出しておりますから」

 

 また、無名の司祭。それが全ての元凶であると言わんばかりに名前が出てくる。一体誰なのか、或いは何なのか少女達には皆目見当がつかないが……それでも、アリスをこんな風にすることが目的であるならば相容れる事は決してない。間違いなくゲーム開発部の、アリスの敵だ。

 

「ですから、司祭達が到着するより前に、Keyの起動によりデータベースの深層部に隔離されてしまったアリスを起こすのです。私達の手で。そうすれば、最悪の結末を回避する事ができるでしょう……先生の意見はどうでしょうか?」

「概ね同意だよ。でも、1つ違うのは────」

 

 先生は俯いていた顔を上げる。先ほどまで確かに在ったはずの悲しみは一切合切薙ぎ払われ、其処にはただ意志が残る。浄化の意志。死線を超える鉄の決心。何かを選んだ、或いは捨てた者。生徒の成長を優しく見守る先生の顔ではなく、生徒の敵を倒す先生の顔であった。

 

「無名の司祭は既にエリドゥ内部に潜り込んでいる。此処に来るまでには時間が掛かるけどね」

「……それは本当ですか」

「あぁ。だけど、心配しないで────アイツ等の相手は私だ」

「……分かりました。ですが、無理だけはしないでください」

 

 ヒマリはそれ以上の言葉を言わなかった。彼の顔を見て何も言えなくなってしまった。犬歯を出し、唇を歪に吊り上げ三日月を浮べて。瞳を捕食者の如く鋭くし、深層にある殺意を覆い隠している。

 初めて見る彼の一面。生徒の敵対者や傷つける者に向ける顔。それは思わずヒマリが顔を背けて、少し震えてしまうほどに────怖かった。

 

「隔離されたアリスを起こすって……そんな事できるの?」

「できますとも。リオ、ダイブ装置くらいはありますよね? なければ此方で準備しますが」

「えぇ、あるわ。でも、リスクが高すぎる。例えアリスの精神世界に侵入できたとしても、下手をすれば二度と戻って来れなくなってしまうのよ。そもそも、精神世界に入る前にはじき出されてしまうかもしれない」

「ですが、アリスを助けるにはこの方法しかありません。それに、今このタイミングが最も成功率が高いのです。これまでの負荷と先生による眠り。それらのおかげでKeyは現在休眠とも呼べる状態になっていますから」

 

 理に適っている。確かに今は千載一遇のチャンスだろう。負荷により深層部に仕掛けられたプロテクトも少しは緩んでいるだろうし、ダイブしている最中の無防備な肉体を攻撃されるリスクも低い。条件だけ並べれば今しかないと言うヒマリの気持ちも分かる。

 

 しかし、単純に精神世界に足を踏み入れるリスクが計り知れないのだ。精神、或いは心。今も尚、解き明かされていない未開の領域。人体の神秘。そんな場所に足を踏み入れるなんて自殺行為だ。ダイブ装置もあくまでカウンセリング道具の1つであり、相手の心の中に直接入るなんて使い方は想定されていない。

 

 本当に、どうなるか分からないのだ。今まで前例がない、ともすれば手の込んだ自殺行為になりかねない方法に素直に賛同する事はリオにはできなかった。

 

「だとしても、そんなの一体誰が────」

「……やります」

 

 リオの声を遮るのは、決意に満ちたユズの声。振り返った彼女の眼に映ったのは、揺るぎの無いユズの表情。僅かでも可能性があるならそれに賭ける。藁にも縋る思いで極小の成功率に勝機を見出す。その過程でどんな無茶を要求されても必ずやり遂げてみせるという意志。アリスを取り戻すためなら自身が危険に晒されても構わない。

 

「例え危険だとしても……アリスちゃんを連れ戻せるなら、私はやります」

「私も行きます。アリスちゃんに会いに」

「私も行くよ! だってあれからアリスと一回も話せてないもん!」

 

 ユズの声を起点に……否、違う。モモイもミドリも初めからユズと同じ気持であったのだろう。仲間のためなら彼女達はどんなことでもやる。それは差押品保管所を襲撃した件で分かり切っていた。躊躇なく命を懸けながら、捨てるつもりは皆無。必ずアリスの笑顔を取り戻し、全員で帰ると不遜にも豪語する。その意志は、願いはまるで彼女達の決意を優しく見守る彼のようであった。

 

「────そう。危険性を分かった上で行くなら、私はこれ以上何も言わないわ」

「それでは、私が今からアリスの精神を分析して隙間を作ります。そこから皆さんはアリスの精神世界に侵入し、彼女を連れ戻してきてください」

 

 ヒマリは車椅子を転がす前、先生に視線を送る。意図を察した彼は微笑み、アリスを抱いたままヒマリの後をついてダイブ装置に足を進めた。簡素なベッドにアリスをそっと寝かせ、悔恨が滲む指先で頬を撫でる。『ごめんね』、言葉にしていないのに彼の声が聞こえてきたように錯覚した。

 

 そして、彼はヒマリの邪魔にならないように踵を返し少女達の元に戻ろうとする────その直前。

 

「……先生、彼女達をお願いします」

「あぁ、任された」

 

 

 ▼

 

 

 数分後、諸々の準備が済んだ先生達は最後のブリーフィングを行う。最終目標はアリスの人格が現実世界で覚醒する事。その為に深層部に隔離された人格データをサルベージし、Keyから肉体の主導権を奪い返す。そして、アリスの人格を連れて現実世界に戻る。それらがこの作戦の目標であり、目的。

 

 ────そして、先生独自の目的が加えてもう1つ。

 

 それらの確認が済んだ彼等はヒマリに合図を送ると、彼女は花を思わせる優雅さで微笑んで。

 

「それでは、行きましょう」

 

 先生達は少女の心の中に足を踏み入れる。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。